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7156-7160: アートの国オランダからの便り 2021年7月18日(月)



No.2486 無意識の呼び声_A Calling of the Unconsciousness


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.764, Life Like a Shooting Star

Life is like a shooting start.

It’s fleeting, but that’s why it is so precious and beautiful.

How does our life shine everyday?

Groningen; 21:00, 7/18/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7156. 明日のトレーニングに向けて/滞在許可証と税金の支払い

7157. 毎月の労働時間を改めて考えてみて

7158. 今朝方の夢

7159. 休息の大切さの再考

7160. 成長の意義や成長速度について考えさせてくれる『ジャック(1996)』という作品を見て


7156. 明日のトレーニングに向けて/滞在許可証と税金の支払い


時刻は午前6時半を迎えた。今、朝日が燦々と照っていて、2階の仕事場にそれが差し込んでいる。


天気の良い日は、毎朝朝日を浴びながら自分の取り組みに従事することができている。朝日を浴びることによって、心身の調子が整い、活動に向けたエネルギーも高まる。朝日の恵みを実感する。


昨日のセミナーから一夜が明けた。昨日はセミナー後に、振り返りとしていくつか音声ファイルを作った。それは、『インテグラル心理学』の読書会のコンテンツとして共有することにした。


セミナーの最中にチャット画面からいただいた質問は、どれも重要なものだと思うので、今日は午後にでもそれらの問いに対して音声ファイルを作っていきたいと思う。


筋力トレーニングから3日目の休養日を迎えた。休養するのは今日が最後であり、明日にまた肉体を追い込むトレーニングを午後に行う。


前回のトレーニングによって筋肉の修復も随分と進んだが、まだ脇周りの筋肉に痛みが残っている。そうした筋肉痛がまだ残っていることは嬉しい。そこが筋力として弱い箇所ということが明確にわかり、トレーニングによってその箇所がきちんと刺激されていたことがわかる。


明日のトレーニングでは、1つ1つのトレーニングで刺激される筋肉の部位をもう少し意識したいと思う。意識の力。これはどんな学習や実践においても鍵を握るものである。筋力トレーニングにおいてもまさにそれが重要であり、鍛える部位を意識するのとしないのとでは格段に効果が違う。


明日のトレーニングでは、まずは上半身、とりわけ腕と胸、そして肩周りの筋肉を鍛えてから下半身のトレーニングに移り、そこから背中のトレーニングを経て、再び腕や胸などのトレーニングをしようかと思う。一番筋力がない箇所を最初と最後にトレーニングする流れでいく。


肉体が作り替えられ、生まれ変わることによって、探究活動や創作活動に取り組む集中力と持久力が別次元のものになるに違いない。トレーニングを始めて日は浅いが、もうその効果を実感し始めている。


数日前に、移民局から、滞在許可証の更新が始まったとの連絡が早速あった。無事に書類を受け取ってくれ、提出書類の不備も今のところないそうで何よりだ。遅くとも10/11までに新しい滞在許可証がもらえるとのことであり、前回は予定よりも1ヶ月早く許可証がもらえた。今回はどうだろうか。


移民局からの手紙以外にも、税務署からの手紙もあった。それは確定申告を終えての税金の支払いに関する連絡だった。


保険料の支払いと所得税の支払いに関する連絡が別々の手紙で送られて来て、双方ともに結構な額になっていた。税金の納付はオランダ政府とオランダで生活する人たちへの貢献だと思って嬉々とした気持ちで税金の支払いをすることにする。


この国には、オランダ政府とオランダで生活する人々へ貢献したいと思わせる雰囲気と仕組みや生活環境がある。それは相互扶助的な健全な共同体意識がここにあるということの現れなのだと思う。フローニンゲン:2021/7/18(日)07:00


7157. 毎月の労働時間を改めて考えてみて


時刻は午前7時を迎えた。仕事場に差し込んでくる朝日の柔らかさを依然として感じている。


カッコウの鳴き声、そして小鳥たちのさえずりが朝の新鮮な空気に響き渡っている。空気は池、彼らの鳴き声は池に落ちる何か。池に落とされたそれは、波紋を作りながら池全体に広がっていく。


自分はその池の中の何なのだろうか。そのようなことを自ずから考える。


先ほど本年度の税金の納付について書き留めていたように思う。一応自分は起業家ビザで滞在しているが、オランダは起業家を奨励する仕組みが整っていて、起業家ビザも色々と優遇される処置が付随している。


改めて起業家ビザの税制について調べてみると、熱心に自分のビジネスに取り組む起業家と、ゆったりと仕事をしたい起業家に対しては控除を含めて、色々と税務上の待遇が異なる。私はそもそも起業という感覚でこのビザを取得したわけでは決してなく、30代の前半から投資収入だけで生活していくような生活に入ったので、起業家ビザはオランダに留まるための便宜上のものに過ぎなかった。


