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7045-7048: アートの国オランダからの便り 2021年6月14日(火)


No.2364 記憶以前_Pre-Memory


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.688, The Inner Rhythms

The inner rhythms are foremost important to me.

External power that alters them must be avoided by any means.

I am the inner rhythms.

I avert everything that disturbs the rhythms.

Groningen; 06:20, 6/14/2021


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本日生まれた3曲


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楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7045. 今朝方の夢と記憶

7046. 人間性の絶対否定を通じた絶対肯定/トランスヒューマン・ポストヒューマン

7047. ストーリー・テラーとして

7048. 経済学の再構築に向けた批判的実在論の活用/神学と批判的実在論


7045. 今朝方の夢と記憶


小鳥たちの鳴き声が響き渡る朝の世界。時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。


今、朝日が眩く輝きながら仕事場に差し込んでいる。今日もまた1日を通して天気が良いようだ。午後に近所のコピー屋に行って、届けられた書籍を受け取りたいと思う。


今朝方見ていた夢は自分にとって重要な意味を持っていたように思う。しかしながら今その夢の内容は随分と記憶からこぼれ落ちてしまっている。最後の場面から逆算して記憶を辿ると、目覚める直前に、夢の中の自分は学校にいた。


日本の有名な高校か大学に入学したのだが、どこか堅苦しく、自分の生活リズムが崩れるような規則があるように思えたので、即座に学校を辞める決意をした。そして自分の力が最大限に発揮できるであろう環境を海外に求めた。そんな夢の場面が最後にあった。


この夢の場面を改めて思い出してみると、自分の内側のリズムを何よりも大切にしている自分がいる。外的な力によってそれが剥奪されることを極度に嫌っている自分を否定することはできない。


ちょうど先日、フランスの哲学者バーナード·スティグラーの書籍を読んでいるときに、テクノロジーによるリズムの改変について警鐘を鳴らしている記述があったことを思い出した。学校の制度もまた広義のテクノロジーと捉えれば、それがもたらす因果的な力によってリズムが容易に改変されてしまう。


ちょうど今日は、社会的構造がもたらす因果的な力について解説された書籍を読もうと思っていた。今朝方の夢はそれを予期し、後押しするかのようである。


その他にも印象的な夢の場面があった。場面は確か外国のどこかの国であり、そこでも自らの生き方を貫き通すようなことを行なっていた。確かそこでは自分の生き方に基づいた主張をしていたように思う。


正直なところ、夢の最後の場面以上に、その前の夢の場面の方が重要な気がしており、今それを思い出そうとしている。自らの生き方に関係する夢であり、同時にどこかの国の謀略を暴くような意味を持つ夢だったように思う。残念ながら詳細を思い出すことができないので、朝風呂に入りながらなんとか思い出してみよう。


今日は午後に書籍を受け取りに近所のスーパーに行くが、近日中に書籍が26冊まとめて届けられる。それも郵便機能のある指定の場所で受け取る必要があり、メールで連絡を受けたときに近所のおもちゃ屋に指定した。日本のアニメが好きなベンジャミンが働いている店である。


荷物の受け取りの際にベンジャミンが勤務していたら声を掛けてみよう。ここ最近見た日本のアニメでまたいくつかお勧めのものを伝え、逆にベンジャミンから何かお勧めのものはないか聞いてみよう。


そこで受け取る書籍の中には新約聖書が含まれている。聖書について記憶を辿ってみると、聖書を読むのはキリスト教系の幼稚園に通っていた時以来のことだと気づいた。30年以上前に読んでいた聖書が再び目の前にやってきた感覚。


聖書の内容についてはほとんど覚えていないが、当時持っていた聖書が醸し出すなんとも言えない良い香りを覚えている。聖書を読むことによって、幼稚園時代の様々な記憶が蘇ってくるかもしれない。


そのようなことを書いていると、今この瞬間に様々な事柄を思い出してきた。記憶の不思議さ。やはり人間と記憶を切り離すことはできないのだ。フローニンゲン:2021/6/14(月)06:12


7046. 人間性の絶対否定を通じた絶対肯定/トランスヒューマン・ポストヒューマン


小鳥たちの鳴き声が静かに響き渡っている朝の世界。先ほど、瞑想的な意識状態の中で朝風呂に浸かっていた。そこでふと、人間性というものを過度に信じ、人間性に建設的な批判意識を向けていないことによる現代の様々な問題について考えていた。


