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6995-6998: アートの国オランダからの便り 2021年6月1日(水)


No.2314 小波の光_Light of Ripples


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.660, One Infinite Brightness

The beautiful morning sun is welcoming the world.

I’m welcomed, too.


The morning world is shining gently.

Everything has a unique brightness.

Each brightness resonates with each other and creates one infinite brightness.

Groningen; 06:13, 6/1/2021


No.661, Theology of Money and Buddhist Perspectives of Money

Most sufferings of modern people come from their obsession of money.

People tend to regard it as absolute.

But it is essentially relative.


I’m thinking about how I can disabuse people of their misunderstanding of money.

The first step would be to articulate the relativity of money compared with the absolute in religions.


I’ll thoroughly study theology of money and Buddhist perspectives of money.

Groningen; 15:53, 6/1/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

アート・ギャラリー

本日生まれた4曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6995. コーザルな夢の世界で

6996. 爽快な朝に

6997. 人間の限界

6998. キリスト教神学と金融資本主義


6995. コーザルな夢の世界で


時刻は午前6時に近づきつつある。辺りはすっかり明るくなっていて、朝日も照り始めた。


今、小鳥たちが朝を祝福するかのように鳴き声を上げている。彼らの鳴き声は天に届くかのようである。きっとそれは天に届いているのだろう。天はその返礼として、今このように素晴らしい朝の世界を顕現させているのだ。

今朝方は夢の中で、今の自分の探究活動を励ますような言葉を自らにかけていた。それによって自分は高揚しており、これからの探究活動にまた全力で取り組んでいこうと思った。


そこで語ったことは全て日記に書いているように思ったのだが、それはもちろん錯覚であった。この現象はよくある。


夢の中の自分は、覚醒中の自分には到底気づけないような洞察を得ることがあり、夢の中の自分はそれを日記に書き留めていると思い込んでいるのだが、そんなことはなく、そこでの洞察は夢の中に留まる。


結局、今朝方の夢の中で得られていた洞察がなんであったかは覚えていない。だが、方向性としては今の探究の進め方に間違いはなく、今自分が行なっていることに身を委ねて進むことが大切だというような感じではなかったかと思う。この点についてまた何か思い出すことがあれば書き留めておこう。


今朝方はその他には夢を見ていなかったように思う。夢の中で何かしらのシンボルが現れた感覚は一切なく、上記の夢についても自分の姿は見えず、今朝方の夢は全てコーザル的なものだったように思う。端的には、形を持たない夢だったということだ。


数日前の夜に極度な目撃者の意識状態に入り、今朝方の夢は完全なるコーザル的な夢だったことが興味深い。今、自分の意識の深層部分で様々なことが起こっているようだ。


現実世界の生活がこれほどまでに穏やかで、落ち着いているにもかかわらず、深層意識で様々なことが起こっていることが興味深い。ひょっとしたら、落ち着いた生活に後押しされる形で自分の中で変容が起こっていて、それが深層意識に影響を与えているのかもしれない。そのような説明仮説が思いつく。

朝日がさらに輝き始めた。今、朝日が仕事机に向かって一直線に差し込んできている。朝日を浴びる気持ち良さ。そしてその有り難さを今噛み締めている。

今日もまた旺盛な探究活動と創作活動に従事して行こう。昨日の読みかけの書籍に取り掛かり、今日は2~3冊ほど書籍を読めるのではないかと思う。フローニンゲン:2021/6/1(火)06:05


6996. 爽快な朝に


今日もまた本当に天気がいい。午前8時を迎えた今、輝く朝日が地上に降り注いでいる。自分を含め、地上の生命体が大いに活気付いている。


太陽は地球上の多くの生命にとって恵みのような存在である。まだ朝の8時なのだが、朝の創作活動を終え、洗濯物を干し、さらには部屋に掃除機もかけた。


いつもは掃除機を午後にかけるのだが、今日は朝に掃除機をかけたい気分となり、朝に掃除をしてみると、午後に掃除をする時以上に心が晴れ渡る感覚が増すことに気づく。


2階の端と端の窓を開け、空気を通しながら、2階全体のフロアに掃除機をかけた。そして、今日は階段の拭き掃除も行った。これによって、新鮮な気持ちで今日1日を過ごしていけるだろう。

先ほど、移民局のウェブサイトから問い合わせを行なった。実は昨日移民局に電話をして、滞在許可証の延長に関してそれで問題が解決したかに思えたのだが、問題は解決していなかった。


今回はオンラインで延長の申請ができず、物理的な書類を提出する必要がある。そのため、移民局のウェブサイトを通じて、必要な書類をダウンロードしようとしたのだが、全く見つからなかった。どういうわけか、他の居住ステータスの延長申請書類は見つかったのだが、起業家ビザのみ一覧リストに載っていなかったのである。


先日ウェブサイトのメンテナンスを移民局は行なっていて、そのせいで非表示になってしまっているのかと思い、先ほどその件について問い合わせを行なった。返信をしばらく待とうと思う。

滞在許可証の延長に関して、ハーグに住む友人に昨日メールをしたところ、友人は今はトルコに滞在しているということを聞いて驚いた。その友人には、前回の起業家ビザの申請の時にも色々と教えてもらい、アテネで財布が盗まれた時にもオランダから助けてもらった。そのようなことを思い出し、彼女に頼るのは今回が3回目であることに気づく。


明明後日にZoomでミーティングをさせてもらうことになり、トルコでの生活の様子を含め、話をするのが楽しみである。トルコは以前から訪れてみたい場所の1つだったが、これまでなかなか足を運ぶ機会がなかった。コロナが流行り出してからなお一層のことトルコから足が遠のいていた。


