No.1976 朝光の精霊_A Spirit of Morning Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.404, Calling and Responding
The morning is calling me.
I’ll respond to it.
The cycle of calling and responding continues.
Groningen; 06:26, 3/9/2021
No.405, I Am Anyone and Anything
I am you.
I am him or her.
I am it.
I am anyone and anything.
Groningen; 10:39, 3/9/2021
No.406, After Deconstruction
Once I deconstruct any linguistic constructions, suddenly, everything starts to become fluid and freely movable.
It is kaleidoscopic and mesmerizing.
Groningen; 10:45, 3/9/2021
No.407, Existence and a Word
Existence exists where a word exists.
A word exists where existence exists.
Groningen; 15:56, 3/9/2021
No.408, Before Words Come
Anything exists before words come.
It is true that words can bring existence into the manifest world, but the opposite is also true.
Groningen; 16:30, 3/9/2021
No.409, Words and Existence
Words and existence are interdependent.
Words without existence is nonsense, whereas existence without words is empty.
Both words and existence coexist.
Groningen; 20:16, 3/9/2021
No.410, A Mysterious Storehouse
I can see a fissure in the abyss of the unconsciousness.
A flood of images and words are wiggling and are coming into the world from the crevice.
The depth of the unconsciousness is a mysterious storehouse of images and words.
Groningen; 20:27, 3/9/2021
No.411, A Name & Existence
A name brings existence.
Then, it becomes the name.
Groningen; 21:23, 3/9/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6719. 今朝方の夢
6720. 4つの柱/今朝方の夢の続き
6721.「スピリチャル・スーパーマーケット」/ポストヒューマン問題
6722. 半年振りの歯科検診を終えて
6723.「段階とラインの混同」/発達的な固着とアレルギー
6719. 今朝方の夢
時刻は午前5時半を迎えようとしている。ちょうど30分ぐらい前に、小鳥たちが鳴き声を上げていた。今はもう彼らの鳴き声は聞こえて来ておらず、彼らの鳴き声が聞けることは、早起きをした特権のようなものなのかもしれない。
今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、イギリス人風の2人の中年女性と話をしていた。話をしていた場所は、果樹などが植えられた農園である。
彼女たちと何について話をしていたかというと、学園の移転に関することだった。この農園はその学園のものであり、学園の中にこの農園があった。
2人の意見としては、このままの形で農園を運営していきたいとのことだった。ところが私は、2人の意見とは反対であり、学外で農園を運営した方が良いのではないかと提案した。
というのも、現状の運営方法が、学内の規則によって雁字搦めになっていて、生産性の観点において好ましくないと思ったからである。2人もまた学内の人間によって飼い慣らされているのか、私の提案した内容について抵抗を示していた。
そこで私は、あえて自分が学内の人間ではなく学外の人間であることを伝え、この学園は腐っているということを伝えた。その発言に対して、2人は当然ながら激怒したが、それが私の狙いであり、怒りが収まった後に、きっと何か重要なことに気づくだろうと思った。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面は、ひょっとすると1つ前の場面と連続しているかもしれなかった。というのも、私は同じ農園に見えるような農園にいたからである。
