No.2528 朝の無意識より_From the Morning Unconsciousness
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.783, This Morning’s Dream
I had a dream this morning that I took an elevator but it moved up and down violently.
In the end, I reached the destination 22nd floor.
Reflecting on this dream, I suppose that the symbol of the elevator might represent my current developmental and learning process that has nonlinear vertical motions.
Groningen; 07:02, 7/28/2021
No.784, Grace
Grace, grace, and grade.
A flood of grace is coming into me.
I don’t have to worry about being drowned by the flood,
Because grace is the essence of the world and me.
Groningen; 20:55, 7/28/2021
No.785, A Snail
I saw a snail on the roof window of the bathroom while taking a bath.
I realized that I am the snail.
That is exactly true.
I always move forward slowly without being noticed by anybody.
I’m constantly engaging in my lifework without being paid attention to anyone.
That’s fine. It’s me.
Groningen; 21:44, 7/28/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7189. 今朝方の夢
7190. 人生原則
7191. オピオイド問題に関するドキュメンタリーを見て
7189. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。トレーニングから一夜が明け、昨日のトレーニングが効いているため、目覚めの瞬間に程よい筋肉痛があることを感じた。
目覚めてすぐにプロテインを飲み、タンパク質を補給した。そこでホエイプロテインにカカオパウダーとヘンププロテインを加え、蜂蜜を少々加えている。それによって随分と飲みやすい味になる。今日から3日間は筋肉の回復に努めたい。
昨夜は就寝前から雨が降り始めたが、今は雨が止んでいる。どうやら今日は午後から少しばかり雨が降るようだ。
今朝方の夢をいつものように振り返っておこう。夢の中で私は、大きなサッカースタジアムの観客席いた。観客席には全くと言っていいほど人がおらず、私の左右に高校時代の友人がいただけだった。
スタジアムの中で試合が行われているわけではないのだが、私たち3人はどういうわけか観客席の一番前に座って、ピッチの方を眺めていた。すると、ピッチ上に高校時代の女性友達が数名現れ、私たちに話しかけて来た。
私は彼女たちと話をする気分ではあまりなく、少し仏頂面になり、話しかけられたくないオーラを出した。そのためか、彼女たちは私を避けるように左右の友人にあれこれ話しかけており、その状態がしばらく続いた。
私は彼女たちの姿が視界に入ることが集中の妨げになると思ったので、後ろの列の席に移動することにした。すると、2人の友人たちも一緒に移動することになり、それによって彼女たちの姿は見えなくなった。それは彼女たちからしてもそうであり、私たちの姿が見えなくなったので、彼女たちは話しかけることをやめてどこかに去って行った。
次の夢の場面では、私は猛スピードで動くエレベーターの中にいた。どうやらそのエレベーターは自分が住んでいるマンションに設置されたものだった。そこは高層マンションであり、エレベーターのガラスの壁からも本来素晴らしい景色が見えるのだが、如何せんエレベーターの動きが早かったので景色を見る余裕がなかった。
エレベーターの動く速度はあまりに早く、その激しさに恐怖心が芽生えるほどだった。実際に私は立っていられることができず、その場にしゃがみ込んでなんとか踏ん張った。
目的のフロアは22階であり、そこに自分の部屋があった。激しい上下動を終え、エレベーターが無事に22階に到着すると、そこはとある美大と直結してるようだった。
そこは列車の停車駅の役割も果たしていて、美大の女学生たちが駅のプラットホームで列車を待っている姿を見た。その光景を脇目に、私は自分の部屋がある方向に向かって歩き出した。そのような夢を見ていた。
エレベーターが激しい上下動を繰り返すというのは、何か自分の成長発達プロセスの姿を暗示しているように見える。上昇することもあれば退行的な下降をすることもあり、最終的には目的階に到着するのだが、総じてそのスピードは目まぐるしいほどに早い。
