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6655-6657: アートの国オランダからの便り 2021年2月19日(金)


No.1901 満ちた光の中で_In Full of Light

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.273, Enrapture

A new day began with full of pleasure and joy.

I’m feeling enraptured right now.

Or I can say I’m enrapture itself.

Anyway, I want to celebrate the beginning of a bright new day.

Groningen; 06:42, 2/19/2021


No.274, Enthrallment

My existence is shivering with delight of being at this moment.

A little bird is singing to celebrate my whole being.

I’m very enthralled by becoming the song of the little bird.

Groningen; 06:50, 2/19/2021


No.275 The One, the Many & I

The One is the Many, and vice versa.

I’m the One and the Many.

The One and the Many are me.

Groningen; 07:35, 2/19/2021


No.276, The Creator & Creations

Since I’m the One and the Many, I can be anything.

The One is the creator of all things,

so I can transform myself into everything.

I’m the creator and all creations.

Groningen; 07:38, 2/19/2021


No.277, The Source of My Knowledge and Wisdom

The source of my knowledge comes from not only the waking state but also the sleeping one.

In addition, the deep sleep state is the vital source of my knowledge.

Lastly, the non-dual state is the most precious source of my wisdom.

Groningen; 09:18, 2/19/2021

No.278, The Seer & Beyond

The Seer is always an experiencer.

But there is always something beyond it.

Groningen; 10:05, 2/19/2021


No.279, Something Important

A little bird’s twitter is so mellifluous.

My being is naturally getting united with it.

After that, I return to something important.

That’s me, but not me, therefore, that’s me.

Groningen; 10:08, 2/19/2021

No.280, My Passion

Maybe my main themes are not so many.

I’ll repeat to express them in various art forms from different angles and perspectives.

That’s my central passion for my creative activities.

Groningen; 10:16, 2/19/2021


No.281, Entering the Infinite Universe

Once I unfetter the boundaries of my consciousness,

I enter the infinite fields of the universe.

The door of the fathomless universe is always open for us.

All we have to do is extricate our consciousness from constraints.

Groningen; 10:24, 2/19/2021


No.282, The Final Release

The final release could be that the distinction between I, the One, and the Many cease to exist.

At that moment, something appears as nothing or nothing manifests as something.

Groningen; 11:18, 2/19/2021


No.283, Mind as Medicine or Poison

Our mind can be medicine or poison for us.

It depends on how we use it.

Groningen; 11:36, 2/19/2021


No.284, The Use of Our Awareness and Consciousness

How we use our awareness and consciousness is the most important key to healing and transforming us.

I always pay attention to how I use my awareness and consciousness.

Groningen; 11:45, 2/19/2021


No.285, An Irony

Probably, we tend to think that we can reach the bottom of a well when we continue to dig it.

Yet, the current social situation doesn’t guarantee it.

To put it shortly, we may go through the well and go out into the unexpected place which is totally different from the well.

Groningen; 14:34, 2/19/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6655. インド哲学への関心

6656. 今朝方の夢

6657. シャンカラの思想による啓発/『いのちの食べかた(2005)』を見て


6655. インド哲学への関心


時刻は午前4時半を迎えようとしている。今朝もまた素晴らしい目覚めとなり、爽快な気分で1日が始まった。


朝のヨガの実践の際に行っている呼吸法についても時間を長くし、瞑想的な意識状態の深まりを感じる。またこの呼吸法によって集中する力が高まっているのを実感し、それが日中の活動の際に良い影響を及ぼしていることがわかる。


昨日から、8世紀に活躍した中世インドの思想家シャンカラの思想について学び始めた。先日購入していた“A Thousand Teachings: The Upadesasahasri of Sankara (1992)”を通じて、シャンカラが残した教えを探究している。


ソクラテスの対話のように、シャンカラは対話形式と詩の形式で自らの思想を残している。シャンカラは、「不二一元論(アドヴァイタ)」の考えを提唱したことで知られており、この考えを詩作や作曲に活用したいと最近思っていたので本書を紐解くことにした。


昨日は序文しか読んでいないが、今日からゆっくりと本書を紐解いていきたい。ここからはアドヴァイタ·ヴェーダーンタ哲学やヨガの哲学を含め、宗教的な思想を詩を通じて学んでいくことに力を入れていく。


そこでの学びを自らの創作活動に架橋していく試みを絶えず意識する形でこれからの探究·実践生活を形作っていこう。少なくともここからの2年間でそうした取り組みを集中的に行い、その後必要であれば、正式に神学校に留学する形でより体系的にその探究と実践を進めていく。


