No.2112 壮麗な朝花_A Glorious Morning Flower
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.516, Rebirth
I was reborn again.
The dream that I had last night is so intense in an existential and spiritual sense.
It definitely implies my rebirth.
I may have foreseen the dream before I went to bed last night.
Groningen; 07:11, 4/12/2021
No.517, Unaddressed Letters
I’m writing this as if I were sending a letter to someone.
Not only this but also a series of my past writings could be unaddressed letters.
Each of my letters would be stored in a particular cosmic address.
I hope my letters will help someone somehow in the future.
Groningen; 21:58, 4/12/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6818. 来たるガーデニングのシーズン
6819. 今朝方の夢
6820. 自然法爾
6818. 来たるガーデニングのシーズン
時刻は午前6時を迎え、今、フローニンゲンの夜がゆっくりと明けようとしている。午前5時の時点で空はダークブルーに変わり始めていて、入浴を楽しんでいた5時半ごろには、空がゆっくりと起床に向かっていた。
今朝方は天気が良かったので、暗い朝空の中に星を見つけることができた。いつも1つだけとても強い輝きを放っている星がある。その名前は知らないが、その輝きを見れた時の静かな幸福が今朝方にあった。
今の気温は0度と低いが、今日は昼まで天気が良いらしく、午後から夕方にかけて小雨が降るという予報が出ている。最低気温は相変わらず低いままだが、今週の金曜日からは最高気温が10度を越してくるようだ。
春に向かいつつあるフローニンゲン。そろそろガーデニングのシーズンがやってくる。
昨日、同じ敷地内に住んでいるインド人のサハルが、マークと同様に、一緒にガーデニングをしようと持ちかけてくれた。敷地内にはグリーンハウスとその外側に花壇があり、グリーンハウスで何か野菜か果物を育ててみることをサハルからも提案されたのである。
マークの時と同様に、それは嬉しい誘いであり、以前より何か育ててみたいと思っていたので、サハルとマーク、そしてオーナー夫妻たちと一緒に何かを育ててみることにした。
するとサハルが、「種を買いに行く必要はないよ。ここにあるからね。なんでも好きなものを使ってくれ」と述べた。サハルが手に持っていたのは、野菜や果物の種々の種だった。どうやらそれらの種は友人から貰ったらしかった。
最初私はトマトでも植えてみようかと思ったが、サハルが持っている種を見た時、ほうれん草の種があることに気づき、ほうれん草を育ててみることにした。今夕食の際にケールかほうれん草を毎日食べていて、自分で作ったほうれん草をぜひ食べてみたいと思ったのである。
それらの種とセットになっているらしい1枚の紙をサハルが見せてくれた。そこには、種まきの目安の時期や収穫の目安の時期が一覧表としてまとめられていた。見ると、ほうれん草はそろそろのようだ。その表にせよ、種の袋にせよ、全てオランダ語表記になっていたので、種まきや収穫の目安の時期は、オランダの気候に合わせたものだろうと思われる。
ガーデニングを通じて同じ敷地の居住者とコミュニケーションできるというのは素晴らしい。何かを一緒に育てることを通じて交流していくこと。そこには何か共同体形成の重要な事柄がありそうに思える。
昨日、サハルの4歳の息子のフィンと遊んでいると色々なことを思った。兎にも角にもこの年齢の子供の純粋さに心を打たれ、フィンのことがとても可愛らしく思えた。彼もまたこのコミュニティー内の様々な大人との交流の中で成長していくのだろう。
そして何より、フィンと交流する大人たちも色々なことに気付かされ、自身の成長を促されるはずである。まさにそこには相互発達的な交流があるはずなのだ。
小鳥たちがとても美しい鳴き声を上げている。彼らがいる方角は、ちょうどグリーンハウスがある方向だ。
ちょうど2階の仕事場からグリーンハウスが見える。敷地内でグリーンハウスの最も近くに住んでいるのは自分であり、サハル曰く水やりは当番制にするとのことだったが、自発的に毎朝グリーンハウスをチェックしに行くような気がしている。
そういえば身近にこのようなことを毎日行っている人物がいたなと、朝風呂に入りながら思っていた。それは自分の父である。
父のように、自分が育てている植物を毎朝見ることが、何か自分のこれからの生活の日課になりそうである。自分の精神の中に父の精神が宿っていることを確かに見てとる。
育て、育てられ、そして継承されていくということ。それは人間の営みの中でもとても尊いものの1つだろう。フローニンゲン:2021/4/12(月)06:31
6819. 今朝方の夢
洗濯機が回る音が聞こえてくる。洗濯が終わるのは間も無くだろうか。
小鳥たちの鳴き声を聞きながら、洗濯スペースで洗濯物を干すこともまた1つの楽しみとなった。楽しむという観点で言えば、先日届いた足ツボマットを使うこともまた日々の楽しみである。
