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6553-6554: アートの国オランダからの便り 2021年1月12日(火)


No.1740 光の門番_A Guardian of Light

本日の言葉

To have self-respect is to take good care of one's own mind. Cheng-Yen


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6553. 今朝方の夢/欲望の奴隷と化す現代人

6554. 仮眠中のビジョン/人間の欲望について


6553. 今朝方の夢/欲望の奴隷と化す現代人


時刻は午前6時を迎えた。今、しとしとした雨が降っている。

天気予報の通り、昨夜からずっと雨が降っていて、どうやらそれは午前10時頃に止むらしい。そこからは晴れ間が広がるようなので、太陽の姿を拝むことが今から楽しみだ。

今朝方の無意識の世界は落ち着いていて、あまり印象的な夢を見ていない。夢の中で私は、同年代の日本人の女優と詩に関する話をしていた。特に誰か詩人を取り上げるわけでもなく、詩に関する一般的なことを話していたように思う。それ以外にも何か夢を見ていたような気もするが、今はそれを思い出すことができない。

カントは、各人の目的を尊重し合う社会として「目的の王国」なるものを提唱していた。そこには各人がそれぞれに多様な目的を持っていて、それらを互いに尊重することによって共同体を育んでいくという考えがあるのだと思うが、現代は各人が多様な目的を持っているように見えながらにして、物質消費文明のイデオロギーとテクノロジーによって、人間の目的が画一化しているのではないかと思えてくる。

目眩のような体験をもたらす現代の巨大都市。世界の様々な巨大都市に足を踏み入れてみると、そこでは人間の欲望を刺激するショービジネス的な光景が広がっていて、ある種の目眩を覚える。

それはまるでドラッグ体験のようなものであり、巨大都市で生活を営むというのは、日々ドラッグ体験をしているようなものなのではないかと思った。その結果として、自分自身が欲望の奴隷と化していることに気づかず、目眩を引き起こす幻想世界とそうではない世界との区別ができなくなってしまうのではないだろうか。日本の大都市を含め、巨大都市に足を運んだ時の気持ち悪さはこうしたところにあるのだと合点する。

現在では、ビッグデータと称して、各種のデータがまるで新しい石油資源かのように見做され、その争奪戦争が日夜繰り広げられている。そしてそうしたデータは、私たちの欲望をより一層刺激し、欲望の奴隷をさらに強化する方向に活用される場合が多い。

人間は欲望を抱く生き物であるが、本当に自分が欲していることと人工的に誰かが作り上げた欲望を区別する必要があるのではないかと思う。それをしなければ、他者が作り上げた虚構の欲望を幻想世界の中でひたすら求め続けるという飽くなき欲望の奴隷として一生を過ごすことになるだろう。そのようなことを昨夜考えていた。フローニンゲン:2021/1/12(火)06:22


6554. 仮眠中のビジョン/人間の欲望について


時刻は午後7時半を迎えた。今日は早朝に雨が降っていたが、午後からは嘘のように晴れ渡り、日光浴を楽しみ、そして街の中心部の市場とオーガニックスーパーに行くことができた。コロナの問題は依然として続いているが、街全体として暗い雰囲気はなく、平穏な日常世界が広がっている。

午後に仮眠を取っている最中に不思議なビジョンを知覚していた。自分の目の前に大きなトラックが現れ、その荷台の扉を開けると、そこに靴を収納するスペースを見つけた。

どうやら自分はそこに靴をしまっているようなのだが、そこは不気味なほど真っ暗だった。不気味な暗闇の中に何かいるような気配があったのである。

次に扉を開けるときには懐中電灯で照らして中を確認してみようと思った。そして実際にそれをしてみると、中には何もなくて安堵した。

安堵感が漂ったのだが、まだそこに何かいるような気配がしていて、自分の中には依然として疑いの気持ちがあり、一方でそこに何かいて欲しかったと思っているような矛盾した気持ちもあった。そこに化け物か何かがいてくれればと密かに願っている自分がいたことは興味深い。

「欲望を満たすことはできるが、欲望を欲することはできない」という言葉をショーペンハウアーは残した。この言葉は元々、物事は起こるべくして起こる(欲求は自然と起こる)という決定論を意味しているそうだが、この言葉には何か別の意味がありそうである。

この言葉は、人間は無限に欲望を持つ生き物であり、それを部分的に満たすことは可能だが、完全にそれを満たすことはできないということを示唆しているように思える。欲望を対象化し、欲望と差異化を果たすことの難しさを示唆しているようにも思え、欲望と同一化した状態かつ、この物質資本主義的な社会がそうした同一化を強化する方向に動いていることを見ると、欲望の奴隷から脱却することは極めて困難であることが浮き彫りになって来る。

欲望を刺激する社会が投げかけて来る様々なものを対象化し、自分の欲望そのものを対象化していく試みを継続していこう。

ここ最近は作曲理論書から少し離れているが、今後理論書を参考にして、その中に掲載されている抜粋された楽譜を写譜する際には、それらを素材としてうまく活用する形でコラージュ的な曲を作ってみたいということを考えている。

ここ数日以内に、再び実際の楽譜を写譜することに力を入れ始め、今はそれをもとにして作った曲の原型モデルを参考にして曲を作っているが、また流れとして作曲理論書を参照する日がやってきたときには、上記のアイデアを採用し、コラージュ的な作品を作ってみよう。フローニンゲン:2021/1/12(火)19:50

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