No.2107 光の中へ_Into Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.510, Wave Sounds
I can hear wave sounds from somewhere at this moment.
They are so peaceful and mellifluous .
I realize that those sounds come from the inside of myself.
Groningen; 07:33, 4/10/2021
No.511, Inner Light and Sounds
I’ve recently perceived inner light and sounds quite often.
It could be an important sign of my spiritual development.
The light is so bright, and the sounds are so euphonious.
Groningen; 07:37, 4/10/2021
No.512, Time Was In Me
I had an unforgettable experience today.
I went to the city center for shopping before noon.
All of a sudden, time was in me.
I was not in time, but time was flowing inside me.
After it happened, indescribable bliss came to me.
I can’t forget this experience.
Groningen; 22:04, 4/10/2021
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本日生まれた3曲
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タイトル一覧
6811. 足ツボを通じたサトルボディの調整と涵養/味噌について
6812. 今朝方の夢
6813. 壮麗さと荘厳さの中で
6814. 時からのギフト
6811. 足ツボを通じたサトルボディの調整と涵養/味噌について
時刻は午前6時を迎えた。つい先ほど朝風呂から上がって来て、今身体が火照っている。
昨日届いた足ツボマットを仕事場のスタンディングデスクの下に置き、今それを踏みながらこの日記を書いている。それにしても、この足ツボマットは本当に効く。
針のような突起がとても細かく、それが無数にマットに付着している。それによって、足裏の小さなツボまで刺激できるようなのだ。
足ツボそのものはグロスボディに属するが、それら1つ1つはサトルボディのエネルギーポイントに対応している。この足ツボマットを毎日使っていると、サトルボディが調整·涵養されていくであろうことを確信している。
購入した製品には足ツボマットに付随して、枕のようなネックマットと、ツボを刺激するための2つのボールが付いていた。昨夜はヨガマットの上に、そのネックマットを置いてみて、首や肩の部分のツボを刺激してみたのだが、これもまたとても効いた。
首や肩が凝らないようにできるだけ気を付けて生活をしているが、自分のライフワークの都合上、それを避けることはできない。嬉しいことに、このネックマットを使うと、首や肩がとても軽くなる。それを昨夜実感した。
今の気温は3度であり、日中は8度まで気温が上がるらしい。来週の水曜日から最高気温が再び10度を越して来る。フローニンゲンもゆっくりと春に向かっている。
今日は夜まで天気が持つようなので、昼前に街の中心部のEkoplazaに行き、八丁味噌を購入しようと思う。近所のEkoplazaには麦味噌と玄米味噌はあっても八丁味噌がないので、今日街の中心部のEkoplazaに足を運んだ際には、いくつか購入して冷蔵庫に保存しておこうと思う。その他にもヨーグルトに入れるジャムを購入しておこう。
数日前に3種類の味噌について調べたところ、やはりこれまで食べていた八丁味噌には、他の味噌にはない固有の成分があることがわかったので、今後も定期的に街の中心部のEkoplazaに行って八丁味噌を買いだめしておこうと思う。毎回2、3個ぐらい購入すれば、5週間に1回髪を切りに行く際に補給すればちょうどいいだろう。
八丁味噌は大豆を原料にしていて、大豆を100%使用していることもあり、タンパク質が他の味噌よりも多い。肉や魚を食べない自分にとってはタンパク質を得ることは重要である。
またそもそも味として、うまみ成分のグルタミン酸が豊富であり、毎朝ベジブロスのスープに八丁味噌を入れて、その深みのある味を味わうことは1つの楽しみである。今日もまた後ほどそれを味わう。
