No.1738 闇夜の使い_An Apostle of Dark Night
本日の言葉
It never does any good to build a fence and keep off those we consider to be the enemy. Thich Nhat Hanh
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6550. 今朝方の夢
6551. グルジェフとハートマンのピアノ曲
6552. マーカス·ガブリエルの哲学書
6550. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。今日から新たな週が始まる。
2021年を迎えてもう10日以上も経ったことに気づく。自分には気づかない形で時が進行している。
今朝方は、とても立派な和風のホテルに宿泊している夢を見た。そこは一般客用の建物と王族·皇族用の建物を分けていて、なぜか私は後者の側の建物の方に宿泊していた。宿泊客として宿泊しているように見えながらも、同時に私は部屋の掃除などの手伝いも行っていた。
その日の朝に、何人かの人たちと一緒に掃除をすることになっていて、ここで長く働いていると思えるような年配の女性が私を起こしにやってきた。私はすでに起床しており、部屋で水を飲んでいるところだった。
私を起こしに来た女性は、「あら、もう起きてたのね。朝食の準備ができましたよ。それを食べてから掃除をしてください」とだけ述べて、どこかに行ってしまった。時刻は午前8時頃であり、消化にエネルギーを費やしたくないため、普段は朝食を食べないのだが、今は宿泊中ということもあり、何か食べておこうかと思って部屋を後にした。
そこから朝食会場までの道のりはとても複雑であり、すぐに迷ってしまうように思えた。このホテルからはどこからも高級感が放たれていて、ホテルそのものが芸術作品のようだった。実際にこのホテルには至るところに美術品が置かれていて、それを眺めながら歩くのはちょっとした楽しみだった。
しばらくホテルの中を歩いていても一向に朝食会場に着く気配がなかった。すると、いつの間にか私は一般客用の建物の方にいることに気づいた。
ちょうど目の前にはラウンジが広がっていて、マッサージ機を使ってくつろいでいる人や、銭湯から上がってきて涼んでいる人、お酒を飲んでいる人、卓球をしている人など様々な人がいた。みんな総じて浴衣を着ていたように思う。
その中に小中学校時代の友人や、見ると遠くの方に父もいた。父は銭湯から上がってきた様子だった。
私は彼らに話しかけようかと思ったがそれをやめ、素早く朝食を済ませ、部屋の掃除に取り掛かることにした。そこからまた王族·皇族用の建物に戻ると、私の体は小さな車に変化し、車のような速度でホテルの中を移動し始めた。私にとってはそれはとても早い速度だったが、周りから見るとゆっくりに見えるという興味深い仕組みになっていた。
次の夢の場面では、地球地図が変形していた。具体的には、実家のある山口県と海を隔ててすぐのところにケニアと中東諸国があったのである。本来は韓国が目と鼻の先にあるのだが、どういうわけかケニアが最も近くにあり、その横にイランとアフガニスタンがあるという地図になっていた。
私は車を運転していて、実家からケニアに向かっていた。山口県とケニアをかける橋は比較的立派なものであり、観光名所の1つになっていた。
橋を渡ると、いつの間にか車が消え、私はケニアの街を歩いていた。その街は首都のような雰囲気を持っており、高層ビルが立ち並んでいた。しかし、高層ビルだけではなくて、緑化にも配慮しているためか、整理された道路の脇には必ず緑豊かな木が植えられていた。
その日はちょうど晴れであり、木漏れ日が美しかった。気がつくと、私の横に小中学校時代の女性友達(AS)がいて、彼女と散歩をしながらケニアの街を散策することにした。
そこで私は、「ケニアがこんなに近かったら、家族旅行か何かで小さい時に連れてきて欲しかったな」と述べた。幼少時代に異国の文化に触れることは、いろいろなことを感じられ、様々なことを学ぶであろうから、小さい頃にケニアに来たかったという思いが自分の中に湧いてきたようだった。
街の中を見渡すと、アフリカ系の人たちだけではなく、日本人観光客もたくさんいた。というよりも、そこは日本から最も近いケニアの街だったためか、街中の看板は日本語のものが多かった。実際に街に進出している店や銀行などは軒並み日系のものであり、看板の日本語がやけに目立った。
私はふと友人に、「街を歩きながら何か気づいたことある?」と尋ねた。看板に関することではなく、私はこの街の色が特徴的だと思っていた。
すると友人は、「黒い服を着た人が多いよね」と述べた。友人がこちらの意図通りに色について言及してくれたのは嬉しかった。また、彼女の言う通り、この街を歩いている人は黒い服を着ている人が多かった。
しかし私は、「その通り。だけどこの国で「黒い」という言葉を安易に使ってはいけないよ」と述べた。ケニアは黒人の国ではあるが、この国に移り住んできた人たちがケニア人を差別する社会問題があり、それを配慮しなければならない言葉遣いをする必要があった。そこから私たちはまた話をしながら街を散策した。フローニンゲン:2021/1/11(月)07:29
6551. グルジェフとハートマンのピアノ曲
時刻は午前7時半を迎えた。つい先ほど洗濯機を回した。いつも月曜日と木曜日は洗濯の日なのだ。
今日は昼前に、表札の名札を新しいものに張り替えておこうと思う。というのも、これまで使っていた名札が風化し、名前が消えてしまっているのだ。
実際には今から2年前に名札を新しくしたのだが、そこから月日が経ち、また新しくする必要に迫られた。2年に一回ほど名札を張り替えることが1つのサイクルになっているかのようである。
今年の夏からは、フローニンゲンでの6年目の生活が始まる。まさか自分がこの土地にこれほどまで長くいるとは思っていなかった。
