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6457-6459: アートの国オランダからの便り 2020年12月6日(日)


No.1614 小雨の中の子羊_A Lamb in a Small Rain

本日の言葉

Happiness and love are inseparable. If you want to be happy, first of all learn to love. Dugpa Rimpoce


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本日生まれた6曲

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タイトル一覧

6457. 呼吸/自給自足生活に向けて

6458. 今朝方の夢

6459. 呪いとしての才能やアイデンティに関する問題提起をする映画作品


6457. 呼吸/自給自足生活に向けて


時刻は午前5時半を迎えようとしている。今、外の気温は0度だが、書斎と寝室の窓を開けてもそれほど寒くない。オランダの家は、家の中が暖かく、家の中にいると外の寒さを感じることはほとんどない。

一昨日と昨日は、午後には太陽の姿を見ることができ、映画を見ながら日光浴をしていた。この時期の太陽の光は本当に貴重であり、日光を浴びれるときに、紫外線に気をつけながら適度に日光を浴びることが心身の健康において大切だ。今日は夕方から雨のようであり、明日は朝から夜まで小雨がちの1日になるようだ。

昨日ふと、先日の日本の一時帰国中に感じていたことを思い出した。人口の多さと国土の狭さゆえか、とりわけ都市部においては、満員電車の密度がそのまま街の中にフラクタル構造として現れているかのように思えた。街の中を歩いていて、息苦しさを感じたのはそのためかもしれない。

あれだけ人が多く、過密な状態だと、息苦しさを感じてしまうのは当然だ。人間もまた動物であり、狭い檻にぎゅうぎゅう詰めにされた動物たちがストレスを感じてしまうように、都市生活者というのは絶えずそうしたストレスに晒されているように思えた。

呼吸と心身の状態は密接につながっているため、空気が悪く、息が詰まってしまう場所で生活することはできないと改めて思った。そのようなことを考えながら、いつかシベリウスのように、畑付きの家を購入することも検討していた。

先日見た『TOMORROW パーマネントライフを探して(2015)』というドキュメンタリーに触発されて、できる限り自給自足の生活を実現させていこうと思ったのである。将来的に、以前から注目しているバイオダイナミクス農法の技術を学びにドイツの農園にしばらく滞在するのもいいかもしれない。

ふと、毎日畑の世話をしていた父方の祖父を思い出す。シベリウスや祖父が行なっていたように、自分の畑を散歩したり、世話をするのはいい運動になるだろう。

移住先として検討しているフィンランドは、冬の時期は雪が積もるため、冬の時期の畑の世話は少し大変かもしれないと思ったが、シベリウスはその時期にどのようなものを植え、どのように手入れをしていたのかが気になる。

昨日は合計で10本ほど映画を見た。2日連続で10本映画を見たのだが、それでも特に映画を見過ぎたという感覚はない。むしろ不足感があるぐらいだ。今日もまた旺盛に映画を見ていこう。

昨日までは「映画」と「ドキュメンタリー」という言葉をあえて分けていたが、どちらも広義には映し出された画という点で共通しているので、これからは「映画」と統一して表現していこうと思う。

今日もいくつかテーマを決めており、それらのテーマに沿った映画は選定済みなので、あとは何を選ぶかの問題であり、そして今日偶然に出会う作品も少し見ていこうと思う。フローニンゲン2020/12/6(日)05:39


6458. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。今、1羽の小鳥が高らかに鳴き声を上げた。それは静寂さに包まれた世界の中に響き渡り、闇の世界に吸い込まれて行った。

このところは午前8時半を迎えてようやく明るくなってくるような状態であるから、あと3時間ほどは闇と付き合うことになるだろう。冬の時期には、外の世界が闇に包まれる時間が多くなり、こうした冬を毎年経験していると、外の世界の闇との付き合い方が上手くなってきただけではなく、自分の内側の闇との付き合い方も上手くなってきたように感じる。

