No.2244 幻視的ビジョン(その1)_A Dreamy Vision (Part 1)
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.616, Preciousness
Each moment is precious.
Time is precious.
I’ll always have the notion to fully lead my life.
Groningen; 04:47, 5/14/2021
No.617, Tomorrow’s Plans
Recently, I’ve concentrated on reading academic books.
So, I plan to read poems tomorrow for a change of mood.
Tagore’s and Gibran’s poems would be my choice.
Also, I’ll check out some books about ecophilosophy based on Steiner’s philosophy or critical realism by Roy Bhaskar.
Groningen; 21:41, 5/14/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6912. 今朝方の夢
6913. 時間の貴重性
6914. 永続する言葉/今日の振り返り
6915. 絶対的な肯定感/相対性・絶対性/己のダルマとダイモーンの導きに従って
6912. 今朝方の夢
時刻は午前4時を迎えた。起床した時に、寝室がとても寒くなっていることを感じた。
就寝する時には依然として湯たんぽを使っていて、5月も折り返しを迎えようとしているのだが、本当に寒さが残っていることを実感する。1週間後の天気を見ても、引き続き同じような気温になるようだ。
この時間帯はまだ辺りが暗く、小鳥たちも鳴き声を上げていない。太陽よりも早く、小鳥たちよりも早く1日の活動を始めた自分がここにいる。
今日もまたきっと充実した日になるだろう。そんな予感をこの静けさの中で感じている。
今朝方の夢について振り返ってみる。夢の中で私は、日本の米軍基地の近くにいた。そこで大学時代のゼミナールのメンバーたちと会って話をしていた。
とりわけ近所に住んでいた2人の友人と楽しげに話をしていると、途中から1人の友人が深刻な顔をして、真剣な話をし始めた。すると不思議なことに、彼の眼が1つ眼になった。それはまるでお化けのようであり、相当に薄気味悪かった。
1つになった彼の眼は焦点が定まらず、遠くの方をぼんやりと眺めていて、なお一層のこと気味が悪かった。一向に動こうとせず、眼がおかしくなってしまった彼が本当にお化けに変わってしまったのではないかと私は不安に思った。
すると突然場所が変わり、別の友人と、そのお化けになってしまったかのような友人について話を始めた。別の友人曰く、それは心配する必要ないとのことだった。きっとまた元の彼に戻るであろうと友人は楽観視しているようだった。
ふと辺りを見渡すと、そこは体育館のようだった。多くの人が集まっていて、今から集会が行われるようだった。
何の集会が行われるのだろうかと思っていると、どうやらオバマ元大統領がやってくるようだった。その場にいたほぼ全ての人がどこか緊張しているようだった。
ソワソワと落ち着かない感じが辺りに漂っていた。一方私は、アメリカ元大統領がやって来るだけで何を浮き足立っているのだろうかと思った。
すると、再び私は米軍基地のそばにいた。辺りは暗く、どうやら夜のようだった。
その場には数人ほどの人がいて、今から基地の外でオバマ大統領にインタビューをすることになっているとのことだった。私もインタビューアーの1人であり、他の人たちは、インタビューで何を聞くのかについての原稿を何度も確認していた。
一方私は、何の準備もせずに、その場で聞きたいことを尋ねるのが一番自然であり、面白い話を聞けるだろうと思っていたので、原稿など当然持っておらず、平静堂々としてした。
どうやら、その場にいた私以外の人は欧米での留学経験も生活経験もないようであり、依然として欧米コンプレックスが強く、またインタビューを自然体で創造的に行うことに慣れていないようだった。
そうこうしていると遠くの方からオバマ元大統領が護衛と一緒にゆっくりとやってきた。私たちはその様子を遠くから見ていて、オバマ元大統領がこちらに到着するまでもう少し時間があるようだったので、その場にいた各人は思い思いに過ごすことになった。
