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7005-7009: アートの国オランダからの便り 2021年6月4日(土)


No.2324 夜の神性_Night Divinity


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.666, Good Sleep and Activities

I slept very well today.

The sufficient amount and quality of sleep supports my daily activities in a robust way.


My study and creative activities would go well today, too.

I’m just grateful for it.

I pray for it.

Groningen; 07:20, 6/4/2021


No.667, Trilogy

A soteriological flower blooms.

A teleological fruit is born from the flower.

It suddenly disappeared into an eschatological space.

I’m not there, but I’m here.

Groningen; 19:56, 6/4/2021


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アート・ギャラリー

本日生まれた4曲


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楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7005. 今朝方の夢

7006. 今朝方の夢の続き/歴史学的なアプローチの採用

7007. 旅に出かけたい気持ち/ディスコース及びメタファーの変容に向けて

7008. トルコに滞在中の友人と話をして/静かな変化

7009. 熱として、平穏さとして


7005. 今朝方の夢


小鳥たちの鳴き声がこだまする朝の世界。今日も穏やかな朝日が降り注いでいて、それを浴びながら日記を書くことの幸福感の中にいる。


昨日は28度まで気温が上がっていたが、今日は程よく23度まで気温が上がるようだ。明日からはまた20度を下回る日々が続くが、最低気温がもう10度を超えてきているので、寒さを感じることはないだろう。

今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていたのでそれらを振り返っておきたい。夢の中で私は、見慣れない家の中にいた。その応接間で偶然にもオットー·ラスキー博士と出会い、久しぶりの再会をお互いに喜んだ。


私の横には友人がいて、彼にもラスキー博士を紹介した。すると博士は、友人が手に持っていた書籍に関心を持ったらしく、何の書籍が友人に尋ねた。


その書籍は、イギリスの哲学者のロイ·バスカーが晩年に執筆したものだった。ラスキー博士はバスカーの思想に対して造詣が深いのだが、その本は読んだことがないようだった。


せっかくなので、今から3人で輪読をしようということになり、早速その場で輪読を始めた。書籍のページをパラパラとラスキー博士がめくると、いくつか見たことのない概念があったらしく、そられについて私に尋ねてきた。私はそれらの概念はバスカーが晩年になって提唱したものだと述べ、それらの概念の意味を教えた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の中で私は、禅寺にいた。どうやら今、その禅寺では宿泊つきの座禅会を開催しているらしく、私はその参加者だった。


ちょうど今から座禅が始まるとのことであり、参加者がゆっくりと本堂に集まってきた。座禅が行われる場所に到着してみると、高貴なご高齢の坊さんがすでにいて、参加者の到着を待っていた。


私は小中高時代の友人(TK)と一緒にほぼ一番乗りで会場に入り、最前列に座った。友人は最前列の右端に、そして私は左端に座った。そこから参加者がぞろぞろと集まってきて、しばらくしてから会場は人で満杯になった。


座禅を始める前に、坊さんの方から説法が行われた。その中で、どういうわけかその坊さんはまず私たちの年収について尋ねてきた。年収の金額を徐々に引き上げる形で尋ねていくと、どうやらその場にいる人たちは年収の高い人ばかりであることがわかった。


また、その坊さんから、今この瞬間に最大いくらまで現金で送金できるかを尋ねられると、みんなやはりかなりの金額を送金できるようだった。そこからは、その坊さんが各人お世話になっている出版社を尋ねてきた。


どうやらその場にいる多くの人たちが既に何らかの書籍を出版したことがあるようだった。私の右横の人が坊さんに質問され、その流れで私にも質問が飛んできた。


ちょうどその時、私は口の中に何かの食べ物を入れていて、それを静かに噛んでいる最中だったのだが、口をモゴモゴさせてはならないと思い、食べ物をうまく舌の下に隠す形でお世話になっている出版社名を答えた。


するとその坊さんは、その出版社は著者に対してとても親切だと述べ、今後もその出版社を大切にするようにと私に述べた。そこから坊さんは、会場の後ろの方に座っていたあるご高齢の書道家の方に質問をした。


その書道家の方も書籍を何冊も出版しており、これまでの書籍には書くことのできなかったエピソードなどを坊さんはその方に尋ねた。すると、ゆっくりとその書道家の方が色々なエピソードについて話してくれた。


