No.1600 穏やかな闇の世界_A Quiet World of Darkness
本日の言葉
The entirety of a mountain of gold, of solid bullion: even twice that wouldn't suffice for one person. Samyutta Nikaya
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6446. 今日の予定/今朝方の夢が暗示する今後の歩み
6447. 仮眠中のビジョン/複数の意識段階を描く映画作品
6446. 今日の予定/今朝方の夢が暗示する今後の歩み
時刻は午前5時を迎えた。今日から新たな週が始まる。それはまた1つ新しい週であり、この人生において1度しかない週だ。そう思うと大変貴重な週のように思えてくる。
このように、日々は常に新たなものであり、この人生においては1度しかないものなのだ。ヘラクレイトスが述べた「同じ川に2度入ることはできない」というのと同じであり、日々は絶えず新しく、またとないものである。
そのように考えてみると、今日存在する自分というのもまた2度とない存在なのではないかと思えてくる。自己を含めた万物はいずれもその瞬間に固有の立ち現れとして存在しているのだ。
今日の自分は、この人生における唯一の自分である。万物は皆そうした貴重性を持っている。
今の気温はマイナス1度であるが、思ったほどに寒くはない。書斎の中にいるのだから外の寒さが体感的にいかほどかは分かりかねるが、例年であれば、外の気温がマイナスの時には部屋のヒーターをつけていた。ところが今はヒーターをつけておらず、それどこから、寝室と書斎の窓は少し開けて換気をしている。
寝室のヒーターは少し前から入れるようにしているが、書斎のヒーターはまだほとんど使わなくていい状況なのだ。暖かい格好をしていれば、室内ではヒーターを使わなくても耐えられるので、しばらくこの形で生活をしていこうと思う。書斎が寒くて仕方なくなってきたらヒーターをつければいい。
ここ最近は映画を見る本数がさらに増え、昨日は8本ほど見ていた。一方で、映画評論関係の書籍や論文を読むことによって、映画を紐解く観点を得ていく必要性を感じており、もうしばらくしたらまた日中にも文献を読んでいこうと思う。
今は夜の就寝前ぐらいにしか文献を読んでいない。そんな折、昨日は米国カリフォルニア州パロアルトにあるソフィア大学のマーク·アラン·カプラン教授の仕事と出会った。カプラン教授は、インテグラル理論の観点から映画について研究を進めており、数多くの論文を執筆していることを知ったのである。
昨夜、ざっとカプラン教授の論文タイトルを眺めてみたところ、いずれも非常に興味深いと思ったので、全ての論文を読んでいこうと思う。とりあえずまず1つダウンロードし、それをデスクトップに保存した。合わせて、カプラン教授のYoutubeチャンネルも登録し、投稿されているビデオは料理をしながらでも全て音声で聞いていこうと思う。
昨日はマスメディアに関する映画を2本、ドキュメンタリーを1本見た。映画については『スポットライト 世紀のスクープ(2015)』と『ニュースの真相(2015)』を見て、ドキュメンタリーとして『i-新聞記者ドキュメント(2019)』を見た。このドキュメンタリーは森達也監督によって製作されたものなのだが、過去に見た森監督の作品はいずれも示唆に富む。
過去見たことがあるのは、オウム真理教に潜入し、そこでの記録を撮った『A(1998)』『A2(2001)』、そして2014年に作曲のゴーストライター騒動で世間を賑わせた佐村河内守(さむらごうちまもる)氏を追ったドキュメンタリー『FAKE』はいずれも興味深い作品だった。
森監督の作品でまだ見ていない『311』を今日の昼にでも見ようかと思う。その他にも、政治経済関係の作品と、引き続きゴダール監督の映画作品も見ていく。フローニンゲン:2020/11/30(月)05:23
6447. 仮眠中のビジョン/複数の意識段階を描く映画作品
時刻は午後7時半を迎えた。静かな夜の世界を眺めながら、今日1日を振り返っている。こうした振り返りの時間を持てていることの有り難さ、そして振り返りがもたらす静かな充実感を実感できていることの有り難さを思う。
今日の午後に仮眠を取っていると、印象的なビジョンを見た。ちょうど意識がコーザル状態からサトル状態に移行して目覚めようとしているときに、無数のハトが空を舞っていく姿を見た。
ビジョンの中の世界の空は少しばかり雲があったが、概ね晴れだった。私は草原に仰向けになっているかのような視線でハトが勢い良く空を飛んでいく姿を眺めた。
夢のシンボルに豊かな意味が内包されているのと同じように、きっと仮眠中のビジョンにも豊かな意味が隠れているに違いない。それを少しずつ紐解いていこう。
今日の午後に街の中心部に出かけたとき、ちょうど市場が開かれていたので、そこに出店しているオーガニックの野菜や果物を扱う店で椎茸を6つほど購入した。ここの椎茸はとても立派であり、価格に関しても卸しがないためか、Ekoplazaというオーガニックスーパーの椎茸よりも安い。明日以降天日干しをして食することが楽しみである。
市場だけではなく、昨日の朝に切れたキッチンの電球を新しく購入しようと思って色々と店を回ってみたが、結局どこにも置いていなかった。キッチンの電球は丸いタイプではなく、細長いものであり、なかなか入手しづらいもののようだった。
明日、近所のスーパーに売られていなければ、不動産屋に連絡をして、便利屋に持って来てもらおうと思う。一昨年あたりにも電球が切れ、そのときには不動産屋に連絡をして便利屋が持って来てくれたので、今回もそのように対応すれば良かったが、メールをする時間も惜しい形で日々の探究生活と創作活動に励んでいるため、明日スーパーになければ明日にでも不動産屋に連絡をする。
数日前から、インテグラル理論の観点から映画を探究しているマーク·カプラン教授の動画の音声を料理をしながら聴いている。その中で興味深い調査があった。
全ての意識段階をカバーした映画は過去存在せず、現実的にそれは非常に難しいが、多くの人々に訴えかけ、過去に興行収入で歴史的な大きさになったものの大半は、少なくともいくつかの意識段階をカバーしているとのことである。
例えばアバターにおいては、ナヴィという先住民族を描いた部族的段階、戦争(戦い)を描く衝動的段階、合理性を働かせるビジネスパーソンが現れる合理的段階、ナヴィの先住民族とビジネスパーソンを調停させようとする観点を持つ人間を描く相対主義的段階など、確かにいくつかの意識段階をカバーしている。
マトリックスにおいても、預言者という神話的な段階や、科学技術に焦点を当てた合理的段階、そうした合理的な世界観を超えた意識段階の特性が映画の世界の中に散りばめられている。
興行収入において、アバターに次ぐ歴代3位のタイタニックについても考えてみたが、こちらは上述の映画よりもカバーしている意識段階は少ないように思える。ただし、多くの客を動員するために、いくつかの意識段階に響く形の映画世界を創り上げていくというのは確かに理にかなっているように思える。
カプラン教授の講義資料のPPTや論文を読むことによって、少しずつ映画を見る観点が増えている。そもそもインテグラル理論を学ぶ特徴として、認識の拡大がもたらされることを考えてみると、カプラン教授の研究成果を通じて、単に知識が増えているというよりも、これまで認識の光が当たっていなかった領域に光が当たるようになって来たと言えるかもしれない。
事実、作品中のカットや音楽、そして作品が描く世界の社会的コンテクストや歴史的背景などに自然と意識が向かい、そこからまた多くのことを汲み取っている自分がいる。今夜もまたカプラン教授の論文を少しばかり読み、明日の映像作品の鑑賞をさらに実りあるものにしていきたい。フローニンゲン:2020/12/1(火)20:02
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