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6566-6568: アートの国オランダからの便り 2021年1月17日(日)


No.1761 夜の輝くサーカス_A Shining Circus at Night

本日の言葉

To find perfect composure in the midst of change is to find Nirvana. Shunryu Suzuki


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6566. 今朝方の夢

6567. 自然神秘主義的体験について/今に開かれた自己と創作活動

6568. 創造によって開かれる世界/実践のインターバル運動


6566. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。起床後に書斎に向かった時、窓の向こうに真っ白な世界が広がっていることに気づいた。

昨夜から今朝方にかけて雪が降っていて、それが随分と積もっていた。今年初めて雪が積もった形になったのだが、道路に関しては積雪防止剤を撒いているためか、道路には雪が積もっておらず、道は黒々としている。

今この瞬間は真っ暗であるから、闇の世界と道路の黒さと対比される形で真っ白な雪がくっきりと見える。今日から1週間の天気を見ると、再び気温が上がるようであり、今積もっている雪は程なくして溶けるだろう。

目の前に広がる雪の世界と、今朝方の夢の世界が重なり合っていく。今朝方に見ていた夢の世界の中でも雪が積もっていたように思う。

すでに雪が降り終えていて、私は雪が積もったヨーロッパのある街にいた。雰囲気から察すると、そこはオランダの街のようだった。その街の運河沿いにあるアパートの一室を借りていて、そこに小中学校時代の友人を招く形になった。

ちょうど2人の女性友達と何かについて打ち合わせをすることになっていて、そうであればうちで話をしようということになった。すると私は気がつけば大きな図書館の中にいた。

そこは確かに図書館なのだが、入り口が見覚えのある体育館の入り口のように思えた。入り口というよりも、実際に通っていた中学校の体育館の扉を開けるとその図書館につながっていて、すぐさま目の前に大量の本棚が現れたのである。

本棚に埋もれるような形で、遠くの方に女性友達の1人がいて、遠くから彼女に声をかけた。というよりも、そこは図書館であったから、念力を通じて心の中で大きな声で呼びかけると、テレパシーのように彼女の声が聞こえてきた。

どうやらもう少し調べ物をしたいとのことであり、では後からうちで落ち合おうということになった。再び私は扉から外に出ると、運河沿いの自宅の前の通りに出た。

改めて自分のアパートを見ると、デザインがオランダ的だった。色と形でとてもユニークであり、可愛らしく、しかるべき年数が建っていながらも、それでいて古さを感じさせない何かがあった。それは伝統を大切にしながら革新的な要素を織り込むというオランダ人の心のようなものである。

目の前に建っているそのアパートは、伝統と革新が融合した産物だった。そのようなことを考えていると、女性友達の1人が現れたので、一緒に部屋に向かった。

部屋に到着してすぐに、彼女は私のクローゼットを覗き、そこに置かれていた10着ほどのスーツの中から1つを選び、今度それを着て来て欲しいと私に述べた。それはスカイブルーのスーツであり、あまり普段着ないものだったが、どこかの機会にそれを着てもいいだろうと思った。

どういうわけか、そこにワイシャツやネクタイも掛けられていて、彼女はそれらを含めてスーツを試着したいと述べた。と言うよりも、もう試着をし始めていて、やめさせるわけにはいかなかったので、好きなように試着させることにした。

今朝方はそのような夢を見ていた。実際にはこの夢の他に別の夢も見ていた。1つ前にもう1つ印象的な夢があったのだが、それはもう記憶の彼方にある。

記憶の彼方にありながら、今この瞬間の自分の意識と無意識になんらかの影響を与えていることがわかる。まさに地球から何億光年離れた場所にある太陽が地球に影響を与え、自分に影響を与えているかのように。フローニンゲン:2021/1/17(日)06:21


6567. 自然神秘主義的体験について/今に開かれた自己と創作活動


今日も旺盛な創作活動、そして映画鑑賞と詩集を味読することを楽しみながら行っていく。日々、至福直観である。

日々の日常世界に満たされた至福が直観され、至福の中で毎瞬を生きていくこと。それが実現された日々が今ここにある。

開けられた書斎の窓から冷たい風が静かに流れ込んでいる。外気の気温は確かに低いが、それでも室内のヒーターをつける必要がなく、今年の暖冬ぶりには本当に驚かされる。

過去5年間の中でこのようなことは今年が初めてだ。積もった雪を眺めながら、人間としての自己が自然を感じるのではなく、自然としての自己が自然を感じるときに、本当の自然神秘主義的体験が立ち現れるのだと思った。これを間違えてはならない。

