No.1610 朝光のダンス_A Dance of Morning Light
本日の言葉
Everything depends on the perspective of the viewer. Surya Das
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本日生まれた6曲
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タイトル一覧
6455. 今朝方の夢
6456. ダイモーンの覚醒/列車の旅/映像美を味わうこと
6455. 今朝方の夢
時刻は午前3時半を迎えた。今朝の起床は午前3時であり、この3日間はこのくらいの時間に起きている。そのきっかけとして、夜寝る前のヨガをこれまで以上に入念に行うようになったことを挙げることができるかもしれない。
深い呼吸を伴ったヨガの実践によって、入眠が速やかになり、睡眠の質がさらに上がっていることが早起きにつながっているようだ。就寝時間は相変わらず夜の10時であるから、睡眠の質の向上によって、これまでよりも短い時間の睡眠で十分になっているように思う。
午前3時台に起床することができると、1日の活動時間が増え、映像作品の鑑賞や創作活動に打ち込む時間が十分に確保できることが嬉しい。昨日は合計で10本ほど映像作品を見ることができ、今朝の起床時間からすると、今日もまた同じぐらいの数の映像作品を見ることができるかもしれない。
すでに今日見る予定の作品をいくつか選定していて、まずはそれらを順に見ていこう。U-NEXTを通じて作品を見ると、観賞後に推薦作品が3つほど表示される。そこで何か偶然にも面白そうな作品が出てきたら、それらを見ていこうと思う。
現実と夢とのあわいに漂っている自分が先ほどまでいた。ひょっとすると、人は絶えず現実と夢とのあわいに生きていると言えるのかもしれない。そうしたことを思わせてくれる映画をここ最近何本か見ていた。
そのようなことを考えながら、今朝方の夢を振り返っていた。夢の中で私は、立派なホテルのエレベーターに乗っていた。
エレベーターの中には、小学校時代の女性友達が2人(AS & HK)いた。1人は中学校まで一緒に過ごし、もう1人は小学校卒業と共に別の中学校に進学した。
私はエレベーターの中で2人と少し話をしようと思ったが、エレベーターは目的階の26階に一気に上がっていき、身体のバランスを崩すほどの速さだったので、2人とはほとんど話をすることができなかった。
エレベーターが目的の階に到着するかしないかのところでふと小学校時代の記憶が蘇ってきた。気がつくと、私は教室にいて、どういうわけか、多くの女性友達が順番に自分に話しかけてきた。
その教室にはあまり人がおらず、雰囲気は放課後のようだった。私はあまり人と話をする気分ではなく、1人になりたかったので、話しかけてきた女性友達に悪い気持ちにさせないように注意しながら接して、なんとか1人になろうとした。だが本当は、1人1人ともう少しゆっくりと話をしたいという気持ちがあった。
気がつくと私は、再びエレベーターの中にいた。26階まで一気に上がっていたエレベーターがなぜか5階で止まり、そこで私は一度間違えて降りてしまった。自分の間違いにはすぐに気づき、6~7台あるエレベーターのうち、また別のエレベーターがすぐにやってきたので、それに飛び乗った。
私と一緒に見知らぬ人が数名そのエレベーターに乗って来て、行き先は同じ階のようだった。今度は無事に26階に到着し、受付を済ませようと思った。
先ほどエレベーターに乗っている時に見知らぬ人と話をしてい他のだが、その時に、アメリカ組は26階、イギリス組は15階で宴会がなされるということを聞いた。アメリカ組というのはアメリカで生活したことのある者たちのことを指し、イギリス組とはイギリスで生活をしたことのある者たちのことを指す。それで言えば私はアメリカ組であり、26階に行くことは正しかった。
26階でエレベーター降りると、目の前には立派な宴会会場が広がっていた。早速会場に入ろうとしたところ、滑って派手に転んでしまった。
私は、ダロウデイルのチェック柄のスリーピースのスーツを着ていて、格好は立派なぶん、そこで転んでしまうというのはみっともなくもあり、同時にそれが滑稽であった。こけて地面に伏した時、誰も見ていないかと思ったら、ある年配の落語家の方が見ていて、大丈夫ですかと声をかけてくれた。私はその気遣いに感謝をした。
するとその方がふと、「昨日の試合も見ていましたよ」と述べた。ちょうど昨日は、サッカーの大会に出場しており、どうやらその試合を見に来てくれていたらしかった。そのことについてもお礼を述べてから、私は会場の中に入った。
会場の中に入ると、物凄い数の人がいた。彼らはすでにテーブルに腰掛けていて、思い思いにお互いに話をしていた。
ちょうどあるテーブルの一角で、小学校時代の友人たちが集まっていることに気づき、そちらに向かった。そこで私は、養護クラスに入っていた1人の友人と話をした。彼の近況を尋ね、彼と少し話をして、私は別の会場に移動しようと思った。
すると私は、もう1つの宴会会場である学校の教室に瞬間移動した。今度は人でごった返しておらず、むしろそこには人はほとんどいなかった。そこで振る舞われる料理は、ほうれん草のパスタがメインディッシュだった。
教室の1つのテーブルにそれがポツリと置かれていて、パスタを見たときに、それならちょうど昨日自分で作って食べたことを思い出し、結局私は何も食べないことにした。
