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7207-7210: フローニンゲンからの便り 2021年8月5日(金)



No.2558 粒子の精霊_A Spirit of Particles


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.801, Everlasting Bliss

A blissful moment continues.

Beatific time lasts.

Life is the embodiment of everlasting bliss.

Groningen; 07:42, 8/5/2021

No.802, Tomorrow’s Color

The color of today was like ruby.

What color will be tomorrow?

I’ll go to sleep, looking forward to it.

Groningen; 21:00, 8/5/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7207. 今朝方の夢

7208. 情報哲学者としてのピアジェ/能力格差と発達道徳・発達倫理について

7209. ジャック·エラルの思想/フランス語とドイツ語の読解力の向上に向けて

7210. テクノロジーと労働者化・文法化


7207. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。天気予報によると、今日は午後から雨が降るようだが、今は晴れている。そのおかげもあり、今は朝日が見える。差し込む朝日を浴びながら、今日のこれからの活動に思いを馳せる。


昨日は再び4冊ほど書籍を注文したのだが、12冊ほど新たに書籍が届けられた。昨日は結局勢い良く5冊ほど初読を終え、今日もそのような勢いで書籍を読み進めていこうと思う。


今朝方の夢について今思い出そうとしているのだが、これから見る夢の内容は、現在の探究を何らかの形で映しているのだろう。無意識と覚醒意識の写像関係は本当に不思議である。


今朝方起床した時に、無意識の世界が覚醒意識の世界に足を伸ばし、その波がこちらの世界に入り込んでくるかのような感覚があった。広大無辺の大海が自分の意識の中に絶えずあること。そしてその力は想像を遥かに超えるほどに巨大なものであることを思う。


今朝方の夢。夢の中で私は、地元に似た海の見える街にいた。その街の大きな市役所のような場所にいて、その建物の中にあるマッサージ屋でマッサージを受けていた。


そのマッサージ屋の店内はとても薄暗く、他の客の顔が見えないような作りになっていた。また、それぞれの客は個室の中でマッサージを受けることになっており、プライバシーが保護されていた。


気がつけば私はマッサージを受け終えており、担当してくれた女性にお礼を述べた。するとその場に大学時代のゼミの親友がいて、彼もどうやら別室でマッサージを受けていたようだった。


この店では客のリクエストに応える形でマッサージがなされるのだが、どうやら友人は随分と変わったリクエストを出していたようだった。最初にそのリクエストの内容を聞いた時、私はよく意味がわからなかったほどである。


友人とその場を後にしようと思ったら、別室から中年男性の客が爽快な表情で部屋から出てきた。その男性もまた少し変わったリクエストを出したらしいが、その要望通りにマッサージをしてもらったらしかった。


店を後にすると、ロッカーの鍵を返したり、次回の予約をしたりするために、市役所の一階の受付に行く必要があった。なぜ店でそれができないのか一瞬不思議に思ったが、そのような仕組みとのことなので仕方なかった。


受付に行き、私は次回の予約をすることなく、とりあえずロッカーの鍵を返した。すると、何やら多くの人がクリアファイルに書類を入れて提出している姿が目に入り、自分も何か書類を提出しなければいけないのかと思ったが、書類を提出している人たちは、今からある会社の偉い方の子供の葬式に参加するとのことだった。彼らの表情はどことなく寂しげだったのはそういうことだったのかと妙に納得した。


建物を後にすると、雨が降り出していて、自転車置き場に向かおうとしたら、いつの間にか大学時代の親友はどこかに消えていた。どうやら先に帰ってしまったらしく、話し相手無しにこれから1人で帰るのかと思うと、少しばかり寂しく思った。


ふと自分の格好を見ると、なんと下着姿であり、早くズボンと上着を着なければいけないと思った。ロッカーから衣服を取り出したはいいものの、それをまだ着ていなかったのである。それに気づいた時、私の体は空に浮かんでいて、海の上にあった。


ちょうど夕日が差し込む時間帯であり、海は夕日を反射して輝いていた。そこから私は勢い良く空を飛び始め、海岸沿いの景色を眺めながら自宅に向かった。フローニンゲン:2021/8/5(木)07:30


