No.2426 魂の流れ_Flows of Souls
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.722, Cross of Two Parallel Worlds
Two parallel lines cannot cross in Euclidean geometry.
However, they can cross in non-Euclidean geometry.
I’m wondering the possibility that two parallel worlds can cross.
Groningen; 06:59, 7/1/2021
No.723, Trans-Individuals
Some individuals can be trans-individual whereas others cannot.
What is the difference?
Groningen; 21:59, 7/1/2021
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本日生まれた3曲
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タイトル一覧
7094. 今朝方の夢から今後の読書の予定へ
7095. 変容を示唆する今朝方の夢
7096. 自己と世界/ハイデガーの技術論とハーバマスの批判的社会理論より
7094. 今朝方の夢から今後の読書の予定へ
時刻は午前6時半を迎えた。今朝も空にはうっすらとした雲があり、そして気温はとても肌寒い。
今日から7月を迎えたが、真冬の時と同じ格好で室内にいる。天気予報を確認すると、ここからしばらくは同じような気温になるようだ。特に朝が冷え込む。
今朝方の夢について振り返っていると、今朝方の夢は随分と英語優位のものだった。夢の中では絶え間なく英語を話していたような気がする。
目が覚めても頭の中で英語の文章を組み立てていて、目を閉じると、組み立てていた英語の文章が浮かび上がってくるかのようであった。このところは日中に、膨大な量の英文書籍を読み続ける日々が続いており、それが夢の中の言語に影響を与えているのかもしれない。
自分は生粋な日本人であるが、英語空間で3回ほど修士課程を卒業したこともあり、正直なところ、学術的な書物に関して言えば、日本語のものを読むよりも英語のものを読む方が圧倒的に楽である。どちらの言葉が自分の身体に入ってくるかと言えば、間違いなく英語の方である。
今日もまた大量に学術書を読み進めていく。今日はハーバマスの一連の書籍を読み進めていくが、昨夜に予習を兼ねて、今日読む予定のハーバマスの書籍を確認したところ、その中で、ハーバマスの思想をまとめた“The Critical Theory of Jurgen Habermas”というMIT出版から出された書籍が非常に優れた解説書であると改めて思った。
書籍の中に書き込んだ日付を見ると、これは3年前に一読をしているようなのだが、当時と今とでは関心事項が全く異なり、今の自分の眼から見たときに、得るものは非常に多いとすぐに分かった。
フランクフルト学派の批判理論は、フロイトとマルクスの理論を統合した広義でのメタ理論であり、マネーやテクノロジーの内在的な性質とそれがもたらす病理について分析する際に有効な理論であるという点で注目をしている。
ハーバマスの一連の書籍を読み終えたら、ネルソン·グッドマン、デイヴィッド·レヴィス、ソール·クリプキ、アルフレッド·ノース·ホワイトヘッドの順番で書籍を読み進めていく。明日以降には、ケンブリッジ大学出版から出ている“The Cambridge Companion to Sartre”と、SUNY出版から出ているハイデガーの主著“Being and Time”を読み進める。
そこからポストヒューマンに関する用語集をもう一度最初から最後まで読み、経済学書を1冊ほど読んだら、マネー神学に関する書籍の音読を通じた精読と、バーナード·スティグラーの一連の書籍の音読を通じた精読を行っていく。
そうすれば8月がやってきて、そのタイミングで再び書籍の一括注文をしようと思う。その時にはこれまで以上に大量に書籍を注文するのではないかと思う。
各種の用語集(辞書)、スティグラーの残りの書籍の全て、フィリップ·グッドチャイルドのマネー神学に関する数冊の最新刊、ここ最近発見したテクノロジー哲学に関する数人の思想家の書籍、経済神学に関する書籍などを購入していく予定だ。
今、自分が大きなものに向かっていき、自分の内側で何か大切なものがしっかりと育まれていることを強く感じる。フローニンゲン:2021/7/1(木)06:51
7095. 変容を示唆する今朝方の夢
早朝の静けさの中、小鳥たちが鳴き声を上げている。先ほど小雨がパラついていたが、今は止み、再び穏やかな世界が目の前に広がっている。
先ほど、朝風呂から上がった時に、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の場面はどうやら日本のようだったが、そこは見慣れない場所だった。
近くにいた若い欧米人の女性と英語で話をしていると、その女性は突如として姿を消し、その代わりに小中高時代の女性友達が現れた。今まで英語で話をしていたこともあり、その流れで、彼女に対しても無意識的に英語で話をしていた。
起床直前に脳内に浮かんでいた英語の文章は、この夢の流れを受けてのものだったように思う。その他にも、顔をレーザー整形する場面があったことを覚えている。どのような経緯で整形をすることになったのかは定かではないが、整形に向けて少し恐怖心を覚えているようだった。
