No.1657 世界の実像_A Real Image of the World
本日の言葉
Do not follow the ideas of others, but learn to listen to the voice within yourself. Eihei Dogen
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タイトル一覧
6497. ロックダウン/今朝方の夢
6498. 落語に関する興味深いアニメとドキュメンタリー
6497. ロックダウン/今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。闇と静けさに覆われた朝の世界が目の前に広がっている。今は雨が降っていないが、昼前から明日の午前中までずっと雨が降るらしい。
昨日は髪を切ってもらう予定だったのだが、店が閉まっていて、自宅に戻ってきてからオランダのコロナの状況を調べてみた。欧州の他の国と同様に、状況はとても悪く、オランダの各都市で12/15からロックダウンしていたことを初めて知った。
このロックダウンはちょうど先週の火曜日から始まり、それが解かれるのが来年の1/19とのことである。改めて友人かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店のウェブサイトに行き、予約をしようとしたところ、ちょうど1/19の午後の枠が空いていたのですぐさま予約を入れた。
他の美容室も軒並み休業となり、これからあと1ヶ月髪を切ってもらえない状況が続く。以前にも一度、2ヶ月以上髪を切ってもらえない期間があり、随分と髪の毛が伸びて最初は煩わしさがあったが、徐々に慣れていった。前回の経験がある分、今回もあと1ヶ月はなんとか耐えられるだろう。
今朝方は2つほど印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、アマゾン川のような巨大な川を下っていた。しかし、川の上を下っていたわけではなく、宙に浮かぶマルタのようなものにつかまって、楽々と川を降りていたのである。
その川の景色はとても美しく、川の水はとても澄んでいた。景色を楽しみながら川を下っていると、あるところで着水しようと思った。そこからはボートで川を下りたかったのだ。
小さなボートに腰かけると、突然そこに大学時代のゼミの友人たちが2人ほど現れた。彼らと話を始めたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は見慣れない会議室のような場所にいた。その会議室はビルのような建物にあるのではなく、ショッピングモールか何かの中にあるようであり、通常の会議室と少しばかり雰囲気が違った。
私の左横には小中高時代の親友(HO)が座っていて、何やら真剣に数学の問題を解いていた。最初私は素数の問題を解いているのかと思ったが、よくよく見ると、さらに難解な整数問題を解いているようだった。
私の右横には、妖精のような小さな女性が座っていて、静かにしていた。再度左の親友の方を見ると、問題を解く時間が間も無くなくなるようだった。なんとか制限時間以内に問題を全て解き終えた友人は安堵の表情を一瞬見せたが、最後まで取り掛かっていた第一問の整数問題の出来が心配のような表情を浮かべていた。
すると、試験監督のように私たちの前に座っていたフランスの数学者が満面の笑みを浮かべながら、親友の回答が正解であることを述べた。それを聞いて親友はとてもホッとした表情を浮かべ、私もとても嬉しくなった。なんせ私がその難解な整数問題を解こうとしたら、きっと条件を見落として間違っていたであろうから。
今朝方はそのような夢を見ていた。それともう1つ、ある女性友達が私を含め、友人たちの過去の発言や行動を全て冊子にしている場面があり、それらの冊子を保管室のような場所に隠していて、それを発見する場面があった。
冊子は見事に製本されていて、中身を覗くと、過去の自分たちの発言や行動が記録されていて薄く気味悪く思った。また、彼女がそれらをこの部屋でこっそりと読んでいた姿を想像すると、なお一層気味が悪かった。フローニンゲン:2020/12/23(水)07:00
6498. 落語に関する興味深いアニメとドキュメンタリー
時刻は午後8時を迎えた。静かな夜の世界が目の前に広がっている。
先日から落語への関心が再燃し、いくつかの演目を見たり聞いたりしている。先日、『昭和元禄落語心中(2016)』という大変素晴らしいアニメを見つけ、2日間で全てのエピソードを視聴し、今日からはその続きの『昭和元禄落語心中 -助六再び篇-(2017)』を見始めた。
この一連の落語アニメを人間発達の観点から見ると実に面白い。そうした面白さを超えて、とりわけ前者の作品においては、2人の落語家の交流に思わず目頭が熱くなる。
遊びから生まれる余裕と、余裕から生まれる芸の魅力。さらに余裕というのは芸を高める働きもする。これは芸事のみならず全ての実践領域について当てはまることだろう。
1人の人間の芸は、それそのものが固有の芸術作品であり、この世界における固有の宝だということがわかる。「1人の人間の芸」、それは言わずもがな芸事における芸だけを指しているのではなく、端的に言えば1人の人間が生み出す全ての創造物のことを指す。創造物が何を指すか。それについてはもう説明はいらないだろう。
落語というのはつくづく人が語らせるものであるということが見えてくる。客が話を語らせ、そして落語家という人間がその話を語らせる。逆もまた然りかもしれない。
話が客を語らせ、話が落語家を語らせる。それもまた真なりであろう。そしてこれも作曲を含め、種々の表現活動にも当てはまることだ。
それにしても、この作品の中で演じられていた「芝浜」という作品は素晴らしい。この演目は、夢と現実の曖昧な境目について教えてくれるマトリックス的作品である。
『昭和元禄落語心中(2016)』という作品は、サスペンス的な意味でも引き込まれるものがあった。そこには、サスペンションの神と呼ばれたヒッチコックを彷彿とさせる話の展開があった。
今日は落語関係でその他にも『映画 立川談志 ディレクターズカット(2012)』というドキュメンタリーを見た。立川談志師匠は落語家を超えて、思想家であることが見えてくる。
『現代落語論(1965)』という書籍の中で、「落語とは人間の業を肯定するものである」という有名な言葉が残されている。これは、落語は笑いを目的にしているのではなく、笑いは手段であって、目的は人間の業、つまり本質を描き出すことであるという意味だ。
晩年には、『最後の落語論(2009)』において、「落語とはイリュージョンの肯定である」という大変興味深いことを述べている。イリュージョンという言葉の意味を自分なりに拡張解釈してみると、それが指すことはイギリスの哲学者ロイ·バスカーでいうところの「実在世界(the real)」のことを指しているように思えた。
人間の種々の悪行·善行は、全て実在世界からの投げかけであり、目の前の個別具体的な行為に囚われるのではなく、それを顕現させている向こう側の世界に眼差しを向けていくことの大切さを説いているように思える。そして、「経験世界(the empirical)」や「現実世界(the actual)」を超えた実在世界を垣間見せてくれ、その世界に誘ってくれるのが落語の持つ奥深い力なのだと思う。今度一時帰国する際には、落語関係の書籍を購入しようと決めた。フローニンゲン:2020/12/23(水)20:23
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