No.1676 神々の家_A House of Deities
本日の言葉
The essence of warriorship, or the essence of human bravery, is refusing to give up on anyone or anything. Chogyam Trungpa Rinpoche
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本日生まれた4曲
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タイトル一覧
6508. 今朝方の夢
6509. 種々の考え
6508. 今朝方の夢
時刻はゆっくりと午前8時に近づいて来ている。辺りはまだ真っ暗であり、ここから少しずつ空が明るくなってくる。
今日は幸いにも天気が良いようなので、午後にでも近所のスーパーに出かけることにしよう。今週は明後日に小雨が降るぐらいであり、その他の日は雨が降らないという予報が出ている。年末年始は天気が良さそうなので何よりである。
今朝方はいくつか夢を見ていた。夢の中で私は、大学時代のサークルの友人と道路でばったり会い、少し話をしていた。彼は某大手の新聞社に勤めていて、彼の仕事について色々と話を聞いていた。
新聞記者として随分と経験を積んだようであり、社内のポジションも高くなっているようだった。今はとても忙しい年代とのことだったが、幸いにも2日間ほどの休暇をもらったとのことだった。
しかし彼は、いかんせん普段全く休んでいないため、その2日間の休暇の使い方がわからないと述べた。それに対して私は、いくつか提案をし、彼が休暇を楽しんでもらえるような手伝いをした。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は実際に通っていた中学校の教室にいた。そこは中学校3年生の時に使っていた教室だ。
私は廊下側の一番後ろの席に座っていて、休憩の時間だったが数学の文章問題を解いていた。それは国語の問題と合体しているようであり、日本語の読解力がなければ問題が解けない仕組みになっていた。
私は少し時間に追われる形で問題の題意を素早く把握することに努め、そこから勢いよく問題を解いていこうとした。すると突然、教室の一番後ろの壁際に1人の男子生徒が現れ、彼に向けてある友人が汚い液体を発射した。それがなんと私の足にかかった。
季節が夏だったからか、私は半ズボンを履いていて、靴下は履いておらず素足だった。右足の足の裏にその液体がかかり、とても不快な気分になった。
その液体を飛ばした友人にすぐに拭き取ってもらうように述べ、彼はティッシュを取り出して私の足を拭き始めたが、その液体はネバネバしており、乾いたティッシュでは拭いきれなかった。
彼は十分に拭いたと思ったのか、そのまま廊下に出ていこうとした。そこで私は彼を呼び止め、まだ全然拭き取れていないことを伝え、ティッシュを水に濡らして持って来てくれと伝えた。
すると彼はそれを躊躇い、隣の教室の教壇が足洗い場になっているので、そこに連れていくと述べた。しかし私は移動の時間を無駄にしたくなかったので、濡れティッシュで足を拭いてもらうようにお願いした。
すると、隣の教室から小中高時代の女性友達が2人ほどやって来て、そのうちの1人がティッシュに水を湿らせて来てくれると言う。それは有り難いと思い、彼女にそれをお願いし、持って来てくれた濡れティッシュを友人に渡して足を拭いてもらった。
今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、それらはもう覚えていない。最初の夢に関しては気持ちとして中立的であったが、次の夢に関しては幾分否定的な気持ちから始まり、徐々にその気持ちが落ち着いていき、最後は気分が晴れたような形だった。同じ夢であっても感情状態の変化の推移を見ることができる。フローニンゲン:2020/12/28(月)08:10
6509. 種々の考え
時刻は午後8時を迎えた。とても静かな夜の世界が広がっている。今朝は久しぶりに小鳥たちの鳴き声を聞いた。今日は晴れだったから彼らの鳴き声が聞こえて来たのかもしれない。
澄み渡る鳴き声は耳にとても心地良く、しばらく彼らの鳴き声に耳を傾けていた。鳥類学者でもあり、鳥を愛した作曲家のメシアンを思い出す。
夕食前に入浴をしようと浴槽に浸かった瞬間に、今年の秋に足を運んだ金沢の街がふと思い出された。街中を歩いている最中に雑居ビルがあり、そこに入っている会社の名前を見ていたことを思い出したのである。
そこから、各階の会社にミクロコスモスが広がっているのだということを感じた。そこで働く人々が1つのミクロコスモスを生み出し、各人の中にもミクロコスモスがある。そのようなことを考えていると、ありとあらゆるところにミクロコスモスが遍満していることがわかる。
自分のミクロコスモスとは異なるミクロコスモスに一歩足を踏み入れて見ると、そこがもう異界であることがわかる。そのようなビジョンを見ながら浴槽に浸かっていた。
今日はその他にも雑多なことを考えていた。自分一人で何から何まで作り出すことはできないので、他者が生み出した意義のある作品を広く世の中に紹介していく役割も担っていこうと思った。芸術作品だけではなく、映画作品に関してもそうした役割を担っていく。創作と紹介の双方を良い塩梅で行っていくことについて考えていた。
そこからは、作曲実践について考えていた。最良の教科書は既存の理論書ではなく、実際の楽譜である。楽譜を写譜することによって感覚的に作曲語法を学んでいくことが大切であり、既存の理論書に頼るのではなく、むしろ写譜を通じて自らの理論書を作り上げていくことを行っていく。
また何よりも大きな学びは、実際に曲を作ることから得られる点を忘れてはならない。実践に勝るものはないのだ。
今日も曲の原型モデルをもとに作曲実践をしていた。曲の原型モデルを聞いている時に、すでに直観的に作るべき曲のイメージが浮かび上がる。あとはそのイメージに従って音の形を掘り出していけばいいのである。
音楽を「直感的」かつ「直観的」に作っていく。内側の身体感覚を通して把握されるものと、ビジョン的に内的視覚感覚で把握されるものの双方を大切にしていく。
今日も雑多なことを考えていたが、これら雑多な考えが一つのまとまりとなって意味のあるものになっていくことを知っている。フローニンゲン:2020/12/28(月)20:14
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