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6569-6570: アートの国オランダからの便り 2021年1月18日(月)


No.1767 光細工(その2)_Light Ware (Part 2)

本日の散文詩(prose poetry)

No.1, Time

The past cannot be the future. Yet, the latter can be the former. What does it mean? How is it possible? If you have a distinct time-perception than usual, the answers for those questions would be crystal clear. Groningen; 20:19, 18/1/2021, Groningen


No.2, No-Death

It may sound preposterous, but the dead cannot be dead. Thus, if we can be dead while we are alive, we would not die. Wait. In the first place, we have to answer: Where, what, and who are we? Groningen; 21:02, 18/1/2021


No.3, We are one

“Consciousness" is always a singular form. So is the self. It indicates and reveals that we are one. Groningen; 21:21, 18/1/2021


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本日生まれた6曲

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タイトル一覧

6569. 日々新たな目で、新たな気持ちで/今朝方の夢

6570. 詩に囲まれた至福さの中で/詩作の再開に向けて


6569. 日々新たな目で、新たな気持ちで/今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。今日からまた新たな週を迎える。

日々新たな気持ちで目覚め、新たな目を持って日々を生きるということ。まさに人間の内的成熟というものが、自身の心眼·魂眼の発達であることを考えてみると、日々新たな目を持って生きるというのは日々のミクロな発達を生きることに他ならないように思えてくる。

道元が指摘するように、自己を滅却するのではなく、自己を忘れること。自己を忘却させることによって全てと一つになること。

全てと一つになることは、全てから啓発·啓蒙され、啓発·啓蒙することであること。それについて昨夜考えていた。

今日もまた新たなを目を持ってこの世界を生き、全てから啓発·啓蒙され、啓発·啓蒙することを通じて生きていこう。

今朝方は夢を見ていた。2、3夢を見ていたように思うが、そのうちの1つを覚えている。

夢の中で私は、実際に通っていた小学校の体育館にいた。そこは小学校だったが、体育館には高校時代の先生たちが何人かいた。体育館内を見渡すと、数多くの生徒がいて、これから集会か何かが行われるようだった。

生徒に関して言えば、それは高校時代の生徒たちではなく、小中学校時代の生徒たちだった。生徒たちの大半は体育館内で整列しており、これからやって来る生徒たちも列に入っていった。

私はすでにある列の中にいて、地べたに座って集会が始まるのを待っていた。私の後ろにいた友人(YK)が立ち上がり、私に声をかけた。体育館のステージの方に向かっていき、ステージの近くにいる先生にある件について相談に行こうと述べたのである。

ある件というのは、私が先日友人にある資産を預かってもらっていた話である。資産の移動は全てオンラインで行ったのだが、それを学校のパソコンを使って行い、また金額が大きかったこともあって学校で問題になっているようだった。

私としてはそれほど大きな金額ではないと思っていたのだが、一回の取引額が3千万円を超えると、システム側が察知し、その取引の妥当性を検証することになっているようだった。その資産を投資対象として扱っている取引所は世の中にたくさんあって、友人と私は、各取引所の対応を洗い出すことにした。

本来学校側がとやかく口を出すことではないのだが、学校側はその取引を無効にして、私の資産をどういうわけか友人の資産として見なすことを検討しているようだった。それは全く意味のわからない対応だったので、友人と私は自分たちでこの件を解決しなければならないと思った。

この件を相談したのは高校時代の数学の先生なのだが、先生の投資や賃貸借契約に関する法律の知識のなさには愕然とし、学校の先生の大半はこんなものだろうと思うことにして再び元いた列に戻った。

再び地面に座り、私は友人に、ここからはより包括的に情報を得て、各取引所の対応を比較検討していこうと述べた。そのような夢を見ていた。

そう言えば、夢の中で列から立ち上がってステージに向かう際に、足がうまく真っ直ぐにならず、友人の肩を借りて歩いていたのを覚えている。しばらくしてようやく足が真っ直ぐになったのだが、その瞬間、自分の身長が随分と伸びていて驚いたのを覚えている。フローニンゲン:2021/1/18(月)05:37


6570. 詩に囲まれた至福さの中で/詩作の再開に向けて


シトシトとした雨音が聞こえてくる。窓の外を眺めると、冷たい雨がフローニンゲンの街に降り注いでいる様子が見える。

時刻を確認すれば午後8時に近づいていて、今日も気がつけばこの時間帯になっていた。日々のこの充実感は一体なんだろう。生命力が溢れ出し、それがとどまることを知らずに躍動し、起床からずっと種々の実践に没入している自分がいる。

1つ1つの実践に深く集中し、集中力が途切れる前に別の実践に移行することによって、止むことなき集中力の中で全ての実践が連続して行われていく。それは1つの流れのようである。途切れることを知らず、どこまでも流れていく流れのようなのだ。

たった今、注文していた詩集がまたいくつか届けられた。死に関する詩だけを集めた詩集をパッと開けたところ、なんと最近注目していたプーシキンの詩がそこにあった。これはなんという偶然だろう。

そう言えば、今朝方プーシキンに関するドキュメンタリーを見ていたところだったのだ。これは恐ろしいほどの偶然である。

この選集に収められている詩の多くが自分に何かを語りかけてきているのを感じる。その他には、待ちに待った詩集として、ウェールズの詩人ディラン·トマス(1914-1953)の詩集、そして北アイルランドの詩人シェイマス·ヒーニー(1939-2013)の詩集が届けられた。それらもざっと中身を確認し、明日からそれらの詩集を読める喜びに浸っていた。

明日からそれらの詩集を読めることを想像するだけで、なんとも言えない至福さが満ち溢れてくる。至福さの中で至福さを通じて生きるということはこういうことなのだろう。

今朝方、詩人のウォルター·ホイットマン(1819-1892)のドキュメンタリーを見終えた後、ふと英語で詩作をまた始めてみようかと思った。以前実験的に、詩とはあまり呼び難いかもしれないが、実験的に散文詩のようなものを英語で書いていた。今度はもう少し詩的世界や詩的言語を意識して書いてみようかと思ったのである。

これは自分の好みであるが、定型詩よりも自由詩の方が直感的に創造意欲が湧き、自由詩と散文詩を比べてみたときにも、普段の日記の文体の延長上に存在しているであろう散文詩の方が創造意欲が掻き立てられることがわかる。そのような点から、近いうちにまた詩作を始めるかもしれない。

その際には、思索と詩作を組み合わせたものにしていこうと思う。思索と詩作を融合した言語的な創作活動も絵画の創作と音楽の創作に加えて行っていきたい。

詩のテーマは、霊性、現代社会の諸問題、エコロジー、人間性に関する問題(AIやポストヒューマンの話題を含む)などが思いつく。また詩を通じて自らもさらなる探究をしていきたいために、詩の中に問いかけや疑問文を入れるような形を取ってみることも実験的に行っていきたい。

詩を通じて自らの感覚や考えを形にするだけではなく、詩的言語によって初めて浮き彫りになってくる問題の所在を示すような問いや疑問を詩の中に組み込むことができれば面白いかもしれない。自分の想像力を解き放ち、詩作を通じた思索、及び思索を通じた詩作をまたどこかのタイミングで行っていきたいと思う。フローニンゲン:2021/1/18(月)20:11

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