小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。今日もまた自分の取り組みを焦らず前に進めていこう。フローニンゲン:2021/4/10(土)06:23
6812. 今朝方の夢
1階の洗濯機の回る音が収まり、洗濯が最終工程に入っているようだ。今日から3日に1回ではなく、2日に1回のペースで洗濯をすることにした。その際に、枕カバーもこまめに洗うようにしている。
時刻は午前6時半を迎え、ゆっくりと朝を迎えようとしているフローニンゲン。小鳥たちの泣き声が遠くの方から聞こえ始めて来た。
物事にもツボがあるのと同じく、身体にもツボがあることを興味深く思う。先ほど、首や肩の周りのツボについて調べてみたところ、その辺りにも随分とツボがあることがわかり、早速そこを刺激することにしてみた。
2階にヨガスペースを設け、そこにヨガマットを敷いたままにしていて、いつでもヨガが行えるようにしている。ヨガマットの上に、足ツボマットを置き、それと首や肩周りのツボを刺激するネックマットを置いて、早速横になってみた。
服を着ていると刺激が弱まってしまうので、ちょうどまだ朝風呂の効果で体が温かったので、上半身裸になってマットの上に寝てみた。足ツボマットの方は元々背中のツボも刺激できるように縦長になっているので、背中にも数多く存在するツボを刺激することができた。これまた非常に効く。
朝と夜の風呂上りには体が暖かくなっているので、上半身裸になってヨガマットの上にした足ツボマットの上に横になってみようと思う。日中においては、ヨガマットの上でシャバーサナのポーズをしながら、ネックマットを活用して休息を取るようにしてみるのもいいかもしれない。体のツボを刺激することによって、ここから心身がどのように調整されていくのかを観察していきたいと思う。
今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない空間にいた。そこは学校の教室のようにも見えるが、少しばかり雰囲気が違う。大きなリビングルームのように見えるが、そこが誰のものなのかわからなかった。
そこで私は、小中学校時代の2人の友人と話をしていた。その話の中で、1人の友人が偶然ながら私が作曲していることを知り、どのように曲を作っているのか知りたいと述べた。
私は自分の作曲プロセスを説明し、ちょうど先ほどバッハの曲を参考にして1曲作っていたので、それを聴かせることにした。すると、私たちの周りにどんどんと人が集まって来て、私は音楽理論の解説を始めることになった。とりわけ、和音の話を熱心にしていたのを覚えている。
次の夢の場面では、私は見慣れない街を歩いていた。そこは日本のようである。
ひょんなことから、小中高時代の友人と大学時代のゼミの友人の女の子が付き合いを始めたらしく、私は2人と一緒に近くの和菓子屋かつ和食屋に立ち寄ることにした。その店の前に1台の自転車が置かれていて、サドルを見ると、そこにその日の朝刊が置かれていた。
新聞の方をちらりと見ると、一瞬文字が全て韓国語に見えたが、どうやら中国語のようだった。私はずっと、この店の店長は日本人だと思っていたのだが、どうやら在日中国人だということに初めて気づいた。
その店は街角にポツリと存在していることもあり、店自体はとても小さい。店内で食べることはできず、外のテーブル席で料理を食べることになっていた。店に入ると、カウンターに店長の奥さんがいて、店長は厨房で料理を作っているようだった。
私たちはカウンターにいた奥さんに挨拶をし、和菓子を注文しようと思った。しかし時刻はちょうど昼時だったので、蕎麦でも食べていこうということになった。まず友人の2人が注文し、先に会計をしようとすると、どうやら小中高時代の友人は財布を忘れたらしかった。
彼は彼女に払わせるわけにはいかないと思っていたようだが、彼女の方が財布を取り出そうとすると、彼女もまた財布を忘れていたようだった。彼女はちょうどその店から近くのところに住んでいたこともあり、彼女は財布を家に取りに行くと述べてその場から消えた。
どういうわけか私も会計をすることもなく、また財布を確かめることもなく、その場に佇んでいた。すると、厨房からカウンターに料理が運ばれて来て、店長の奥さんが私たちに蕎麦を3つ持って来てくれた。私たちは屋外のテーブル席に案内された。
彼女がまだ戻って来ていなかったので、蕎麦を先に食べるわけにはいかず、しばらくそこで待つことにした。すると、いつの間にか彼女が戻って来ており、もう席に着いて彼女は私の目の前にいた。そして私の横を見ると、彼女の後輩の女性がいた。
そこから私たち4人は一緒に食事をすることになった。どうやら彼女の後輩は、今度イタリアの大学院に留学するとのことだった。どの街に住むことになったのか尋ねてみたところ、あまり聞いたことのない街だった。
