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7088-7091: アートの国オランダからの便り 2021年6月29日(水)



No.2415 一筆書き_A Single Stroke of the Brush


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.718, A Roulette of Life

A roulette of life started to spin again.

It has infinite numbers, and it is unknown which number shows up.

Yet, the roulette does exist there.

Life is both indeterministic and deterministic.

Groningen; 07:16, 6/29/2021


No.719, Efflux and Influx

Silent efflux emerges out of nothing.

It becomes precious influx for me.

Both efflux and influx are one eternal circle.

Groningen; 21:59, 6/29/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7088. 今朝方の夢

7089. 超越的な視座と地上での実践/マネー神学とテクノロジー神学について

7090. ドゥルーズ、リオタードの独特の思想的感覚/美意識と美の存在について

7091. 言葉と辞書の重要さ


7088. 今朝方の夢


時刻は午前7時に近づきつつある。今朝は久しぶりに曇っている。小鳥たちが穏やかな鳴き声を上げているのはいつもの通りであるが、朝日が拝めないのは久しぶりのことである。


今日は肌寒さを感じさせる気温であり、日中も19度までしか気温が上がらないようだ。ここから数日間は同じような気温の日々が続く。


家の前の前の青々とした木々を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れない街にいた。そこはどこか日本と欧州のどこかの街を混ぜたような雰囲気を発していた。


その街で私は、大学時代のゼミの女性友達と歩いていた。歩いている最中に彼女の今後の進路の話になった。


話を聞くと、どうやら彼女は大学3年生に進級する際に、芸大の編入試験を受けていたようであり、油絵を専攻たいと思っていたそうだ。編入試験には見事に受かったようだったが、将来油絵で食べていくことの難しさと、同じ専攻の人たちの油絵のうまさを目の当たりにしたにより、結局その大学に編入することをしなかったようだ。


彼女は3年生に上がる前の春休みにその大学の編入試験を受け、3年生に上がる段階ですでに卒業に必要な単位の大部分を取得しているようだった。彼女はその年に公認会計士の試験を受け、その試験も一発で合格した。最終的には公認会計士として生きていくことにしたそうだった。


そのような話を聞きながら見慣れない街を一緒に歩いていると、どうやらその近辺は彼女が以前住んでいた場所らしかった。彼女がふと、以前住んでいたマンションを指差して教えてくれた。


何やら、そのマンションのオーナーがとても親切な方だったらしく、緑の少ない都会の中、一緒に植物を植えたり、オーナーが飼っていた犬と戯れたりして癒されていたことを教えてくれた。私は彼女が住んでいた部屋の方を見上げ、なかなか立派なマンションだなと思った。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、大学時代のゼミの別の男友達と話をしていた。彼と話をしていたのは、どこかのホテルのラウンジのようだった。そこで彼は、以前メディアの取材か何かで話をした内容について話をしてくれた。


彼の手元にはその時話した原稿のようなものがあり、それを見せてもらうと、前半の部分の多くが黒塗りにされていて、何が書いているのかわからなかった。その点について彼に指摘すると、彼は黒塗りにされた理由を教えてはくれなかったが、黒塗りにされた箇所について話をしてくれた。


その話を聞きながら、内容としては幾分浅薄だと思った。脳内で当時の取材の様子が思い起こされ、彼の話を聞いている人の中から、彼の話の浅薄さを指摘する人がいたことがわかり、それもそうだと思った。


今朝方はそのような夢を見ていた。何かその他にも大事な夢を見ていたような気がする。それについては引き続き思い出すように試みてみようと思う。フローニンゲン:2021/6/29(火)07:09


7089. 超越的な視座と地上での実践/マネー神学とテクノロジー神学について


空は曇っているが、朝のそよ風が清々しい。調味料のような形で小鳥たちの鳴き声がそよ風に乗って響いてくる。絶えず流れるそよ風と断続的に聞こえてくる小鳥たちの鳴き声の調和が素晴らしい。