どこまで行っても人間中心主義的な形で運営されるこの現代社会。現代社会はもう疲弊し切っていて、耐用年数が終わりを迎えるのも間近のように思える。


人間性を絶対的に否定することで絶対的に肯定する道。そうした道を探る。


人間である自分は、心の奥底で人間性というものを信じようとしているが、人間性盲信による現代の種々の問題を目の当たりにすると、人間性というものを一度徹底的に否定することによってその反転をもたらすことが必要なのではないか。


発達理論の観点で言えば、前超の虚偽に陥らないようにしなければならない。すなわち、未熟な形で人間性を信じていてはならないのだ。その代わりに、徹底的な批判を通じて超越的な人間性に至る必要がある。


先ほど、過去の偉大な思想家の顔が何人か思い浮かんだ。良い思想家であればあるほどに、その時代の実存的状況を鑑みて、その時代が突きつける問題をもとに思想を展開しているように思える。思想というのはその時代が突きつけてくるものとの格闘を通して育まれていくものなのだろう。


今、現代を生きる自分の実存に多大な影響を与えている領域として、マネー、エコロジー、テクノロジーが挙げられる。それらの3領域に横たわる問題を1つ1つ丁寧に見ていくのに並行して、3領域を架橋する問題を横断的に見ていく必要性も感じる。


この探究を進めていくための学術書が今手元に揃い始めている。次回の一括注文を経れば、探究の核となる基本書としての重要文献はあらかた入手したことになるのではないかと思う。


この探究を本気で進めていこうと思うのであれば、やはり博士課程に進学することが望ましい。ただし、その際にはどの学科に志願するのが良いのだろうか。それらの領域を神学の観点から探究していこうとしている自分を見ると、やはり神学学部がいいのだろうか。その点については引き続き考えよう。


昨今の映画が主題としてよく取り上げているのはトランスヒューマン、ないしはポストヒューマンというモチーフである。このテーマも神学の観点からどのように扱われているのか大変興味深く、いくつか参考になる文献を見つけた。


このテーマも人間性のテーマとつながる。一体人間とは何なのだろうか?人間はこれからどのようになっていくのか?そうした問いを起点にして、道徳·倫理的な問題を含め、神学を通して扱えそうなテーマが見出せる。さらには、広義の文明批判につなげていくこともできる。


人間の能力を最大限に高め、限界を超えていくためにテクノロジーを最大限に利用することを良しとするトランスヒューマニストが発達理論の思想と誤った形で結びつくと危ない状況を生み出すのではないかと危惧する。


そこで問われるのは倫理観であり、人間観もまた問われる。神学の観点を通じて、人間とはどのような存在として扱われているのか。


そうした根本的な問いを探究し、これからより一層加速するであろうテクノロジー時代において、文明のこれからの姿を考えていきたい。フローニンゲン:2021/6/14(月)07:08


7047. ストーリー・テラーとして


時刻は午後2時半を迎えた。今日は幾分気温が上がっている。そのような昼下がりに、オーナーのフレディさんが先ほど草刈機を用いて雑草を綺麗にしていた。その様子を2階の仕事場からぼんやりと眺めていた。


確かにマルクスが生きていた時代と労働のあり方や社会構造が大きく変わっているが、どのような理論にも必ず固有の真理が内包されていて、マルクスの理論が無益であると切り捨ててしまうのではなく、マルクスの理論の中で現代においても適用可能·応用可能なものには何があるのかという視点で一連の書籍を読み返している。


午前中に2冊ほど社会構造と因果力に関する書籍を読み進め、昼から午後にかけて文明のサステナビリティに関する書物を読み進めていた。そして今日の4冊目として、マルクスと自然に関する書籍をつい先ほど読み始めた。本書を読み終えたら、あるいはある程度読み終えたら近所のコピー屋に足を運んで書籍を受け取り、そこから買い物に出かけよう。


全ての存在者の健全な共生関係の実現に向けて、マネー、エコロジー、テクノロジーに関するナラティブを、インテグラル理論、批判的実在論·メタ実在論、批判理論、神学の観点を用いて書き換えていくことについて考えていた。