彼女の後輩は、そこでアートについて勉強するとのことだった。どのような観点でアートを学びにいくのか関心があったので色々と質問してみたところ、芸術教育について一番関心があるようであり、大学院修了後は、学校を作る思いがあるらしかった。
そこからはたわいもない話となり、イタリア人男性の女性好きの話となり、その街には名物のスポットがあるようだった。それはバーのような店であり、その店は男性が女性をナンパするためだけに存在しているらしかった。その店の名前のイタリア語はどこか聞き覚えがあったが、すぐに忘れてしまった。
私は友人の後輩の女性の話を聞きながら、失礼なことだが、私たちよりも若いはずなのに随分と老けているように見えた。話をしている彼女の表情そのものは明るいが、シミやシワなどが老年期前の女性のそれのようだった。
そのようなことを思っていると、大学時代の女性の友人が突然耳鳴りのようなものを起こし、突然その場から離れて物陰に隠れた。小中高時代の友人は、彼女に起こったその出来事をなんとも思っていないようであり、いつものことかと平然としている。
私は彼女のことが心配になったので、近寄って声を掛けてみると、彼女は何かに怯えているようであり、宇宙から、あるいは超常的なものから何らかのメッセージを受け取っているようだった。私は、彼女にそのような特質があることを初めて知り、少しばかり驚いた。
するといつの間にか私たち4人は真っ白な部屋の中にいて、そこでも食卓を囲んでいた。ふと部屋の天井を見ると、天井の四方八方に監視カメラが取り付けられていてとても薄気味悪かった。誰かにずっと監視されているような感覚があったのである。
今朝方はそのような夢を見ていた。最初の夢にせよ、続きの夢にせよ、もう少し細かな情景描写があったように思うが、覚えている重要な部分については概ね記述したものになる。
最後の夢については、少しばかりシャドーワークが必要のように思えたので、朝風呂に入りながら、夢を回想する過程の中で夢のシンボルの意味を少しばかり解きほぐしていた。フローニンゲン:2021/4/10(土)07:02
6813. 壮麗さと荘厳さの中で
フローニンゲンの街に鳴り響く壮麗な鐘の音。それは街のシンボルであるマルティニ教会から同心円状に放出された。
時刻は正午に近づいて来ている。先ほど、街の中心部に買い物に出かけて来た。
今日は午後2時から、新居で初めてZoomを用いて知人と少しばかり話をすることになっている。そのため、今日は昼前に買い物に出かけた次第だ。
普段土曜日にはあまり買い物に出かけないのだが、今日買い物に出かけてみて色々と発見があった。この街の落ち着き。平日においてもフローニンゲンは平穏さと落ち着きが常に漂っていて、街を歩く時の気分はいつも軽やかである。
土曜日である本日は、平日以上に平穏さと落ち着きがあった。街を歩く人々の表情は幸せそうであり、街に幸福さと愉快さの双方が満ちているように感じられた。
この街の落ち着きに感謝の念を捧げるだけではなく、思わず敬意さえ覚えてしまうほどだった。これは大変興味深いことかと思う。
平穏な環境に感謝するだけではなく、そこに敬意の念を持つというのはこれまでなかったことのように思う。これもまた自分の中の内的変化の現れだろうか。
新居から街の中心部に向かう道は素晴らしい。まず最初にノーダープラントソン公園を抜けていき、その次に待っているのはNieuwe Kerkという厳かな教会である。
そして教会の前を通って道なりに歩いていけば、街の中心圏内に入り、フローニンゲン大学が誇る建築物と図書館が待っている。そこを抜ければ、活気のある中央市場に出会す。
これまで中央市場を利用する際にはもっぱら火曜日ばかりであったが、そういえば平日にはその他にも木曜日に市場がやっていて、土曜日にも開催されている。市場で食品を求める人たちの目はどこか輝いていて、とても楽しげであった。
この雰囲気を味わってしまうと、今後は土曜日に買い物に出かけたくなってしまう。土曜日の深い落ち着きと幸福感を味わうために、今後は土曜日の午後に買い物に出かけてみるのもいいかもしれない。
街の中心部のEkoplazaに到着し、幸いにも八丁味噌を入手することができた。この味噌は結構人気があり、以前店内で見知らぬオランダ人の客と立ち話をした際にその味噌を勧めていた。
いつもは1パックだけ購入するところを、今回は3パック購入した。これでしばらく八丁味噌は持つであろう。
帰り道、マルティニ教会から鳴り響く鐘の音を聞いた。それはあまりにも美しく、思わず教会の方を見てしまうほどであった。その時、教会の時計は11時半を示していた。
「霊的結界が作られている」思わずそのように思った。街のシンボルであるマルティニ教会が発する鐘の音は、音を通じて霊的な結界を作り、この街を守っているように感じられたのだ。
