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6865-6869: アートの国オランダからの便り 2021年4月30日(金)



No.2179 朝光の迸り_A Splash of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.569, A Heart-Shaped Leaf

When I went to my workplace in the house in the morning, I found a heart-shaped leaf coming through the window.

A tree is standing by my house, and some leaves come through the window. One of them is heart-shaped.

When I found it, I felt heart-warming.

Whenever I see it, I must feel the same.

It’s a privilege for me. I’m so fortunate.

Groningen; 06:16, 4/30/2021


No.570, One World

This world is the other world.

The other world is this world.

There is only one world.

Groningen; 08:50, 4/30/2021


No.571, A Notion

I’m grounded in the unity of the world.

I’ll do my duty.

Groningen; 09:00, 4/30/2021


No.572, The Union Between Wisdom and Compassion

The ascending and descending path are shaking hands with each other.

Here, wisdom and compassion become one.

Groningen; 09:12, 4/30/2021


No.573, Spirits and “The" Spirt

There are an infinite number of spirits.

There is “the” Spirit.

In other words, there are spirits and one Spirit.

Groningen; 19:35, 4/30/2021


No.574, Creation as Autonomous Spirit-Expression

Every one of my creations such as music, paintings, and poems is the completest autonomous self-expression or spirit-expression.

Groningen; 20:39, 4/30/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

アート・ギャラリー

本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6865. 今朝方の夢

6866. 嬉しい訪問者たち/この10年間の確かな歩みを感じて

6867. 信仰/手紙/進化と内化

6868. 直感把握/1つの世界/トランスパーソナルな段階や体験について/神聖な音

6869. 『APPLESEED アップルシード(2004)』と『エクスマキナ -APPLESEED SAGA-(2007)』を見て


6865. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前6時に近づいている。昨日は日中に激しい雨が降り、夜も小雨が降っていたが、今は雨が止んでいる。


とても穏やかな朝がやって来て、小鳥たちが静かに鳴き声を上げている。天気予報を確認すると、今日もまた午前中から雨が降るようだ。ただし、昨日のように激しい雨ではなくて、小雨のようである。


小雨がずっと夜まで降り続けるようだが、小雨であれば夕方に買い物に出かけたいと思う。卵を含め、いくつか買い足しておきたいものがあるので、近所のオーガーニックスーパーに足を運ぼう。

ここ数日間は印象に残る夢を見ていなかったが、今朝方は記憶に残る夢を見ていた。とりわけ起床前のものをよく覚えている。


夢の中で私は、大学の寮のような場所にいた。そこはアメリカの大学である。


朝、寮の洗面所で歯磨きをしようとしていたところ、1人の小柄な女性と遭遇した。彼女は日系アメリカ人であり、日本語は全く話せなかったが、見た目だけではなく、振る舞いもなんとなく日本人のように見えて親近感があった。


彼女と立ち話をする中で、彼女が山口県に住んでいたことを知り、嬉しく思った。私の両親はそこに住んでいて、自分も山口県に長く住んでいることを伝えると、彼女も嬉しそうにしていた。


彼女は私に、日本に何年住んでいたのかを尋ねて来たので、25年ほど日本で生活をしていたことを伝え、その後、アメリカとオランダでそれぞれ何年過ごしていたかを伝えた。


最初日本での生活年数を伝えたときに、彼女はそこで「まだ若いのね」とつぶやいたが、アメリカとオランダの生活年数を伝えたときに、「ひょっとしたら同い年かも」と嬉しそうな表情をした。


私は自分の年齢を伝えると、彼女は偶然にも同い年であり、お互いにそれを喜び合ってハグをした。お互いに何歳になっても学ぶことをやめず、大学で継続的に学び続けている友ができたようでお互いに嬉しかったのだ。


どうやら彼女はこれからクラスがあるようであり、最後に別れの挨拶をした。彼女が洗面所から体半分外に出ているときに、私が普段あまり使われない挨拶の表現をしたこともあり、彼女はもう1度私の近くに戻って来て、何と言ったかを確認した。


私は、“Talk to you soon”と述べたことを彼女に伝えると、彼女は笑顔でうなづいてその場を去っていった。何かおかしな表現だったかなとふと振り返ってみたが、それは過去に聞いたことのある表現だったので、別に間違ってはいないだろうと思った。


