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7042-7044: アートの国オランダからの便り 2021年6月13日(月)


No.2366 夜のフラクタル_Night Fractals


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.685, One

The dream world melts into reality.

Or reality collapses into the dream world?

Now, the dream world and reality are one.

Groningen; 06:42, 6/13/2021

No.686, Fractals

Everyday is a series of fractals.

Today was a unique fractal.

So tomorrow will be.

Everyday is in a gigantic fractal structure.

Groningen; 21:50, 6/13/2021

No.687, The Origin of My Words

Where do my words come from?

Their origin might be in a transcendental realm.

They would be in the other world.

I’m sure of it.

Groningen; 21:52, 6/13/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7042. 今朝方の夢

7043. 今朝方の夢の続きからの示唆

7044. 今日を振り返って


7042. 今朝方の夢


時刻は午前6時を向えた。今朝はとても肌寒い。気温が10度を下回っていると、やはり肌寒く感じてしまう。今朝は長袖·長ズボンを履いておかないと寒い。


幸いにも朝日が輝いていて、今日の天気の良さを予感させる。


予感。予感できる人間の能力。それもまた人間にとって大切な能力だが、この能力もまた現代においては弱体化の一途を辿っている。


予期する力を失ってしまえば、希望を持って日々を生きることは難しいのではないだろうか。なぜなら希望とは予期の賜物だからである。


2階の両側の窓を開けていると、朝の小鳥たちの鳴き声がよく聞こえてくる。今朝の小鳥たちの鳴き声は一際美しい。


今朝方の夢について振り返りをし、今日もまた旺盛に探究活動に従事していこうと思う。夢の中で私は、戦場を見守る者として存在していた。どうやらそこは東南アジアのどこかの国らしく、日本兵が戦場にたくさんいた。


相手は全く姿が見えず、日本兵は次々と殺されていった。そうした悲惨な光景を目撃していると、4人の若い兵隊がどこかの小屋に逃げ込んだ。そこは確かに小屋だったのだが、彼らが小屋に入った瞬間に、そこは海に浮かぶ小船の上となった。


その小船は比較的大きく、船上はとても落ち着いていて、先ほどの戦場の雰囲気とは全く違った。4人の若い日本兵は船の上で寛ぎ始めた。


すると、船の上のプールで東南アジア人の若い女性たちが遊んでいて、そこに彼女たちと同じ国の出身らしい若い男性が数人やってきた。すると彼らは4人の日本兵に気づいたらしく、彼らの方にゆっくりと向かってきた。


すると、東南アジア人の男性の1人がナイフを取り出し、日本兵を襲い始めた。4人の日本兵たちは慌てて船上の倉庫室のような場所に隠れた。


すると、いつの間にか船の上の東南アジア人たちは姿を消していて、日本兵の護衛団がやってきて、4人の若い日本兵を救出した。倉庫室の中で4人の若い日本兵は、降参を知らせるために、武器が立てかけられているスペースに頭を下にして万歳する形でぶら下がっていた。救出された4人は安堵の表情を浮かべており、それを見た私も一安心だった。


次の夢の場面では、私は東京郊外の閑静な住宅街にいた。どうやら、今日は戦争の終結を祝う日のようだった。


戦争が終わってからまだ時がそれほど経っておらず、この閑静な住宅街も戦時中は空襲に遭ったようであり、その痕跡がまだ残っていた。私の家もこの閑静な住宅街にあって、隣と隣の隣には知人が住んでいた。


隣の知人は私よりも少し若く、彼もまた自分と似たような領域に関心を持っていたので、時々自宅に招いて話をしていた。その日も彼と少し話をしており、夜にある方の家に訪問することになっていた。そのある方とは日本を代表する女優の方であり、その方の家も歩いてすぐのところにあった。


夕方を通り越し、夜になると、私は知人と一緒にその女優の方の家に向かった。その方の家に向かう途中、見事な星空が上空に広がっていた。


家に到着すると、女優のその方は自宅にある温泉でくつろいでいた。美しい星空をぼんやりと眺めているその方の姿は絵になるようであり、私たちも一緒にその美しい星空を眺めていた。フローニンゲン:2021/6/13(日)06:39


7043. 今朝方の夢の続きからの示唆


日曜日の朝はこれ以上ないほどの落ち着きを見せている。


主観的な意味·感覚世界への関心は依然として強く自分の中にあり、こうした落ち着きの中で生活をしていると、自然と自分の内側の意味·感覚世界へと意識が向かう。それだけではなく、意識の拡張に伴って、外側の世界の諸問題に対しても意識が向かっている自分がいる。


今日もまた、マネー、エコロジー、テクノロジーを軸とした探究を行なっていく。この探究はやはりいつか書籍のような形でまとめていきたい。3部作になるのか、それとも1冊の中に全てを含めていくのか。


