No.1604 朝の幾何学模様_A Morning Geometric Pattern
本日の言葉
When you try to stop activity to achieve passivity, your very effort fills you with activity. Jianzhi Sengcan
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6450. 今日鑑賞予定の映像作品
6451. 今朝方の夢
6452.『ウェイキング·ライフ(2002)』を見て
6450. 今日鑑賞予定の映像作品
時刻は午前4時を迎えた。今朝の起床は午前3時半だった。一昨日より、就寝前のヨガの時間を少し増やし、より入念に身体をほぐし、ゆったりとした呼吸を味わうことをしてみたところ、入眠がさらに速やかになり、睡眠の質もこれまで以上に向上した。
振り返ってみると、一時帰国する前はこのような形で就寝していたのだが、一時帰国を挟み、少しばかりヨガの実践が疎かになっていたことに気づく。起床後だけではなく、夜寝る前に意識的に少しばかりヨガを行う時間を増やしたところ、このような形で睡眠の質が向上したことは嬉しい。
睡眠はちょっとしたことでその質が左右されることがわかる。また、睡眠の質の向上によって、日々がより充実したものになることもすぐに理解される。
昨日は合計で10本ほど映像作品を見た。今日も午前3時半に起床することができたので、日中の活動時間は十分にある。映像作品の長さによるが、今日も昨日と同じくらいに作品を見ていこうと思う。
現時点で既に決めているのは、映画としては昼に、黒澤明監督の『生きる(1952)』という作品を見る予定だ。その他には今のところ、ウィルス感染を主題にした『CURED キュアード(2017)』と、哲学者ハンナ·アーレントを取り上げた『ハンナ·アーレント(2012)』を見る。
ドキュメンタリーに関しては、『おいしいコーヒーの真実(2006)』をまずは見ようと思う。それ以外の映画やドキュメンタリーについては、その時の気分と関心に応じて選択していく。
既に映画リストには615本ほどの未鑑賞作品が記載されている。ある映画から別の映画を知るということが連鎖的に起こっているので、平均すると毎日少なくとも7本ほど映画を見ているが、リストは溜まっていく一方である。
今はまだ映画鑑賞を本格的に始めたばかりの段階にあるのだから、リストが溜まっていくというのはしかるべき現象だろう。まさにある特定分野の学術探究を始めたときのように、読みたい論文や学術書を次から次に見つけ、それを文献リストに加えていくのと同じである。
映画の作品は既に615本ほどリストに溜まっていて、映画関係の学術書のリストは100冊近くになっている。リストに掲載されていない書籍はまだまだたくさん存在していて、映画が実に様々な学術領域から探究されていることを知る。
リストに掲載している100冊の洋書だけではなく、先日の一時帰国で日本から30冊近く映画関係の書籍を持って帰ってきた。それらを少しずつ読み進めていき、それと同時に、これからも旺盛に映画作品を見続けていくことを行っていきたい。
数日前にも言及したように、映画は創作活動上の大きな刺激とインプットになっている。また、「ムービーヨガ」という映画鑑賞を通じた治癒と変容の実践があるように、映画鑑賞が自分の心を癒し、変容を促進していることも実感する。
1つの映画を見終えると、そこにミクロな治癒とミクロな変容が起こっていることに気づく。端的には、ある映画を見る前の自分と見え終えた自分はもう別人なのだ。そうしたことを促す力が映画にはある。フローニンゲン:2020/12/3(木)04:23
6451. 今朝方の夢
時刻は午前4時半を迎えた。ここからあと4時間ほどは暗い状態が続く。午前8時半ぐらいになってようやく空が晴れるというぐらいに日の出の時間が遅くなっている。また今日は、午前中から明日の朝にかけて小雨が降りがちとのことだ。
それでは今朝方の夢を振り返り、今日も早速創作活動と映像作品の鑑賞に取り掛かりたい。夢の中で私は、欧州のどこかの国の空港にいた。
飛行機から降りて空港内を歩いてみると、どうやらそこはフィンランドのようだとわかった。私は乗り継ぎでこの空港に降り立ち、ここからまたどこかの国に向かうようだった。おそらくそれもまた欧州内の国だろう。
飛行機から降りてすぐに、私に声をかけてくる人がいた。声のする方に顔を向けると、フローニンゲン大学のイノベーション研究センターでインターンをしていたときにお世話になっていたエスター·ボウマ博士がいた。
ボウマ博士は笑顔でこちらに話しかけ、そこから私たちは一緒に空港内を歩くことにした。すると、ボウマ博士は幼少期の頃にフィンランドで過ごしていたことを話してくれた。しかもなんと、空港の窓から今この瞬間に見えている住宅地の一角に住んでいたそうだ。
飛行機の乗り継ぎにはまだ時間があったので、私たちは一度空港から外に出て、ボウマ博士の案内の下、空港近辺を散策することにした。空港から左手の方にボウマ博士が住んでいたアパートのような建物が見え、その周りにもアパートやマンションがたくさん建っていた。