内外世界は密接につながっていて、相互作用をしているため、外の闇の世界と向き合うことを通じて、内なる闇の世界とも自然と向き合っていたのかもしれない。冬はまだまだこれからが本番と言っても過言ではないので、今年の冬が終わる頃には、内側の闇の世界と付き合うことがさらに上手くなっているだろう。

そのようなことを考えていると、今朝方の夢をふと思い出した。夢の中で私は、ある著名な日本人経営者かつ投資家の方と話をしていた。その方と話をしていた場所は、サッカーチームのクラブハウスのような場所だった。

施設にあるカフェは落ち着いていて、人もあまりいなかったので、そこでその方と話をしていたのである。どうやらその方は、サッカーにハマっていて、ちょうどこれから友人を集めてサッカーをするとのことである。私もサッカー好きであることを伝えると、後ほど行われるサッカーに私も混ぜてもらえることになった。

そこから私は話題を変えるかのように、自分が映画好きであることをその方に打ち明けた。最近見た映画について話をすると、その方も映画好きとのことであり、今度映画に関する対談をしようということになった。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は国道沿いを歩いていた。しばらく国道を歩いていると、ある交差点の横断歩道の前に、高校時代の友人たちがたむろしている姿が見えた。私は偶然彼らとそこで会えたことが嬉しくなり、早速彼らに声をかけてみた。

すると、彼らは何やら真剣な表情をしていて、どうやら今、ゴルフをしている真っ最中とのことだった。国道でゴルフをするのはおそらく禁止されていると思うのだが、友人たちはそんなことは気にもかけず、ドライバーで思いっきりショットを放っていた。

ある友人(HH)がショットを打ち終えた後、彼に話しかけてみた。すると、彼は髪型を変えていて、髪も奇抜な色に少し染めていた。それが似合っていたのでそれを褒めようとしたところ、少しムスッとした表情だった。

どうしたのかと尋ねてみると、どうやら昨日、私の父が彼の店に訪れ、そのときに対応したのが友人であり、レジで彼の手と父の手がぶつかってしまったらしい。そんなことは大した問題ではないと思うのだが、そう言えば父はその件について笑いながら昨日話してくれていたことを思い出した。

しかし、友人の方はそれを重く受け止め、友人は彼の母と真剣にその問題を考えていたようだった。明日、友人の母が間に入る形で、三者間で謝罪と問題の解決に当たるとのことだった。

私は友人がその件をそこまで重く受け止めているとは知らず、明日の話し合いが速やかにいくように、2つほどこちらから質問をした。1つは状況確認の質問、そしてもう1つが問題解決に向けた質問である。そして最後に、私の父に伝えて欲しいことはないかを友人に確認した。

彼との話し合いが終わると、携帯電話に1通のメールが届いていることに気づいた。メールを確認すると、どうやら現在受講中のオンライン学習コースの支払いが未払いとのことだった。

しかしコースの受講料は開講前にすでに支払っていて、少し前にも同じ趣旨のメールが届き、先方に確認して問題はすでに解決したはずだった。なのにまた同じメールが送られてきたと思って、先方の対応を少々残念に思った。杜撰な経理とカスタマー対応の悪さを不審に思ったのである。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン2020/12/6(日)05:56


6459. 呪いとしての才能やアイデンティに関する問題提起をする映画作品


時刻は午前7時半を迎えた。日曜日が静かに終わりに向かっている。明日からはまた新たな週を迎える。

今日は結局8本ほどの映画を見た。日々映画を数多く見ていると、1日が経つのがあっという間である。

映画鑑賞に合わせて創作活動にも従事していることもあり、日々の時の経過はあっという間である。それだけ毎日が充実しているということである。

今日は呪いとしての才能、そしてアイデンティティをテーマにした映画を見ていた。ポピュラーな作品として、久しぶりに『スパイダーマン(2002)』と『ボーン·アイデンティティー(2002)』を見た。