改めて税務処置について調べてみたところ、年間で1225時間以上働いているかどうかによって、控除額が変わることを知った。年間に1225時間というと、月に換算して102時間、仮に平日の5日働くとして、毎日5時間ぐらいの労働時間になるだろうか。


私の場合は、毎日5時間どころか、一つ全体の労働時間が5時間以下なので、控除を受ける基準からは程遠く、だから事業所得と保険に対する納付金額が比較的高いのだとわかった。実際に月の労働時間が5時間以下なのだから、それを偽るわけにはいかない。


実は現在の月5時間の労働も多いぐらいだと感じていて、9月からは月の労働時間を多くて3時間ぐらいにしようかと考えている。もちろんどこからどこまでを労働とみなし、どのように労働時間を算出するかは恣意的な部分が多分にあるが、ここ数年の協働プロジェクトにおいてはもはや自分が手を動かすような作業は一切なく、現在労働としてみなしているのはオンラインミーティングぐらいである——コンサルティング会社に務めていた時は、メールのやり取りも労働時間に入れていたが、今はそのようなことはしていない——。


本当はミーティングを労働とみなすこともどこか違うように思え、全てはライフワークの一環だと思うのだが、仮にミーティングの時間を労働と換算しなければ、月の労働時間がゼロになってしまう。


なるほど、税務申告においては月の労働時間が5時間だろうが、ゼロだろうが、結局年に1225時間以上働いているのかどうかが重要であるため、そのような差異はどうでも良いことだったのだ。それであれば協働者の方々とのミーティングを労働とみなす必要はなく、別に月の労働時間がゼロだと言っても何ら問題ないことがわかる。


なるほど、自分はもう労働などしていないのだ。労働からの解放。それがいつの間にか実現されていたのである。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢の中でも上記のような労働時間の話をしていた。私は日本のどこかの温泉街にある旅館型のホテルに宿泊していて、その大浴場にいた。


大浴場の向こう側はガラス窓になっていて、そこから海が眺められた。どうやらその海は太平洋のようだった。


大浴場は混浴になっていて、私の他に2人の女性がいて、2人のうち1人は私よりも少しだけ歳が上の前職時代の同僚であり、もう1人は小中学校時代の友人だった。3人で大きな浴槽に浸かってくつろいでいる中で、労働時間の話となり、そして投資の話となった。


投資の話に関しては、自分のこれまでの投資上の成功体験と失敗体験の双方を話した。そのような夢を今朝方見ていた。フローニンゲン:2021/7/18(日)07:23


7158. 今朝方の夢


ゆっくりと進行する日曜日の朝の世界。早朝より引き続き小鳥たちが鳴き声を上げていて、今日という日を祝っている。


彼らには本当に感銘を受ける。毎朝、このように祝いの鳴き声を上げているのだから。


さて私たちはどうだろう。毎日、その日を祝う何かしらの行為に従事しているだろうか。


自分にとってはこの一連の日記がそうした行為なのだろう。日々を祝うことで進行していく人生がここにある。


今朝方はいくつか印象的な夢を見ていた。夢を書き出すことそのものがシャドーワークであり、シャドーの治癒につながっていく。書き出す過程の中で、夢の場面が再想起され、感覚も再喚起される。


ハイデガーはかつて、存在は言葉の家の中に住んでいると述べたが、まさにそれを実感する。それと同時に、言葉の世界にある自己の存在にも最近はかなり自覚的である。


今朝方の夢。夢の中で私は、欧州のどこかの国の郊外にある豪邸にいた。そこは由緒正しき名門一家の家とのことだった。


その邸宅には大きな庭があり、庭の中心に噴水があって、噴水の水は家の2階から流れ込んでくる仕組みになっていた。つまり、家の2階から水路のようなものが引かれていて、それが噴水に連結していたのである。


私は噴水の周りでくつろいでいた。すると、家の方が何か騒がしかった。


その邸宅の召使いの男性が私に向かって、「今から水路に流れ出てくるものを噴水に落とさずに全て拾ってくれ!」と述べた。事情はよくわからなかったが、召使いの様子を見ると、ただ事ではないと思ったので、私は水路の横で待ち構えた。


すると、家の2階から古書が流れて来たのである。古書が大量に一気に流れ来たのではなく、数冊の古書が紐で縛られ、その塊が断続的に流れて来たのだ。


私は流れて来た古書を見た瞬間、ただならぬ気配を感じた。というよりも、直感的にその古書は人間の死体が変化したものだとわかったのである。端的に言えば、それは見かけは古書が流れているのだが、私の知覚としては、それは死体が流れて来ていることに等しかったのである。