それを聞いていると、どこか自分の意識がゆっくりと変容するかのようであり、気がつくと私は、座っていた場所から随分と前の方に動いていることに気づいた。坊さんもそれに気づき、どうしたものかと私に声をかけてきた。


どうやら私のズボンの材質が畳に対して滑ってしまうようであり、その点について説明し、今度は違うズボンを履いてくるということを述べたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2021/6/4(金)07:13


7006. 今朝方の夢の続き/歴史学的なアプローチの採用


時刻は午前8時を迎えた。引き続き朝の穏やかな世界が広がっている。


毎日飲んでいるコーヒーの豆が切れてきそうなので、近々行きつけのコーヒー屋に足を運ぼうと思う。今日は午後にトルコにいる友人とZoomで話をすることになっているので、コーヒー屋に行くのはまた別の日にしようかと思う。


明日は天気が崩れるようであり、日曜日は店がやっていないので来週の月曜日になるだろうか。毎日一定量の豆を使っていることもあり、残りどれくらいの日数で切れるのか後ほど調べてみようと思う。

朝風呂にゆっくり入りながら、今朝方の夢について再想起していた。すると、早朝に書き留めていた以外の夢を思い出した。


夢の中で私は、見慣れない本屋の前に立っていた。目の前にはトイレがいくつも並んでいて、トイレ待ちをしているようだった。


後ろから私を呼ぶ声がしたので振り返ってみると、そこには小中学校時代の2人の友人がいた。1人は男性の友人(YK)であり、もう1人は女性の友人(KE)だった。


トイレが空くまでその場で立ち話をしていると、そこに2学年下の後輩の女の子がやって来た。彼女は私たちに挨拶をし、「先輩たちは男女の垣根なく仲がいいんですね」と笑いながら述べた。


確かに私たちの学年は男女の垣根なく仲がいい。そして後輩の彼女は、「3年生はとても面白い人が多いですよね」とも述べた。


私はその場にいた男友達と顔を見合って、それは自分たちも含まれているのだろうかと笑いながら思った。気がつくとトイレが空いたようなのだが、私たちはトイレに行くことをせず、本屋の中に入った。


すると、レジの女性が私たちを呼び止め、その人の方を向くと、そこにいたのは今度は1学年下の後輩だった。彼女はどこか深刻な表情を浮かべていたので話を聞くと、どうやら数日前に、目の前の通りで交通事故があり、お年寄りの女性が亡くなったそうだった。


先ほどまで笑っていた私たちの表情からは笑顔が消え、私たちも深刻な表情になった。そこから彼女の話をより詳しく聞いているところで夢から覚めた。


今朝方の夢はいずれも印象に残っており、夢のシンボルだけではなく、夢の中の感覚を再体験するようなワークを先ほど行っていた。それによって、感情のエネルギーの流れがまた変化したように思う。

今日もまた旺盛な探究活動を進めていく。引き続き、経済思想と宗教思想を架橋させた学術書を読み進めていく。


そのテーマに関しては残り10冊ぐらい未読の書籍が残っているだろうか。それらの書籍を読み終えたら、今度は経済学と生態学に関する書籍群を読み進めていく。そちらに関してもおよそ10冊ぐらいの書籍がある。

経済·金融を取り巻く信念体系とナラティブの歪みの特定に焦点を当てた探究を進めていく。経済思想の歴史を辿りながら、経済·金融を取り巻く信念体系とナラティブの中で、どこにそのおかしさがあるのかを探っていく。


歴史を眺めてみて興味深いのは、ある特定の歪みを乗り越える形で次の思想が提示されており、そこからまた新たな思想が生まれる際には同様の現象が見られることである。


経済·金融思想の歴史的展開を抑えながら、既存の思想の盲点と病理を特定していこう。思想の歴史的発達特定を踏まえると、今取り組んでいる探究は、必然的に歴史学的なアプローチも採用しなければならないのだと思う。フローニンゲン:2021/6/4(金)08:26


