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6856-6858: アートの国オランダからの便り 2021年4月26日(月)


No.2172 絡み合う光_Entangled Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.557, Early in the Morning

It’s early in the morning now.

A crystal clear sky welcomes me.

The beginning of a new week makes me fresh.

I come to imagine that something new would happen to me.

Groningen; 06:15, 4/26/2021


No.558, A Meditative State

I feel as if I were in a meditative state now.

Recently, I’ve felt that I’m always in that kind of state of consciousness.

The incessant meditative state would be a specific sign about the development of my consciousness.

Groningen; 21:15, 4/26/2021


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6856. 今朝方の夢

6857. 照らす光/変化する自己

6858. エネルギーと自己及び創作/ウィルバー·コムズの格子と詩


6856. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。起床直後から暖房が自動で作動しており、それでも今日は寒いなと思って気温を確認したところ、外気はマイナス1度だった。


5月を迎えようとしているのに、まだマイナスの気温になることに改めて驚かされる。気温は低いが、幸いにも今日は天気が良いようなので、それに期待したい。


今朝方見ていた夢を早速振り返り、朝風呂に入りながら再度夢を想起し、2回ほどドリームワークを行うことが新たな習慣になろうとしている。


今朝方の夢。夢の中で私は、空港近くの大きな倉庫にいた。そこは倉庫だが、中は明るく、いろいろな物が置かれていて、私は自分が送った荷物をそこで受け取ろうと思った。


海外からの引っ越しに際して、大きなスーツケースを3つほど送っていたようであり、それ以外にも土壇場で紙袋に詰め込んだ書籍や衣類なども受け取る必要があった。


荷物置き場の一角に、スーツケースを置いている箇所があったので、そこを探した。すぐに見つかるかと思っていたが、そうではなく、くまなく探してやっとのことで全てのスーツケースを見つけた。紙袋に入れていたはずの書籍や衣類は外に溢れていたようであり、段ボールに入れられていた。


そこで突然、その場がガレージセールの場所となり、自分が段ボールに入れていた物を寄付することにした。段ボールの前には、小中高時代の友人(MF)がいた。


段ボールの中には和書しか入っておらず、和書はもう当分読まないであろうから、どんな本でも持って行って構わないという気持ちでいた。すると彼は、和書の中から一風変わったものを選んだ。1つは和尚(ラジニーシ)の神秘思想に関する書籍であり、もう1冊も人間の心や意識に関するものだった。


それらの書籍は確かに面白いのだが、彼もそうした分野に興味があることを、私はその時初めて知った。しばらくすると、段ボールの中の書籍はほぼ全てなくなり、残ったのは数学に関する書籍とインテグラル理論に関する概略書だった。


知人が出版したインテグラル理論の概略書は大変わかりやすく、内容も素晴らしかったので、なぜ誰も持っていかないのか不思議であったが、むしろもうその概略書は多くの人が持っているのかもしれないと思い直した。


ガレージセールが終わり、持って帰る予定だったスーツケースがあまりに重く、タクシーを呼ぼうと思った。すると私はどういうわけか、もう倉庫の外にいて、手ぶらなまま空を飛び始めた。倉庫の周りにはよく手入れされた街路樹が植えられていて、その上を飛び越えていく形で別の建物に向かった。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面も1つ前の夢の場面とどこかつながりがあるようだ。次の夢の場面では、私は空港の倉庫近くにある立派なコンサートホールのような場所にいた。そこで自分の研究テーマに関する学会発表が行われることになっていた。


私はその発表を、小中高時代の友人(YU)と行うことになっていた。そのプレゼンは2人1組の組みが2つ登壇し、最初に2組のプレゼンを行って、そこからは対話を通じて研究テーマについて理解を深めることが目的になっていた。私たちの対話相手は、スウェーデン人の2人の女性研究者だった。


発表を行うのはステージ上のなのだが、そのステージが変わった作りになっていて、物見櫓(ものみやぐら)のように途轍もなく高かった。プレゼンがもうすぐというところで、私は自分が発表を担当する箇所が違うことに気づいたが、何も動じることなく、新たに担当することになった箇所もその場で即興的に話せばいいかと思った。


友人は英語でのプレゼンに慣れていないようだったので、直前まで緊張した面持ちで何度も原稿を確認し、ぶつぶつと発表の練習をしていた。一方の私は、原稿などそもそも持っておらず、新たな発表箇所については、何を話すことになっているのか知らない状態だったが、それでもその場で何か話せるだろうと思っていて、発表よりも自分が着るべきワイシャツが見当たらないことの方が大切なことだった。


辺りを見渡しても、先ほどのリハーサルで来ていたライトグリーンのワイシャツが見当たらなかった。辺りをくまなく探しても見つからず、それでいて発表時間が迫っていたので、控室の棚に置いていたその他の自分の荷物の中から、代わりになるようなシャツを着ようと思った。


だが、それらはどれも仕事用ではなく、カジュアルなものだったので、見栄えが少し気になったが、登壇するステージの高さがとても高かったこともあり、観客席からはあまり自分の格好は見えないだろうと思った。そのため、本来着ようと思っていたシャツを着ることを諦め、代わりのシャツを着ようとしたところ、自分のシャツを持ち逃げしたであろう小中学校時代の同級生の女子が控え室に姿を現した。


私は彼女を問い詰めようとしたが、彼女はすぐさま何も言わずその場から逃げ出そうとした。私は大きな声を出して彼女を呼び止めようとし、後を追ったが、彼女はスッと消えてしまい、彼女を捕まえることができなかった。


今朝方はそのような夢を見ていた。今から朝風呂に入りながら、細部についてもう少し思い出してみたり、夢の中の感覚を再び感じてみようと思う。フローニンゲン:2021/4/26(月)06:10


