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6731-6732: アートの国オランダからの便り 2021年3月13日(土)


No.1993 夜火_A Night Fire

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.432, A Whispering Drizzle

I cannot hear any birdsong this morning because of the rain.

Instead, a drizzle is whispering right now.

As well as a birdsong, it makes me meditative.

My mind is quite calm and peaceful at this moment.

Groningen; 07:48, 3/13/2021


No.433, Living in an Energetic Place

Wherever I live, the place gives me tremendous power.

I’ll always contribute to the world, using the power with which the place provides me.

Groningen; 19:34, 3/13/2021


No.434, An Everlasting Star

I’ve been an everlasting star.

It is always shining and illuminating the world.

I’m such a star in the infinite sky.

Groningen; 21:37, 3/13/2021


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本日生まれた6曲

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タイトル一覧

6731. 今朝方の夢

6732.「マインドフルネスのマクドナルド化」


6731. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、夜明けに向けて空が少しずつ明るくなって来ている。そうした状況の中、シトシトとした雨が地上に降っている。


ここ最近は再び寒さが戻って来て、昨夜からまたヒーターをつけ始めた。就寝中もずっと書斎のヒーターをつけっぱなしにしていて、部屋を温める形で就寝した。


今朝も足元から冷えるため、ヒーターをずっとつけている。もうしばらくヒーターをつけておこうと思う。


雨がシトシトと降る音に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、ヨーロッパのどこかの国のホテルに滞在していた。そのホテルが建築されたのは随分と前のことであり、歴史を感じさせる立派なホテルだった。


これから朝の目覚めのコーヒーでも飲みに行くかと思って部屋を出たところ、廊下で偶然にも、大学時代のゼミの同期の女の子と出会った。まさか旅先で彼女と出会うことになるとは思ってもいなかったので、廊下で少し立ち話をした。すると彼女は、昨日自分の身に起こった興味深い話をしてくれた。他の人には絶対に内緒にするという条件でその話を聞き、確かにその話は他の人にしない方がいいと私も思った。そこで夢の場面が変わった。


彼女がしてくれた話。その内容については覚えているが、あえてそれを具体的に書かないようにする。ただし、その話を俯瞰的に眺めれば、人間の心というのは移り変わりやすく、状態が変化すれば、想像できないような行動を取ってしまうことがあるということが言えるだろう。


普段は真面目な人が思わぬ行動を取ることがあるというのは、人間の意識状態の移り変わりやすさの観点から考えると納得することがよくある。


次の夢の場面では、私は野球グラウンドにいた。そこで私はごく少数の友人たちと一緒に野球をしていた。


本来野球ができるような数の人がそこにはおらず、守備に関してはピッチャーを含めて、3人しかいなかった。私が内野を守り、もう1人の友人が外野を守っていた。


ピッチャーを務めていたのは、学年で最も小柄な友人の1人(YU)だった。守備をしている3人は、誰も野球など本格的にやったことがなかった。


一方、攻撃陣は全員野球部であり、守備をするのは一苦労であった。苦労をしながらも、なんとか得点を与えずうまく守ることができていて、いよいよ最後のバッターを迎えた。


最後の最後に最も厄介なバッターを迎えた。彼は野球部のエースの1人であり、バッティングの技術も見事なものを持っていた。そんな彼に対して、友人は慎重に球を投げていき、気がつけば、あとワンストライクで三振のところまで来た。


そこからは、バッターの友人もファールボールで粘りに粘り、一瞬たりとも気を抜けないような状況にあった。ピッチャーを務めている友人にも疲労が見られ、おそらく次が最後の一球になるのではないかと思った。


彼が大きく振りかぶり、ラストボールを投げた瞬間、ボールがあるアニメのキャラクターに変わり、それが命を燃やしながらバッターの方に向かっていった。そして、バッターの彼は身動き一つできないような状態で、ボールはキャッチャーミットに勢いよく収まった。見送り三振となり、そこでゲームセットになった。


私は、命を燃やしながらキャッチャーミットに向かっていったアニメのキャラクターの姿に心を打たれており、しばらく感動した状態でその場に立ちすくんでいた。


そのキャラクターはキャッチャーミットに向かっていく過程で姿がどんどんと消えていき、まさに命をかけて役割を全うしたのだと思った。目覚めた時、その状況がずっと脳裏に存在していて、ベッドの上の私は何とも言えない感動を味わっていた。フローニンゲン:2021/3/13(土)06:57


6732.「マインドフルネスのマクドナルド化」


静かな雨が降っている。窓の外に意識を向けると、静かな雨音に引き込まれていきそうになる。さらに意識を研ぎ澄ませてみると、外の世界を吹き抜ける風の音が聞こえて来る。


仏教の本質的な教えが骨抜きにされたマインドフルネスの実践の横行。その問題について本日考えていた。


マインドフルネスの実践を広く普及させるためか、宗教色を抜く試みがかえって仇となり、結局マインドフルネスの本質的な部分である自我の囚われからの解放という重要な部分が去勢されてしまうことへの危惧。本質の欠落によって、マインドフルネスの実践に従事する人たちの自我はより強化され、凡夫の道をひたすら歩み続けることになっている。


マインドフルネス市場が数千億円規模になっているというデータを見つけ、ここからも、もはやこの実践が単に商品化され、消費の対象になっていることがわかる。マインドフルネスがそもそも求められることになった社会的な問題や問題の構造に注目することなしにこの実践が消費されていることへの強い危機感。


マインドフルネスに人々を向かわせた社会的な問題とその構造が温存されたまま、凡夫のゲームを巧妙に生きるための効能——新自由主義社会での立ち居振る舞いが良くなるための効能——を求めて人々がこの実践に乗り出していることの危険性を思う。


マインドフルネスの流行は、もはやマクドナルドの流行に匹敵し、それは「マインドフルネスのマクドナルド化」と形容される。


確かにマインドフルネスの効果は種々の科学的な実験によって検証されているのであるが、その実験は時に、あるいは往々にして、「ガラクタの科学(junk science)」と揶揄されるような質の研究であることが多い。サンプルの取得や統計処理において杜撰な箇所が散見されるのである。


繰り返しになるが、マインドフルネスが個人の心や脳に対する効果がどれだけ実証されようが、それが個人の領域だけではなく、集合の内面領域や外面領域にどのような影響を及ぼすのかまで射程に入れなければ、この実践は問題を抱えたままになる。結局マインドフルネスの効果も実践も、限定的なコンテクスト——凡夫のゲームの世界——の中で消費されることに留まってしまうのである。


昨日届いた3冊のマインドフルネスの実践に対する批判書を繰り返し読むことに並行して、現在音読を進めているウィルバーの書籍を引き続き読んでいこう。今の自分の強い関心は、現代における霊性を取り巻く種々の問題のようだ。このテーマに対しては強い問題意識がある。フローニンゲン:2021/3/13(土)19:44

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