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6890-6892: アートの国オランダからの便り 2021年5月7日(土)


No.2217 神聖な象徴_A Sacred Symbol


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.598, Serenity and Peace

Serenity and peace are my friends.

They are always close to me.

Especially, they are very affable to me in the morning and at night.

Groningen; 05:31, 5/7/2021

No.599, The Expanding Consciousness

My consciousness is like the vast sky.

It also looks like the vast ocean.

It is expanding and deepening day by day.

I’m wondering how much my consciousness can expand and deepen.

Groningen; 21:44, 5/7/2021


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本日生まれた4曲


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タイトル一覧

6890. 今朝方の夢

6891. 夢の再体験/共現存

6892. 2つのメタ理論の架橋的探究に向けて


6890. 今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。辺りはまだ暗く、空はこれからダークブルーに変わっていくところだ。


外の気温は3度と低く、部屋には暖房が自動でついている。今朝もとても肌寒い。今は雨は降っていないが、ここから小雨が少し降るようであり、それは午前9時を目処に止み、そこからは今日は天気に恵まれるようだ。結局昨日は買い物に行くことができなかったので、今日は夕方に買い物に出かけたいと思う。


今朝方の夢をぼんやりと振り返ってみると、今日はそれほど印象に残る夢を見ていなかったように思う。ただし、夢を書き出してみると意外と思い出すことがあるかもしれないので、少しばかり書き出してみる。


夢の中で私は、大きな市民ホールの駐車場にいた。そこには車がたくさん止められていたが、全ての人は市民ホールの中にいるようだった。そのように思っていると、近くに両親がいて、さらにはまだ3歳ぐらいの幼い男の子を連れた若い母親の女性がいた。


両親は車から降りてくるところであり、見ると助手席に生後1年ぐらい経った男の子がいた。その男の子は車から降りようとしていたので、私はそれを手伝うと、急に車の中でお留守番したいと述べ始めた。


すると父が、車の中は暑いから一緒に来た方がいいと述べると、その子は少し不満そうな表情を浮かべた。そこで近くにいた3歳ぐらいの幼い男の子を連れた若い母親の女性が、子供を見ておいてくれるとのことであり、母もその場に残って子守りをすることになった。


そのおかげで父と私は市民ホールに行って用事を済ませてくることができるようになった。何の用事があるのか知らないが、私は父についていくことにした。


母と若い母親の女性、そして2人の男の子をその場において、市民ホールの方に向かって歩き出したところ、若い女性が母に幼児用のミルクのパックを差し出した。母はそれを有り難く受け取り、お礼を述べた。


市民ホールの中に入ると、父は携帯を取り出して誰かに電話をかけた。商談か何かの重要な連絡だったらしく、話の内容をあまり私に聞かれたくない雰囲気を発していたので、父と少し距離を取ることにした。


すると私は気づけば市民ホール内のコンサート会場にいた。実際には、コンサート会場の外にいて、これから中で行われる盛大な会に特別ゲストとして飛び入り参加することになっているようだった。


中に入ったら、そこで一言挨拶をしないといけないとのことだった。その他にも3人ほど特別ゲストがいて、その中の1人は知人の芸術家の女性だった。


扉が開き、4人で中に入ると、盛大な拍手で出迎えられた。少しばかり気恥ずかしさがあったが、壇上に上がると、逆に気恥ずかしさや緊張はなくなり、むしろ高揚して心地良い感じがした。


いざ私が挨拶を始めようとすると、最初にアナウンスがあり、知人の女性は将来大臣になるというような紹介がされていた。本人はそれを笑っていて、私もそのアナウンスがおかしく思えた。


気がつくと私の挨拶は飛ばされていて、私は客席側にいた。私の目の前には小中学校時代の友人(TO)とその隣に見知らぬ男性がいて、私は2人の膝の上に座っていた。


2人はとても汗かきであり、部屋の室温も高かったこともあり、随分と汗をかいているようだった。会場が人でぎっしり埋まっていたので、2人の膝の上に座るのはやむを得ないことだった。


するとそこでまたアナウンスがあり、クイズが出題された。Xcmの直線は、地球の半径をYcmとした時に、それは地球何個分になるかという問題だった。直線の長さと地球の半径の数字は正確に与えられていたが、それで直線が地球の何個分に当たるのかを算出できるのか疑問に思っていたところ、周りにいた数人の男性が即座に解答を述べた。


どうやらそれは正しい答えのようであり、私はその計算速度の速さに驚かされた。一体どのようにして計算したのだろうかと興味が湧いた。


すると、私は友人と見知らぬ男性の2人の膝の上からようやく降りることにして、降りてみると、2人の足には汗の跡が残っていた。今朝方はそのような夢を見ていた。


書き出してみると、意外と思い出すことができるものだと改めて感じる。今から朝風呂に入り、その時にはまた夢の中の感覚について再度ワークをしてみようと思う。フローニンゲン:2021/5/7(金)05:25


6891. 夢の再体験/共現存


時刻は午前6時を迎えた。ようやく辺りが明るくなってきて、小鳥たちがちらほら鳴き声を上げ始めた。


先ほど朝風呂に浸かっている時には、朝の静けさに包まれながら観想的な意識状態になった。この状態は色々とアイデアが芽生える。


朝風呂に入りながら、今朝方の夢について再度振り返っていた。そう言えば、市民ホールの中に入って席を探している時に、ちょうど知人の女性の隣が空いていたのだが、あえてそこに座らずに別の席を探そうとしたところ、その知人は笑いながら「なんで避けるんですか!」と述べた。