7007. 旅に出かけたい気持ち/ディスコース及びメタファーの変容に向けて


時刻は午前10時半を迎えた。今朝の雰囲気は申し分ないほどに穏やかだ。今日もまた暖かさを感じられる1日となり、引き続き今日という1日を満喫したいと思う。

昨日、ルクセンブルクにほど近いドイツの街トリアーを訪れてみたいと思った。そこにあるマルクス博物館に行ってみたいという思いが芽生えたのである。


今朝方に朝風呂に入っているときにも、旅に出かけたいという気持ちが湧き上がっていた。コロナの影響もあって、もう長らく旅に出かけることができていない。


ここ最近はいくつかの航空会社から旅の案内に関するEメールが届けられており、欧州内において旅行を推奨する動きが出て来ているのは好ましいが、ワクチンの接種の問題もあり、果たしてオランダ国外にやすやすと出かけていくことができるのかは疑問である。


いずれにせよ、旅に出かけたいという気持ちが芽生えたことは、何かしらの変化の兆しであろう。国外に出かけるのはもう少し様子を見てからにしても良く、まずは以前から述べていたように南オランダにあるモンドリアン美術館に足を運んでみようと思う。


今月末から来月のどこかで一泊する形でそこに行ってみようかと思う。調べてみると、6/9から再び美術館がオープンになるそうであり、オランダ国内の小旅行を検討しよう。近くに良いホテルがないかもまた調べてみたい——その美術館は日帰りで十分に行ける距離かもしれない——。ここから気候がますます良くなるであろうから旅行に出かけていくのはこれからが最適だ。

1羽の小鳥の鳴き声が辺りにこだましている。その鳴き声に静かに耳を傾けている。静けさの恵み。それを享受していることの有り難さを思う。

先ほど、経済思想に関するMOOCで何か良いものはないかと調べてみたところ、どの大学も一様に、テクニカルなことばかりを教えるコースを提供することに終始している傾向が見えた。端的には、経済·金融に関する思想的なコースが皆無だったのだ。


これはとても危険なことのように思える。経済·金融に関するアカデミックな世界においてもフラットランド化が起こっているのだろう。


テクニカルな指標にせよ、テクニカルな方法論にせよ、それがある思想に立脚したディスコースの積み重ねによって生み出されていることを忘れてはならない。逆に言えば、既存の経済·金融思想を乗り越えていく鍵はそこにあるのではないかと思う。


ディスコースの変容に寄与していくこと。それに付随して、メタファーの変容にも寄与していくことが肝要である。人間を物とみなすメタファーに基づいた経済思想ではなく、少なくとも人間を命ある生態系としてみなすメタファーに基づいた経済思想が必要である。


心理学の歴史的発展と同じく、人間をどのようなメタファーで捉えるかが、その学術領域の研究のあり方を変え、社会を変えていくことにつながる——社会というものもメタファーに他ならないのではないかと思える——。経済·金融思想のレトリックを精査していくこと。それを通じてメタファーとディスコースの変容に関与していくこと。そうしたことに探究の焦点を合わせていこう。フローニンゲン:2021/6/4(金)11:06


7008. トルコに滞在中の友人と話をして/静かな変化


時刻は午後3時半を迎えた。今日も暖かな1日となり、早朝に想像していた以上に気温が上がっている。空は晴れ渡っていて、雲1つない清々しい空が見える。

先ほど、トルコに滞在中の友人とZoomで話をした。トルコでの滞在の様子を聞き、以前から訪れてみたかったこの国への関心が高まる。


ルーミーの墓と博物館のあるコンヤという街を含め、ぜひ機会を見つけてトルコに行ってみたい。友人の話によると、コロナの検査を受ければ国外に出ることはそれほど難しくないようだったので、受け入れ先の国の条件を調べながら、ここから少し今年の旅行の計画を練っていこうと思う。


とりあえずは今月のどこかでオランダにある2つのモンドリアン美術館に足を運びたい。せっかくなのでアメルスフォールトにある美術館を訪れた後にユトレヒトに移動し、ユトレヒトに一泊して、その翌日にユトレヒト市内にあるもう1つのモンドリアン美術館を見学しようと思う。


この国内小旅行であればすぐに計画を立てられそうだ。一応アメルスフォールトの美術館の方は6/9から再開となるようなので、ユトレヒトの方の美術館が同じタイミングで再開されるのかどうかを確認しよう。

友人からトルコの話を聞いた後、少しばかりお互いの近況を共有し合い、本題となる滞在許可証の更新の話に移った。友人からの的確な説明のおかげで更新の目処が立った。


引き続き移民局のウェブサイトはオンライン申請ができないようになっていて、まだメンテナンス中なのか、コロナの対応に追われていてビザ関係にリソースを割けていないのかわからないが、仮にオンラインで更新手続きが難しかったとしても、申請時と同様に、物理的に書類を郵送しようと思う。


