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6577-6578: アートの国オランダからの便り 2021年1月21日(木)


No.1778 夜のフクロウ_An Owl at Night

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.28, Morning Pondering

I’m wondering. Are winds and rain are close friends? Strong winds accompanied the rain. I’m wondering. Do they welcome me as their friend? I’m wondering. Where do they take me after I become their friend? I realise that they are not my friends but myself, and that they don’t take me out anywhere because I always exist everywhere. Groningen; 07:28, 21/1/2021


No.29, Eternity

Eternity resides in the instant. We are intrinsically inseparable from every moment. Therefore, we are eternal. Therefore, we don’t have to seek for eternity. Groningen; 07:32, 21/1/2021

No.30, Absurdity

What kind of air does pursue itself? What kind of water does look for itself? No air and water do such a preposterous thing. How about humans? Unfortunately, they seem to always strive for seeking themselves. Groningen; 07:39, 21/1/2021


No.31, Fabrications in Our Society

Our society manipulates and expands our ego almost in an artistic way. Modern people live in a gigantic story based on a flood of lies and deceits fabricated by the society. Also, the society facilitates our self-aggrandizement that is limitless. True freedom and altruism are brought about only after we debunk multi-dimensional fabrications in our society. Groningen; 11:14, 21/1/2021


No.32, The Informational Panopticon and Dark Web

The sophisticated informational panopticon is built in our society, which monitors our activities for 24 hours. Under the kingdom of the surveillant, the dark web is also active in a surreptitious manner.

Darkness exists due to the existence of light. Did distorted enlightenment cause the panopticon and dark web? What kind of new light is required in the modern society? Groningen; 14:19, 21/1/2021


No.33, Judgment

Whenever we make a judgment, we utilise a certain type of measurement——it could be biological, economical, sociological, psychological, political, and mathematical, etc. When we judge someone, the judged person use the same measurement to judge us. Groningen; 14:30, 21/1/2021


No.34, I-Amness, Allness, and Emptiness

The All (or The One, The Absolute, etc) is equal to I-Amness. I-Amness is empty. Allness and emptiness are freely being manifested at every moment, both of which are completely liberated from anything. Groningen; 16:05, 21/1/2021


No.35, Live as Freedom, Formfulness, and Emptiness

Do not live in freedom, but as freedom.

Do not live in formfulness and emptiness, but as those.

Because we are inherently free, formful, and empty.

Groningen; 16:10, 21/1/2021


No.36, Farewell to Your Ego

Almost all of the sufferings come from our captivity in our ego. The only way to emancipate us from the sufferings is to bid farewell to our ego. Once we cease to be a prisoner for our ego, our sufferings would be gone. Groningen; 16:22, 21/1/2021


No.37, Nature and Emancipation

Nature makes us humble.

Nature gives us a feeling of awe.

Humbleness and a feeling of reverence for Nature help us overcome our confinement in our ego.

Groningen; 16:32, 21/1/2021


No.38, Our Society Needs Your Shout

Shout, shout, shout.

Shout from the bottom of your heart.

Our society desperately needs your therapeutic and transformative shout.

Groningen; 20:42, 21/1/2021

No.39, Language and Understanding of Reality

Honing our language expands our reality. Most of the parts of our reality are constructed by language. As Wittgenstein points out, the limitation of our language is that of our comprehension of reality. Poetic language might be helpful to stretch the horizon of our language, which would result in enhancing our understanding of reality. Groningen; 21:00, 21/1/2021


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6577. 今朝方の夢

6578. 詩作について/仮眠中のビジョン/アニメからの学び


6577. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今、激しい風を伴った雨が降っている。


どうやらこれから数時間ほど雨に見舞われるようだ。そこから少し晴れ間が広がり、夜にはまた雨が降る予報が出ている。


今朝方はいくつか印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、どこかの研修施設にいた。研修施設の一室に若手たちが集まり勉強会を行っていた。そこには大学生も何人かいて、場は生き生きとしていた。


勉強会のファシリテーター役もまだ30代だったので、その場の平均年齢は本当に若かった。私はサポート役としてその場にいたのだが、勉強会の最後に出た課題に関して私に指名があった。


課題図書の1冊の書籍の中に掲載されている実践法を1つ選び、皆んなに紹介してほしいとのことだった。私はパラパラと書籍のページをめくり、中身を確認したところ、マインドフルネス瞑想の実践を紹介しようかと思った。以前サンフランシスコのヨガスタジオでそれを教えていたこともあったので、それは紹介しやすいと思った。


ファシリテーター役にそのことを伝えると、彼は喜んでいた。そこからは、大学生の男性とファシリテーター役の彼と3人で書籍を読みながら談笑していた。


次の夢の場面では、私は日本の立派なホテルにいた。ホテルそのものは立派なのだが、どういうわけか部屋はカード式ではなく、鍵で開けるタイプのものだった。それに気づいたのは、受付でカードではなく鍵を渡されたからである。


部屋のあるフロアまでエレベーターに乗り、フロアに到着して部屋に向かっている最中、壁にかけられた絵画にはセンスを感じた。また、部屋の前の共有スペースに大きな横長のソファが四方の壁に置かれていて、大変寛げる空間が広がっていた。


私は部屋の鍵を開け中に入った。すると、部屋もセンスがあり、広々とした落ち着ける空間が広がっていた。


窓からの眺めは素晴らしく、遠くの方に富士山が見えるようだった。私は取り急ぎ部屋に置かれているものを確認することにした。


部屋の中には加湿器、ケトル、液晶テレビなどがあった。それらはいずれも最新の製品のようであり、自分の家にないようなものだった。部屋全体を確認したが、トイレや浴槽は確認しないまま、私は部屋を後にした。