私は別に明確な意図を持って避けたわけではないのだが、なぜか身体が無意識にその席から遠ざかったのである。そのような場面があり、その時の感情についてワークをしていた。


夢を通じた治癒と変容実践は、順調にゆっくりと歩みを進めている。だがこの道には終わりはない。


かつて師事していた夢の研究の大家であるジェレミー·テイラー教授の教えに則り、夢のシンボルの意味を解釈するだけではなく、夢の中の感情や感覚を再体験するということをより意識していこう。


昨日は、『インテグラル心理学』の読書会に関する音声ファイルをまた集中的に作っていた。読書会はまだ初回しか終えていないのだが、音声ファイルの数はすでに33個となった。


夕食を食べている最中にもいくつか閃きがあり、それについてもいくつか音声ファイルを作ろうと思ったが、夕食後には他にやることがあり、夕食後には音声ファイルを作ることをしなかった。夕食中に芽生えたアイデアについては書き出しているので、今日もまたそれをもとに音声ファイルを作っていこうと思う。


自分と全ての存在が「共現存(co-presence)」する感覚。そんな感覚が数日前にあった。


自己が他の全ての存在に遍く浸透していて、他の全ての存在が自分の中に深く浸透しているという感覚。そうした感覚があったのだ。


健全な発達を遂げていくというのは、より広く深く様々な存在者と共現存できるようになることなのだろう。そして、それを妨げる種々の障壁と幻想を取り除いていくことが発達を遂げた人間がなすべきことなのだ。


こうした発達観は、ウィルバーやバスカーのものと通じるものがある。今日もまたバスカーの書籍を集中的に読んでいこう。2人の偉大なメタ理論の提唱者から学ぶことは依然として計り知れない。フローニンゲン:2021/5/7(金)06:21


6892. 2つのメタ理論の架橋的探究に向けて


時刻は午後5時半を迎えようとしている。つい先ほど近所のオーガニックスーパーから帰ってきた。


今日は午前中から天気が良く、日中は雲1つない晴れ間が広がっていた。先ほど買い物に行った際にも空は晴れていて、夕方の優しい太陽の光を浴びることができた。


新居に引っ越してから、買い物に行くことも大きな楽しみになっている。というのも、スーパーまでの途中に市民の憩いの場であるノーダープラントソン公園という大きな公園があり、そこを通り抜けることができるからである。


その公園はいつも幸福感に満ちていて、自然に癒されながら買い物に向かうことができる。買い物から帰ってくる際にもその公園を通るので、行き帰りがいつも楽しみなのだ。そうした楽しみを味わって今に至る。


今日もまた昨日に引き続き、『インテグラル心理学』の読書会に関する音声ファイルをいくつか作った。まだ初回を終えたばかりなのだが、すでに音声ファイルの数は40個に到達しようとしている。


先ほど買い物に出かけている際にもいくつか話しておきたいトピックが見つかり、それについては先ほど書き留めておいた。また明日以降にそれらのトピックについて音声ファイルを作成したいと思う。


午前中にふと、バスカーの霊性思想、ウィルバーの霊性思想、シュタイナーの霊性思想を架橋するような研究を博士課程で行うのも面白そうだということを思った。バスカーとシュタイナーの書籍を読む込み、咀嚼していくのに少なくとも数年はかかるであろうから、博士課程に在学しながら3者の思想体系とじっくり向き合っていくことも今後の選択肢の1つとしたい。


ひとまず今は学術機関に在籍することをせず、ウィルバーのインテグラル理論とバスカーの批判的実在論とメタリアリティの思想を架橋させる試みを自分なりに行っていく。それは2つのメタ理論を架橋させるという都合上、メタ·メタ理論のようなものを自分の中で形成していく試みだと言えるだろう。


そのような試みに向けて今日もまたバスカーの書籍を音読していた。今日は午後にその書籍の音読を終えたので、明日はまた異なるバスカーの書籍を音読していこうと思う。


バスカーの中期から晩年にかけて思想体系が洗練された後の書籍は全て購入していたが、改めてバスカーの処女作である“Realist Theory of Science (1975)”を読んでみることにした。これはバスカーがオックスフォード大学の博士課程に提出した論文が元になっている書籍であり、批判的実在論の基礎を成す重要な洞察が含まれているだけではなく、科学哲学においても多大な功績を果たしたことでも重要な書籍だ。


この書籍を購入することに合わせて、“Reality and Self-Realization: Bhaskar's Metaphilosophical Journey Toward Non-Dual Emancipation ”と“Critical Realism: An Introduction to Roy Bhaskar's Philosophy”を購入することにした。これでひとまずバスカーが著者として出版した全ての書籍を購入したことになり、それ以外にもバスカーの思想を独自の観点で探究している研究者の著書も随分と購入したことになる。ここからはそれらの書籍を何度も繰り返し読むことを通じて、バスカーの思想を広く深く理解していきたい。フローニンゲン:2021/5/7(金)17:37

 
 
 

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