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7204-7206: フローニンゲンからの便り 2021年8月4日(木)



No.2549 宇宙の向こう側(その1)_Beyond the Universe (1)


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.799, The Next Higher Dimension

Something new will start from today.

It will make me reach the next higher dimension.

I look forward to a vista from there.

Groningen; 07:30, 8/4/2021

No.800, An Existential Fragrance

A fragrant aroma is floating in the air.

It comes from the body, mind, and spirit.

It could be an existential fragrance.

Groningen; 21:45, 8/4/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7204. 読書の再開/今朝方の夢

7205. 本日のトレーニングを終えて/「死政治(necropolitics)」について

7206. 倫理的特異点/偽りの個性化を通じた原子化と分断化


7204. 読書の再開/今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。今朝は空に雲が覆っているが、どうやらこれから晴れてくるようである。ちょうど先ほど洗濯機を回し始めたので、晴れてくれることは嬉しい。


8月に入ったが、相変わらず涼しい日々が続く。依然として冬の格好で過ごしている。


前回のトレーニングから中3日が空き、今日はトレーニングの日である。今日もまた午後に肉体を追い込んでいくトレーニングを行おうと思う。そして今日からは、再び書物を通じた探究を行っていく。


まずは昨日届いた5冊の書籍から読み進めていく。残り195冊の書籍はこれから続々と到着するだろう。


比較的早いタイミングで未読の書籍が溜まっていくであろうから、それらの書籍を置く場所を考えておかなければならない。当面は机の上に6カ所ほど山を作れそうであり、各山に10冊から15冊ほど置けそうなので、机の上に60冊から90冊ほどの書籍を置くことができそうだ。それでようやく半分ほどなので、残りの書籍の置き場を今から考えておこう。


書籍の背表紙やタイトルを見るだけでも脳内に知的ゲシュタルトが構築される感覚があるので、できるだけ近くに残りの書籍を置いておきたい。


今朝方の夢を振り返り、それから朝風呂に入るとする。今日から書物を読むことを再開させることが楽しみだ。こうした喜びの感情と共に学習と実践を継続させていくこと。それを何よりも大切にしよう。


今朝方の夢。夢の中で私は、小中学校時代を過ごした社宅の食卓にいた。ちょうど今から朝食を食べるとのことであり、父はその場にいなかったが、母と一緒に朝食を食べるところだった。


その日は朝から学校で部活の朝練があり、それが結構ハードなので、あまり食べ過ぎないようにしておこうと思った。食卓には寿司が並んでいて、朝から寿司が食べられることが嬉しくもあり、少し違和感があった。寿司以外にも味噌汁が置かれていて、香ばしい香りと共に湯気が立っているのが見えた。


早速朝食を食べ始めると、朝練の時間が迫っていることがわかり、ある程度のところで朝食を切り止めることにした。最後に納豆が食べたいと思っていたところ、冷蔵庫にそれがあるようだったので、冷蔵庫を開けようとした。するとそこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面で私は、学校の廊下にいた。教室の方を見ると、小中高時代の知り合いたちが席に座っていて、全員黙って前を向いていた。教室には先生はいないようであり、なぜみんなが黙って前を向いていたのかは定かではない。


私は彼らに声をかけることをせず、廊下に置いてあった椅子に腰掛け、ジャケットにくるまって眠りの世界に入ろうとした。うとうとし始めたところで、教室の中では出席が確認が始まった。そこで夢の場面が変わった。


その次の夢のもまた学校が舞台になっていた。先ほどとは少し違い、今度は実際に通った中学校が舞台のようだった。しかしその場にいたのは高校時代の教師であり、この間行われたテストがちょうど返却されるタイミングだった。


私はその授業はあまり出席しておらず、おそらくもう単位は取れないだろうと思っていた。仮にあと一回でも欠席したら確実に単位を取得することができず、また前回のテストで65点を下回っても単位の取得は無理だと思った。


