6519-6521: アートの国オランダからの便り 2021年1月2日(土)
- yoheikatowwp
- 2021年1月5日
- 読了時間: 10分

No.1700 夜の詩的世界_A Poetic World of Night
本日の言葉
The very motion of our life is towards happiness. Tenzin Gyatso
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6519. 今朝方の印象的な夢
6520. 創作活動と映画鑑賞の根源/作曲上の実験案
6521. 『いまを生きる(1989)』を見て/詩集を紐解くこと
6519. 今朝方の印象的な夢
早朝、静かな朝の世界に1羽の小鳥の鳴き声がこだましていた。その鳴き声に耳を傾けながら瞑想をし、いつものようにヨガの実践をして今に至る。
新年を迎えて2日目の今日は土曜日だ。新たな年を迎えても自分の生活のリズムは何ひとつ変わらない。絶えずこの瞬間に在ることを意識し、そしてそれを実感しながら生きていく。
今朝方はいくつか印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、小中高時代の友人(HY)と室内で会話をしていた。そこは見慣れない場所であり、説明は難しいが、コンクリートで出来た近代的な建物の中にある木造の一室だった。
その部屋の片隅に友人は、本を積み上げていた。その形は現代アートの作品のようで面白かった。本をまっすぐに積み上げるのではなく、時に横に広げていくように本を積み上げている姿は圧巻であった。
しかし、オブジェのような積読された本のてっぺんの部分がバランスが悪いように思え、私はそれを友人に指摘した。すると友人は私に直して欲しいと述べたので、慎重にそれを直そうとすると、高校時代のクラスメートの別の友人が現れ、彼が突然それを直した。
しかしそれは私のイメージと異なり、それで大丈夫かと心配になったが、改めて彼が直したやり方を見た時に、そちらの方がいいように思えたので、彼の修正案を採用することにした。そこで夢の場面が変わった。
だが今度の夢も一つ前の夢と同じ舞台のようだった。ただし、部屋が変わっていた。
次の夢の場面では、木造で出来た図書館のような場所にいた。そこでは本が棚に入っているのではなく、棚そのものも本だった。
無数の本が至る所にあって、とても興味深い作りをしていた。実はそのデザイン案は私と友人が出したものであり、その案が採用されたことを嬉しく思った。
すると、高校2年生の時に同じクラスだったある女子生徒がやってきて、今から本を借りたいとのことだった。私と友人は本の案内係を務めていて、それに加えて、生徒が本に触れて棚を壊さないように監視する役割も担っていた。
そうしたことから、私たちは彼女を案内することになり、どのような本を探しているのかを尋ねた。すると彼女はその本がある場所をもう知っているようであり、1人で勝手に棚の方に進んで行った。
私たちは彼女を追いかける形でついていくと、彼女が探していたのは本ではなく、実際には雑誌のようだった。雑誌コーナーに到着するや否や、彼女はお目当ての雑誌を手に取り、飲食用のテーブルに置かれていた酢を一気飲みした。
それは黒酢であり、とても美味しそうに見えたし、健康にも良さそうだったので、私もそれをもらい、一気に飲み干した。そしてふと右を眺めると、そこに東欧系のお婆さんが数名いて、楽しそうに談笑していた。
お婆さんたちは私たちに気がつくと、気さくに話かけてきた。どうやらお婆さんたちは私たちの祖母よりも上の世代であり、東欧系にも関わらず日本語を話すことができたが、言葉が古い印象を受けた。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は木造の演劇場にいた。壇上で誰かがスピーチをしていて、観客は全て中学校時代の生徒たちだった。
観客の中から突然声を上げる人がいて、見るとそれはやんちゃな先輩だった。先輩は席を離れ、壇上に上がり、突然歌舞伎のような劇を披露し始めた。