いずれにせよ、彼女とまた話をすることが楽しみになったところで夢から覚めた。夢の中に現れた日系アメリカ人のその女性はとても小柄で可愛らしかったのを覚えている。


今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、それらの夢については覚えていない。今から朝風呂に入るときに、再び夢を振り返ってみて、また何か思い出したらそれを書き留めておきたい。フローニンゲン:2021/4/30(金)06:10


6866. 嬉しい訪問者たち/この10年間の確かな歩みを感じて


時刻はもう間も無く午前7時を迎える。朝風呂に入り、さっぱりとしたところで今この日記を書いている。


1日が始まってまだ間もないが、今日はいくつかの訪問者がすでにあった。今朝方起床して仕事場に向かうと、そこの窓からハート型の葉っぱが顔を出していた。植物の生命力には感服してしまうが、それは窓の隙間から茎を伸ばし、2重窓の内側に入り込んでいた。


ハート型の葉っぱを見たときに、とても心温かな気持ちになった。文字通り、そのハート型の葉っぱには、ハートを温める力があったのである。


そこから私はその葉っぱに近づき、葉脈を観察し、まるで人間の血管のようだと思い、葉っぱも人間も同じ生命なのだという平等性を改めて思った。この葉っぱは、これからの季節まだまだ生命力を発揮してくれるだろう。


冬の季節がやって来て、別れを告げる時期まで一緒に過ごしていきたいと思う。葉っぱに話しかけ、葉っぱに生命エネルギーを与えていこうと思う。


葉っぱ以外にも、もう2つ訪問者がいた。先ほど朝風呂に入りながら天窓を眺めていると、突然黒い影が現れた。以前の居住人が話していたように、またオーナー夫妻が話をしていたように、天窓に猫がやって来たのである。


その猫は私に気づくこともなく、そのままどこかに消えていった。そして次にやって来たのがカタツムリだった。


天窓の端っこにカタツムリらしき顔が少しばかり出ていたのだが、それがカタツムリであるという確証はまだなく、しばらく目をつぶって浴槽に浸かっていた。その後、ふと天窓を再度見上げると、それがカタツムリであることを確証した。


先ほどから天窓を這うように少しだけ移動していて、そのシルエットがはっきりと見えたのである。自分が目をつぶっていた間に少しだけ歩みを進めていたカタツムリ。


自分もまた、誰にも気づかれないところでカタツムリのように歩みを進めていこうと改めて思った。今朝方の3つの訪問者は、どこか自分を幸せな気持ちにさせてくれる存在であった。

今日も引き続きウィルバーのSESの音読を進めていこう。今日から第2部に入る。


ウィルバーが述べているように、第1部、第2部、そして注記は、どれも1冊の書籍になるぐらいの分量を持っている。内容も非常に充実していて、今改めて読み返しても色々と発見がある。


昨日読んだ第8章は、JFKU時代の「非日常意識」というコースで取り上げられていた章であり、今から10年前に読んだときとは随分と印象が違った。当時は、アヴィラのテレサが述べたトランスパーソナル段階の発達モデルを理解することが難しく感じていたのを覚えている。


翻って昨日は、乾いた植物が水を勢いよく吸収するかのように、テレサが述べていた内容がスッと自分の中に入って来たのである。統合論的記号論の観点から言えば、当時の自分にはテレサが言及している体験の言葉を単にシニフィアンとしてそれを受け取っていて、その言葉が内包する意味や体験といったシニフィエが欠落していた。


それだけではなく、シニフィエの欠落によって、その言葉が示す指示物(referent)の存在が全く見えないものになっていたように思う。だが今は、指示物の存在を存在論的に確認することができ、テレサの1つ1つの言葉が示す体験や意味が内側で共鳴しているのを感じることができる。ここにこの10年間の確かな歩みを見る。


今日もまた、先ほど出会ったカタツムリのようにゆっくりと自分なりの歩みを進めていこう。それがいつか自分をどこか別の場所に連れて行ってくれる。そしてそれがその時の自分の今ここになる。フローニンゲン:2021/4/30(金)07:19