これまでろくに授業に出ておらず、さらにはテスト勉強もほとんどしていなかったので、35点ぐらいかと思ったら、なんと80.8点であり、小数点以下の部分が気になったが、この点数であればまだ単位が取得できると思った。なんとか望みがつながったような気分になり、今後の授業は全て出席することを誓ったところで夢の場面が変わった。


最後の夢の場面では、開拓された山に作れた巨大なジェットコースターの席に腰掛けていた。それはゆっくりと山道を上っており、頂上に到着したら一気に下りていくのだろうと予想された。


山道をゆっくり上っている時に、隣のレーンに小中高時代の親友(NK)がいて、彼が席を代わって欲しいと述べたので、私は席を代ることにした。ジェットコースターはまだ山道をゆっくりと上っている最中だったので、安全ベルトを外してもそれほど危険ではなかった。


席を交代し、ふと周りの景色を眺めると、遠くの方に輝く海が見えた。そして気がつけばいつの間にか私はジェットコースターから下りていて、山道を歩いて上っていくことになった。


私の横には高校時代のクラスメートの女の子がいたが、あまり会話をすることなく、黙々と上に向かって歩いていた。すると、何やら騒がしい音が聞こえると思って振り返ると、山道を大学時代の友人がバイクで駆け上がってくる姿が見えた。


彼のバイクは山道を走ることに適したものであり、とても快適そうに一気に上の方に向かって行った。今朝方はそのような夢を見ていた。


そう言えばその他にも、港町を歩いている家族を見かけ、彼らが小さな竜巻から逃げるために必死になって走り始めた場面があったことを覚えている。最終的には公民館のような場所の前に止められていた軽トラックを風除けにして、竜巻の被害から逃れることができた場面があった。フローニンゲン:2021/8/4(水)07:26


7205. 本日のトレーニングを終えて/「死政治(necropolitics)」について


時刻は午後3時を迎えた。つい今し方、本日のトレーニングを終えた。今日は肌寒い1日だが、トレーニングを終えたばかりの今は体が温かくなっているのを感じる。


肉体改造トレーニングを始めてしばらく経ち、様々な部位をトレーニングしてきたことによって、自分の肉体のどこが元々強くて、どこが弱いのかが浮き彫りになってきている。そうした発見事項をもとに、元々強かった部位についてはそこをさらに強化しながら、弱かった部位については重点的に鍛えるようにしている。


足腰はやはり相当強く、どのようなトレーニングでも十分にこなすことができているが、やはり腕や胸を鍛えるものになると、動画の途中でついていけなくなることがまだある。ここから中3日間の休養を取り、次回はとりわけ胸の筋肉をさらに細分化させた形で鍛錬していこうと思う。


知性の鍛錬の際にサブスキルに分けてトレーニングを積んでいくのと同様の原理を活用すれば、筋肉も着実に鍛えられていくことがわかる。学術探究と同じく、喜びの感情を感じながらトレーニングに励むことができているのは何よりだ。知的鍛錬も肉体の鍛錬も苦痛が伴うようなものでは決してない。そこには絶えず喜びや楽しさの感情があるべきである。


今日から再び集中的な読書を再開させた。朝からの読書によってすでに3冊の書物を読み終え、今から4冊目に取り掛かる。これまで数日間書物から離れていたので、文字通り、植物の乾いた根が水分を勢い良く吸収するかのように書物の内容が頭に入ってくる感覚がある。


集中的な読書をある一定期間行ったら、数日ほど書物から離れることも重要なようだ。まさに筋トレにおいて休養期間が必要なのと同じである。


これからはひょっとすると、肉体トレーニングをする日には書物から離れるようにしてもいいかもしれない。そのような組み合わせを考えてみよう。


支配する者たちの真実と、支配される者たちの真実の乖離。真実は1つではなく、関係当事者の数だけ真実があり、それらの真実のズレが様々な悲劇を生み出す。


理性を通じた暗黒の啓蒙。テクノロジーを通じた進歩の罠。現代人は理性的なロックインと技術的なロックインの双方に埋没している。


午前中の読書を通じて、「死政治(necropolitics)」という概念と改めて出会った。この言葉は以前から気になっており、先日の書籍の一括注文の際に死政治に関する書物を購入していたと思っていたのだが、どうやらまだ購入していないことがわかり、後ほど注文しておきたいと思う。