その劇はある先生を痛切に批判する内容だったが、見事な劇であり、まさかその先輩にそのような才能があるとは知らず驚いた。批判されている先生は最初のうちは顔を背けていたが、その劇は笑いもあり、観客だけではなく先生たちも劇に引き込まれていった。
劇が終わりに近づくと、どういうわけかその先輩は打ち首の刑に処せられるとのことだった。ある先生の話によると、打ち首されると、足先まで電流のようなものが流れ、全身が痺れてしまうとのことだった。それを聞いて少し恐怖心が芽生えたが、同時にそうした電流が自分の全身を駆け巡っていく様を想像して興奮した。
そこで夢の場面が変わった。最後の夢の場面では、私は小学校時代に同じサッカークラブに入っていた1学年上の先輩とパス交換をしていた。ボールは普通のサッカーボールではなく、テニスボールぐらいの大きさであり、トラップをするにもボールを蹴るにも技術が要求された。
しばらく先輩とパス交換を楽しんだ後、そこからシュート練習に入ろうとしたところで夢の場面が変わった。実際には今朝方はその後にもまだ夢を見ていたように思う。
夢から覚めた時、夢の世界のリアリティの強度が高く、現実世界の方のリアリティの強度がとても希薄であり、夢と現実世界が逆転しているように思えた。フローニンゲン:2021/1/2(土)07:27
6520. 創作活動と映画鑑賞の根源/作曲上の実験案
——「終わり」という言葉を書ける勇気を持つ者だけが、「始まり」という言葉を書く強さを見つけることができる——禅の格言
時刻はゆっくりと午前7時半に近づいている。天気予報を見ると、今日は終日曇りのようである。
昨日は太陽が輝いていて、書斎の窓辺で映画を見ながら日光浴を楽しんでいた。今日も仮に太陽が姿を見せたら日光浴を楽しもう。
少し前までは1日に8本から10本ほど映画を見ていたが、ここ最近は曲の原型モデルの作成と作曲実践、そして積読されている書物を読む時間を取っていたので、毎日5本から6本程度の映画鑑賞に落ち着いている。
確かに1日に5本や6本の映画を見るというのは、映画評論家や真に映画好きの人間からしてみれば決して多くない量かと思うが、今の自分にとってはそれぐらいが最適量のようである。実際にそれくらいの量であれば、映画への飢えの感覚が維持され、映画を鑑賞した時の喜びや感動が増す。そうしたこともあり、今後しばらくは毎日5本から6本程度の映画鑑賞に留めようと思う。
1つ1つの作品には終わりがあり、絶えずしかるべき形で終わらせていくこと。それが次の創作の始まりになる。
この原理は曲の創作や絵の創作の際に大切にしていることである。1つの作品を作り終えるという勇気が次の作品の始まりを引き寄せていく。
昨日、黒澤明監督の映画の色使いを参考に、作曲において無調の世界観を下敷きにし、時折自分の好きな輝く和音を散りばめてみることについて考えていた。谷崎潤一郎が述べるように、日本的美意識は明るさよりも陰影と密接に関わっているのであれば、無調世界の中に輝きを散りばめることは自分の心に響くものがあるかもしれない。そのような実験的な試みに着手してみよう。
下敷きとなる無調の世界観は、アーノルド·ショーンバーグよりも、アントン·ウェバーンの曲の方が参考になるかもしれない。また和音に関しては、ラヴェル、フォーレ、ドビュッシーなどのフランスの作曲家を参考にしたり、ショパンやスクリャービンなどの和音を参考にしたい。どのような風にこの実験を進めていくかは不明だが、ぼんやりと実験案が醸成されている。
日々の自分の種々の実践は、人間から生命感を奪う社会の諸々のあり方に対する抵抗の現れなのだということに気づく。人間の生命感の解放を強く希求する自己がいて、その自己が創作活動や映画鑑賞の活動動機の根源にある。
創作活動や映画鑑賞に日々従事している社会的な理由としては、生命感を抑圧する社会の種々の嘘を暴くためにあるというのは確かだろう。そのようなことを昨日考えていた。
それでは今日もまた創作活動と映画鑑賞に打ち込んでいきたいと思う。映画に関しては昨日の段階ですでに今日何を見るかをある程度決めている。今日もまた見たい映画がいくつもあるのだ。創作の楽しみと映画鑑賞の楽しみの中で今日の1つ1つの瞬間が進行していく。フローニンゲン:2021/1/2(土)07:39