6867. 信仰/手紙/進化と内化


信仰。それは見えないものを見えるようにしてくれるものなのかもしれない。宗教者ではない者も信仰心を持つことの大切さはそこにあるだろうか。


信仰心の発達。今、自分の中でもそれが起こっている。この点については、信仰心の発達について探究したジェームズ·ファウラーの書籍を再度読み返してみようと思う。


早朝の日記と紐づけて考えてみれば、信仰心の有無、そして信仰心の成熟度合いは、ある知覚体験のシニフィエと指示対象(referent)に大きな影響を与える。意識の深まりは、様々な言葉に隠されたシニフィエとその階層を開示するだけではなく、これまで見えなかった指示対象を顕現させる。ここのところそれを強く感じている。

昨日浴槽に浸かりながら、高度な意識段階と高度な意識状態の探究を進めていくのに並行して、現代の霊性を取り巻く社会的な問題の探究も合わせて行っていこうと思った。後者は「トランスパーソナル社会学」と形容できるようなものであり、社会のトランスパーソナル的な病理、そして霊性の発達を押し留めている社会・文化的な構造を探究していくものである。

前者の探究においては、先ほど、アヴィラのテレサの手紙が書籍として世に送り出されていることを知り、詩集に加えて、手紙もまた研究材料に含めたいと思った。この考えは以前から存在していて、ゴッホの手紙やベートーヴェンの手紙を研究材料にしようと考えていたのであるが、改めて主観的な体験が1人称言語で語られる手紙の研究価値を思ったのである。


偉大な芸術家の霊性の発達を、彼らの手紙を通じて研究していくこと。これもぜひ行ってみたい研究として研究リストに加えておこう。


ふと、ベートーヴェンの霊的発達に関して発達理論の観点から考察した論文が掲載されている書籍を持っていたことを思い出したので、また後ほどその書籍を段ボールから引っ張り出してこようと思う。

進化とは部分性からの連続的な脱却過程であるという考え。部分から全体に向かっていくのが進化であるならば、内化は全体から部分に向かっていく過程だと言えるだろうか。


プロティノスが述べているように、前者は多者から一者に向かう道であり、後者は一者から多者に向かう道である。片方の道を歩んではならない。その双方の道を同時に歩んでいくことが大切なのだ。


多者から一者に向かう進化の道は叡智を司り、一者から多者に向かう内化の道は慈悲を司る。叡智と慈悲の輪を広く深くしていくこと。それが真の発達なのだろう。フローニンゲン:2021/4/30(金)09:56


6868. 直感把握/1つの世界/トランスパーソナルな段階や体験について/神聖な音


2年前の夏に訪れたアテネの記憶がふと蘇って来た。そして、その記憶に呼応するかのように、プラントとプロティノスの思想が自分の中にスッと入って来た。


直接体験を通じた直接把握。直接体験を足がかりにして直接に対象を掴むこと。


それは直感把握のようなものなのだが、何かを掴んだという感覚は見間違うことがない。掴んだものは、再び自己の歩みを通じて深まり、次々と新たなものを開示してくれる。

あちらの世界がこちらの世界になること。そして、こちらの世界があちらの世界になること。さらには、あちらの世界とこちらの世界が1つになること。それを直感的に捉え、詩を作った。

そもそも、今の自分の理解を超えたあちらの世界がこちらの世界になるというのは発達の1つの原理である。そこから、意識があるところまで深まってくると、こちらの世界があちらの世界になる瞬間に気づく。


さらにそこから意識を深めていけば、あちらの世界とこちらの世界という分別はなくなり、1つの世界が顕現する瞬間を捉えることができる。

トランスパーソナルな段階や体験について、合理的に説明することはできてもそれを合理的に体験することはできないというウィルバーの指摘について考える。ウィルバーも指摘しているように、トランスパーソナルな段階や状態を体験する道や、そこに至る実践方法であれば、霊的実践の系譜を用いれば合理的に提示することができる。


この点において、トランスパーソナルな段階や体験は、非合理的ではない。そうした段階や体験そのものは論理を超越しているがゆえに超論理的なのだが、そこに至る道筋や実践方法は合理的に指し示すことができることを忘れないようにする必要があるだろう。

昨日、言葉が内包する神聖な音を使って詩を作っていくことができないかを考えていた。マントラで用いられるサンスクリット語に注目し、そこから音の神秘性、あるいは意識の発達覚醒作用に関して取り上げた書籍をいくつか文献リストに入れておいた。この探究によって、自分の詩にも変化が見られるだろうし、作曲にも変化が見られるかもしれない。


新居の静寂な環境のおかげで、ここのところはサトルの音をますます知覚するようになっている。この知覚体験を大切に、ここからはより一層サトルの音への意識を向けていこう。