今はフローニンゲンを出ていくことは考えておらず、フローニンゲン内での引っ越しは検討していながらも、もう数年はこの街で生活をするだろう。その後はフローニンゲンを離れるだけではなく、オランダからも離れ、フィンランドに移り住もうと考えている。
昨日、アルメニアの神秘思想家ジョージ·グルジェフのドキュメンタリーを見ていた。今日はこれからグルジェフに関するまた別のドキュメンタリーを見ていこうと思う。
昨日見たドキュメンタリーの中で、グルジェフが、現代文化は自動機械的なものとなり、また人々を自動機械としてしまうという類の指摘をしていた。まさにその通りである。
人々は自律的な振る舞いをする生命体ではなく、自動機械化された社会システムの中に組み込まれることによって、自律性を喪失し、生物学的には生命のある有機体だが、実質上は生命感の欠如した無機物的機械に成り下がってしまっているように思える。その傾向は強まるばかりである。
そこから私は、グルジェフは神秘思想家としての仕事だけではなく、作曲家としても大きな仕事を残していることを思い出した。そして、今から数年前にパリを訪れ、パリの楽譜屋でグルジェフの楽譜を購入したことを思い出したのである。
すぐに私は書斎の中で楽譜だけが置かれている場所に行き、グルジェフの楽譜を手に取った。それは “Music for the Piano Vol. 1:Asian Songs and Rhythms”というタイトルの楽譜である。
これはグルジェフとロシアの作曲家トーマス·ハートマンが協働して作ったものであり、この楽譜に収録されているピアノ曲を聴いてみると、2人が作ったピアノ曲の面白さに改めて気づいた。
グルジェフとハートマンは、バルトークのように民族音楽に関心を持っていて、実際に民族音楽の収集も熱心に行っていた。そうしたことから、2人の曲には様々な土地に眠る土着神の声のようなものが内在しているように感じられ、2人の神秘思想も1つ1つの曲に体現されているように思う。
改めて2人の音楽に関心を持ち、パリ旅行では第1巻しか購入してなかったので、早速昨日の午後に、全4巻の楽譜の残りを購入した。購入したのは下記の楽譜である。
・Music for the Piano Vol. 2:Music of the Sayyids and the Dervishes
・Music for the Piano Vol. 3:Hymns, Prayers, and Rituals
・Music for the Piano Vol. 4:Hymns from a Great Temple, and other Selected Works
第1巻についても他の楽譜と同様に、昨日から写譜の実践を始めた。残りの3巻が届いたら、同様に写譜の実践をし、そこから自分の曲を作っていこうと思う。フローニンゲン:2021/1/11(月)07:57
6552. マーカス·ガブリエルの哲学書
時刻は午後7時半を迎えた。今、しとしとした雨が降っている。風も強く、この雨は明日の朝まで降るようだ。
幸いにも明日は早朝に雨が止み、そこからは天気が回復するようなので、明日は午後に日光浴をすることができるだろうし、街の中心部の市場とオーガニックスーパーに立ち寄ろうと思う。
つい先ほど、トーマス·スターンズ·エリオットの詩集が届けられた。1300ページほどの大著だが、その紙は薄く、これが通常の紙であればもっと分厚いものになっていただろうと想像される。
早速中身を眺めてみたところ、詩そのものは350ページほどであり、詩の解説と脚注が非常に充実していて、それが内容の大半を占めると言っても過言ではない。 本書の編集を務めた人たちへ労いの気持ちが生まれると共に、感謝の念も生まれる。
今夜は、ポエトリー·セラピーに関する専門書の巻末に掲載されている詩を読み、時間があれば早速エリオットの代表的な詩も読み進めていきたいと思う。
今日はドイツの哲学者のマーカス·ガブリエルに関するドキュメンタリーを見ていた。その中で、彼の思想に共鳴するものがいくつかあり、彼の著書を読んでみようと思った。
すると偶然ながら、今から数年前にポーランドのワルシャワを訪れたときに立ち寄った書店で、彼の共著“Why the World Does Not Exist (2015)”を購入していたことを思い出した。それは共著であったから、彼の名前が印象に残っておらず、名前を忘れてしまっていたのである。
来月は詩集に合わせて、ガブリエルの下記の書籍を購入しようと思う。
1. “Mythology, Madness, and Laughter: Subjectivity in German Idealism (2009)”:スラヴォイ·ジジェクとの共著であり、ジジェクの思想も以前から注目をしていたので、本書は興味深い。
2. “Fields of Sense: A New Realist Ontology (Speculative Realism) (2015)”
3. “Neo-Existentialism (2018)”
4. “I am Not a Brain: Philosophy of Mind for the 21st Century (2019)”
5. “The Power of Art (2020)”
6. “The Limits of Epistemology (2020)”
7. “The Meaning of Thought (2020)”
来月は上記の7冊の哲学書に加えて、15冊をめどに詩集を購入しようと思う。
今日は午前中にふと、脳のワーキングメモリーを一杯にさせない形で日々の学習と実践をしていくことについて考えていた。創造性を発揮させるために、メモリーを保持するために脳を働かせるのではなく、メモリーの保持にエネルギーを使うことは最小限にして、脳の創造性を最大限に働かせることについて考えていた。
メモリーの保持を最小にするためには、些細なことを記憶しようとしないことが重要になると思われる。そのあたりを意識して明日からの学習や実践に取り組んでみよう。フローニンゲン:2021/1/11(月)20:20
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