私は、国道に近い農園の隅の方にいて、果物の果実を取ろうとしていた。すると、どこからともなく、小中学校時代の友人(MS)の声が聞こえて来た。彼はどうやら助けを求めているようだったので、私は声が聞こえる方に向かって急いで動き出した。
私は農園を空を飛ぶ形で飛び出していき、声の方向に向かった。空を飛んで彼のところに向かおうとするも、一向に彼の姿が見えなかった。
しばらく空を飛んでいると、山道の視界が開け、太陽の光で輝く海が見えて来た。どうやら自分が今、鹿児島県にいることに気づいたのである。
随分と遠いところまで来たなと思い、そこから私はどうやって実家のある山口県に帰ろうかと思った。夢の世界の日本の地形は面白い形になっていて、鹿児島と福岡が目と鼻の先であり、福岡から海を渡っていけばすぐに実家のある瀬戸内海側の山口県に到着できるようになっていた。
しばらく空を飛んでいると、海岸線沿いに休憩所を兼ねた土産屋があり、そこに入ってみることにした。するとそこに、小中高時代の親友(SI)と数人の友達がいて、彼らに事情を伝えた。
すると親友が、そうであれば自分の家に向かって飛んで行き、そこで事情を話し、電話を借りると良いということを述べてくれた。私はその申し出を有り難く思い、親友の家で電話を借りて、母に車で迎えに来てもらうことにした。
そうと決まれば、早く出発しようと思ったが、これから空を飛んで海を越えていく必要があったので、もう少し体力を回復させようと思った。私はせっかくなので、彼らと少し話をすることにした。その際に、無事に帰ったら、向こうでゲームでもしようという話になった。
ちょうど私は最新のゲームソフトを購入していて、それをみんなで一緒にやろうと述べたのである。しかし、そのゲームを真っ先に一緒に行うのは別の友人(YU)であることを伝えると、親友は少し残念な表情を浮かべ、突然泣き始めた。
私は彼を宥めるようにして、別に2番目でも、銀賞でもいいではないかということを伝えた。すると彼はすぐに泣き止み、私たちは笑顔で、向こうで会うことを楽しみにしているとお互いに述べて、別れた。フローニンゲン:2021/3/9(火)05:48
6720. 4つの柱/今朝方の夢の続き
時刻は午前6時半を迎えようとしている。空がダークブルーに変わり始めて来た。小鳥たちの鳴き声が止み、辺りに無音の静けさがもたらされている。
今日は午後に、半年ぶりの歯科検診に出かけていく。歯科医の場所が新しいところに移転したのだが、以前と距離はほとんど変わらず、むしろ気持ち近くなったぐらいであろうか。今日は幸いにも雨は降らないようなので、午後に散歩がてらゆっくりと歯科医に行ってこようと思う。
先ほど絵画を2枚ほど描き、詩を1つ作った。どちらもまるで座禅をするような意識の中で行っていた。
こうした創作活動に従事していると、意識がよりクリアになっていくのを実感する。そこにはシャドーワークとしての意味もあるがゆえに、ウィルバーで言うところの“Cleaning Up”の要素があり、そもそも創作においては特殊な意識状態に参入できるという点で、“Waking Up”の要素もある。
また、創作物やその取り組みそのものを多面的に見ることで、“Showing Up”も実現される。それが結果的に、“Growing Up”に繋がっているのである。
この4つの柱は、いかなる学習や実践においても鍵を握るものだと思う。それが欠けてしまうと、発達は歪なものとなる。
そこでふと、ナチスについて考えが及んだ。ナチスも永遠の哲学(perennial philosophy)に憧れ、シュタイナーの思想を取り入れようとしたり、チベット仏教の思想を取り入れようとしていた。神秘主義的な思想においては、グルジェフとナチスの繋がりもあったとする見方がある。
いずれにせよ、ナチスにおいては、“Growing Up”と“Waking Up”の観点と実践はあったのだろうが、“Cleaning Up”と“Showing Up”の観点と実践が大きく欠落していたのである。その帰結についてはもはや言うまでもなく、悲惨な歴史がそれを語っている。
過去や現在における種々の問題を眺めてみると、必ずと言って良いほどに上記の4つの柱が蔑ろにされている。それが問題を深め、問題の根本的解決を妨げている。
そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、実際に通っていた小学校と中学校が混ざり合ったような校舎の中にいた。
私は教室である友人と話をしていた。すると、向こうから無表情の男子生徒がこちらにやってくるのが見えた。すぐに彼が誰だかわかった。
彼は軽度の知的障害を負っていて、普段は優しい性格なのだが、突然キレ出す性格を持っていた。私はいつも彼と普通に接していて、お互いの仲は良くも悪くもなかった。
彼は私たちに話しかけると、突然私たちの足を手で握り潰そうとして来た。彼は体が大きく、力も強かったので、それはとても危ないと思えた。何よりも、私たちは重要なサッカーの試合を控えていたので、ここで足を怪我するわけにはいかなかった。
私はすぐさま友人を守ろうとし、凶暴な友人の気を引いた。そこから私は、自分の足が握り潰される前に、彼を早く潰しておこうと思った。その方法として、彼の頭を窓ガラスに叩きつけ、ガラスを打ち破って向こうの中庭に突き落とすのが良いのではと思った。