これが実によく効く。突起物がまさに針のような細かさなので、針の上に乗っている感じがして、その刺激がたまらない。
元々健康的な生活を送っていることもあり、身体の状態も良好なのだが、それでも足の裏を最初に刺激した時には痛さがあった。今は慣れてきているが、本当によく効くマットなので、長時間は乗ることができない。
ヨガマットの上にそれを敷いて、背中や肩、そして首などのツボを刺激する際にも同様である。毎日程よくこのマットと付き合うこともまた1つの楽しみだ。
ゆっくりと明けゆく朝空を眺めながら、今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、何か実存的、あるいは霊的爆発体験をしていた。
自己がはち切れんばかりのエネルギーが臨界点を迎え、膨大なエネルギーを放出することを通じて自分が新たに生まれ変わっている内容の夢があった。その時に、数名の見知らぬ人たちが周りにいたのだが、自分は彼らを気にすることなく、その大きな再生誕のプロセスを遂げていた。
その次の夢の場面では、私は屋外のフットサルコートにいた。ただしコートは芝ではなく、砂利まじりのものだった。
そこで、小中学校時代の友人たちと楽しげにフットサルの試合をしていた。どうやら学内のスポーツフェスティバルか何かの一貫で試合をしているようだった。
相手にはバスケ部の仲間が数名いた。そして、自分のチームをコートの外で応援してくれている人物の1人に野球部のキャプテンを務めていた友人がいた。
私は終始リラックスして楽しく試合をしていて、そうした状態でも前半に1点入れた。前半は1点で折り返すことになった。
すると、野球部のキャプテンを務めていた友人が、もう1点入れろと激励してくれた。彼の励ましのおかげで、後半は追加点を奪おうかなという気持ちになった。
後半が始まるまでに時間があったので、ハーフタイムに近くのその他のコートの試合の様子を見ようと思った。そこでは中学校時代に最も身長の高かった友人と、高校時代に最も身長の高かった友人が別々のチームとして対戦していて、彼らのチームのメンバーはその他にも運動神経の良かった友人が数多くいた。私は直感的に、彼らが優勝候補だと思った。
彼らもまたフットサルをしていたのだが、一瞬私が視線をコートから逸らすと、どういうわけか競技がドッチボールに変わっていた。しかも、コートの上には鉄格子があり、背の高い2人の友人は頭をぶつけそうであった。外野にボールを投げると、それが鉄格子にぶつかってしまい、相手のコートにボールが行ってしまうこともたびたびあった。
私は外野で試合を見ていたのだが、なぜか自分めがけて物凄い速さのボールが飛んできた。それは明かに私を狙ったものだったが、私は左耳と左肩でボールを挟む形で難なくボールを受け止めた。
ボールを投げた人物は誰かと思って、ボールが飛んできた方を見ると、中学校時代に最も背の高い友人が私めがけてボールを投げきてたようだった。すると不思議なことに、彼と高校時代に最も背の高かった友人が入れ替わり、今度は彼が私を狙ってボールを投げようとしていた。
その代わりに、先ほど私めがけてボールを投げた友人が私を守るために私の真前にいた。その優しさは嬉しかったが、どんなボールが飛んできても軽く受け止めることができると私は思っていたので、相手に好きに投げさせろと彼に伝えた。
そこで夢の場面が変わった。今朝方のどちらの夢も印象に残っている。
前者の夢について言えば、自分が再生誕するまでにもう少し色々な場面があったように思う。それらを思い出すことができないのは残念だが、夢の主題、及び夢の中の感覚はとても強く印象に残っていた。フローニンゲン:2021/4/12(月)06:57
6820. 自然法爾
時刻は午後5時半を迎えた。今から夕食を作ろうと思う。
今日は晴れたり雪が降ったりを繰り返す変動が激しい天気だった。午前中はすこぶる天気が良かった。
晴れの日の朝はキッチン側の大きな窓から太陽の光が一杯に差し込んで来て、窓から差し込む朝日を浴びると本当に気持ちが良い。午前中はキッチン側の窓辺の陽だまりで書物を音読して過ごす時間が多かった。
そこから昼前には突然あられのような雪つぶてが降ってきて、一瞬にして外の世界が真っ白になった。それはとても短い時間だったが、先ほどまで晴れていたところから白い世界に変わる変動の激しさは、それはそれで魅力的であった。
午後も晴れ間が見えたり、再びあられのような雪が降ってきて今に至る。今は優しい夕日の光が地上に降り注いでいる。
今は不思議と言葉が出てこない。言葉が影を潜めて、その代わりに言葉にならないような感覚が自分の内側に溢れている。今この瞬間の自分は、そうした感覚で満たされているのだ。
その感覚に気づきの意識を向けてみると、どうやらそれは感謝の念が混じっていることがわかる。このところ、感謝の念を持った祈りのような行為を自然と行う自分がいることに気づく。
日常のふとしたときや、風呂に入っている時、夜寝る前にベッドで仰向けになっている時などにそうした祈りのような行為を行っている。
今日はどうやら小鳥たちは夕方に鳴き声を上げることをしていないようだ。彼らもまた休憩をする日が必要なのだろう。
鳴きたい時に鳴けばいいのである。それが自然法爾を体現した生き方である。
人為を捨て、あるいは人為を超えて、自己を超えた存在に自己を明け渡しながら生きること。明日からもそうした毎日を過ごしていく。
そのような誓約をしたところで、1羽の小鳥が鳴き声を上げた。
呼応。その小鳥との間に呼応が生まれたのだろうか。
おそらく人為を放棄して明け渡しを行なったが故にその小鳥は鳴き声を上げてくれたのだろう。その贈り物ような鳴き声に耳を傾けながら、今から夕食を作り、それを感謝の念と共にいただこうと思う。フローニンゲン:2021/4/12(月)17:45
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