死政治というのは、政治的な力によって人々の生死を牛耳る政治形態のことを指す。フーコーの生政治(biopolitics)から派生した言葉なのだが、現代においては文字通り、人々の身体のみならず、生死にまで政治的なものが介入するようになっている。


生死に直結するのは何も政治だけではなく、現代においては経済もそうだ。そのような経済体制のことを「死経済(necroeconomics)」と呼ぶ。


このあたりのテーマについても自分の関心と合致している。この話題についてもいくつか関連書籍を調査してみようと思う。フローニンゲン:2021/8/4(水)15:20


7206. 倫理的特異点/偽りの個性化を通じた原子化と分断化


時刻は午後5時を回ろうとしている。つい先ほど近所のスーパーから帰ってきた。自宅に戻ってくると、また新たに書籍が届けられていた。郵便受けに入らない書籍があったようなので、それらの書籍については後日指定の場所に受け取りに行こうと思う。


日々の探究から得られたことを文章として書き残しておくことは、洞察の共有のみならず、記憶の伝承という意味合いがある。探究の成果を同時代人に共有していくことと、後世に残していくこと。それらの双方が重要だ。


夕方にテクノロジー関係の書籍を読んでいると、時代は技術的な特異点だけではなく、倫理的な特異点を迎えようとしていることに考えを巡らせていた。テクノロジーは価値中立的ではありえず、そこには必ず開発者と利用者の意図が不可避に介入する。価値の歪曲と暴走を防ぐために、価値について、そしてテクノロジーの利用に関する倫理的な議論や対話を積み重ねていく必要がある。


テクノロジーというのは、それがどの存在論的階層で利用されるかによって、それがもたらす影響力が異なる点に注目しなければならない。存在論的階層の差異が、上方因果·下方因果の力を左右する。


技術的な特異点とそれに付随する倫理上の特異点について考えていると、同種の問題は発達理論の知見の普及にも当てはまるだろうと思った。発達理論の知見の普及に伴い、それらの知見をどのように活用していくのかに関する倫理的な知見も普及していかなければならない。知識のみが先行する状況は危険である。


ジョージ·オーエルはかつて管理された社会と脱個性化した個人のありようを想像していた。後者に関して言えば、時代は脱個性化をひとっ飛びに実現するというよりも、ある特定のコンテンツ提供型プラットホームの独占により、偽りの個性化がもたらされた上で没人格化が実現されるのではないかと思う。


すなわち、人々に提供されるコンテンツはその個人によりカスタマイズされ、一見するその人の個性に合致し、そしてその人の個性を強化するように見えるが、結局は同一のプラットホーム基盤の上での個性化に過ぎず、それは偽りの個性化であり、最終的には特定のプラットホームを通じた個性の原子化をもたらす。


そして個性の原子化は、人々との間に断絶をもたらす。つまり、個人の原子化を通じた集合としての分断化現象が生じてしまうのだ。


そのようなことを考えながら、買い物に出かけていた。それでは今から下記の4冊の書籍を追加で注文し、夕食前にもう一度トレーニングをしてから夕食の準備に取り掛かろうと思う。


1. Biopolitics: An Advanced Introduction (Biopolitics Series)

2. Necropolitics (Theory in Forms) by Achille Mbembe

3. Neoliberalism and Cyberpunk Science Fiction: Living on the Edge of Burnout

4. The Aesthetics of Necropolitics (Experiments/On the Political)

フローニンゲン:2021/8/4(水)17:08

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