どうやら昨夜は雨が降らなかったようだ。ひるがえって今日は、今の空の様子だと、確かに天気予報通りに午後から雨になりそうだ。


明後日から7月を迎えるが、清々しくとても過ごしやすい気温の日々が続いていることを嬉しく思う。


地に足の着いた超越的な視座と、超越的な視座を携えた地上での実戦の双方の大切さを思う。超越的な視座が欠落した状態での地上における実践の不十分さと、地上での実践が欠落した超越的な視座の不十分さを思う。


現代人を分類すれば、大抵の人はそのどちらかに分類され、超越的な視座を携えて地上での実戦に従事している人の少なさを憂う。こうした状態が続く限り、この世界が治癒され、変容されることはないのではないかと思ってしまう。


地道なことではあるが、人々の意識を涵養していく試みに従事していきたい。書物という出版物は、個人の意識や文化(集合意識)を涵養する上で重要な役割を果たす。今の自分は翻訳に従事しようかと考えているが、そこに意義を見出せば、何かまた動き出すかもしれない。


翻訳というのは、文化貢献であり、ある種の公共慈善事業的な側面が多分にある。そろそろ自分は本格的にそうした文化的な公共慈善事業に取り組んでいくことを求められているように思う。


プラトンはかつて、技術は毒薬にも良薬にもなりうると指摘した。それはテクノロジーだけではなく、マネーにも当てはまるだろう。私たちがそれをどのように認識し、どのように活用するのか。その点が非常に重要であり、上記の意識変革の意義もそれとつながる。


マネー神学に関する文献は揃ってきているが、テクノロジー神学という領域はどうやら何ようだ。そうしたことから、テクノロジー哲学の議論を参考にして、そこに神学的な観点を加えることによって、テクノロジー神学という領域を創出していきたい。


ここにおいても、テクノロジーを超越的な視座から捉えることの重要性がある。現代においては、そうした超越的な視座がことごとく欠落している。


テクノロジーを神のように崇めることは超越的な視座を意味しない。そうしたあり方をさらに俯瞰的に眺め、テクノロジーの中にも宿る確かな神聖を自己やこの世界に対してどのように活用していくかの視座が必要なのだ。マネーもテクノロジーも神学的な観点が重要な役割を果たすというのはその意味においてである。


テクノロジー神学を突き詰めていくと、科学神学に行き着くのだろうか。今はまだ科学神学に対してそれほど強い関心を持っていないが、この領域については関連書籍が充実していることがわかった。


今日もまたゆっくりであるが、自分自身の超越的な視座を養いながら、自らの探究領域の探究を進めていく。フローニンゲン:2021/6/29(火)08:30


7090. ドゥルーズ、リオタードの独特の思想的感覚/美意識と美の存在について


時刻は午後4時を迎えた。空は早朝と同じく曇ったままであり、まだ雨は降ってきていない。天気予報が随分と外れているが、天気というダイナミックシステムの性質上、それは仕方のないことなのかもしれない。


今日もこれまでのところ読書が捗っており、何冊の書籍を読んだのか覚えていないぐらいである。フランスの哲学者ジル·ドゥルーズの “Difference and Repetition”を読みながら、差異と反復という概念をマネーやテクノロジーの性質について論じる際に活用できないかを考えていた。


その際に記憶や時間などの概念も絡めていくと、何かユニークなことが発見できそうである。そんな予感がする。


マネーとテクノロジーは記憶や時間と密接に結びついており、マネーとテクノロジーは反復を繰り返しながら何かしらの差異を生み出している。このテーマについてより詳細に考えていきたい。


午前中には、フランスの哲学者リオタードの“Libidinal Economy”を再読しており、ドゥルーズと合わせて、フランス哲学者たちの独特の思想的感覚に思いを巡らせていた。その感覚はパリの土地と精神風土に強く結びついているように思う。