いずれの居住用の建物に共通していたのは、日本のように洗濯物を外に干す習慣を持った家が多いということだった。欧米で洗濯物を干すというのは基本的に考えられず、洗濯物が外にぶら下げられている光景というのは貧民街でしか見られない。ところが、ここでは数多くの世帯が外に洗濯物を干すことをしている光景がとても新鮮に映った。
ボウマ博士と私は、あえて左手の住宅地の方を散策するのではなく、空港から見て右手の方に向かっていくことにした。そちらには山道があり、山から遠くの海が見張らせた。
しばらく山道を歩いていると、突然街並みが開けてきた。そこには北欧諸国の街並みの雰囲気というよりも、どちらかというとバルセロナやパリの街並みのように西欧的な雰囲気があった。
住宅が密集するエリアのある大きな道に出てきたときに、遠くの方に日本人の知人の姿が見えた。そしてその方の周りには知らない日本人たちが十数人ほどいた。
するとどうやら、その知人の方が、ある新興宗教の長の座に就くことになったことがわかった。その方は就任演説をその場で初め、就任に際しての喜びを表現する一環として、突然道路の上を走り始めた。
すると、そこからミュージカルが始まった。街中で突然、日本人の知人を含めた見知らぬ人たちがミュージカルを始めたのである。
ミュージカルが始まった瞬間は、私は唖然として鑑賞者側に回っていたのだが、気がつくとも自分も役者側にいた。そして、私は突然逆立ちを始め、そのまま街中を進むことを行った。
その意図は、プログラミング言語のRのプログラミングコードを身体で表現したらどうなるかを示すことだった。厳密には、これまでプログラミンコードを書くことによって実現できていた諸々のことを、身体を通じて表現するとどうなるかを示したいようだった。
最初街中の人たちは、私の行動を理解していないようだった。単に逆立ちをして街中を歩くパフォーマンスのように思っていたのである。
私は明確な意図を持ってそれを行っていたので、なんとか意図を伝える工夫はないかと考え始めた。手だけ地面に着けていることの意味を模索していると、気がつけば私は再び空港の中にいた。
我に返ると、私の目の前に、古書を販売している人がいることに気づき、その人に話しかけてみると、先ほど一緒に空港の外を散策していたボウマ博士だった。ボウマ博士は笑顔で古書を売っていたが、貴重な本が随分と安く売られているなと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2020/12/3(木)04:45
6452.『ウェイキング·ライフ(2002)』を見て
時刻は午後8時を迎えようとしている。今日は肌寒い1日だったが、天気予報とは異なり、ほとんど小雨が降らなかった。どうやら今夜から明日の未明にかけて小雨が降るらしい。
今日は結局、合計で7本ほどの映像作品を見た。今日は「一瞬一生の会」の受講者の方々のリフレクションジャーナルを読み、それに対するコメントを音声ファイルとして作成していて、それに2時間弱ほどの時間を充てていた。
そうしたこともあり、映像作品の本数は7本程度だったが、音声ファイルの中で映画についてもたっぷりと1時間弱ほどかけて話をしたことによって、見た映像作品の学びが身になることにつながったように思う。映像作品は学びの宝庫であるから、見っぱなしにするのではなく、鑑賞最中のメモだけではなく、文章の形にしたり、音声ファイルの形にしていきたいと思う。
今日見た作品の中で強く印象に残っているものを挙げるとすると、まずは『ウェイキング·ライフ(2002)』という作品になるだろう。この作品は、実写映像にデジタル·ペインティングを施した形で作られていて、アニメーションの美しさは『アンダン ~時を超える者~(2019)』や『ゴッホ 最期の手紙(2017)』を思わせる。
ストーリーも興味深く、胡蝶の夢を思い起こさせるように、自分が夢の中にいるのか、現実のなかにいるのか判断ができなくなった青年の主人公が、そのことを確認しようと街へ飛び出し、さまざまな人と出会い、彼らとの対話を通じて、夢と現実、生と死、人間存在について考えていくという哲学的な内容を持つ。
この作品を見ながら、人間の魂や輪廻というのは、集合意識の記憶そのものなのではないかということを考えさせられた。また、死や絶望から生に光を放射することの大切さについても考えさせられるシーンがあった。
その他にも、どんな時も旅立ちの気持ちでいることの重要性、自分に与えられた色を用いてこの世界を描いていくことの尊さなどについても考えていた。
フランスの映画批評家アンドレ·バザンは、「映画は「神の記録」である」と述べている。神は絶えず創造に従事していて、映画は創造の産物であるから、映画というのは神の記録としての性質を持っていると言えるのかもしれない。
創造というものが、聖なる瞬間に、聖なる瞬間として生まれることについても考える。日々自分の内側から生み出される曲や絵は、まさに聖なる瞬間の顕現かつ産物なのだ。
今日の映像作品の鑑賞体験も実に有意義であった。明日もまた旺盛に映像作品を見ていきたいと思う。フローニンゲン:2020/12/3(木)20:08
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