その先に、コーザルの音の大海が待っている。その大海に浸りながら、大河の一滴としての音を並べていき、曲を作っている未来の自分の姿がふと立ち現れた。フローニンゲン:2021/4/30(金)10:18


6869. 『APPLESEED アップルシード(2004)』と『エクスマキナ -APPLESEED SAGA-(2007)』を見て


時刻は午後7時半を迎えた。幸いにも今日は天気予報が少し外れ、午後には晴れ間が顔を覗かせた。その隙に買い物に出かけることができた。


今日もまた1日を通して創作活動と探究活動に思う存分打ち込むことができていた。新居に移ってからの両者の活動は質的に異なる。


以前とは違う次元で活動に従事することができている自分に気づく。特に探究活動に関して言えば、全く違う次元に足を踏み入れたようである。

毎日何かしらの映画やドキュメンタリーを見ているが、時々アニメも見ている。時にアニメは時代を先取り、人類が未来に直面するであろう問題を鮮やかに映し出すことがある。


昨日と今日見ていたアニメ映画はまさにそうした作品だった。昨日と今日、『APPLESEED アップルシード(2004)』と『エクスマキナ -APPLESEED SAGA-(2007)』というシリーズものの作品を見た。


端的に述べれば、このシリーズもののアニメ映画は、バイオテクノロジーやAIやブロックチェーン技術を含めた情報技術がさらに進化した時代の人間と社会が直面するであろう問題を見事に描き出している。


そして注目するべきは、ウィルバーが述べるところの第3層の意識段階、つまりトランスパーソナル段階の病理的側面も描き出している点が秀逸であった。この点については、本日見た続編で強く描き出されている。

昨日見た作品から振り返っておくと、現代社会における種々の問題の根幹には、1つ不可避な問題として人間の欲望が横たわっている。本作品に描かれているように、仮に人間から生殖機能を奪い、低次の欲望が発生しないような人間とサイボーグの中間体であるバイオロイドが生み出されるという流れは実際に見られるかもしれない。


テクノロジーを用いて、人間が暴走する主要因である欲望を取り除き、シャドーを取り除いてしまうというのは確かに実行されうる手段である。一方で、本作品の中でも見られたが、人間もバイオロイドも、取り除いてしまったものを再度取り戻すような動きを見せるというのもあり得そうなシナリオである。


さらには、バイオロイドを生み出すことに反対する人間と賛成する人間同士の争いだけではなく、人間とバイオロイドの争い、さらには人間性を回復しようとするバイオロイドとそれに反対するバイオロイドの争いなど、種々の争いが想定される。


進化の原理として掲げられる弁証法的発達というのは、既存の問題を解決した瞬間に新たな問題を私たちに突きつける。人間とバイオロイドが共存する社会に対してもさらに高度で複雑な種々の問題が突きつけられるのだろう。

そして本日見た作品の中では、トランスパーソナルな段階における病理、とりわけワンネスを希求する際の問題が浮き彫りになっていたように思う。端的には、人、バイオロイド、サイボーグの間に見られる個体差を超越し、1つの意識体になることを盲目的かつ過度に追い求める結果、本来一者に向かう道と同様に大切にされなければならない多者の道が完全に蔑ろにされてしまうという問題が本作の中で描かれていたのである。


1つの意識体になって世界を統一しようとするのは、本作の登場人物も述べていたように、歪んだ平和思想であり、そのような形で統一された世界は、多者が不在の、すなわち結局は多者も一者も不在の世界となってしまうのである。

その他にも、本作品の中で、人、バイオロイド、サイボーグの意識が等しく乗っ取られる姿を見ながら、ウィルバーが提唱した“IOU(Incomplete Or Uncertain)”の原理について考えさせられた。今後、AIやブロックチェーンの技術が社会に次々と実装されていく中で、そこでの管理・運用には、必ず不完全性と不確実性の問題に突き当たるだろう。


確実に見えるものは不完全であるという点を見誤ると、諸々の技術が誤作動した際に私たちは大惨事に見舞われてしまうのではないかと思う。完全に制御できているように思える場合には不確実性が必ず内包されていて、確実性が高いように見える場合にはそれは必ず不完全であるということを忘れてはならない。ウィルバーの指摘はそのようなことを忘れてしまうことに警鐘を鳴らしている。フローニンゲン:2021/4/30(金)20:07

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