気がつくと私はホテルのレストランにいた。そこで朝食のブュッフェを摂っていた。


私は2人が対面で用いる席を1人で使っていて、デザートを食べていた。普段は食べないケーキ類をコーヒーと一緒に摂っていた。


私の席からは遠くの方に入り口が見え、その周りが何やら騒がしかった。見ると、そこで言い争いのようなものが始まっていて、3人の男性がクリームの乗ったケーキを投げ合っており、全員の顔にクリームが付いていた。


しかしそれは言い争いではなく、何かの悪ふざけのようだった。悪ふざけが度を越してケーキの投げ合いに発展したようだった。


その騒動が落ち着くと、再び私はケーキを食べ始めた。すると、私の目の前に見知らぬ男性が突然座った。その男性は日本人であり、年齢は私よりも若い。風貌を見ると、少し柄が悪そうだった。


彼は私の真ん前に座るや否や、唐突にクレジットカードの勧誘を始めた。どうやらそれは特別なカードであり、ブラックカードのようだった。


そのカードは何か悪徳なものではなく、純粋なブラックカードであり、それに付帯する諸々のサービスや機能などは確かに素晴らしいものだと思うが、私にとってはあまり魅力的ではなかった。今のカードのランクで私は十分に満足していたので、彼の話を話半分で聞いていた。


その折、彼が私のために注文してくれたエスプレッソと餡蜜が運ばれて来た。餡蜜を食べるスプーンは彼の手元にあり、私はそれを要求することなくしばらくじっとしていた。


彼が注文したものを食べてしまうと、カードの契約をしてしまいそうだったので、しばらく我慢していたのである。すると、彼は運ばれて来た飲み物や食べ物を脇に置いたままパソコンを立ち上げ、カードの説明を続けた。


最初はパソコン画面にカードに関する資料が映っていたのだが、どういうわけか途中からカーレースゲームが画面に表示された。私はそれを見た時、この画面を見続けていると変性意識状態になり、ある種の催眠状態になると直感的に分かったので、そこからは画面から目を逸らし、彼を追い返そうと思った。


運ばれて来た餡蜜をいただくために私は立ち上がり、小さなスプーンを取りに行くことにした。そして席に戻ってくると、彼はもういなかった。フローニンゲン:2021/1/21(木)06:42


6578. 詩作について/仮眠中のビジョン/アニメからの学び


時刻は午後7時犯を迎えた。今日もまた、映画鑑賞をし、四六時中、作曲、詩作、絵画の創作を行き来するような1日であった。


創作活動において、作曲や絵画の創作だけではなく、詩作が加わったことは大きな意味を持つ。言語芸術としての詩作によって、日常がまた新たなものとして知覚され、充実感が増している。


今日もまた数々の映像作品を見ていたのだが、それが創作活動に良い刺激を与えている。映像作品から喚起される感覚や思考を詩の形にしていくことをとりわけ行っていた。


午後にふと、哲学書を含めた思想書が、詩作の大いなる刺激につながることであろうことを考えていた。ここ最近は詩集ばかりを購入していたが、来月はまた哲学書をいくつか購入し、それらを読むことを通じて喚起されたものを絶えず創作を通じて形にしていこうと思う。


詩作を通じて、リアリティを見る眼と感覚がさらに豊かなものになりつつあるのをすでに感じている。リアリティの多様な側面を捉えることを促す詩、そしてそれを感じさせる詩を作っていく。それは治癒と変容の作用にもつながっていくであろう。


今日は午後に仮眠を取っている最中に2つほど印象的なビジョンを見ていた。1つとして、私はヨーロッパのどこかの街の住宅街にいた。


私の目の前にはレンガ造りのアパートがあり、その一階の窓からある家族が脱出しようとしていた。不思議とそのアパートは日本風のアパートのように思え、窓の外にはベランダがあり、彼らはベランダに一度降りてから柵を越えようとしていた。彼らは少し焦っているように思えたが、誰に追われているのかはわからなかった。


もう1つのビジョンもまた印象的だったのだが、その細部は忘れてしまっている。脳裏に浮かんだのは詩を作っているようなビジョンのように思えたが、どうもそれは違う。何か冒険的な要素があり、スリリングな爽快さを伴うものだったと記憶している。


今日は映画やドキュメンタリーだけではなく、アニメも見ていた。先ほど、『キングダム』の第1·2シリーズの全てを見終えた。この作品から考えさせられることや愛ばされることは多く、それらについては映画の鑑賞ノートの方に逐一メモをしていた。


昨日から、『不思議の国のアリス(1983)』を見始めており、この作品もまた随分と考えさせられることが多くて驚いている。哲学的に深いエピソードがたくさんあり、人間存在とこのリアリティについて考える題材として興味深い作品だ。


今日見ていたエピソードにおいては、壁の上での生活を望むハンプティダンプティは、どこか抑圧され続けることを無意識的に望む現代人の姿と重なるものがあり、ものになぜ名前があるのかを考えるアリスは哲学者のように映った。また、名前を忘れてしまう森のエピソードにおいて、名前を忘れてしまうことは伝統を忘れることにつながるのではないかという考えも芽生えていた。


夕食を摂りながら見ていたエピソードにおいて、最初アリスは虫を嫌っていたのだが、体が小さくなって虫の世界に入り、虫と等身大の目線でその世界を体験することによって、虫の気持ちを理解していく姿が印象に残っている。


本当の共感というのは、相手の世界を体験するということが不可欠であり、単に頭の中で考えを巡らせるだけでは不十分であるという大切なメッセージのように思えた。フローニンゲン:2021/1/21(木)19:49

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