聞くところによると、友人は随分と前にトルコでの滞在を始めたようであり、6月末までトルコの滞在するとのことだった。このような渦中にあってトルコでの滞在を決めた経緯を含めて、色々と話を聞けることを楽しみにしている。フローニンゲン:2021/6/1(火)08:27


6997. 人間の限界


時刻は午前11時半を迎えた。今日は本当に暖かい。朝日の力も強くなってきており、季節の変わり目を実感する。


長かった冬の時代が完全に終わりを迎えようとしている。新たな季節の到来と共に、自分もまた新たな変貌を遂げていくだろう。

自分の内側を駆け巡るエネルギーの強さは、まるで反物質のようである。それはこの宇宙の中で最大のエネルギーを持つ物質である。


自己と外界が本質的に無境界であることを考えると、反物質が何かしらの方法で自分の内側に入り込んできているのかもしれない。その流れは今度も加速するだろう。

このところの探究を通じてますます思いを強くしているのは、人間の限界である。人間性心理学やトランスパーソナル心理学が述べるように、人間の可能性や潜在性を認めながらも、現代の危機的状況を冷静に眺めてみると、いやこれまでの人類の歴史を俯瞰的に眺めてみると、人間の限界が目に付く。


人間はその可能性よりも限界に強く縛られる生き物なのではないだろうか。また、社会の運営に関しても、その限界によってそれが行われているとしか思えない。

新たな知の創出についても似たような特性を持つ。新たな知を生み出していくことは、それとして価値がありながらも、それは即座に新たな盲点と無知を生み出す。この繰り返しのプロセスの中に人間は生きざるを得ないのかもしれない。

そのようなことを考えながら、ベルグソンの指摘に思いを馳せる。ベルグソンが述べたように、人間には意味を作る力だけではなく、神話を作り出す内在的な力がある。


現代において、人々は倒錯した意味を生み出したり、汲み取ったりを繰り返しながら、倒錯した神話を生み出し、それを信奉している。現代は、意味と神話の暴走の時代なのかもしれない。


病理的な意味と神話を生み出し、それらを信奉する狂気の時代。人々が暗黙的に同意しているリアリティは、本来同意してはならない病理や問題を孕んでいる可能性があることに目を向けなければならない。それらの病理や問題を所与として神話の中に組み込んではならないのだ。


人間が反復の生き物であることを考えると、私たちはまた新たな神話を作り出すのだろう。だがその神話が今よりもより健全であれば、救われる人たちも出てくるだろう。


この反復のサイクルは一体なんだろうか。ニーチェ的な永劫回帰なのだろうか。


絶対的真理を獲得すれば、このサイクルから降りることができるのかもしれないが、多くの人にとって、絶対的真理を獲得することが極めて難しいことを知っている。どうすれば、絶対的真理への目覚めを促すことができるのか。その点についても引き続き考えていく。フローニンゲン:2021/6/1(火)11:48


6998. キリスト教神学と金融資本主義


時刻は午後8時に近づこうとしている。今日は本当に暖かさを感じさせる1日だった。夕方に近所のスーパーに買い物に出かける際には、半袖半ズボンで全く問題なく、多くの人もそのような格好で過ごしていた。こうした天気の良い日は、人々は日光浴を外で楽しんでいて、街全体が幸福感で満ちていた。

今日の探究活動も旺盛に進んだ。今日は結局、3冊ほど書籍を読んでいた。


書物はもちろん新たな知識を自分に授けてくれるが、読書においてはそれ以上に、自分の中で新たな問題意識が芽生えることや、自分なりのアイデアが芽生えることの方が重要である。その観点で言えば、今日の読書はそうした刺激をもたらしてくれるものであった。

とりわけ今日は、キリスト教神学の観点から金融資本主義について論じている数冊の書籍から多くの刺激を得ていた。端的には、経済学や金融の観点からでは気づけないような洞察をいくつも与えてもらったのである。現在の金融資本主義の発想はキリスト教神学と強い結びつきがあり、今日読んでいた書籍で記述されていた論点についてはもっと理解を深めたい。


また、ここからはキリスト教神学の観点と対比させる形で、仏教の観点から金融資本主義を論じている書籍を何冊か読み進めていく。明日はそうした書籍を読んでいく予定だ。

長い年月をかけて、偉人たちの検証に晒されて積み上げられてきた叡智としての宗教の思想体系は、金資本主義の未熟な思想を成熟させていくことに適用できるはずである。本日読み進めていた書籍を見る限りでは、現代の金融資本主義の発想は、キリスト教神学が本質的に伝えようとしていることを未熟にしか体現できておらず、そこに1つの歪みを見て取ることができる。


宗教と科学がより深く健全な関係を結べるようになることだけではなく、宗教と経済·金融もまた深く健全な関係を構築していくことが重要になる。それに寄与する探究を継続していく。

その他にも、人はカネを神や仏のように絶対的なものとみなす傾向があるが、この誤解をどうにかして暴くことができないかという点について考えていた。カネはあくまでも相対的なものであり、神や仏のような絶対的なものではないという点をどのように論じていくことができるのか。そこに探究の焦点を当ててみよう。


例えば、カネは時間と切っても切り離せない関係にあり、絶対的存在は時間を超えているという観点を取り上げることも可能であり、カネの相対的な特徴を発達理論の観点から洗い出していくという方法もある。


いずれにせよ、説得力のある主張が必要であり、同時に、そうした論理的な説明のみならず、カネに関するシャドーを個人や社会が治癒していく道も模索していかなければならない。カネに関しては、学術的かつ実践的に取り組んでいきたいことが多くある。今はそこに時間を充てることに自分なりのやりがいを感じており、それは何かの導きなのだろう。フローニンゲン:2021/6/1(火)20:03

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