No.1861 見守る者_A Watcher
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.213, Conviction
The morning sun is shining.
The light reflects snow powder.
Both the sun and snow powder are glittering.
I’m convinced that today will be luminous.
Groningen; 09:02, 2/9/2021
No.214, Freedom
Free from any social constraints, living as we wish could be true freedom.
My life is going toward such freedom.
Groningen; 10:09, 2/9/2021
No.215, Brain Plasticity
Recently, I’ve enjoyed reading poems out loud.
It seems to stimulate my brain.
In fact, my brain looks pleasurable.
I guess that reading poems out loud increases the plasticity of my brain.
Groningen; 20:19, 2/9/2021
No.216, A Concept
A concept is to distinguish something from something else.
It’s like a laser beam that cuts out something in reality.
In this sense, we know that a concept cannot represent reality as a whole.
Only what it can do is to grasp a specific aspect of reality.
Groningen; 21:23, 2/9/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6628. 今朝方の夢
6629. 今朝方の夢の続き
6630. 延長されたロックダウン
6628. 今朝方の夢
時刻は午前7時半を迎えた。空がゆっくりと明るくなってきている。それに伴って外の景色の様子が見えてくる。
マイナスの世界が継続しており、そのため雪がまだまだたくさん残っている。今日は日中にマイナス1度まで気温が上がるが、最低気温はマイナス7度である。午後に街の中心部に行く際には暖かい格好をしていこうと思う。
今朝方はいくつか印象に残っている夢を見ていたので、忘れずに書き留めておこう。夢の中で私は、アパートの一室にいた。その部屋の窓辺から何気なく外を眺めていた。
すると、3人の小さな子供たちが戯れ合いながらどこかに向かっていく姿を見つけた。女の子2人、男の子1人の3人に加えて、彼らは熊と猪を連れていた。2匹の動物たちは大人しく、3人の子供によく懐いていて、言うことを聞いているようだった。
小さな男の子が熊と戦いごっこを始めた。すると、男の子が手に持っていた槍のようなものを間違って思いっきり熊の腕に突き刺してしまった。すると熊は大きな鳴き声を上げてその場に倒れた。
すると、猪が熊に駆け寄って行って、熊に寄り添うようにして熊を励まし始めた。槍を刺してしまった男の子は悪気はもちろんなく、熊のことをとても心配そうにしており、とても動揺していた。
2人の女の子たちが「早く傷の手当てをしなきゃ」と述べたが、その場にいた誰も応急処置の方法を知らないようであり、結局3人と2匹の動物たちはその場に横たわり、静かに眠りに着き始めた。雪が降り始め、彼らは凍結し、あの世に行ってしまった。
そこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は実際に通っていた大学にいた。
私は科学の基礎科目を講義室で受講していた。ちょうど新しい学期が始まったばかりであり、大学構内には学生がたくさんいた。
私は大学4年になっていて、今学期は自分の関心に合致した科目を少しばかり履修することにしていた。クラスが始まってみると、先生の教え方は手抜きであり、プリントを配るだけで何ら面白い話をしなかった。それに対して私は不満であり、授業に出るのはもうやめようかと思った。
すると時間軸が一気に飛んで、学期末になっていた。どうやら私はその他の履修科目に関してもことごとく授業に出ていないようだった。出席が重要な授業に関してはもう単位取得が見込めず、そうでない授業に関しても試験の成績がとても悪いようだった。10点や20点はざらであり、だがなんとそうした点数でも単位が一応取得できるらしいことに安堵した。
そこでふと、そう言えば私はもうすでに卒業に必要な単位を取得していることに気づき、なお一層安堵感に包まれた。その瞬間に、「いや、自分はもう大学を卒業しているぞ」という気づきが芽生え、単位に関してあれこれと考えていた自分が馬鹿らしく思えて笑った。
その笑いが起こったとき、再び時間軸が巻き戻された。私はシラバスを持っていないらしく、ウェブで授業について調べるだけだったので、その他のクラスの情報や、授業履修に伴う今学期のいろいろなルールについて無知だった。
