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6510-6511: アートの国オランダからの便り 2020年12月29日(火)

更新日:2021年1月2日


No.1683 柔らかい円_Soft Circles

本日の言葉

We live in fear and so we do not live. Gautama Buddha


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本日生まれた4曲

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タイトル一覧

6510. 今朝方の夢

6511. ボビー・フィッシャーからの学び


6510. 今朝方の夢


時刻は午前6時に向かっている。今、シトシトとした雨が降っていて、その音に耳を傾けている。


起床した直後には小鳥の鳴き声が聞こえていたが、今はそれが聞こえない。静かな雰囲気に身を包まれて、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、ひょんなことから靴屋の店員として働いていた。その日は勤務初日であり、先輩の男性店員に売り場について教えてもらい、接客の方法についても話を聞いた。


開店するとすぐに1人のビジネスマンが入って来て、私が接客することになった。先ほど先輩から教えてもらったことを参考に、お勧めのシューズをいくつか伝えると、その客は白味がかったシューズを選び、それを試着したいと述べた。


私は隣の試着ルームに彼を案内し、そこで接客を始めた。その試着ルームは一風変わっていて、大きな座敷になっていた。畳部屋で靴を試着するというのは不思議な感じがしたが、逆に和の感じが漂っていて雰囲気が良いように思えた。


いざその客が試着を始めると、私の右横に先輩の店員もいて、一緒に接客することにした。客は最初26.5のサイズの靴を試し、それがちょうどいいサイズだと述べた。


「失礼します」と述べてから、かがんだ状態で爪先の部分を触ってみたところ、確かにちょうどいいぐらいの余裕があり、そのサイズで問題ないかと思った。「ひとまわり大きい27だと随分と大きく、ひとまわり小さい26だときついかもしれませんね」と私は述べた。すると客もそれに同意してくれていた。


いざ客がその靴を購入する決断をした瞬間に、その場にたくさんの人が押し寄せて来た。見ると、小中学校時代の友人が部屋に入って来て、今から将棋の大会をするとのことだった。


客と先輩の店員は部屋からもう出ていて、私はその部屋に残って将棋の大会を見届けることにした。ある友人が飲み物が飲みたいというので紙コップを見つけ、それに水を注いであげた。私も喉が乾いていたので水を飲み、対局中の友人を応援することにした。


視線をふと左にやると、そこにサッカー元日本代表の有名な選手と、将棋のプロらしき人物が真剣な顔で対局をしていた。そこでふと思い出したのは、彼らは私の将棋の師匠であるということだ。厳密には、そのサッカー選手は先輩弟子に当たり、そのプロ棋士は紛れもなく師匠であった。


そのサッカー選手の将棋の上達は早く、現時点ですでにプロ並みの棋力を持っているらしかった。だが師匠にあたるプロ棋士はそのさらに上を行き、ハンデを付けて対局をしているようだった。


最初2人は真剣な顔をして部屋の隅で対局をしたが、私が近づくと笑顔になり、少しそこで雑談をした。あろうことか、私は師匠の名前がとっさに出てこなく、彼の苗字が「月」といい、それをなんと読むのか分からずにごまかして「師匠」とだけ呼んだ。


気がつくと私は対局場をあとにしていて、再び靴屋の売り場に向かって歩いていた。すると、先ほど将棋を指していたサッカー選手が私に声を掛け、これから神奈川に家がある後輩の選手の家に行くから一緒にどうかと述べた。特に私は用事がなかったので、同行することにした。


すぐに目的地につき、そのサッカー選手が家の扉をノックしたところ、誰も出てこなかった。すると、その選手は後輩の家であるにもかかわらず、なぜか鍵を持っていて、その鍵を使ってドアを開けた。


ドアを開けると、客用のスリッパが乱れて置かれており、そのうちの1つを選んで部屋の中に入っていった。すると、クリーム色の可愛い猫が出迎えてくれた。私はその猫の背中を撫で、最初に手洗いをしようと思ってトイレを探した。


すると、そのサッカー選手が先にトイレで手を洗っていて、ちょうどトイレから出て来たので、場所がどこかわかった。トイレのドアを開けてみると、なんとそこは水浸しになっていて、トイレのスリッパが水に沈みそうになっていた。