まずは博士論文のような大きな論文の中で3つのテーマを取り上げてみるのもいいだろうし、あるいは博士論文では1つのテーマに絞って研究をしてみるのもいいだろう。色々な選択肢を残しながら、いつか探究成果をなんらかの形でまとめる日が来るまで地道な探究を続けていく。


先ほど朝風呂に入りながら、今朝方の夢について思い出したことがあった。夢の中で私は、見慣れない綺麗な体育館の中にいた。そこで、大学時代のフットサルサークルの先輩と一緒にバスケのシュート練習をすることになっていた。


私たちは、スリーポイントラインよりも少し手前のエリアの様々な角度からシュートを放っていき、成功率のデータを取っていった。これまで自分が無意識的に得意だと思っていたエリアからのシュートが意外と成功率が低い可能性もあるし、苦手だと思っていたエリアからのシュートが意外と成功率が高い可能性もあると思ったのでそのような調査に乗り出した。


調査をしてみると、意外なことに、自分は角度の一切ない場所からのシュートの成功率が高かった。その逆に、これまで得意だと思っていた真正面からのシュートの成功率があまり良くないことが判明した。それを知って、今回改めて調査に乗り出して正解だったと思った。


この夢は何を示唆しているのだろうか。得意だと思っていたことの出来があまり良くなく、逆に不得意だと思っていたことの出来が実は良いということは日常にも起こり得る。


これを探究活動に置き換えてみると、これまで敬遠していた領域が実は自分にとって大切なものであるという話にもつながってくるように思う。まさに今の自分の探究活動がそれである。


これまで全く見えていなかった未着手の研究領域が突如として目の前に現れ、その道の第一線級の研究者の書籍が次々に見つかる状況の中で今毎日を過ごしている。新たな探究テーマが次々と見つかっていくというのは、意識の拡張が健全に進んでいれば絶えず起こることである。今後もまた新たな探究テーマが絶えず見つかるだろう。


現在集中的に読書を行なっていると、如何様にして過去の偉大な思想家たちの概念装置および理論装置を活用していけばいいのかの道が見えてきている。今、複数の思想家が自分の探究の中心にいて、彼らが提唱した概念と理論を深く理解していくことを通じて、絶えず自分の研究テーマへの応用を考えている。


これもまた研究という実践を意識した実践的な読みである。今日もまた集中的な読書を行えることが楽しみであり、そうした時間を過ごせることに感謝をしながら、この世界への自分なりの寄与の道を模索していく。フローニンゲン:2021/6/13(日)07:57


7044. 今日を振り返って


穏やかな日曜日がゆっくりと終わりに近づいている。時刻は午後7時半を迎え、夕暮れ空は雲ひとつなく清々しい。


色即是空。空即是色。色の世界の探究も、空の世界の探究も決して無意味ではない。


双方の領域に関する探究実践過程で得られたことをこの世界に共有していくこと。それは決して無意味ではない。そのような言葉掛けが自己になされた。


片方の世界について探究実践していくことは片手落ちである。どちらの世界も大事なのだ。


地上があっての天上。天上があっての地上なのである。


午前中にふと、どこかのタイミングで必ず主要宗教の聖典を読み込んでいく必要があると感じた。それらの聖典には必ずや叡智が体現されていて、それをどこかのタイミングで紐解いていく。


その叡智を現代社会の問題に対してどのように適用することができるのか。そのようなアプローチについてぼんやりと考えていた。


ハーバート·マークーゼが指摘するように、個人ができるだけ広範かつ正確な知識を伴った批判意識をどれだけ涵養できるかは今後ますます鍵を握り、そこに何か関与できないだろうか。可能であれば、色の世界と空の世界の双方について意識が向かい、とりわけ色の世界の歪みを正していけるような知識を個人が獲得できる支援を行なっていくことに関心が向かう。


やはりそれは文章を通じてなのだろうか。あるいは話を通じてなのだろうか。はたまたその他の手段によってなのだろうか。


今日は集中的にマルクスの生態経済思想に関する書籍を読んでいた。そのテーマに関する書籍を3冊読み、イギリスの哲学者ティモシー·モートンがダーク·エコロジーについて論説した書籍についても読み終えた。


マルクスの生態経済思想に関する書籍は残すところあと1冊となり、それは明後日に読み進めようと思う。明日は少しテーマを変えて、批判的実在論に関する書籍を読み進めたい。それらはいずれもケンブリッジ大学出版から出版されている書籍であるから、随分と読み応えがあるだろう。


今日もまた、何ものにも取って代わることができない自分の世界体験を積んでいた。平凡とした日常であっても、そこに掛け替えのなさを見る。


共有された世界と自分だけの世界。そのどちらも大切にしたい。


夕方の太陽の光はとても穏やかである。そよ風が木々を揺らし、小鳥たちが楽園の歌を歌っている。フローニンゲン:2021/6/13(日)19:47

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