No.2004 春への想い_An Emotion for Spiring
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.439, Gratitude & Serenity
A feeling of gratitude is coming out from the inside of myself.
It shakes hands with serenity.
Gratitude and serenity united each other,
and then became me.
Groningen; 06:25, 3/1/2021
No.440, Questions and Evolution
I’m being evolved every day by questions asked from my life.
Each specific question develops a particular developmental line in me.
Groningen; 07:22, 3/16/2021
No.441, Be the Ever-Present Awareness
Just be aware of anything arising in the space of your consciousness.
Don’t stick to anything of it.
Continuing it for a while, you’ll notice the background ever-present awareness.
Just find it and be it.
Groningen; 10:25, 3/16/2021
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本日生まれた6曲
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タイトル一覧
6740. 霊性の個人化と資本主義化/今朝方の夢
6740. 霊性の個人化と資本主義化/今朝方の夢
時刻は午前6時に近づいてきている。つい先ほど、小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。数羽の小鳥たちの静かな鳴き声に耳を傾けながら、観想的な意識状態にある。
辺りはまだ真っ暗であり、日の出が始まるのはもう少し後のようだ。
昨日、同心円状に自己が深まっていることについて書き留めていたように思う。同心円状の進化とは、まさに超えて含むというプロセスの本質そのものである。
自己の世界認識と行動が同心円的に多様なものを包摂·抱擁する過程の中で深まっていく。同時に、認識と行動がますます利他的なものになっていくことについても見逃すことはできない。今日の歩みもまた同心円状の進化の一部であり、利他性の拡張過程の一部となる。
昨日読み進めていた書籍の中に、オルダス·ハクスレー、ティモシー·リアリーの流れを経て、アブラハム·マズローの思想によって実現された霊性の個人化が、霊性の資本主義化の温床となっていたという構造的流れについて言及があった。
霊性が神話的·慣習的なものから、合理化を経る過程の中で個人化されたというのは、霊性の進化の過程で不可欠だったと思うが、そうした個人化が資本主義の原理と結びついてしまい、霊性が資本主義化されてしまったという流れは腑に落ちる。
現在読み進めている“Selling Spirituality: The Silent Takeover of Religion”は、一昨日まで読んでいた“McMindfulness: How Mindfulness Became the New Capitalist Spirituality”という書籍と同じぐらいに得るものがある。これらの書籍の初読が終わったら、あまり日を置かない形で再読をしていこうと思う。
そして今日からは、“What's Wrong with Mindfulness: Zen Perspectives”を読み始める。この書籍も、現代社会で流布するマインドフルネスの問題に言及した論文が掲載されており、今の自分の関心事項と合致している。
本書を読み終えれば、そこから一旦ポストヒューマンの探究に移り、昨日届いた“Posthuman Glossary”の初読を行う。昨夜の段階で中身を確認したところ、非常に得るものが多そうだと直感的にわかった。ポストヒューマンを扱う映画の理解が深まるだけではなく、今後の人間社会がどのような方向に向かっていくのかを考える際のヒントが多数散りばめられた書籍である。
今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れないマンションの一室にいた。そこは確かに自分の家のようなのだが、自分にとってあまり見慣れない部屋だった。
ベランダ近くのリビングで、数人の友人と話をしていた。1人は小中高時代の友人(SS)であり、彼と話をしている最中に、1匹の蜂が現れた。私たちはその蜂を逃そうと思い、なんとか外の方に追いやろうとするが、なかなか言うことを聞いてくれず、手間取った。
すると、蜂を強引に外に出そうとしていた友人ではなく、優しく外に出そうとしていた私の方に蜂が寄ってきたので、私はそっと蜂をベランダに逃した。すると、干していた布団や洗濯物に蜂が付きそうになったが、蜂をどこかに飛ばしてやろうと思って、手立てを打ってみると、蜂は無事にどこかに飛んで行った。
ホッとしてベランダから部屋に戻ると、もう友人はおらず、その代わりに1匹の白い蛇がいた。その白い蛇は小さく、その白さは美しいものがあった。
私は直感的に、それは知り合いの女性が変化したものだと悟った。そうしたこともあり、その蛇がこちらに危害を加えることはないと確信し、蛇に話しかけてみようと思ったところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は前職時代のとある女性マネージャーと話をしていた。話をしていた場所は、従業員旅行の旅先の旅館の大広間だった。
その方の下の名前が以前のものとは違っていて、さらには、英語のスペリングが一風変わったものになっていた。“Ryo”という名前が“Lyo”に変わっていたのである。その理由について尋ねてみたところ、明確な理由を教えてもらうことができなかった。単に気分でそのように名前を変えてみたとのことだったが、本当は重要な理由があるように私には思えた。
話はそこから、私は最初、その方が怖いマネージャーだと周りから聞いていたが、実際に話してみるととても優しい方だったという話をしてみた。その方はそれを笑い、よくそのように思われるということを述べた。
そこからも引き続き楽しげな会話が続いていた。今朝方はそのような夢を見ていた。実際のところは、その他にも夢の場面があったように思う。
目が覚めたとき、ベッドの上でしばらく夢について振り返っていた。それは一種のシャドーワークであり、知的解釈が伴うというよりも、むしろ夢の身体感覚を再度味わい、自分の中に再所有することを通じて統合を図るというようなものだった。こうした向き合い方も今後の夢に対して行っていこうと思う。フローニンゲン:2021/3/16(火)06:16
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