6857. 照らす光/変化する自己


光。朝日が部屋に差し込んでいる。それはとても暖かく、全てを優しく包むかのようである。


部屋に差し込む朝日を感じていると、それは自分の内側に差し込む光でもあることに気づく。内側に光がやってきて、それは内面世界の全てを優しく抱擁している。


人に光を与え、世界に光をもたらす存在について考えていた。過去の偉大な宗教人や賢者の姿がふと湧き上がってくる。


自分にもわずかばかりでいいので他者に光を与え、世界に光をもたらすことはできないだろうかと考える。それを考えさせたのはとても自発的な内的運動だった。


このところ、自分が自分自身を捉える眼だけではなく、世界を認識する眼も随分と変化していることに気づく。そもそも、自分を捉えるその自分というものが純化されていて、どこか外面世界に溶け出していきそうなのだ。


外面世界と一の自己がここにいて、その自己を通じて開示される多様な事柄を日々認識していると言えば正確だろうか。外面世界への認識についても、その眼は以前とは随分と異なるように思える。


見えていないことを挙げればキリが無いが、これまで見えていなかったことが色々と見えてきていることは間違いない。というよりも、見える見えないという二分法的な発想で世界をそもそも見ておらず、世界からの立ち現れに立ち会うという意識で、世界が開示してくれるものと可能な限り広く深く接する自己がいるように思う。


その他にも、ここ最近は非二元へアクセスする機会が増しているように思う。非二元へのアクセスが増せば増すだけ、それが開示する絶対的真実の存在について思いを巡らせる。


また、日々の探究活動や創作活動は、絶対的真実ではなく、相対的真実の拡張過程として営まれているが、そこには相対的真実の階層構造が見られることを忘れてはらない。それらの活動は、相対的真実の階層構造をさらに深いものにしていく営みなのだ。


さらには、探究活動や創作活動にせよ、それらは絶対的真実に近づくプロセスでもあることを見逃してはならない。この点についてより厳密に言えば、それらの活動そのものが絶えず非二元性の中で、あるいは非二元として行われているのであるから、非二元に近づくという表現は妥当ではなく、それらの活動は絶えず非二元に触れたものだと述べた方が正確だろう。


今週と来週はオンラインミーティングを含め、一切の仕事がないので、自分の取り組みに大いに時間を充てることができるだろう。今日は午後に、1階と2階に掃除機をかけようと思う。感謝の念を持って掃除をすることは、この家への大切な奉仕であり、そうした奉仕があるからこそ、この家は返礼として自分に奉仕してくれるのだろう。フローニンゲン:2021/4/26(月)08:20

6858. エネルギーと自己及び創作/ウィルバー·コムズの格子と詩


静けさに満ちた昼下がりのフローニンゲン。穏やかな太陽の光が地上に放射しており、生命はその恩恵を存分に享受している。


先ほど、もし仮に自己の存在をエネルギーの観点で見れば、物理的な肉体が滅んでも、熱力学第一法則(エネルギー保存の法則:エネルギーの形態が変わっても、エネルギーの総量は変わらない)上、肉体を維持していたエネルギーは形を変えて、精神的、あるいは霊的なエネルギーとして存在し続けるのかもしれないと考えた。


個人に内包されたエネルギーの総量が変わらずに、そのような形として変化すると考えてもおかしくないだろうし、仮にエネルギーを司る存在が肉体も精神も消滅すると考えたとしても、何らかの形でその存在が持っていたエネルギーは他の存在に受け継がれていくのではないかと思った。この点において、エネルギーは作り出されることも、消えることもなく、常に不変に保存され、伝承され続けていくものなのではないかという考えが降ってきた。


生命は、秩序あるエネルギーを取り入れて、無秩序なエネルギーを放出する。とりわけ熱や光に関して考えてみるとすぐにそれがわかり、このことは創作活動にも当てはまることのように思えた。


創作活動に従事するためには秩序ある活動エネルギーが必要であり、生み出される創作物もまた一定の秩序を持ったものなのだが、そうした形あるものを生み出した瞬間に、それは無秩序に向かっていく運動を始める。そこでは無秩序なエネルギーが放出されているのではないかと思ったのだ。


そしてそれが再び秩序あるエネルギーに変換されていき、創造活動は永遠に続けられていく。そのように考えてみると、自分はこうした創造プロセスの流れの中にいるのかもしれないということがわかるし、そのプロセスそのものであることもわかる。


午前中、「ウィルバー·コムズの格子」に様々な詩をマッピングしていくことを思いついた。1階の玄関のフロアに依然として積み重ねられている段ボールの中から、詩集を2階に持っていった際にそれを閃いた。


まずはシュリ·オーロビンドやタゴールの詩、ルーミーの詩などに対して、そのアイデアを適用してみようかと思う。ただし、ウィルバー·コムズの格子上、自分の関心領域としては、少なくとも第二層の意識段階や目撃者や非二元の特性が体現している詩であることに留意しておこう。


意識段階と意識状態の観点から、高度な段階や状態が体現された詩を見つけた都度、それをエクセルか何かを用いながらウィルバー·コムズの格子上にマッピングしていきたい。可能であれば、第三層の意識段階についても細かく分類した上で詩を分析し、精緻なマッピングをしていきたい。


そして、時に詩には詩人の精神病理的な側面も垣間見ることができるので、そうした病理がどの段階·状態から生まれたものなのかも突き止め、そうした詩も格子上にマッピングしていきたい。そうすれば、詩を通じて現れた意識の一大地図を作ることができるだろう。フローニンゲン:2021/4/26(月)13:17

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