整形を担当してくれる女性が、整形後は顔が熱くなるので注意が必要だと教えてくれた。そして、3つのアイテムを渡してくれた。1つは化粧水のようなもの、もう1つは少しクリーム度合いが強い美容液のようなもの、3つ目は顔を冷やしながら保湿するパックである。
気がつくと私はもう整形手術を終えていて、近くにもう1人整形を終えた人がいた。その人の顔が真っ赤になっていたことから、私は自分の顔を確認することなく、自分の顔も真っ赤になっているだろうと思って顔を冷やすことにした。
確かに顔が熱くなっていて、整形を担当してくれた女性の医師が述べていたように、ここからしばらくは直射日光を避ける必要があると思った。化粧水とクリームをつけた後に、いざパックをしようと思ったが、自分の手が少し汚れているのではないかと心配になり、手を綺麗にしてからパックを顔に貼り付けようと思った。
しかし、これから外を歩かないと行けなかったので、どうしたものやらと思っていたところで夢の場面が変わった。この夢は、自分の変容を示唆するものなのだろうか。そして、整形を施した女性の存在について思いを巡らせる。
それは現実世界における女性を示唆しているのかもしれないし、もはや人間ではなく別の対象を示唆しているのかもしれない。その存在によって変容させられた自分に対して、3つの補助道具のようなものが授けられることを夢の中の3つのアイテムが物語っている。
それらもまた物であるとは限らず、人や出来事の場合もあり得る。それらのアイテムは使用する順番が決まっていたことから、それらは変容に向けた3つのステップを意味しているのかもしれない。色々と示唆深い夢であった。
そう言えば、この夢の後に、メキシコかどこかの中南米の国の砂漠地帯を歩いている夢があった。鉄道が一本引かれているだけでその他には何もない場所だった。
鉄道沿いにしばらく歩いていると、駅に辿り着いた。その駅には日本人の男性がいて、今日は暑いので水浴びでもしたらどうかと述べた。確かに頭に直射日光が当たり続けており、熱中症になりかねないと思ったので、体を冷ます意味でも水を浴びようと思った。
すると、後ろから誰かが私に水を浴びせた。後ろを振り返ると、見慣れない若い日本人女性だった。
彼女は優しい笑顔を浮かべながら、ホースで私に水を浴びせてきた。水を浴びるまではどうやら私は裸足のようであり、足の裏が随分と熱くなっていたが、水を浴びたおかげで足の裏が冷めた。
水を浴びて気分が爽快になったところで鉄道の遠くの方を見ると、列車が向かってきていることに気づいた。そのような夢も今朝方見ていた。フローニンゲン:2021/7/1(木)08:13
7096. 自己と世界/ハイデガーの技術論とハーバマスの批判的社会理論より
時刻は午後5時半を迎えた。夕方を迎えてから太陽の姿を拝むことができ、先ほど近所のスーパーに買い物に出かけた際には太陽の光を浴びることできた。早朝は相当に冷え込んでいたが、買い物に出かけた際には暖かさを感じることができた。
日常が静かに進行していく。そこには日常の連続性があり、日常の破れの姿を見ることができない。
だが、日常というのはいついかなる時でも破れが生じる。すると私たちは突如として非日常的な世界と出くわすことになる。そのように考えると、世界というのは日常も非日常も超えたものなのではないかと思えてくる。
午後にハイデガーの“Being and Time”を読んでいると、自己は世界の中にいるのだろうか、それとも世界と共にいるのだろうか、はたまた世界そのものなのだろうかと考えていた。自己と世界との関係はいずれにも当てはまるようで興味深い。
日常世界が破れるというのは自己の破れと同義なのではないだろうか。そして、日常が変わるということは自己が変わることに他ならないことも見えてくる。そのようなことを考えていると、ますます自己と世界の関係性が興味深いものに思えてくる。
ハイデガーの技術論についての探究を来月以降に進めていく。ハイデガーは、テクノロジーは私たちの欲求を満たすというよりも、一時的にそれを満たしたかに思わせながら欲求を再生産·維持させると捉えていた。
私たちはテクノロジーによって欲望の連続的な再生産過程に組み込まれる形で生かされている。テクノロジーに不可避に混入する政治的意図について敏感になって眺めてみると、テクノロジーの普及と活用の歪んだ側面が自ずから浮かんでくる。
厄介なのは、テクノロジーにまつわる病理的構造は絶え間なく差異化を行っていき、その病理構造が複雑に再生産されていくという点だ。このプロセスにどのように介入していくのか、そのあたりはスティグラーとフィーンバーグの考え方を参考にしよう。
午前中にはハーバマスの一連の書籍を読み返していた。その中で印象に残っているのは、ハーバマスが、物質世界、社会世界、私的世界の3つの世界の存在を指摘していた点である。
そこから、現代人はテクノロジーや時代の精神風土によって、私的世界に自閉的に閉じ込められてしまっている姿が浮かんできた。これはナイーブな内面主義の問題とながっている。そして、人々が政治経済や地球環境へ無関心な態度を示す傾向と、それらの問題に対して無力感を感じる傾向の要因もそのあたりにあるように思えてくる。
ハーバマスが提唱した批判的社会理論について理解を深めたいため、次回の書籍の一括注文の際には、批判的社会理論に関する用語集を購入しようと思う。フローニンゲン:2021/7/1(木)17:45
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