召使いがなぜあれほど取り乱していたのかの理由がわかった。その古書を噴水に落としてしまうと、おそらくそれが黄泉の国に行ってしまうのだと思った。


私は古書が死体が変化したものだと見抜いてしまったので、古書を拾い上げるのが躊躇われたが、近くにあった棒のようなものを使って、全ての古書を拾い上げた。召使いはお礼を述べた後、それらの古書は古書店に差し出すとのことだった。それはまるで事故物件のような、「事故書籍」とでも呼べるようなものなのではないかと思った。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の中で私は、引き続きヨーロッパのどこかの国にいた。今度は郊外ではなく、活気のある街だった。


私はカフェのテラス席でくつろいでいて、道ゆく人たちをぼんやりと眺めていた。温かいコーヒーをすすっていると、私の近くに1人の女性がやって来た。


見ると、小中高時代の友人(NI)だった。彼女の格好はウェイトレスのそれであり、何をしているのかと尋ねると、このカフェでバイトをしているとのことだった。


夢の中の私たちは大学生ぐらいの年齢であり、彼女に話を聞くと、大学に入ってから色々とバイトをしてきたようだった。今は接客について学ぶためにあえてカフェで働いているとのことだった。


彼女としばらく話し、そろそろカフェを後にしようと思ったところ、彼女もちょうど勤務を終えるとのことだった。そのため、そこから街を一緒に散歩しようということになった。


いざカフェから離れて歩き始めると、彼女との距離がやたらと近いように感じた。少しずつ彼女は自分の方に体を寄せて来て、気がつくと腰が触れ合っていた。


すると、前方から小中高時代の2人の親友(NK & SI)がやって来る姿が見えた。私は彼女と一緒に歩いていることそのものは何らおかしなことではないと思ったが、彼女の格好はまだウェイトレスのそれであり、やたらと体が近いような状況だったので、これは2人に誤解されてしまうかもしれないと思った。


彼女もそう思っていたようだが、2人の親友が歩いてくる姿を確認すると、彼女は私の腕を掴んで、近くのフェンスに隠れることを促した。しかしそこは身を隠せるような場所では決してなく、すぐに2人に気づかれた。


親友のうちの1人は懐疑の目で私たちを見たが、2人は私たちに会釈をするだけで通り過ぎて行ってしまった。そこで目が覚めた。


どちらの夢も印象に残っている。最初の夢に関しては、人間の死と書物の関係を考えさせられるものだった。


書物というのはそこに書き手の魂が込められていて、仮に著者がこの世をすでに離れていたとしても、その魂は書物の中に生き続けているものなのかもしれない。古書の中には、自分が生きている時代とは全く違う時代に生きていた著者の魂がまだ生き続けているのである。


そのように考えると、著者が生きていようがこの世を去っていようが関係なく、全ての書物の中に著者の魂が息づいていることを思うと、書物を読むという行為は、他者の魂との対話なのだという気持ちになる。フローニンゲン:2021/7/18(日)07:54


7159. 休息の大切さの再考


時刻は午後6時半を迎えた。ここ最近は少し早めに夕食を摂るようになっている。これもトレーニングを日常の中に組み入れたことによる副次的な事象かと思う。


夕方買い物に出かける前に、探究においても休息日を設けてみようかと思った。書物を読まず、その代わりに映画やドキュメンタリー作品を見て寛ぐような日を設けるという考えである。


それぐらいにここ最近は何か取り憑かれたかのように書物を毎日ずっと読み続けていた。それはとても激しいものであり、怒涛の流れがそこにあった。


昨日のセミナーで随分と熱意を持って話したことが影響してか、今日は読書に身が入らなかった。活字が頭に入ってこず、むしろそれを拒絶するような意識があった。それを見て少し休息日を設ける必要があるのではないかと思ったのである。


確かに日々は休日のような形で過ごしているが、実情は、激しい探究の日々が続いていたのである。その他のことをそっちのけで、書物と向き合う日々の反動がやって来て、探究においても休息日を設ける必要性があるのではないかというある種当たり前の気づきがやって来た。


トレーニングにおいても休息日を設けることが大切なように、探究においても寝かせる日が必要なのだろう。今の自分にとって丸一日書物を開かないことは相当な苦痛かと思われるが、これもリハビリだと思って、少しばかりそれに挑戦したい。


そのようなことを考えて買い物から帰ってくると、隣人のサハルと彼の友人の夫妻が庭にいて、声を掛けられたので一緒に雑談を小一時間ぐらい行っていた。今日は天気も良かったので、庭に椅子を持ち出して会話をすることは大変良い気分転換になった。