今の自分の探究活動を例にとってみると、確かに探究項目が目まぐるしく変化していき、それら全てを包摂しながら別の次元に行こうとしている点は、どこかこの夢のシンボルにつながるものがある。フローニンゲン:2021/7/28(水)06:35
7190. 人生原則
時刻は午前6時半を迎えた。辺りは引き続き穏やかであり、今は朝日が少しばかり見えている。空には薄い雲がちらほら見えるが、それは雨を降らせるような暗さはない。
昨夜、人生最後の日にやりたいことを毎日やることについて考えていた。人生の最後の日においても取り組みたいことに毎日取り組むこと。自分の人生規範の1つはそれである。
逆に言えば、人生最後の日にやりたくないことは今日もやらない。とてもシンプルだ。このあり方を最後の日まで毎日貫き通していくこと。それを徹頭徹尾守ることを改めて誓った。
今日もまた例外ではなく、今日が人生最後の日であった場合に取り組みたいことに取り組む。人間の人生とは本来そういうものであるはずだ。
社会によって調教された人生など歩まない。社会によって操作·洗脳された人生など歩まない。至ってシンプルな原則である。
今日行う読書もまたその原則に則ったものになる。今日は昼前からオンラインミーティングがあり、それまでの時間にまずはハーバート·マークーゼの美学思想に関する書籍を読んでいこうと思う。時間があれば、そこからフィリップ·グッドチャイルドのマネー神学に関する書籍を読む。
アーネスト·ベッカーやエリック·フロムの書籍に関して四読目をしたいものが数冊ほどまだ残っており、それらは明日以降に読み進めていく形になるだろうか。8月に入ったタイミングで、書籍の大量一括注文を行う。ちょうど今週の日曜日が8月の最初の日に該当するので、日曜日は朝から書籍の注文に向けた再吟味をしていこうかと思う。
どれだけの量購入するのかは実際に注文をしてみるまでわからないが、最大で100冊ほどを想定している。それらの100冊は全て再読に値するような質を持つ学術書であるから、全ての書籍の初読を終え、再読まで終えるのに時間を要するだろう。
とにかく広く深くゆっくりと進んでいくこと。それを心がける。これもまた自分の人生の原則の1つである。フローニンゲン:2021/7/28(水)06:53
7191. オピオイド問題に関するドキュメンタリーを見て
時刻は午後7時半を迎えた。今日は夕方に、激しい通り雨が降ってきた。それはほぼ一瞬の出来事であり、そこに儚さを見つけ、同時にその美しさを感じた。
夕方に見たその通り雨は、一回限りのものであり、もう二度と同じ雨をこの人生で見ることはない。そのように思うと、なお一層のことその雨の愛おしさが増し、美しさが増した。
それは何もその雨に限った話ではなく、本来は私たちの人生の一瞬一瞬に起こること全てに当てはまることなのだ。
先ほど夕食を摂りながら、昨日に引き続き、『巨大製薬会社の陰謀 / THE CRIME OF THE CENTURY(2021)』というドキュメンタリーを見ていた。これは前編後編の2部構成になっていて、テーマとしてはアメリカに蔓延する「オピオイド問題」を扱っている。
オピオイドとは、鎮痛剤に含まれる化学物質のことを指すのだが、この物質には強い中毒症状があり、アメリカではこのオピオイドによって毎年50万人以上が死んでいるという問題がある。実際のところは、そうした死者数以上に状況は悪く、問題の根も深い。
巨大な製薬会社の利権と薬品の卸会社、そして医者たちとの癒着によってこの問題が年々深刻化している。オピオイド問題については以前から注目しており、過去においてはBBCの『麻薬中毒の町 ~ルイ·セローが見たアメリカ~(2017)』やこの問題と関連した『ヒトラーと禁断の麻薬戦争(2019)』なども見てきた。
作品を見ながら、オピオイドの販売から得られる利益に中毒になっている製薬会社のCEOと、それによって絶え間なくオピオイドが市場に出回り、それによって中毒者の数が増加し、中毒症状が強化されるという負の意味でのポジティブフィードバック(自己強化型フィードバック)の構造を見て取ることができる。
また、後編に登場した製薬会社の営業部長や製薬会社側につく弁護士の目つきや言動などから、彼らがサイコパス的·ソシオパス的な性質を持っていることも見て取ることができる。
作品を通じて、知識として色々と新たな事実を突きつけられたのだが、そうしたこと以上に、やはりこの問題の奥深くにある深層構造に目を向けている自分がいることに気づく。今の探究上の問題意識の中に、オピオイド問題は具体的な社会課題として存在している。
作品の中で、問題の責任を他者に転嫁したり、スケープゴートを設定したりするやり取りが見られるのだが、これは何か、アーネスト·ベッカーが指摘したことにつながるものがある。それは、人は生贄を捧げることによって、自身の死への衝動·欲望を満たすというものである。
このオピオイド問題の中にも、死への衝動·欲望が関係しており、その投影としての種々の行動を見て取ることができる。この問題については日本もおそらく他人事ではないであろうし、欧州においてもそうだろうから、引き続きこのテーマに関心を持っていこうと思う。フローニンゲン:2021/7/28(水)19:51
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