窓ガラスに頭を叩きつけた際に、彼の頭にガラスが突き刺さらないかどうかは少し心配だったが、そうでもしないとこの状況を抜け出せないと思ったので、私は一瞬脳内でそのシミレーションをした。
すると、鮮やかな映像が脳内に現れ、彼は窓ガラスに叩きつけて中庭に突き落としても大丈夫そうであることがわかった。そのシミレーション結果に安堵し、私は心置きなく彼の頭を窓ガラスに叩きつけようと思った。
そこで夢から覚めた。夢から覚めた時、引っ越し準備によって綺麗になった寝室の中で、彼をガラス窓に叩きつける状況を再度頭の中で想像していた。フローニンゲン:2021/3/9(火)06:47
6721.「スピリチャル・スーパーマーケット」/ポストヒューマン問題
——我、書く、故に我在り——ロバート·スコールズ
書きながらにして進む日々。書きながらにして自己が自己の本源に還っていく日々を過ごしている。
書くこと。それは創造的な営みである。
ここで述べている「書く」という行為は、今このようにして綴っている日記だけを指しているわけではない。日々の絵画の創作や作曲もまた書くという営みである。
引っ越しの準備がひと段落してからも、またいくつか新しく書籍を購入していた。数日前に購入した書籍をもってして最後にしようと思っていたが、つい先ほど4冊ほど新たに書籍を購入してしまった。
購入衝動を抑えることができず、新居での生活の前にそれらの書籍を読みたいと思ったのである。一つは、現代のマインドフルネスの隆盛ないしは横行に対しての問題提起をしている“McMindfulness: How Mindfulness Became the New Capitalist Spirituality”という書籍と、同じ関心から“What's Wrong with Mindfulness: Zen Perspectives”を購入した。
本当はもう1冊、“Mindfulness and Its Discontents: Education, Self, and Social Transformation”という書籍も購入したかったのだが、それは引っ越しの日までに到着しないことがわかったので注文するのをやめた。この書籍については新居に引っ越してから注文したい。
もう1つ、霊的実践(スピリチャルな実践)がまるで「スーパーマーケット」のように広く展開されていることを批判した“Selling Spirituality: The Silent Takeover of Religion”という書籍は、参考になることが多いかと思ったので購入をした。
今朝方の日記でも言及していたが、健全な霊性開発は現代における最重要課題の1つであり、その課題を克服していく際に、ウィルバーが提唱する4本柱の全てをカバーしていく必要がある。同時に、ポストヒューマン時代に突入しつつある現代において、ポストヒューマンがいかなる性質を持つものなのか、またそれにまつわる種々の問題を考察していくこともまた、これからの霊性開発に不可欠である。
そうした課題意識から、ユトレヒト大学教授のイタリア人哲学者ロッシ·ブライドッチの“Posthuman Glossary”も合わせて購入した。この書籍には、ポストヒューマンに関する様々な用語やトピックを、その道の専門家たちが解説している非常に興味深い書籍であり、得るものが非常に多いだろう。
神学、霊性学、発達心理学、ポストヒューマン学とでも形容できる学問領域、さらには詩を絡めた横断的探究を行っていく。詩集に関していえば、イスラム神秘主義的詩人のマハムード·シャバスタリー(Mahmoud Shabestari:1288–1340)と本日出会い、彼の“The Secret Rose Garden of Sa'd Ud Din Mahmud Shabistari: Rendered from the Persian, with an Introduction”という詩集は、新居に到着してから購入したいと思う。
こうした詩集に合わせて、そもそもイスラム神秘主義についてさらに理解を深めていくために、井筒俊彦先生の全集だけではなく、“Method And Mysticism: Cosmos, Nature and Environment in Islamic Mysticism”という書籍も購入して読んでみようと思った。フローニンゲン:2021/3/9(火)11:28
6722. 半年振りの歯科検診を終えて
時刻は午後3時に近づいて来ている。つい先ほど、歯科医から戻って来た。
今日の外の世界は冷えており、行き道はとても寒く感じた。ニット帽を被り、マフラーを巻き、ヒートテックまで履いていたのだが、それでも寒さが感じられた。
自宅から歩いて15分ほどで移転した後の歯科医に到着した。オフィスの外観は以前よりも立派になっていて、内装もとても綺麗になっていた。いつも結構な予約が入っているところを見ると、ビジネスは順調なのだろう。
歯科医に到着してトイレを借りたらすぐに自分の番になった。予約した時間よりも10分以上早くから診察をしてもらえた。
2年に1回レントゲン撮影をしていて、今日はその日のようだった。今年の夏からフローニンゲンでの6年目の生活が始まることを考えると、もう3回も新しくレントゲンを撮影してもらったことになる。
今日もまたいつもお世話になっている歯科医の男性に診てもらった。診察の前に少しばかり雑談をし、コロナの話や診察室の新しい内装や器具の話をした。診察室も非常に綺麗になっていて、スペースも広く、とても好感を持った。