他の場所であのような発想が育まれるかというと、とても怪しい。少なくともオランダの地ではあのような思想は育まれにくい。


昨日スピノザの関連書籍を一気に読み進める中で、ハーグに留まって思索を続けていたスピノザには確かにオランダの精神風土の影響が見られ、それと上記のフランス哲学者の思想的感覚と比べると、随分と異なることが明らかである。もちろんスピノザと彼らが生きていた時代が異なるため、その影響もあるだろうが、その時固有に育まれる思想の特性については依然として関心がある。


その他に考えていたことと言えば、美意識の存在を認め、それを養う努力をしていかないと、美が存在場所を失ってしまうという存在論的な問題について考えていた。確かに認識されない美もそこに残り続けるという見方もできるが、認識されない美が消失の危機に瀕してしまうことを憂う。この世界には認識されないたくさんの美が存在していて、それは認識されることを待ちながら、同時に認識されないことによって消失の危機にも晒されていることを思う。


認識論と存在論に関しても引き続き考えたいことがたくさんある。それらの観点を用いてマネーやテクノロジーについて考察していくことは探究したい事柄の1つである。


今から曲の原型モデルを少し作ったら、夕食までまた読書をしていきたい。フローニンゲン:2021/6/29(火)16:18


7091. 言葉と辞書の重要さ


先日、バスカーの批判的実在論に関する辞書を一読し、改めて言葉の大切さを知る。何か現象を深く分析していくときには言葉が必要であり、言葉のおかげで思考が深まっていく。そして言葉は新たな発見を促す媒介物でもあり、同時にそれがまた新しい言葉を生み出していく。


言葉の大切さ、そして一連の言葉が収められた辞書を読んでいくことの有用性に改めて注目し、午後には以前一読していたポストヒューマンに関する辞書を引っ張り出してきた。そこからふと、精神分析とマルクスの社会批判の要諦を掴んでおかないと、マネーやテクノロジーの内在的性質とそれが人間と社会にもたらす影響についての考察が深まらないことが予想され、精神分析とマルクスの思想に関する辞書を改めて購入しようと思った。


どちらの辞書も以前から注目しており、文献購入リストに加えていたことを思い出す。再度リストを確認し、精神分析についてはもう少し細かく、ラカンの精神分析に関する辞書、クラインの精神分析に関する辞書、古典的なフロイト派の辞書、ユング派の辞書に細分化し、それらがよくお世話になっているラウトリッジ出版から出版されているので、それらを購入することにした。その他にも、ジジェクの思想に関する辞書、ハーバマスの思想に関する辞書を購入することにした。


フロイトの精神分析とマルクスの社会分析が加わった重要な思想体系としてフランクフルト学派の批判理論はバスカーの批判的実在論と同様に、社会変革に向けた重要な実践的理論体系である。そうしたことから、批判理論に関する辞書も合わせて購入する。


これらの一連の辞書を通じて、1つ1つの言葉の意味を押さえていき、それを通じて個人と社会を分析し、処方箋を提示していく。思索と研究を通じて生み出された言葉という叡智を兎にも角にも大切にしたい。


日々の探究は煎じ詰めれば言葉の獲得とその彫琢に他ならないように思えてくる。それほどまでに言葉は大切なのだ。


言葉が作り出す相対的世界に治癒と変容をもたらす実践を希求するのであれば、言葉で構築された相対的世界の特徴を言葉を通じて深く理解していかなければならない。言葉が及ばない超越的な世界に関する探究と実践も継続して行っていくが、知的探究と知的実践においては、とにかく言葉を大切にしていく姿勢を忘れないようにする。


夕方にふと、マネーやテクノロジーがもたらす危機についてその問題を指摘するだけでは不十分であり、既存の病理に対する処方箋の提示と、これからますます性質を変えていく——不変的な性質もあるが——マネーやテクノロジーの有効活用の道、すなわち良薬としてのマネーやテクノロジーの利用方法についての考えを提示していきたいと思った。


現在はマネーやテクノロジーが毒薬の方向に向かって誤用される傾向が強いが、その方向性を変革するための考えと方法を提示していくことが自分の役割であると再認識する。フローニンゲン:2021/6/29(火)17:33

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