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6751-6753: アートの国オランダからの便り 2021年3月21日(日)


No.2024 夜光のマンダラ_A Mandala of Noctilucence

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.459, An Inner Flower Garden

A morning scent at this moment is very aromatic.

It stimulates the depth of my soul.

The aroma makes an inner flower garden open.

A number of butteries and birds are enjoying in the garden.

Me, too. I’m also enjoying in the secret garden.

Groningen; 07:11, 3/21/2021


No.460, Beyond Atman and Anatman

Whatever I describe myself, I cannot fully define what I am.

It is called atman.

Yet, I cannot also say that I am nothing.

It is called anatman.


I am beyond both of them.

Groningen; 14:08, 3/21/2021


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アート・ギャラリー

本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6751. 各種の住所変更を終えて/習慣化された音読

6752. 純粋経験と創作活動/今朝方の夢

6753. 情報的・技術的であることと教育的であることの違い/習慣について


6751. 各種の住所変更を終えて/習慣化された音読


時刻は午前6時半を迎えた。今日は一日中曇りのようだが、この時間帯はもう明るくなっている。


数羽の小鳥たちが静かな朝の世界で鳴き声を上げている。日曜日の朝のひと時。静けさに包まれた朝の世界の中で小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、黙想的な感覚に浸る。


いよいよ引っ越しまであと10日である。新居での生活は、今よりもさらに静かであり、それでいてより一層充実したものになるだろう。

昨日、引っ越しに際しての住所変更を行った。今回はフローニンゲン州内の引っ越しであるから、いちいち市役所に行って手続きをする必要がなく、フローニンゲンの市役所のウェブサイトから、DigiDを使って速やかに住所変更を行うことができた。


オランダ国内での住所変更について色々と調べてみると、いくつかわかったことがある。1つは、住所変更は引っ越しの4週間前から可能であり、引っ越しを終えて5日までに住所変更の届け出をしないと、最大で325ユーロの罰金が課せられるということだ。


その他には、オランダが電子化を進めて社会運営をしていて、事前にDigiDを通じて住所変更を行えば、他の公的機関には住所変更の連絡をしなくてもいいということである。


改めて調べてみると、市役所に住所変更の届出をすれば、税務署、移民局(IND)、商工会議所(KVK)にも連絡をする必要はなく、市役所の方からそれらの機関に連絡をしてくれるとのことだ。つまり、公的機関について言えば、市役所で住所変更届けを出しさせすれば、その他の機関にわざわざ連絡をしなくていいということである。

逆に言えば、公的機関以外のもの、例えば銀行、保険会社、電話会社への連絡は自分で行う必要がある。銀行の住所変更については、昨夜オンラインからすぐに変更を完了させた。


保険会社や電話会社については、引っ越しを済ませてからすぐに行おうと思う。おそらく、オランダを離れる際も同様に市役所に手続きをすれば公的機関については別途連絡をする必要はないと思われる。

この家で過ごせる時間が短くなってきたが、今日もまた充実した1日を過ごしていこう。探究活動と創作活動に今日も思う存分従事していく。


音読が日々の習慣的な行為となり、ウィルバーの書籍をすでに2冊丸ごと音読し、今日から3冊目の音読を行う予定だ。対象の書籍は、“Integral Buddhism”である。


新居に到着してからは、ウィルバーの書籍を全て音読を通じて読み返していこうと考えている。その他にも音読したい書籍としては、ロイ·バスカーの霊性思想に関する書籍などがある。また、先日初読を終えた、現代のマインドフルネスを取り巻く問題を指摘している3冊の書籍に対しても、再読時に音読をしていこうと考えている。


こうした学術書に加え、重要な詩集についても音読を行っている。音読だけではなく、例えば現在読み進めている“Posthuman Glossary”のような書籍に対しては黙読をしていて、2つの読書方法を色々と使い分けている。


自分の中でじっくりと向き合いたいもの、そこに書かれている事柄を深く体現したいものに関しては、基本的に音読を行う方針でいる。フローニンゲン:2021/3/21(日)06:59


6752. 純粋経験と創作活動/今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時半に向かっている。起床時に引き続き、小鳥たちの優しい鳴き声が聞こえてくる穏やかな朝の世界が広がっている。


小鳥たちの鳴き声に耳を傾けていると、主体としての自我の縮小を感じる。まさにキーガンが述べたように、人間の発達とは、主体の縮小過程かつ客体の拡張過程なのだが、発達のある種のオメガポイントを迎えると、主客が真に合一し、そこに寛ぐことができる。


今この瞬間の自分の状態は、それに近しいもののように思える。ところが、それは今このようにして文章で対象化してしまったので、真の意味で主客合一体験の中にもういないのだろう。


そのようなことを考えていると、日々の創作活動は、言葉が生まれる前の純粋経験に触れる営みであることに気づかされる。未分化の段階における主客合一ではなく、十分な差異化と統合化を経た上での主客合一としての純粋経験。創作活動は、そうした純粋経験を深める営みでもある。


今から執筆しようと思っていたドリームジャーナルは、ある種主客合一の状態からサトルの状態に移行した時に現れる豊かなシンボルを捉える営みである。その他にも、ユングのアクティブイマジネーションや、密教のマンダラ瞑想などもそうした営みとして捉えることができる。