大きなテーマとしては宗教思想と創作活動の架橋を行っていくことを掲げておきたい。詩だけではなく、『バガヴァッド·ギーター』はバラモン教やサーンキヤ哲学、そしてヨガの哲学を包摂した巨大な物語であり、その詩的な文章ゆえに「神の詩」とも形容される。


『バガヴァッド·ギーター』についても英語で読みたいと常々思っていたところなので、引っ越しを済ませたら何か良い英訳書を購入したい。ヨガのインストラクターの資格取得に向けて勉強している際に、断片的に『バガヴァッド·ギーター』を学んでいたが、その学びをより本格的に始めていく。


何か自分が原点回帰したような感覚である。立ち帰れる原点があることの有り難さ。そしてそこから学びがより深まり、より充実したものになっていくことの有り難さを思う。


『バガヴァッド·ギーター』の英訳書を入手したら、私よりも本書の理解が深いヨガのインストラクターをしている知人に声をかけて、2人で読書会を行わせてもらうような提案をしてみるのもいいかもしれない。


ヴェーダーンタ哲学における3大経典『ウパニシャッド』『バガヴァッド·ギーター』『ブラフマ・スートラ』を取り急ぎ入手して、それらの探究を創作活動と紐づける形でゆっくりと始めていこう。まずは優先的に、T・S・エリオット、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ラルフ・ワルド・エマーソンにも影響を与えた『バガヴァッド·ギーター』の読解から始めていく。フローニンゲン:2021/2/19(金)04:48


6656. 今朝方の夢


時刻は午前5時半に向かおうとしている。早朝に1つ日記を書いた後、インド哲学についてあれこれ調べていた。


ウパニシャッド、各種ヴェーダ、バガバッドギータを含め、インド哲学関係の学術書を7冊ほどとりあえず購入文献リストに加えた。それらについては今のところ全て注文する予定であり、新居に引っ越してから購入手続きをしよう。


それらの全てではないが、物語形式や詩の形式で思想が伝えられていることが興味深い。そこにも芸術的な表現と宗教思想の深化と普及の繋がりを見出すことができる。引き続き、日々自分が探究したい事柄を自分なりの方法で探究していく。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。それらについて振り返りをしたら、いつものように創作活動に従事していこう。午前中には映画やドキュメンタリーを2つほど見れるかもしれない。


今朝方の夢。夢の中で私は、銀座界隈を母と歩いていた。ちょうど買い物を済ませ、少し喫茶店にでも立ち寄ろうかということになった。


落ち着けそうな喫茶店を見つけると、そこはお世話になっていた画廊の近くであることに気づき、母には少し喫茶店の前で待ってもらう形で、画廊の方々に挨拶をしてこようと思った。


ほんの数分で挨拶は終わるだろうから、と母に伝えたところ、母は喫茶店の前で待っていてくれることになった。いざ画廊に行き、入り口付近で挨拶をしてみると、中から画廊のオーナーが現れ、数年ぶりに画廊に訪れたこともあり、歓迎してもらえた。


オーナーは私を奥の部屋に通し、飲み物を持って来てくれたのだが、私は母を待たせていることもあって、できるだけ早く画廊を後にしようと思った。ところが、オーナーは私を引き留め、最近入荷した絵について話し始めた。私は今日は絵を購入する気はなかったので、きっぱりと絵の購入をしない旨を伝え、画廊から出た。


思っていた以上に時間を食ってしまったと思い、母の待つ喫茶店に向かってみると、母の姿がなかった。その代わりに、母が小さな泥人形になっていて、それが地面に落ちていた。見ると、人形の身体が無残にもバラバラになっていて、私はショックを受けた。


人形を拾い上げると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえ、そちらを見ると、なんと母だった。母は無事だったのだ。それを知って心底安堵した。


どうやら母は、私があまりにも喫茶店に戻ってこないから、画廊を見に行ったとのことだった。そこから私たちは喫茶店に入り、少しばかり休憩することにした。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面は、オランダの家の近所が舞台になっていながらも、国としては日本のようだった。私は2階の住人はずっとオランダ人だと思っていたが、どうやらドイツ人のようだった。彼の名前はクリストフというらしい。


彼はドイツの名門サッカーチームの選手の名前を挙げ、自分の名前が覚えやすいものであることを私に伝えた。彼と私は歩いて近所のスーパーに向かっていて、道中にいろいろな話をした。


彼はまだ若く、日本にやってきたばかりとのことであり、日本語で苦労しているようだった。私たちの会話は英語で行っていたのだが、彼は今日本語ではなく、英語で話をすることが落ち着くようだった。