そして、この教会はこの街の人々にとって象徴的な役割を果たしているがゆえに、人々の霊性の支えになっていると感じられたのである。この教会は過度に世俗化されることなく、今なお荘厳な佇まいでこの街を見守り続けている。そう思わずにはいられなかった。
鐘の音にゆっくりと背中を押されながら自宅に戻る足取りはとても軽やかだった。今の自分は、マルティニ教会が生み出す霊的結界に守られながら、そしてこの街が築き上げて来た歴史に支えられながら生きているということを強く実感する。フローニンゲン:2021/4/10(土)12:07
6814. 時からのギフト
かすかな雨音が聞こえて来る。時刻は午後9時に近づきつつあり、新居で過ごす2回目の土曜日がゆっくりと終わりに近づいている。
この時間帯においてもまだ辺りは真っ暗ではなく、空は依然として青みを残している。ここから空は漆黒色と変わり、世界をまた違った形で包む。それはまた優しく世界を包むのだ。
闇の優しさに気づけるだろうか。それに気づけない限り、それを見抜けない限りは、この世界を深く生きることには片手落ちの状態である。
闇の絶対的な優しさ、いやそれはもはや慈悲と言ってもいいかもしれない。それに気付けなければ何も始まらず、それに気付けて初めて始まるものがある。
今日の昼前に感じたあの感覚を忘れることができない。今日、自分は昼前にフローニンゲンの街の中心部にいた。
フローニンゲンのシンボルであるマルティニ教会から発せられたあの鐘の音。それは同心円を描くかのように幾重にも霊音の波動を創造していて、この街はその結界の中にあった。
そして自分もその結界の中にいて、深く安住していたのである。
その感覚はもちろん深い印象を自分に与えた。しかし今自分が書き留めておこうと思ったのは、その感覚ではない。
時が自分の中を流れていくという感覚について書き留めておきたいと思ったのだ。マルティニ教会の鐘の音が自分の身体のもとに届けられ、自己がそれと同一化し、交感した際に、時が止まったのである。
時が止まり、その次の瞬間、自分が時の中にいるのではなく、時が自分の中にいる感覚がやって来た。信じられるだろうか。
自分が時の制約を受けて時の中に生きているのではなく、なんと時が自分の中にいて、時が自分の中で脈動するかのように生きているという感覚があったのだ。そのような感覚があった。
そしてそれは時が存在し得なければ訪れなかった感覚であるがゆえに、それは時からのギフトと言えるかもしれない。だが忘れてはならない。時からの最大のギフトは何なのかということを。
それは絶え間なく今というこの瞬間が継続しているということ、そして自分は今この瞬間という時として生きていることなのだ。
それが時からの最大のギフトだと言えないだろうか。自分はそれが時からの最大の贈り物だと思う。
先ほど、隣人のインド人のサハルからテキストメッセージがあった。昨日届いた荷物が郵便受けに入らなかったので、サハルが預かっていてくれていたのである。
郵便受けの不在票に、サハルの家の番号が付されていたので、午後に家の扉をノックしたところ、サハルはいないようだった。サハルからのメッセージを一切確認しておらず、実際にはサハルから今朝方メッセージがあって、今日の13時にうちに来てお茶かコーヒーでも飲みながら少し話をしないかという有り難い誘いがあったのである。荷物を預かってもらっていながら、家でお茶かコーヒーを振る舞ってもらうというのは本当に恐縮である。
先ほどこちらからサハルにメッセージを送ったところ、明日の11時から少しばかりサハルの家で話をさせてもらうことになった。息子のフィンも紹介してくれるとのことであり、2人に会うのが楽しみだ。
サハルは午後にはフィンと近所の公園に行くとのことだったので、あまり長居をしないようにしたいと思う。実は今日もまたいくつかアマゾンから購入したものがあり、今後もサハルには荷物の預かりでお世話になることがあるだろう。
今度はいつかサハルとフィンを自宅に招きたいと思う。それはもう1人の隣人のマークもそうであり、オーナー夫妻も自宅に招き、ゆっくりと話をしながら関係を深めたいと思う。
いつから自分は人を自宅に招き、自ら率先して対話をするようになったのだろうか。フローニンゲンで積み重ねて来た歳月が、あるいはこれまでの欧米での10年間の生活の堆積が自己をそのように変容させていったのかもしれない。
絶え間ない今として生きること。自己の存在はまさに今こことしての時間なのであり、それとして生きることの大切さと尊さを思う。
あぁ、もう少しで浴槽に湯が張り終わる。今日もまたゆっくりと浴槽に浸かりながら、星空を眺めよう。フローニンゲン:2021/4/10(土)21:16
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