日々、ドリームジャーナルの執筆、絵画の創作、作曲、そして言葉を扱ったとしてもそれを超越的な言語で内的感覚を形象化させる詩作に従事していると、純粋経験はますます深まるばかりである。


こうした純粋経験の深まりが、それを支える器の拡張を自然と促していく。そして、そうしたことに目を向け、気づきをもたらしてくれるのが日々の日記の執筆である。

今朝方の夢について振り返りをしたら、いつものように作曲実践を始めていきたい。今日の創作活動を通じて、どのようなものが形となって現れてくるのか非常に楽しみである。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校の体育館が2つ合わさったかのような大きな体育館にいた。どうやらこれからバスケの市の大会が行われるようであり、私は試合に向けた練習に励んでいた。


最後の調整として、1学年上の世代の副キャプテンと組んでスリーポイントシュートの練習をしていた。2人のこだわりとして、リングにボールを当てることなく、ネットとボールの摩擦によって生まれるあの固有の美音を発しながらネットに吸い込まれるようにシュートを決めることがあった。


しばらく先輩と練習をしていると、その後、ゴールの高さを倍にして、それを決めれば45点シュートとした。最初私は、それを決めればスリーポイントシュートの2倍ぐらいの得点でいいかと思ったが、挑戦してみると難易度が極めて高いことに気づき、15倍の45点まで得点を上げた。


しばらくシュートを打ってもなかなかゴールに入らなかった。すると、ある友人と見慣れない老師のような男性が、さりげなく私に助言をしてくれた。何やら、ボールの先端に重石を付けるといいらしいとのことだった。


私は2人の説明をもう少し聞くことにして、重石を付けてシュートを放ってみようと思った。すると、場面が小さく変わり、これからライバル校の別の中学校との試合が始まる時間になった。


こちらのチームの士気はとても高く、試合が始まってみると、いい感じでゲームに入れたと感じた。同じ学年の生徒たちが多数応援に駆けつけてくれ、それが私たちの士気を高めてくれ、試合は大きな盛り上がりを見せた。


そのような夢を見ていた。その他にも、同じ体育館の中で、スペインの名門サッカーチームのメンバーがフットサルを行っていて、その観戦を楽しんでいた場面があった。


片一方の名門チームには、小柄な選手が多いのだが、パスサッカーの思想と技術が深く体現されていて、フットサルにおいてそのチームは、サッカー以上に圧倒的な強さを発揮していた。そのような場面を思い出す。フローニンゲン:2021/3/21(日)07:49

6753. 情報的・技術的であることと教育的であることの違い/習慣について


時刻は午後8時に近づいてきている。今週末も静けさと共に始まり、静けさと共に終わっていく。今の家で過ごせる週末は、もう残すところ来週末だけとなった。

夕方にふと、どれだけ情報化が進もうと、どれだけ技術化が進もうと、それが教育的なものになるとは限らないことについて考えていた。端的には、情報的·技術的であることと、教育的であるということは異なるということだ。


どれだけ大量の情報にアクセスできるようになったとしても、どれだけテクノロジーが発達したとしても、情報やテクノロジーがさらなる成長や発達につながる教育的なものになるかどうかは別問題なのである。


インテグラル理論の観点で言えば、情報化·技術化は右象限における現象であり、教育的であるというのは左象限的な現象なのだ。それらの混同をしてはならず、情報的·技術的なものを教育的なものに変換していく真の試みがこれからますます必要になるだろう。

昨夜ネジ回しが届き、今朝方にコーヒーミルを修理しようとしたところ、結局コーヒーミルをうまく修理することができなかった。25種類ほどのネジの形に対応できるようなドライバーのセットを購入し、1つのネジは程なく外すことができたのだが、どういうわけかその他のネジがびくともしないほど固く閉められていて、もうお手上げ状態となった。


インターネット上でネジ回しのコツについて調べてみたのだが、それでもうまくいかなかった。そのため、明日の午前中に、そのコーヒーミルを購入した店に行き、新しいものを購入しようと思う。


一応製品保証が付いているため、保証が効くのかを定員の人に尋ねてみて、無理そうなら新しいものを速やかに購入したい。店は朝の9時半から開いているようなので、9時過ぎに自宅を出発しようと思う。幸いにも明日は晴れなので、ジョギングがてらその店に行くことにしたい。

コスモスの習慣が自分の習慣となり、自分の習慣がコスモスの習慣になるということ。2つの習慣は、相互に影響を与え合っていて、お互いの発達を促進している。


1日の作曲実践の始まりは、いつもバッハのコラールを参考にしており、気がつけばそれを随分長らく習慣として行っているように思える。それはもう変えることのできないぐらいの習慣になっていて、旅先であっても変わらずに、毎朝必ずバッハのコラールを参考にして1曲作っている。この習慣がもたらすものは大きい。


継続する習慣もあれば、見直す習慣もあり、そして新たに始める習慣もある。人は習慣と絶えず関係して生きていくことを宿命づけられた生き物なのかもしれない。


そうであれば、悪き習慣はできるだけ避け、良き習慣を増やしていくことを心掛けたいものである。これから再度行う音読は、良き習慣の1つだろう。フローニンゲン:2021/3/21(日)20:05

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