私は靴下を濡らしたくなかったので、慎重にトイレのスリッパに足を乗せ、なんとか手を洗った。だが手に付いたハンドソープを水で洗い流すときには、靴下を脱いで裸足になった方がいいかと思った。


手洗いを終えたとき、どういうわけか私は下半身が裸になっていて、衣服はトイレの外に置いているようだった。そこは風呂とトイレが兼用だったので、バスタオルを借りてドアを開け、服を再度着ることにした。


部屋に戻ってみると、この家の持ち主であるサッカー選手がようやく顔を出し、私たちにお茶を入れてくれた。気がつくと、時間がもう午後の5時に迫っていた。


いつの間にかその場に母もいて、これから自宅に戻ると夕食の時間を過ぎてしまうことがわかり、帰りは駅のデパートで何か夕食を購入しようかと話し合った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン2020/12/29(火)06:16


6511. ボビー・フィッシャーからの学び


時刻は午後8時を迎えた。今日も充実した1日を過ごすことができ、明日に向かってゆっくりと時間が進んでいる。


本日、イギリスから“Cinema as Therapy: Grief and Transformational Film (2015)”という学術書が届いた。これは学術書で定評のあるRoutledge出版から出版されているため、学術書として中身が濃い。


早速序章を読み終え、今は巻末の用語集を最初から最後まで読み通している最中である。この本はシネマセラピーを主題にしていて、多くの心理学用語は馴染みがあるのだが、それでもいくつか知らない概念があり、それらを通じて映画を鑑賞していくとさらに発見が得られるであろうという期待がある。今夜はまだ時間があるので、用語集の続きを読み進め、続きの章を読んでいこう。


午前中にふと、SNSを用いて無駄な時間を過ごす「SNS心中」の状態にある多くの現代人について考えていた。彼らは人生の貴重な時間を棒に振り、SNSと共に心中をしているのではないかと思えるぐらいに中毒的にそれにハマっている。


これはおそらくSNSだけではなく、人生の貴重な時間を無駄にするもので言えば、メールなどもそうであろうし、その他にも例を挙げることができそうだ。そこから映画鑑賞に引きつけて考えてみたときに、駄作を見て無駄な時間を過ごすことのないようにしたいということを思った。駄作と心中するというのは願い下げであり、映画の選別眼を磨きながらできるだけ駄作に時間を費やさないようにしていこう。


今日も映画鑑賞を旺盛に行っていた。印象に残っているものとして、『ボビー·フィッシャー 世界と闘った男(2011)』というドキュメンタリー作品がある。これは、冷戦時代に活躍した世界的チェスプレイヤーのボビー·フィッシャーの波乱万丈の人生に迫った作品である。


フィッシャーが生きていたい時代において、ソ連ではチェスの英才教育が行われていたが、当時のアメリカではチェスの英才教育などなく、フィッシャーは独力でチェスの力をつけていった——もちろんアメリカにもチェスの大会などはあったが——。具体的には、幼少期の頃からフィッシャーはチェスの本を読み耽り、小さなチェス盤をいつでもどこでも持ち歩いていた。


仮にチェスの本やチェス盤がなくても、頭の中でチェスを絶えず行っていたようである。フィッシャーのこうした実践の姿勢から得られることは多く、自分の作曲実践に活かしたい点が随分とあった。


フィッシャーが無数の指し手を脳内に蓄積していたのと同じように、楽譜を写譜することを通じて、パズルのピースのように曲のパターンを脳内に蓄積し、それをいつでもどこでも脳内で自由自在に組み合わせながら作曲していくことを意識してみよう。


今書斎の机の上にはいくつかの未読の書籍が積まれていて、近日中にまた2冊ほどイギリスから書籍が届けられるが、それらを読み終えたら、写譜の実践量を増やしていく。ここから数年間は引き続き巨人の肩に立つ実践をしていき、写譜という学びの多い実践を通じて曲を作っていく。


明日もまた創作と映画鑑賞を楽しみたいと思う。気がつけば2020年もあと2日だ。フローニンゲン2020/12/29(火)20:14

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