7208. 情報哲学者としてのピアジェ/能力格差と発達道徳・発達倫理について


時刻は午前11時を迎えた。天気予報を確認すると、どうやら雨は午後からではなく、夕方に少し降るぐらいのようである。実際に、今は雲1つない青空が広がっている。


早朝に、仕事部屋の窓から外を眺めると、木の枝にある蜘蛛の糸が朝日で輝いていた。その輝きはとても美しく、まるで宝石のようであった。


早朝の読書は捗り、先ほど2冊目の書籍を読み終えた。1冊目として、テクノロジー哲学者のギルバート·シモンドンの書籍を読んでいたのだが、その中でピアジェへの言及があり、情報技術のコンテクストでピアジェの業績を眺めてみると、情報哲学者としてのピアジェの顔が見えてきた。


ピアジェは、知性の発達と環境適応を情報の観点から考察していたのである。テクノロジー思想と発達思想を架橋する糸口のようなものがおぼろげながら見えてくる。自分がテクノロジー哲学に出会ったのはそれらを架橋させる意味があるのかもしれない。


私たちの生は絶えず死によって成り立っているということ。実際に細胞レベルでは、短い時間の中で絶えず細胞は死滅しており、新たな細胞の誕生と合わせて、細胞の死によって私たちの身体は維持されている。


死というのは何も遠くに待つ一回限りの現象ではなく、絶えず今この瞬間に起こっていることなのだ。身体次元でのミクロな死の連続過程の中で、私たちは精神次元でもミクロな死を経験しているはずである。


シモンドンの情報テクノロジー思想をもとにして考えれば、私たちが精神次元で絶えず自己算出を繰り返す過程の中で、既存の情報からの脱皮が必ず起こっているのであるから、やはり精神次元においてもミクロな死を絶えず経験していることがわかる。


2冊目に読んでいた書物は、主にバイオメディカルエンハンスメントと人間性、そして道徳·倫理に関する内容を扱っているものだった。この書籍を読みながら、経済格差の延長に、バイオメディカルエンハンスメントを通じた能力格差がより加速するのではないかという絵が浮かび上がってきた。それはもう実際に生じているのだろう。


富める者が高額な医療·薬理サービスを活用して能力をどんどんと高めていき、貧しき者はその恩恵に預かることはできず、むしろバイオ技術によって管理下に置かれるというような社会状況が予期される。ここでもそれはもうこの社会で起きている現象なのだ。


ベーシックインカムと同様に、「ベーシックケイパビリティ」とでも呼ぶべき社会保障が必要な時代に入ってくるかもしれない。さもなければ、経済格差も能力格差も広がる一方である。


このテーマと関連して、社会全体において人間発達をどのように扱っていくのかに関する「発達道徳」と、私たち1人1人が発達という現象とどのように向き合っていくのかに関する「発達倫理」の双方が求められることについて考えていた。そして、それらは神学的な議論とも密接に関わることからも、今の自分の探究と今後の探究においても重要なテーマだということが見えてくる。フローニンゲン:2021/8/5(木)11:05


7209. ジャック·エラルの思想/フランス語とドイツ語の読解力の向上に向けて


時刻は午後5時を迎えた。今日からの試みとして、読書をするのは夕方の5時までにしようと思う。そこからは夕食を摂ったり、映画を見たり、就寝までは活字から離れてゆっくりとする。それにより、翌朝からの読書に対する良い意味での渇望感が生まれるに違いない。身体トレーニングにおいて休息が重要なのと同じく、読書に関しても夜はできるだけ活字から離れようと思う。


昨日にも書籍を追加で購入したのだが、今日もさらに追加で6冊購入した。これ以降の書籍は再度購入リストに追加し、必要であれば今月末に一括注文することにしたい。本日購入したのは、下記のポストヒューマニズムに関するものだ。


1. Philosophical Posthumanism

2. Posthumanism: A Critical Analysis

3. Critical Posthumanism and Planetary Futures

4. Posthuman Knowledge

5. The Posthuman

6. Posthumanism


午後の読書においては、マルクスの影響を受けているフランスの進学者かつ社会学者のジャック·エラルの思想に関する書籍を読み進めていた。エラルの指摘として、テクノロジーそのものは福音を攻撃しないが、テクノロジー社会は福音を無効なものにしてしまうものがある。


また、テクノロジーが神に置き換わるような形で機能し始めることにより、私たちは神的なものを知覚する感覚を麻痺させてしまったという指摘も重要であり、これらの指摘を起点にしてテクノロジーと神学の接点を探り、それらの論点を深めていこう。