私以外の全員は相変わらず緊張した面持ちで原稿に釘付けとなっていて、私は基地の中を眺めたり、ぼんやりと夜空を眺めていた。すると、大学時代に同じゼミに所属していた親友がその場に遅れて到着し、ギリギリの到着も去ることながら、完全に私服であることを私は笑った。
今朝方はそのような夢を見ていた。結局オバマ元大統領と話をすることなく夢が終わっていたように思う。また、その他にもいくつか細かい場面があったように思うので、それらについてはまた思い出す試みをしてみたい。フローニンゲン:2021/5/14(金)04:42
6913. 時間の貴重性
時刻は午前5時半を迎えた。今朝風呂から上がってきて、洗濯機を回した。
朝風呂に入り始めた頃から辺りが少しずつ明るくなってきていて、浴槽に浸かりながら天窓を見上げ、朝空を眺めていた。そして時に目を閉じて、瞑想実践をするかのような時間をいつものように過ごしていた。
朝のこうした寛いだ時間のおかげで日中の活動の質が担保されている。絶えず気づきの意識に満ちた状態で活動に従事できているのだ。
今こうして鳴き声を上げている小鳥たちの耳に鳴き声を傾けることも瞑想意識への誘いであり、幸いにも彼らは日中にも鳴き声を上げてくれていることがある。その際にはできるだけ彼らの鳴き声に耳を傾けるようにしている。
朝風呂に浸かりながら、人生における時間の貴重性について考えていた。今は探究活動にせよ創作活動にせよ、打ち込みたいことが山ほどある。
活動に打ち込むというのは、必然的にそこに時間を充当することを意味し、そうした活動に充てる時間が無限に生み出されることを時に願ったりもするが、それは現実的には不可能である。
むしろ限られた時間だからこそできることがある。時間という制約条件があるからこそ、創意工夫の精神と集中力を持って物事に取り組めるのではないだろうか。
時間の制約条件を生む枠組みを変えていくこと。自分がやらなくていいことは本当にやらないようにする。あるいは、他の人に任せるようにする。
これはシンプルな案だが、そのシンプルさゆえに意外と実行できていないことも多いのではないかと思う。自分がやらなくてはいいことに時間を充ててしまい、他の人に任せた方がいいことを自分でやってしまうこと。それを避けることをより一層意識していこう。
時間の貴重さを絶えず感じながら、自分の取り組みを焦らず前に進めていく。そうすれば、自分の取り組みは、今よりももっとずっと広く深くなるはずだ。
今日は昼前に、あるメディアから取材を受けることになっている。こうした取材は久しぶりのことであり、どのようなことを聞かれるのか今からとても楽しみだ。
それ以外の時間はいつものように探究活動と創作活動に充てていく。探究活動の方で言えば、昨夜の日記で言及したように、3つのメタ理論を比較した研究書を読み進めていきたい。
本書を読むのは今回が3回目であり、そろそろ内容理解も深まっていく頃かと思う。物事を理解するのには時間がかかるのだ。
理解したと思ったその先に、もっと深い世界が広がっていて、その世界にスッと導かれていく。探究の海は宇宙のように広く深い。フローニンゲン:2021/5/14(金)05:43
6914. 永続する言葉/今日の振り返り
時刻は午後7時半を迎えた。今日は1日を通して曇りがちな日であったが、いつも変わらずに静けさがあった。外側の世界の静けさの恩恵を受けて、内側の静けさが永続している。
このままゆっくりと進んでいけばいい。進むことを意識せずして進んでいけばいい。そんな声がどこからか聞こえてくるかのようだ。
一連の言葉が自然と溢れてくる。毎日それが起こっている。
世界は刻一刻と変化していく中にあって、言葉の永続性を思う。言葉が生み出されたその瞬間は儚きものとして過ぎ去っていく。だが、その瞬間を捉えた言葉はいつまでも残る。
言葉は天が人間に与えた恵みの1つなのだろう。言葉の永続性。光のある言葉。
言葉の中に世界から放射され、内側から放射された光を少しでも梱包していくこと。その役割を自分は担っていく。
夕方、オーナーのペイトラさんに、先週の土曜日の夕食のお礼を込めて、バイオダイナミクス 農法で作られた白ワインを渡した。ペイトラさんはそれをとても喜んでいた。
どうやらオーナー夫妻は今週末に南オランダに出かけるらしく、その期間に、知人に家を貸すとのことだった。実は今日の夕方に買い物に出かけた際に、欧州内の旅行よりも先に、オランダ国内の旅行をするのも一案かと思っていたのである。
そろそろ旅行が恋しくなり、美術館が恋しくなっている。そうしたことから、モンドリアン美術館に足を運ぼうと以前から思っていて、美術館近くのホテルに宿泊し、その街をゆっくり堪能しようと思っていた。今週末にでも美術館の開館状況やホテルの営業状況を調べてみて、行けそうであれば近々国内の小旅行に出かけたいと思う。