今の自分にとってはこうした何気ないコミュニケーションが大切なのだ。サハルはとても社交的かつ人柄が良いので、彼が隣人としていてくれることを嬉しく思う。それはオーナー夫妻に対しても当てはまる。


社会的な生き物である人間として、一応人間らしくそれなりの生活要素も取り入れることを考えよう。こうしたことを考えないといけないところが自分という人間の特徴なのだが、それを含めて自分を尊重し、受け入れていこうと思う。


今日は読書が進まないながらも、昨日のセミナーを受けて、音声ファイルを11個ほど作成していた。セミナーの参加者の方々から頂いた質問でまだ答えられていないものがいくつかあるので、それらは明日以降にまた音声ファイルを通じて回答していきたいと思う。


ゆっくりと進んでいくこと。時折必要な休憩を取りながら、ゆっくりと歩むこと。オランダのこの落ち着いた環境においてそれができないのであれば、その他の場所でもそれはできないだろう。


平穏な環境と同一化し、自然のリズムで日々を形作ること。その大切さを改めて思う。フローニンゲン:2021/7/18(日)18:48


7160. 成長の意義や成長速度について考えさせてくれる

『ジャック(1996)』という作品を見て


時刻は午後9時半を迎えた。週末が静けさの中で終わりに向かっている。この時間帯になってくると、流石に薄暗くなって来ている。だがまだ日は完全に沈んだわけではなく、季節がまだ夏であることを思わせる。


オランダでの5年目の生活が終わりに近づき、来月からはいよいよ6年目の生活に入る。もう年数をきちんと数えていないと、オランダに何年生活しているのかが分からなくなって来た。


今日の夕方に隣人のサハルと話をしていた際に、欧州永住権とオランダ永住権の話となった。サハルの方がオランダに来てからの年数は長く、彼はもうオランダの市民権を得ている。自分もまさか来年には欧州永住権とオランダ永住権を取得できることになるとは思って見なかったことである。


この地で過ごす1日1日がとても尊い。充実した日々のおかげで、自分がどれほど成熟の歩みを進めさせてもらっていることか。


オランダの文化、そして欧州の文化から得られる肥やしなしには今の自分はないであろうし、未来の自分もその肥やしなしには存在し得ないだろう。


今日は夕食を早めに摂り終えたこともあり、夕食後に1本の映画を見た。それは、『ジャック(1996)』という作品だ。この作品は、成長の意義や成長速度について考えさせてくれる大変素晴らしい作品であった。


主題として人間の成長について考えさせてくれるだけではなく、そこには成長に伴う痛みや苦悩も描かれていた。そうした物語を通じて心が浄化されるような感覚もあった。


この作品は、常人の4倍の早さで成長する少年ジャックの日々を描く形で物語が進んでいく。10歳にして既に外見は40歳の中年であるが、心は子供のままジャックをロビン·ウィリアムズが演じる。物語を通じて、クラスメイトとの交流やジャックの家庭教師と学校の先生との交流がとても印象的である。


この作品では、ジャックは肉体の成長が人の4倍ほど早く進んだが、これが心の発達速度であったらどうだろうかと考えた。心の成長が人に比べて異常に早いということが、そして社会が求める以上に知性や意識が発達してしまうことは、ひょっとするとジャックが抱えていたのと同種の、あるいはそれ以上の苦悩をもたらすものなのではないだろうか。そうした問いかけがなされる。


作品の佳境において、最初ジャックの外見がおじさんであることをからかっていた友人のルイが、ジャックに対して賛辞の言葉を読み上げるシーンがある。そこでのメッセージはとても感動的であり、同時に真の成長とは何なのかを考えさせられ、そして現代社会に生きる大人たちへの健全な批判の眼差しをそこに見出すことができる。


「金を稼ぐために毎日あくせく働く大人ではなくて、自分は子供の心を絶えず持ったジャックのような大人になりたい」


「日々の様々な現象を、まるで子供のように初めて見るかのように感動して接することができるようなジャックのような大人に自分はなりたい」


そのような趣旨の言葉が発せられていた。また、ジャックの家庭教師のアフリカ系アメリカ人の中年の男性の先生が、「君は流れ星のような存在だ。君はいつも輝いている」という言葉を残したことも印象に残っている。そこにはジャックが持つ心の純真さと共に、彼の余命が少なくなって来ているという命の儚さを鑑賞者に伝える意味が内包されていた。


現代文明の精神と仕組みは、私たちの時間感覚を変容させ、それが成長の速度と形に大きな影響を及ぼしている。そうした現代に生きる私たちにとって、この25年前の映画作品は大切なことをいくつも考えさせてくれるだろう。フローニンゲン:2021/7/18(日)21:58

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