ちょうど先日、会計士のロブに更新手続きに必要な書類の作成を依頼しており、その返信を受けてまた動き出したい。更新に必要な書類がどのようなものなのかクリアになったので、今のところは一安心である。

午前中にふと、既存の経済·金融思想の枠組みの中で個別具体的なコンサルティング支援を行っていてはきりがないと思うようになったのはいつ頃のことだったかを思い出していた。そうした考えが芽生えて以降、コンサルティング活動から徐々に離れ、今となってはほとんどそうした活動に従事していない。やはりその考えが芽生えたときに、既存の経済·金融思想の枠組みそのものを変容させることに向けての運動が始まっていたのかもしれない。

このところは色々と内側に変化が見られる。希望を持って探究活動をしていた時期が終わり、絶望こそが希望であるという認識で探究をしていた時期も去った。


ことごとく色々なものが過ぎ去っていく。絶望的に探究を進めていくことが希望だった頃がいつの間にか終焉を迎えていたことに改めて気づき、今はどのような心境で探究を進めているのか自分でも説明が難しい。


超越的な感覚。今言えるのはそれしかないように思う。


それではここからまた夕方の読書を進めていき、ひと段落ついたところで近所のスーパーに買い物に出かけようと思う。それはとても良い気分転換になるだろう。フローニンゲン:2021/6/4(金)15:51


7009. 熱として、平穏さとして


救済論的な花が咲き、目的論的な実をつけた。そしてそれは終末論と共にどこかに消えてしまった。

先ほど、何かがふっと終わりを告げたような感覚があった。これまで大切にしていた何かが突如として大切ではないものに変わり、それに別れを告げた感覚がやって来た。それは何か新たな出来事の兆しなのだろうか。

先ほど、ウルグアイの映画『映画よ、さようなら』という作品を見ていた。形あるものの喪失だけではなく、形なき記憶の喪失もどこか寂しい。世界から大切な形あるものが次々と消えていく。そして、それに付随していた形なき記憶もどんどんと消えていく。


過剰生産の時代の中で次々と消失していく何か。そうしたものが無数に存在していることがどこか寂しい。


自分はそれらの保護者なのだろうか。大切な形あるもの、そして大切な記憶を保守する人間なのだろうか。

気がつけば今週も平日が終わりを告げ、明日からは週末を迎える。無限に続くかのような平穏な毎日。その影で激しく燃え上げるような探究活動が続く。


それを行なっている当人は至って静かである。探究の方が熱を上げているだけであり、自分は至って冷静平穏である。


なるほど、自分は熱そのものなのだ。熱は熱自身の熱さを感じない。ゆえに自分は熱なのだ。

今、伝統的な経済思想の系譜を辿りながら、オルタナティブな経済思想の探究が続いている。例えばシュタイナーの経済思想はその一例である。


強い共感と共鳴を呼ぶ阻害者たち。ウィルバー、バスカー、シュタイナー、マルクス。彼らは皆一様に阻害者だった。


異端児であり、部外者であり、阻害者だった彼らに大きな共感の念を持つ。熱の源はそこにある。

規範性の議論を避けてきた経済学の流れは依然として存在しており、それは経済学だけではなく社会科学全般に見られることでもある。客観的事実と規範性を分けて考えたことはヒュームの功績だが、それを単に分離させることに留めてしまったのはヒュームの過ちだった。


規範性の復権を企図している自分。その復権は社会にどのような肯定的影響を及ぼすのかについて考えることも規範性の議論になるだろうか。

自分が大切だと思うことは大切にし続け、自分が愛するものは愛し続けること。その重要性を思う一方で、先ほど何か大切なものがどこかに消え去り、再び何か新たな大切なものがやって来ようとしている感覚があったことを思い出す。

進もうとしなくていいのだ。ここにただあればいいのである。


ここにただあれば、自己はしかるべきところに向かっていく。日々の1つ1つの活動と一体化し、それとして今その瞬間にあり続けていればいいのである。そうすれば自分は熱として、平穏さとして存在し続けることができるだろう。フローニンゲン:2021/6/4(金)19:52

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