人間としての自己が自然を感じるのは自然神秘主義でもなんでもない。なぜならそこにはまだ小我が存在していて、神秘主義体験が神秘主義体験たらんとする没我かつ超我の側面がないからである。

小我としての我が消失し、自己が自然と化したときに感じられるその自然、それは全体的な自然であり、自然としての自己がそんな自然を感じる体験が自然神秘主義的体験なのだと思う。もちろんその体験を味わいながら、日々そうした体験を通じて生きていくために、自然に触れる形で生活をするというのは有益だろう。

フローニンゲンの中での引っ越し、そして近い将来の北欧への移住について思いを馳せている自分がいた。

今この瞬間の内的感覚及び内的体験を音や絵の形にしていく実践を四六時中行っていると、それは絶えず今に開かれている自己の確立につながっていることに気づく。

絶えず未規定の今の真っ只中に存在し続けている自己。そこに生き生きとした感覚が伴い、それを感じている自己。いやその感覚と同化している自己。

創作活動中の自己は今に開かれ、今に生きているのだから、そのような形で自己が存在しているというのは当然と言えば当然なのだが、各種密教的実践や神秘主義的な実践を見てみると、それらが目指すべき境地というのは、今述べたこととほぼ同じであることにふと気づく。

未分化の世界に自己が溶け込んでいき、その世界と一体化し、今この瞬間の開かれを通じてそこにあるという感覚。その感覚を感じている時、未分化の創造的な世界から色々なものが湧いて出てくる。それを形にしていく試みに従事しよう。

その瞬間にしか立ち現れないその場限りの自己感覚を大切にする。その瞬間にそこにいるたった1人の存在者としての自己が未規定の無限の世界から受け取るもの。それを言葉·音·絵の形にしていく。

それを受け取る行為もまた連続的かつ無限であり、その行為が生きているという感覚につながる。別の表現で言えば、絶えず創造を続けている世界とつながり、自分の内側からも絶え間ない産出的創造が起こっているということにありありと気づくことが、今その瞬間を生きているということなのではないかと思う。

世界が自分を通して顕現してくるものをつぶさに知覚受領し、それを受け取りながら絶えずそれを形にしていく。今日もそのような充実した1日になる。フローニンゲン:2021/1/17(日)06:38


今日も旺盛な創作活動、そして映画鑑賞と詩集を味読することを楽しみながら行っていく。日々、至福直観である。

日々の日常世界に満たされた至福が直観され、至福の中で毎瞬を生きていくこと。それが実現された日々が今ここにある。

開けられた書斎の窓から冷たい風が静かに流れ込んでいる。外気の気温は確かに低いが、それでも室内のヒーターをつける必要がなく、今年の暖冬ぶりには本当に驚かされる。

過去5年間の中でこのようなことは今年が初めてだ。積もった雪を眺めながら、人間としての自己が自然を感じるのではなく、自然としての自己が自然を感じるときに、本当の自然神秘主義的体験が立ち現れるのだと思った。これを間違えてはならない。

人間としての自己が自然を感じるのは自然神秘主義でもなんでもない。なぜならそこにはまだ小我が存在していて、神秘主義体験が神秘主義体験たらんとする没我かつ超我の側面がないからである。

小我としての我が消失し、自己が自然と化したときに感じられるその自然、それは全体的な自然であり、自然としての自己がそんな自然を感じる体験が自然神秘主義的体験なのだと思う。もちろんその体験を味わいながら、日々そうした体験を通じて生きていくために、自然に触れる形で生活をするというのは有益だろう。