前者の作品は呪いとしての才能をテーマとし、後者の作品はタイトル通り、アイデンティティをテーマにしている。どちらも2002年に上映されたことが興味深い。

スパイダーマンのコスチュームは、赤と青を基調としたまさに星条旗を象徴している。舞台はニューヨークであり、9·11後のアメリカを励まし、国としての一体感を取り戻させようとするような政治的な意図もこの作品から感じる。

中でも重要なテーマとしては、才能が持つ呪いとしての側面だろう。主人公のピーター·パーカーは、最初自分の能力に目覚めた時、それを発揮することに喜びや楽しみを見いだしていた。

しかし、犯罪の防止など、良かれと思って能力を発揮したことに対して、新聞者の編集長のように、スパイダーマンの行為を認めない存在が現れ始めた。他の人が持たないような特殊な能力というのは、社会から阻害される元になってしまう可能性があることをここに見る。

まさにピーターも述べているように才能とは「呪い」でもあるのだ。贈り物としての才能は、悲劇的なことではあるが、現代社会では往々にして歓迎·承認されないことがあり、人を不幸にさせてしまうこともあるのだ。

そしてもう1つ重要な点としては、潜在能力の目覚めと自我の関係を挙げることができるだろう。ピーターの友人のハリーの父も科学実験によって潜在能力に目覚めるが、彼はピーターと異なり、悪の道に落ちて行った。端的には、エゴに乗っ取られ、悪を暴走させる形で自分の能力を使い始めてしまったのだ。

現代社会においても、ハリーの父のような形で、自分の能力を私腹を肥やすためやエゴを満たすために活用してしまう人間たちがいる。ピーターのように、天賦の才能というものが呪いであるということを引き受けながらにして社会善を果たしていく人間など一握りであり、むしろハリーの父親のような人間の方が大多数なように思えてならない。明日以降も残りのスパイダーマンシリーズを見ていこうと思う。

マット·デイモン主演の『ボーン·アイデンティティー(2002)』も久しぶりに見た。この作品を通じて、アイデンティティの捏造·操作の可能性、そして複数のアイデンティティを持つことに伴う精神的混乱の危険性について考えさせられる。

そもそも、アイデンティティというものがいとも簡単に国によって作られてしまうということ、さらにはグローバル化の進展によって、複数のアイデンティティを持つことを余儀なくされている人がいることを知る。

グローバル化の進展においては、複数のアイデンティティを持つことを生み出すのとは逆に、アイデンティティを溶解させることも引き起こしているように思える。そうした投げかけをこの作品はしているように思えた。この作品が世に出て20年弱となるが、その傾向は加速しているのではないだろうか。

アイデンティに関して言えば、今日その他に見た2つの邦画『かもめ食堂(2005)』と『寄生獣(2014)』においてもアイデンティティを考えさせられるシーンがあった。

前者においては、見落とされがちなシーンかもしれないが、主人公のサチエが営む食堂にフィンランド人の男子学生がやってきて、彼が突然「ガッチャマン」の歌詞を知りたいという場面がある。サチエは「誰だ、誰だ、誰だ~」の部分しか思い出せないのだが、その部分はまさに、己とは何者なのかを問う歌詞である。

それを尋ねたフィンランド人の学生も、自らが何者なのかを探求していたのであろうし、日本からフィンランドに移住して1人で食堂を開いたサチエもまた自分が何者なのかを探し求めていたように思えるのだ。いや、ストーリーが進むにつれて、登場する人物の全員が、自分は何者なのかを問うているように思えたのである。

『寄生獣(2014)』という作品においては、人間が自らのアイデンティティを問うのではなく、寄生獣としてのパラサイトが、「自分はどこからやって来て、どこに行くのか?」を問うているところが興味深く思えた。

現在世界を震撼させているコロナウィルス然り、彼らのような生命の存在理由や存在意義とは何なのだろうか。人間だけではなく、他の生命の存在理由や存在意義を問うきっかけを与えてくれた作品であった。フローニンゲン2020/12/6(日)19:56

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