すると再び私は先ほどまでいた立派なホテルに瞬間移動し、今度はある会場でこれから始まるゲームについての話を聞いた。どうやらこれから、24時間耐久の鬼ごっこが開始されるとのことだった。
私は逃げる役とのことであり、とりあえずエレベーターに乗って1階まで行き、電車に乗ろうと思った。すると、またしても5階でエレベーターが止まったので、一度そこで降りて、1階までは急ぎ足で向かおうかと思ったが、ちょうど別のエレベーターがやって来たので、それに乗って1階に向かった。
気がつくと私は、高校時代に過ごした社宅に到着していた。母に事情を説明し、鬼役の友人が来ても居留守を使ってもらうようにお願いした。すると早速、小中学校時代の親友(HS)がやって来た。
家の呼び鈴がなり、母が応対してくれた。私は部屋の奥の方に行って、母と親友の会話を遠くから聞いていた。
すると、親友が私の帰りの時間を母に尋ねたらしく、母はなんと答えたらいいのかわからなかったようなので、それを私に聞きに来た。母にはその場で柔軟に対応してもらいたかったので、こちらに聞きに来たことに対して不満があったが、聞きに来てしまったものは仕方ないので、午後6時に戻ってくるということを親友に伝えてほしいと述べた。
すると親友はあっさりと引き返したが、かなり怪しまれたと思った。私はもうどこかのタイミングで捕まるなと思った。
もう一つ行き先として候補に挙げていた岬に行って、自首でもしようかと思った。私の中で、これは単なるゲームであり、24時間逃げ続けるのは心身にとって大きな負担であるように思えていたこともあり、最初からどこかのタイミングで捕まえることを計画していた。その方が夜にゆっくりできるだろうし、何よりも捕まってから友人たちと話ができると思ったのである。フローニンゲン:2020/12/5(土)04:11
6456. ダイモーンの覚醒/列車の旅/映像美を味わうこと
時刻は午後7時半を迎えた。今日もまた人生のある1日が静かに終わりに向かっている。
日々新たであり、日々が固有の輝きを持って過ぎていくことを感じている。平穏かつ静かな環境の中で、自分の取り組みに従事し、満足感と共に過ぎていく毎日。
振り返ってみれば、今日は映画を10本ほど見ていた。今日は午前中にオンラインミーティングがあったことを考えると、特に何もなかった昨日と同じだけの数の映画を見れたことは喜ばしい。
今日のテーマ設定の1つとして、企業の不正や企業買収を取り上げることにして、それらに関する映画を2つ見た。明日はマスメディア関係にするか、宇宙開発関係にするか、はたまた意識の状態ということをテーマにして、8年ぶりに『アルタード·ステーツ/未知への挑戦(1979)』を見てもいいかもしれないと考えている。
そうした大きなテーマ設定をしておいて、最後はその日のその瞬間の自分がその作品を今見たいのかどうかに判断を委ねることにしている。明日に出会える作品をまた楽しみに、今日も良質な睡眠を取りたいと思う。
守護霊としてのダイモーン。それは自分を守ってくれているだけではなく、自己の創造も根底で支えてくれている。そしてそれが今、その力をより高めていることを感じる。そのようなことを一昨日に思った。
昨日見た映画の中で、スイスの山々の中を爽快に走り抜けていく列車のシーンが描かれていた。それを見ながら、列車の旅に思いを馳せていた。
この調子だと、年末年始はフローニンゲンの家で過ごすことになりそうだ。コロナが春に落ち着いていれば、初春に、列車でベルギーの主要都市を巡る旅に出かけていこうかと思う。そして初夏には、ドイツを列車で巡る旅に出かけよう。
まだミュンヘンやベルリンには行ったことがなく、両都市には気になる美術館があるので、それらを訪れる計画を立てている。ベルギーの旅にせよ、ドイツの旅にせよ、フローニンゲンを起点にすれば、列車で巡ることができる。いつもと同じような形で、それぞれの都市に4~5日間ほど滞在するようにしよう。
そのような旅の計画に思いを馳せていると、再び映画のことについて考え始めている自分がいる。映画の古典を通じて、人間が普遍的に有している特性や普遍的に抱える問題について考察していく。また、人間社会に普遍的な特性や問題についても考えを深めていきたい。昨日も今日も古典をいくつか見たのだが、そうした観点からの学びが実に多いのだ。
その他に考えていたこととしては、現代の映画のほとんどは音楽が付随しているため、音楽芸術としての側面もあるが、映画はやはり視覚芸術としての側面が強いことは間違いなく、その点において、1つ1つの作品の映像美を味わっていくことを絶えず念頭に置きたい。
例えば、今日見たAIを題材にしたスペインの映画『EVA<エヴァ>(2012)』が描く雪山は本当に美しかった。また、数年ぶりに見た『ライフ·オブ·パイ/トラと漂流した227日(2012)』という作品の中の深海の様子や満天の星空もまた息を呑むような美しさがあった。こうした映像美は、意識に直接訴えかけて来て、それがミクロなレベルでの意識の治癒や変容を導いていることを感じる。
今すぐにではなくていいので、映画美学の探究も始めていこう。映画の享楽に日々浸る形で探究を進めていく。すなわち、映画がもたらす幸福感を通して日々の探究を進めていくのである。明日もそれを忘れず、それを実行させていく。フローニンゲン:2020/12/5(土)19:58
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