フローニンゲンの中での引っ越し、そして近い将来の北欧への移住について思いを馳せている自分がいた。

今この瞬間の内的感覚及び内的体験を音や絵の形にしていく実践を四六時中行っていると、それは絶えず今に開かれている自己の確立につながっていることに気づく。

絶えず未規定の今の真っ只中に存在し続けている自己。そこに生き生きとした感覚が伴い、それを感じている自己。いやその感覚と同化している自己。

創作活動中の自己は今に開かれ、今に生きているのだから、そのような形で自己が存在しているというのは当然と言えば当然なのだが、各種密教的実践や神秘主義的な実践を見てみると、それらが目指すべき境地というのは、今述べたこととほぼ同じであることにふと気づく。

未分化の世界に自己が溶け込んでいき、その世界と一体化し、今この瞬間の開かれを通じてそこにあるという感覚。その感覚を感じている時、未分化の創造的な世界から色々なものが湧いて出てくる。それを形にしていく試みに従事しよう。

その瞬間にしか立ち現れないその場限りの自己感覚を大切にする。その瞬間にそこにいるたった1人の存在者としての自己が未規定の無限の世界から受け取るもの。それを言葉·音·絵の形にしていく。

それを受け取る行為もまた連続的かつ無限であり、その行為が生きているという感覚につながる。別の表現で言えば、絶えず創造を続けている世界とつながり、自分の内側からも絶え間ない産出的創造が起こっているということにありありと気づくことが、今その瞬間を生きているということなのではないかと思う。

世界が自分を通して顕現してくるものをつぶさに知覚受領し、それを受け取りながら絶えずそれを形にしていく。今日もそのような充実した1日になる。フローニンゲン:2021/1/17(日)06:38


6568. 創造によって開かれる世界/実践のインターバル運動


時刻は午後8時を迎えた。今、日曜日がゆっくりと終わりに向かっていき、明日に向かって静かに準備を始めている。

今日もまた1日を通して雑多なことを考えていた。かつてプラトンのアカデメイアの入り口には、「幾何学を知らない者、入室禁止」の文字が掲げられ、プロティノスのアカデメイアの入り口には、「観照を知らない者、入室禁止」の文字が掲げられていたと伝えられている。

創作活動に日夜明け暮れることを通じて開かれていく世界があることを考えてみると、「創造を知らない者、入室禁止」の文字が掲げられた世界も存在するようだ。

創作活動に関していえば、明確な表現対象があって、それを言葉·音·絵で表現するのではなくて、次々に生み出される言葉·音·絵が形を生み、表現対象の輪郭を露わにしながら固有のリアリティを創っていくことについて考えていた。

何よりも言葉·音·絵に身を任せること、そしてその赴くままに進んでいくことの大切さを今日もまた実感していた。そのような形で行われる創作活動によって、眼前に唯一無二のリアリティが顕現する。

そしてそれは自己そのものに他ならないこともわかる。つまり新たな創作活動は、新たなリアリティを開きながら、同時に新たな自己を開き、両者が同時的に新たなものとして共生起することがわかる。

種々の実践に日々従事していると、円周上のどの地点から出発して円心に向かっても、結局それは同じ円心に行き着くこともわかる。1つ1つの実践に集中することは極めて重要なのだが、集中力を高めるためには、多様な実践領域を行き来することが自分の場合には合っているようだ。

短い時間にある実践に集中し、そして次の実践に集中していく。実践のインターバル運動のようなものをおよそ30分ぐらいの切り替え頻度で行っていて、それが集中力の維持につながっているようだ。こうしたことに加えて、自分なりの内観的集中法を実践していこう。

ようやく明後日にフローニンゲンの街もロックダウンを解除する。11月の初旬に日本から戻ってきて以降、一度も旅行に出かけていない。春になったら旅行をぜひ行いたい。もう行き先の候補は決めてある。

今年の春は時間をかけてドイツを巡ろう。一度に多くを巡ることはできないだろうから、また別の機会に旅を設け、その時に候補地を巡っていく。

この夏は3度目になるがフィンランドに足を運ぶ。将来の居住先を見つける意味でも、これから毎年の夏はフィンランドに行き、毎回新しい場所に滞在してみようと思う。

旅の最中は写譜の実践をする時間がないことを想定し、今のうちに写譜の実践を行って、原型モデルを作っていくことを日々心がけていこう。モデルのストックを豊富に持っておき、旅の最中にはそれらをもとに作曲に勤しみたい。そのようなことを入浴中に考えていた。フローニンゲン:2021/1/17(日)20:15

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