自分もまた1人のストーリー・テラーなのだろうか。メタ理論を学ぶことも、種々の個別具体的な理論を学ぶことも、既存のストーリーの変容と新たなストーリーの提示のためにあるように思えてくる。


ストーリーが書き変わることによって、物語の中の人間も社会もこれまでとは違った形で動き出す。そのようなビジョンを知覚していた。


マネー、エコロジー、テクノロジーの領域で言うと、マネーとテクノロジーに関するストーリーを変容させていく道が少しずつ見えているが、エコロジーは難しい。エコロジーに関する学術書は無数にあるのだが、なかなか基本書にすべき書物、すなわち新たなストーリーの提示に用いることができそうな確たるものがまだ見つかっていない。


今のところ、ノルウェーのエコ哲学者たちがバスカーの批判的実在論を用いて論説した論文集が2冊ほど候補として挙がっている。マルクスのエコロジー思想、シュタイナーのエコロジーの思想、仏教におけるエコロジーの思想はいずれも優れた洞察を持っていながらも、それらを核に据えるには深みに欠ける。


そうしたことから、今のところは、批判的実在論を中心に据えたエコ哲学者たちの論考を中心に据えて、マルクス、シュタイナー、仏教のエコロジー思想を補完的に用いる形で新たなストーリーの構築に向けて探究を進めていこうと思う。


この2ヶ月間で大量に届けられた書籍もほぼ全て読み終えており、ここでもう一度マネーとテクノロジーに関して基本書として設定した書籍を最初から最後まで音読しようと思う。マネーに関しては追加でフィリップ·グッドチャイルドの書籍を購入し、テクノロジーに関してはバーナード·スティグラーの書籍を購入する。


そう言えば、エコロジーに関してはハーバート·マークーゼの論文集を入手し、それに目を通しておきたいと思っていたので、それも必ず購入しなければならない。フローニンゲン:2021/6/14(月)14:56


7048. 経済学の再構築に向けた批判的実在論の活用/神学と批判的実在論


時刻はゆっくりと夕方の世界を迎えた。つい今し方、批判的実在論を元に、アメリカ型の社会学を再構築することを目的にした“Reconstructing Sociology: The Critical Realist Approach”という書籍を読見終えた。


この書籍で用いられているアプローチを採用すれば、批判的実在論を用いて既存の経済学を再構築することは十分に可能であるように思えた。いつかその仕事に着手する日が来れば、この書籍を手引書として参考にするだろう。


今日は天気がとても良く、午後に買い物に出かけたときには大変清々しい気持ちになった。特にノーダープラントソン公園を歩いているときにそれを感じた。身近に自然があることを本当に有り難く思う。


買い物の帰りに近所のコピー屋に立ち寄り、書籍を受け取った。その場で梱包を解くと、ニコラス·ルーマンがシステム理論を用いて宗教について論じた書籍だった。


帰り道、歩きながらパラパラと書籍に目を通していると、いくつか面白い論点があることに気づいたため——そもそもそうした記述があるから購入したのだが——、明日に本書を通読しようと思う。


結局今日はこれまでのところ4冊ほどの学術書を読み通していた。夜にはまだ時間があるので、マーガレット·アーチャーが編集者を務める書籍“Transcendence: Critical Realism and God”を読み進めていこう。


本書はタイトルにあるように、批判的実在論の観点から超越性や神について論じている大変興味深い書籍である。本書は、神学研究において批判的実在論がどのように活用できるかのヒントをもたらしてくれるだろう。


買い物に出かける前に書籍群を改めて眺めていると、近日中にハーマン·デイリーの生態経済学に関する一連の書籍を読み直そうと思った。デイリーの主著のうち、1冊は実家に置いたままにしており、それは来年の一時帰国の際に持って帰ってこようと思う。


明日と明後日に、神学に関する書籍が26冊到着する予定なので、今月と来月の初旬までをめどにそれらを可能であれば2回ほど繰り返し読みたい。来月の初旬までにキリスト教神学に関する基礎的な知識を身につけることを念頭に置く。


それらの書籍を読んでいる最中には、絶えずマネー、エコロジー、テクノロジーという個別具体的な領域の問題に対して神学がどのように応用できるのかを意識しておく。神学を神学として学ぶのではなく、あくまでも自分の関心領域に引きつける形で学んでいくのだ。フローニンゲン:2021/6/14(月)17:59

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