今日は午前中に、“Metatheory for the Twenty-First Century: Critical Realism and Integral Theory in Dialogue”の続編の“Metatheory for the Anthropocene: Emancipatory Praxis For Planetary Flourishing”を世界の様々な国のAmazonで探していたが見つからず、出版社のルートリッジでも販売をしていなかったのだが、偶然にエストニアの書店で本書を見つけ、それを注文した。
しかしながら、本書の出版がまだなされていないとのことであり、注文がキャンセルされてしまった。出版はこの夏とのことなので、出版されたすぐに注文をしよう。
本書には、以前師事していたオットー·ラスキー博士——インテグラル理論と批判的実在論の双方に造詣が深い——が本書に論文を寄稿している。また、継続して仕事を追っている哲学者のザカリー·スタインも2つほど論文を寄稿している。
さらには、ジョン·エフ·ケネディ大学時代にお世話になっていたブルース·アルダーマン教授も現在の自分の関心テーマである霊性に関して、2つのメタ理論からそのテーマを取り上げた論文を寄稿していたことも本書を購入したいと思った動機である。
日々ゆっくりではあるが、着実に探究が進んでいる。明日からは休日となるが、平日も休日も関係のない自分にとっては、明日もまたいつもと同じく自らのライフワークを少しばかり前に進めていく日になるだろう。フローニンゲン:2021/5/14(金)19:55
6915. 絶対的な肯定感/相対性・絶対性/己のダルマとダイモーンの導きに従って
つい今し方、どういうわけか幾分感極まる感覚があった。このように毎日日記を書いている自分、これまで日記を書いている自分に対して絶対的な肯定感がやってきて、共感と敬意の念を持ったのである。
創造主は時空間を間違えることがあるのだろうか。自分はこの時代に生まれてきて、この時空間の中にいる。
自分の取り組みは絶えず現在に立脚しながら、そして当人はこの現代社会になんとか関与しようとしているのだが、自らの取り組みは今ではない未来の人のためにあるように思えなくもない。
創造主は時空間を間違えたのだろうか。そうかもしれない。
そうであったとしても、自分が今この時空間にいることを否定しない。肯定もしない。絶対的な肯定をする。
それは否定と肯定を超えた先にある肯定感である。落ち着く先は存在の絶対的な肯定。
午後にふと、相対的世界と絶対的世界、相対的真実と絶対的真実の双方を掴むことの大切さについて考えていた。現代人のほぼ全ての人はそれに失敗している。
相対的真実しか見ることできず、相対的世界だけに生きている人は、物質資本主義的な幻想世界の住人であり、そこで繰り広げられるゲームに疲弊する。一方、絶対的真実を見出しながらも、相対的真実を単なる虚構と見做してしまってその存在と意義を放棄し、絶対的世界にだけ生きようとする人も一部にいる。そのような人はまるで頓馬なヒッピーのようである。
色即是空、空即是色。これが表しているのは、相対的世界と絶対的世界の双方の存在であり、相対的真実と絶対的真実双方が存在していることだろう。なぜ人々はそれら双方を認識できないのだろうか。
重要なことは、それらを認識できない人を非難することではなく、それらを認識できなくさせている時代精神的な思想の枠組みや、時代の種々の仕組みの存在を暴き、それを変容させていくことである。そうした取り組みを、ロイ·バスカーは“underlaboring”という言葉で表現している。
これは人々の認識上の誤謬を生み出す種々の社会的な足かせや制約——バスカーはそれを「ゴミ、くず、ガラクタ(rubbish)」と呼んでいる——を取り除いていくことを意味している。
この点に関連して、夕方に、霊性の発達を阻害する個人の内面外面の要因だけではなく、それよりもむしろ、今は集合の内面外面の諸要因の探究に時間を充てていこうと思っていた。そうした集合の内面外面における個別具体的な諸要因の特定に探究の焦点を当てていく。
進むこと?進むことも気にしなくていい。
己のダルマとダイモーンの導きに従ってその瞬間瞬間を生きていけば、しかるべきところに辿り着くはずだ。
常軌を逸し、狂気さを超えて狂気さが一転したところに生まれる正気さを持って毎日を生きていく。明日もこれからも。フローニンゲン:2021/5/14(金)20:38
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