それを心配して友人が、冊子になったシラバスを教務課にもらいに行ってくるといいと述べてくれた。私もそうした方がいいと思ったので、教室を出て教務課に向かった。
ところが、以前まであった場所に教務課がなかったのである。どうしたものかと思ったところ、私が大学に顔を出さない数ヶ月の間に大規模な工事が行われていたらしく、教務課は移転したそうだった。
私は東キャンパスから西キャンパスに向かって歩き始めた。その時に、どうも西キャンパスに向かう景色も違うことに気づいた。
西キャンパスが少し小高い丘の上にあって、坂道を歩いていく必要があったのだ。これまでは平坦な道を歩くだけで良かったので、その違いに最初戸惑った。そして、西キャンパスに向かっている最中に、どうも観光客の人が多いことに気づいた。
なぜ観光客らしき人たちが多く、学生が少ないのか疑問に思いながら西キャンパスに向かった。そこに到着してみると、驚くべき光景に出くわした。大学を象徴する立派な図書館や講堂が一切なくなっていて、そこに広がっていたのは西部劇のセットのような光景だったのである。
いや厳密には、アメリカ西部劇のようなセットというよりも、江戸時代の街の風景を再現したような空間が広がっていたのである。庶民が住んでいた長屋がそこに再現されていたり、城が再現されていた。端的には、城下町がそこに再現されていたのである。
なぜか復元された城下町の中には一般人は入ることができず、柵の外から中を眺めることしかできなかった。城下町の中を外から眺めていると、そこに高校時代の友人が2人いて、1人は踊りを踊っており、もう1人は応援団の練習をしていた。
2人は私に気づき、踊りを踊っていた友人は私に手を振り、応援団の練習をしていた友人が私の方に近づいてきた。彼は笑顔で私に話しかけ、私は西キャンパスがこのような姿になってしまったことにひどく驚いていることを伝えた。
すると友人は、キャンパスがこのような姿になったのはもう随分と前のことだと教えてくれた。どうやら私は、それほどまで長く大学に足を運んでいなかったようなのだ。
冗談を兼ねて、私は大学のクラスのメーリングリスト経由で、教務課が移転したことと、西キャンパスが大きく変貌してしまったことを今知ったという内容のメールを送ろうとした。
すると友人は、私の使っている携帯を柵内に落とすと大変なことになると述べた。私が使っている旧式の携帯をその敷地内に落とすと、電磁波の干渉が起こり、携帯が使えなくなってしまうということだった。
私はこの大学に一体何が起こっているのだろうと思いながら、友人に別れを告げ、来た道を戻ることにした。再び東キャンパスに戻ると、そこも見慣れない姿になっていた。講義棟が電車の駅とつながっていたり、講義棟の中に大きな書店や家電量販店が入っていたのである。
私は家電量販店の入り口に立って、天井に飾られている広告を眺めていた。何か面白そうな新作ゲームはないかと思って広告を眺めていて、購入する気はないが、新作ゲームがあればそれがどのようなゲームかを知りたかった。
しかし、結局その家電量販店に入ることはせず、講義棟に直結している電車を使って家に帰ろうと思った。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2021/2/9(火)08:02
6629. 今朝方の夢の続き
時刻は午前8時を迎えた。今、青空が広がっている。
午前8時を迎える頃にはもう随分と明るくなっていて、今はすっかり明るさを放っている。日の出の時間も随分と早くなったものだ。あとは今週のマイナスの世界が通り過ぎていけば、徐々に春に向かって暖かくなっていくのではないかと期待する。
もちろん暖かくなる速度は非常に緩やかだということは知っている。5月の半ばまでマフラーと手袋が必要なのがこの土地の特徴であり、その点は忘れないようにする。
先ほど今朝方の夢について書き留めていたが、またいくつか夢の断片を思い出した。1つとして、大学のキャンパス内にある書店を訪れていた場面を思い出した。
その書店の品揃えは良く、学術書が充実しているだけではなく、芸術関係の書籍や洋書も十分に取り扱っていた。私は何か詩集を購入したいと思って、詩に関するコーナーに行った。
そこには明治·大正期の頃に活躍していた詩人の詩集が、その当時に出版された形で棚に置かれていた。立派な箱に入った書籍は独特の風格を持っていて、それが私にとってとても魅力的であった。
棚に置かれた作品をゆっくりと眺めていると、名の知れぬ詩人の作品と出会った。私は思わずその作品に手が伸び、箱から取り出して詩をパラパラと眺めてみた。
すると、何かが自分の背筋に走り、それが天に向かって駆け上がっていくかのような現象が起こった。私は何が起こったのか一瞬わからず、その場に立ちすくんでいたが、我に返った時に、この詩集は自分が持っておくべき大切なものだと思った。そうした直感があったので、詩集を箱に大事にしまい、買い物かごにそっと入れた。
次に私が目をつけたのは、立派な箱に入っている英語の漫画である。それは哲学的な漫画であり、セリフと絵から学ぶことがとても多く、何冊かがセットになって箱に収められたそれも購入することにした。そのような夢の場面があった。
その他にも、大学の式典専用の講堂の中にいた場面を覚えている。なぜかそこは観光客が見学に来るようになっていて、私もある意味観光客のような形でその場にいた。
ステージ上には誰もおらず、講堂内の見学者もほとんどいなかった。私は一休みを兼ねて、講堂内の椅子に腰掛けることにした。