6521. 『いまを生きる(1989)』を見て/詩集を紐解くこと
——あなたの生き様は、偉大な詩になるだろう——ウォルター·ホイットマン
時刻は午後7時半を迎えた。1日が静かに終わりに向かっている。
今日も映画鑑賞を旺盛に進めていき、本日見た作品の中では、『いまを生きる(1989)』という作品が最も印象に残っている。この作品は、アメリカの名門ボーディングスクールを舞台に、ある1人の教師と生徒との心の交流を描いている。
主人公の教師は詩を専門にしていて、この作品の中には数多くの名言や素晴らしい詩の引用があった。ちょうど今朝方に、イスラム神秘主義の詩人であるルーミーに関するドキュメンタリーを見ていて、彼の詩集“The Essential Rumi”を読み返そうと思っていたところだった。
私たち個人、そして社会も言語に縛られる形で活動をしていて、個人や社会の変容において、言語空間そのものを変容させていくことは不可避に求められると言えるだろう。そうしたことを考えてみたときに、詩が果たす社会的役割、ないしは社会的力を見逃すことはできないように思う。
詩への関心が再燃し、ルーミーの詩集を読み返すだけではなく、今日は下記の7冊ほどイギリスの書店に注文した。
1. The Complete Poems of Walt Whitman
2. The Collected Poems of W.B. Yeats
3. The Selected Poems of Emily Dickinson
4. The Collected Poems of Robert Frost
5. The Collected Poems of William Wordsworth
6. Complete Poems of John Keats
7. Poetry of Goethe
上記の詩集を購入した後、彼ら詩人の記念館に足を運んでみたいと思った。調べてみると、ルーミーの記念館がトルコのコンヤという街にあることを知り、この春にでもそこを訪れてみようと思った。
コンヤという街は、トルコの首都アンカラから高速列車で1時間半ほどの距離にあり、人口は125万人ほどいるらしい。意外と大都市である。
そこにメヴラーナ博物館知王ものがあり、そこにメヴラーナ教団の始祖ジェラルディン·ルーミーの霊廟がある。トルコはまだEUに加盟していないため、入国ビザが必要なのか確認したところ、日本とトルコの間には査証免除の取り決めがあり、3か月以内の短期滞在についてはビザは不要とのことである。
ロシアのように入国が面倒ではないことを知り、トルコに足を運んでみようという気持ちが高まった。トルコに訪れる前か後か分からないが、ドイツにも近々足を運ぶつもりである。その際には、ゲーテの詩集を携帯して、フランクフルトにあるゲーテ記念館に足を運ぼうと思う。
本日購入した詩集のその他の詩人については、例えばウィリアム·バトラー·イェイツの記念館はアイルランドにあり、ウィリアム·ワーズワースの記念館は北西イングランドにあり、ジョン·キーツの記念館はロンドンにある。
2年半前にロンドンに訪れた際にキーツの記念館を見落としていたことが残念だが、またイギリスに訪れる機会があれば、キーツの記念館とワーズワースの記念館を合わせて巡りたい。アイルランドにはまだ訪れたことがないので、夏にフィンランドを訪れた後か、この秋にでもイェイツの記念館に足を運びにアイルランドに行ってみようかと思う。
『いまを生きる(1989)』の映画の中で引用されていたホイットマンやフロストの記念館はアメリカにあり、アメリカには当分訪れる予定はないが、今度訪れる際には、ニューヨークにあるホイットマンの記念館、バーモント州にあるフロストの記念館に足を運ぶことを検討しよう。
明日からは毎日詩集を少しずつ読んでいく。ハッとするような詩に関しては必ず音読して味読するようにしたい。優れた詩作に触れることを通じて、自分の言語世界をより豊かなものに変容させていこう。2021年は映画鑑賞に合わせて詩集をじっくり紐解いていくことにする。フローニンゲン:2021/1/2(土)19:58
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