本来であれば、彼の母国語のドイツ語で話す方がもっと心が落ち着くのだろうと考えながら、彼の話を引き続き聞いていた。私は、自分もアメリカでの苦労の経験があったので、彼の気持ちがよく分かるということを伝えると、彼は静かに涙を流し始めた。


そこで私たちはしばらく立ち止まり、彼の涙が収まるのを待った。しばらくして彼は笑顔を取り戻し、そこからまた私たちは目的地に向かって歩き出した。そこで夢の場面が変わった。


最後の夢の場面は、サッカーブラジル代表とワールドカップの初戦を戦うものである。ワールドカップの初戦ということもあり、日本代表の面々は緊張しているようだったが、私は1人1人の選手に声をかけていき、緊張をほぐすことに尽力していた。


メンバーの中には小中高時代の友人(TK)がいて、彼は凛々しい表情をしていて頼もしかった。スターティングメンバーが国歌を歌いながらピッチに入っていくと、ピッチ上で友人の姿がとてもたくましく思えた。


そこからすぐに試合が始まると、先ほどまでベンチにいた自分もピッチの上にいて試合に参加していた。私はワールドカップの初戦であろうがなんであろうが、全く普通の心持ちでピッチの上にいて、平常心の中でプレーしていた。


試合開始早々、自分のもとに先制点を奪う絶好のチャンスがやってきた。しかし相手のディフェンダーの方が足が早く、得点はできなかったが、味方がすぐにボールを奪い返し、小中学校時代の別の友人(KM)が先制点を入れてくれた。


しかし時間が巻き戻され、絶好のタイミングで自分にボールが回ってきた瞬間に戻った。今度はそこで自分がゴールを決めて、私は大きなガッツポーズをした。


そこで目覚めた。目覚めてみると、ベッドの上の自分もまたガッツポーズをしていた。フローニンゲン:2021/2/19(金)05:43


6657. シャンカラの思想による啓発/『いのちの食べかた(2005)』を見て


時刻は午後7時半を迎えようとしている。つい今し方夕食を摂り終えた。


ここ最近は夕食を作っている最中に“Democracy Now!”や“Inside Europe”などのポッドキャストを聴いている。前者は独立系メディアによるアメリカのニュース番組であり、後者はそのヨーロッパ版である。


2つのニュース番組のポッドキャストを通じて、世界の現状の一端を垣間見ること。そこにどのような意味があるのかは自分でも分かっていないが、それらの番組が伝えていることに関心を持っている自分がいることは確かだ。引き続き2つのポッドキャストを聴いていくことにする。


今日は午前中にかけて、“A Thousand Teachings: The Upadesasahasri of Sankara (1992)”を読んでいた。本書は詩作の刺激となり、大いに啓発を得た。こうした書物を絶えず傍らに置き、それらから喚起されるものをその都度詩や曲の形にしていこう。


改めて、本書を通じてシャンカラの思想に感銘を受けると共に、遥か昔に、こうした巨大な思想体系が作られていたことに驚く。それは精神的·時間的余暇と継続的な思索がなす技なのか。逆に言えば、それらの双方がなければ巨大な思想体系を構築することは難しく、現代という時代はますますそうしたことが難しくなっているように思える。


今日も創作活動に加えて映画やドキュメンタリーを見ていたのだが、『いのちの食べかた(2005)』というドキュメンタリーは秀逸であった。このドキュメンタリーでは人間が声を発することがなく、淡々と食肉加工業者や農業従事者の作業風景が描かれていく。


世界中の食品需要を満たすために、大規模に機械化された食糧生産·管理の現場をありのままに映しており、その極度に効率的な作業風景には心底驚かされ、ひよこが物のようにベルトコンベアーで運ばれていく様子や、魚や牛が機械的に殺されていく姿に心がとても痛んだ。


これまで食関係のドキュメンタリー作品をいくつか見てきたが、過去に見てきたものに合わせて、食実践を考える上でこのドキュメンタリーは多くの人に見てもらいたい作品である。


食品となる命の飼育と加工において、命が命として扱われていない惨状を見ていると、そのような形で作られた食べ物を摂取してしまうと、やはり精神的·霊性的な淀みが生まれるに違いないということを思う。


作り手の心によって食品の味や成分が変わることからも、飼育·加工を担当する人間たちのエネルギーが必ずその食材に混入しているはずであり、無残にも殺されていった生命の怨念のようなものも食品に宿ってしまうのではないかと思ってしまうほどだ。


このドキュメンタリーを見て、やはり自分が貢献していこうと思ったのは、動物の命や環境、そして人に良い食産業を育てることである。それについては投資を通じて実現させていこう。フローニンゲン:2021/2/19(金)19:40

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