診察を始めてもらうと、私は1つ、最近奥歯に違和感があることを伝えた。それは先週か先々週に感じたものであり、原因は不明だった。
ここのところは半年に1回の検診では虫歯は全くなく、いつも定期検診の翌週に歯のクリーニングをしてもらうだけであった。そうしたこともあり、今回も虫歯ではないと思っていたところ、やはり虫歯ではなかった。
歯科医の説明によると、左下の親知らずと奥歯の間にスペースがあり、そこに食べ物がぶつかって炎症を起こしていたらしかった。私は今から4年前に親知らずを抜いていたため、まだ親知らずがあることを驚いたが、4年前に抜いてもらったのは上の左右の親知らずであることを歯科医に教えてもらい、記憶を思い出した。
下の左右の親知らずはまだ抜いておらず、しかもそれが水平方向に生えていることがレントゲン写真を見てわかった。今のところ早急に左下の奥の親知らずを抜く必要はないが、将来的に考えると、抜いておいて損はないとのことだった。
ただし、それには手術が必要になり、それはこの歯医者ではできないとのことだった。そのため必要であれば、担当の歯科医がリファーレターを書いてくれることになった。
以前にも、右上の八重歯も抜いておいた方が将来的に良いということを述べてくれていて、ただしそれを抜くのにも手術が必要とのことだった。引っ越しが落ち着いたら、それらの2本の歯を手術によって抜いてしまっても良いかもしれない。
歯科医のリファーレターは1年ほど有効とのことなので、来週またクリーニングに行くときに、推薦状をお願いしようと思う。八重歯の方は半年後の検診の際にリファーレターを書いてもらうか、あるいは来週に合わせてお願いしてしまっても良いだろう。
引っ越しを済ませたら、時間にもゆとりがあるため、将来のことを考えると、この段階で歯に関する問題を全て解決しておき、将来に起こるかもしれない問題を未然に防いでおくことは賢明だろう。手術という響きに少々たじろぐが、前回親知らずを抜いたときに麻酔をかければ痛みは全くなかったので、恐ることはない。
歯を抜けば、断食をする好機にもなるため、断食のタイミングと手術のタイミングを合わせて考えていこう。フローニンゲン:2021/3/9(火)14:59
6723.「段階とラインの混同」/発達的な固着とアレルギー
時刻は午後7時半を迎えた。今し方夕食を摂り終え、いつものようにこの時間帯にメールを確認してみた。すると、歯科医が早速、左下の親知らずを手術で取り除くためのリファーレターを送ってくれた。
オランダはホームドクター制を採用していて、病院に行くのにもかかりつけの医者にリファーレターをもらわないと行けないのだが、歯科医に関しても、手術が伴うものに関しては病院を紹介してもらうようになっている。
「手術」と言うと少し大袈裟だが、街の歯科医では施せない類の治療が今回は必要とのことだったので、リファーレターを書いてもらうことになった。このレターは1年間ほど有効とのことなので、引っ越しが終わり、少しばかり落ち着いたら病院に行って親知らずを抜いてもらおう。どの病院で手術が受けられるのかについてはまた後ほど調べておきたい。
この時間帯になって、今日考えていた雑多な事柄を振り返っている。1つには、段階とラインの混同(level/line fallacy)という現象は、いろいろな形で見られることについて考えていた。
宗教という実践領域に携わっているという事実だけで、宗教家の霊性のラインが高いと思い込んでしまうことはその最たる例だろう。また、物理学に従事しているというだけで、物理の領域だけではなく、知性全般が高いと思い込んでしまうこともまた、ラインの混同に加えて、段階とラインの混同とも言える。こうした事例は枚挙にいとまがない。
その他には、「発達はゆっくりであればあるほど良い」という言葉や、「発達することは一概には好ましいものとは言えない」と言う言葉についても考えていた。こうした言葉をよく耳にするようになったことは、発達を闇雲に希求しないという点においては望ましいことかもしれないが、それらの言葉を使っている人たちの姿をよくよく見ていると、「発達的な固着(developmental fixation)」や、高度な発達段階を忌避する「発達的なアレルギー(developmental allergy)」のような症状が見られる場合がほとんどであることに気づく。
自分が過去に出版した書籍にもそうした言葉を記載していることもあり、また他の発達理論やインテグラル理論に関する書籍にもそうした言葉が記載しているものがある。それらの言葉を単に受け売りに使っているのであれば、アンバー的な固着のように思えるし、現代のオレンジ的な上昇志向的な発達のあり方に強い嫌悪感を持つのであれば、それはオレンジに対するアレルギーと言えるだろうか。同時にそれは、グリーンの固着のケースもある。そのようなことを考えていた。
最後に、創作活動に関して言えば、本日をもって、グルジェフとシューベルトの楽譜に掲載されている曲を一通り参考にして原型モデルを作り終えることができた。ふと、フォーレやラヴェルなどのフランスものを参考にしたくなって来たこともあり、新居に引っ越してからは、彼らの楽譜を参考にして曲の原型モデルを作成していこうと思う。また、スペインの曲風にも引かれるものがあり、スペインの作曲家の楽譜も少しばかり紐解いていこうと思う。フローニンゲン:2021/3/9(火)19:59
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