すると、突然ステージの下から小中高時代の女性友達が数名ほど現れ、彼女たちは突然ある映画の主題歌を歌い始めた。彼女たちの歌声は見事であり、そこからミュージカルが始まった。
すると、見学者の中に混じっていた他の女性友達たちもステージに上り、全員でミュージカルを上演し始めたのである。私は、彼女たちの歌声が見事であることに感心し、観客席から思わず一緒に歌いたくなってしまうほどであった。そのような夢の場面があった。
最後にもう1つ覚えている場面としては、ゴッホが晩年に生活をしていた家を模した部屋にいたことである。その部屋は実際にゴッホの作品のモチーフにもなっていて、とても見覚えのあるものだった。
中に置かれているものを触ってはいけないことになっていたが、私は足元のスイッチを意図せずして押してしまった。すると、背後に新たな部屋が現れた。
何か忍者屋敷のようだなと思いつつ、私はその部屋の方に向かった。するとそこは無人の駄菓子屋だった。
説明は難しいが、そこは部屋と外の世界がつながっているような空間であって、駄菓子屋は外にあった。しかも神社の脇にそれはあった。
私はせっかくなので久しぶりに何か駄菓子でも買おうかと思ってお菓子の入った箱を覗いた。そこは無人であったから、自分で箱にお金を入れて、その金額に対応するお菓子をもらう必要があった。
いざ箱に10円玉を入れようとすると、どうにもそれが入らなかった。どうやら中の方でお金が詰まっているようだった。しばらく誰もお金を集金に来ていないことが推測された。
私は箱を左右に揺らしながら10円玉を箱の中に落としていった。それは何回かうまく行ったのだが、60円分を入れたところで完全に詰まってしまったようだった。
これはダメだと思ったので、箱を逆さにして、60円を回収することにした。駄菓子を買うことは結局諦め、元いたゴッホの家の方に戻ろうとしたところ、もうそこにはゴッホが暮らしていた部屋はなく、その代わりに小さなカフェがそこにあった。
厳密には、そこにはたくさんの土産屋が集まる空間が広がっていて、その一角にそのカフェがあった。他の土産屋は軒並み休みであり、何かあったのだろうかと心配になったが、少し休憩したいと思っていたので、そのカフェで寛ぐことにした。
ブラックコーヒーだけを注文しようとしたところ、ご当地パンが美味しいとのことだったので、それも合わせていただくことにした。いざ会計をしようとすると、合計で9000円とのことであり、ブラックコーヒー1杯とパン1つにしてはやたらと高いことに驚いた。
どうやらその地の物価は尋常ではないほどに高騰しているようだった。結局私はコーヒーもパンももらわずに店をあとにした。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2021/2/9(火)08:41
6630. 延長されたロックダウン
時刻は午後3時を迎えた。つい先ほど街の中心部の買い物から帰ってきた。今日は本当は髪を切ってもらうはずだったのだが、またしてもメルヴィンの店は休みだった。
本来今日からロックダウンが解除されるはずだったが、それが延長され、3/2までロックダウンになったことを先ほど知った。もうすでに3ヶ月弱髪を切っていないので、これからさらに1ヶ月弱凌がなければならない。
ところが不思議なことに、髪の煩わしさの閾値を超えたようであり、最近はもう長い髪でもそれほど違和感がない。人間の慣れというのは不思議なものである。とりあえずロックダウン明けの3/2に予約をし直すことにした。
街の中心部までの道のりは雪道であった。雪かきされていない場所に関していえば、随分と雪が積もっていて、深いところだと足首まで埋まってしまうほどであった。
人が通っている箇所に関して言えば問題なく歩けたが、やはり滑らないようにすることを意識していたために、普段とは身体の使い方が違っていたように思う。結局今日は買い物だけをして自宅に戻ってきた。
その道中に、将来フィンランドで暮らすことについてぼんやりと考えていた。フィンランドはオランダよりも雪が積もる。とりわけこの時期はもっと深く雪が積もっているはずであり、その生活について想像していた。
色々と大変なことはあるだろうが、静かな環境の中で雪景色を眺めながら自らの取り組みをゆっくり前に進めていく生活を送りたいものである。
ふと、かつてヴィトゲンシュタインがノルウェーのソグネフィヨルドの最奥部の山中に建てた山小屋に籠もり、孤独と静寂の中で『論理哲学論考』を執筆したことを思い出した。幾分異様さを発する本書は、社会から距離を置いて初めて得られる静けさと孤独から生まれたことを思う。
今日はこれからマーカス·ガブリエルの哲学書の続きを読んでいこうと思う。その後、何人かの作曲家の楽譜の写譜を行う。
作曲語法を身につけるのは自然言語の習得と同じく、実際の発話言語、すなわち実際の曲に大量に触れることが重要になる。写譜の実践は、まさに身体感覚を通じて、脳内に大量の発話データを格納していくことにつながり、それが身体知となって固有の作曲語法を醸成する。
大量に楽譜データに接するだけではなく、今後は詩作においても自らの語法を確立するために、大量の詩集データにも触れていく。自分の感性を刺激する作品と触れること以上に学びになることはない。作曲の理論書や詩作の理論書を読むよりも、遥かにそちらの方が実践的である。フローニンゲン:2021/2/9(火)15:29
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