今日はエラルやスティグラーといったフランスの思想家の書籍を読み進めており、どこかのタイミングでフランス語の読解力を高めたいと思う。スティグラーの書籍はフランス語で30冊近く出版されていて、大半は英語に翻訳されているが、翻訳されていないものもあるため、フランス語の読解力をつけることができれば、それらの未翻訳の書籍を原著で読み進めることができる。


エラルの書籍についてもまだまだ英語に翻訳されていないものがあるようだ。さらには、エラルが敬意を表していたスイスの神学者カール·バースの書籍も原著で読みたい。


バースはおそらくドイツ語で書物を残していたのではないかと思う。スイスの神学者ということもあり、スイスは場所によってドイツ語圏かフランス語圏かに分かれるので、バースはどちらの言語を主にしていたのだろうか。いずれにせよ、ここからは自分の探究に密接に関係する第二外国語、第三外国語の読解力を高めていくことを視野に入れていこうと思う。


仮に数年以内に神学校に進学したら、そうした文献調査用の語学力を高めていく。これまでは明かに英語に頼りすぎていた。そこから脱却し、他の言語空間に身を置く形で探究を深めていかなければならない。


この点に付随して、仮に学術機関に再び戻ったら、テクノロジー哲学やマネー神学、さらには最新の音楽理論研究の動向も知りたいので、そのあたりの学会に積極的に参加しようということを考えていた。それらのテーマについては何か学会で発表できるほど研究を進めていないので、最初は単なる聴衆として参加することになるだろうか。


発表しなけば学会など参加する意味はほとんどないとこれまでは思っていたが、最先端のディスコースの流れに参画するために学会に顔を出すというのはそれほど悪いことではない。そこにも積極的な意義を見出そう。フローニンゲン:2021/8/5(木)17:20


7210. テクノロジーと労働者化・文法化


時刻は午後5時半を迎えた。この日記を書き終えたら夕食の準備を始めよう。


天気予報が外れ、空には雨雲など一切なく、夕日が燦々と輝いている。今日は少し暖かさを感じられたが、結局今もまだ冬の格好をして室内で過ごしている。今年の夏は涼しさの中で終わっていくのだろうか。


自らの状態によって見えるものが変わってくることを実感する。意識状態の変化は知覚対象物を変化させる。


肉体改造を通じた身体の状態変化を受けて、知覚されるものが明かに変わってきていることは大変興味深い。グロスボディを鍛えることがサトルボディの鍛錬にも派生しているようであり、それによって精神次元で知覚されるものが明かに変化している。それは読書を通じて得られるものにも変化をもたらし、探究上とても良い効果をもたらしてくれている。


午前中に読み進めていたスティグラーの書籍で印象的な指摘がある。個別具体的な問題に対処する知識や技術そのものが労働者化されているだけではなく、どのように生きるのかというあり方そのものが労働者化されている。ここで述べている労働者化というのは、画一化現象であり、同時にそれが搾取と管理の対象になるという意味である。


その他にも興味深い洞察としては、現代においては、消費者が労働者化されているだけではなく、産業における生産者側もまた労働者化されているというものである。こうした社会の有り様をスティグラーは、「組織的な愚行(systemic stupidity)」とみなしており、その傾向は加速の一途を辿っている。


スティグラーはギルバート·シモンドン以外にもジャック·デリダからも多大な影響を受けており、デリダの「文法化」という概念をテクノロジーの問題に適用している。


現代社会を眺めてみると、私たちの知識も感覚も、そして思考もテクノロジーによって文法化されていくことがわかる。それらはテクノロジーによってある意味で法則化され、形式化されているのである。


この現象そのものに良し悪しはなく、文法化をもたらすというのはテクノロジーの本質的性質である。そもそも私たちの知識や感覚、そして思考の発達というのはある種の文法化の高度化現象としてみることができるのだから、尚更違和感はない。


しかしながら、このテクノロジーを通じた文法化は、集合的な記憶と集合的な習慣を形成することに注意する必要がある。どのような記憶や習慣が形成されるのかはテクノロジーの性質とその利用方法に左右される点に、倫理的·道徳的なテーマが頭をもたげる。そしてそれは神学上の問題ともつながってくる。フローニンゲン:2021/8/5(木)17:56

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