No.1504 東京の優しい朝_A Gentle Morning in Tokyo
本日の言葉
Demonstration, example, intuition, imitation: that is the fundamental relationship of instructor to pupil. Eugen Herrigel
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タイトル一覧
6344.【東京滞在記】現代アーティスト小松美羽さんとの対談講演会を終えて
6345.【東京滞在記】過ぎ去りし祝祭
6344.【東京滞在記】現代アーティスト小松美羽さんとの対談講演会を終えて
時刻は午前6時半を迎えた。時計の針を少しばかり巻き戻すと、今朝の東京の朝焼けはとても綺麗だった。
スカイブルーに変わりゆく空の向こう側に、ぼんやりとオレンジ色の朝日が昇る姿を拝むことができた。今日も天気が良いようなので何よりだ。
昨日は、現代アーティスト小松美羽さんと対談講演会をさせていただいた。小松さんを含め、昨日の対談講演会にご参加いただいた多くの方々とは初めてリアルの場でお会いさせていただき、その点においてまずもって灌漑深いものがあった。
講演会終了後、身内の数名の方々と夜中の2時半まで一緒に過ごさせていただいた。その際には、自分の誕生日を祝ってもらえたのである。
そう、昨日の夜中であるから、それは10/21であり、自分の誕生日だ。自分の誕生日をリアルな場で誰かに祝ってもらうというのは、前回がいつだったかわからないぐらい稀なことだった。最後がいつだったか本当に覚えていない。
今朝方の午前2時半に就寝したが、今朝方は午前5時半に起床した。本当はもうすでに午前4時頃には目覚めていたが、さすがに3時間は寝ておこうかと思った。
今朝の睡眠時間はいつもより短いが、今の状態はすこぶるいい。おそらく講演会によって興奮していたのだろうと思われる。
ちょうど同じホテルに宿泊している方の部屋で身内の方々と遅くまで話をした後に自室に戻った。部屋のドアを開けると、そこにはスカイツリーを背景にした東京の夜景が広がっていた。
夜景を見て、少しばかり怖くなった。何に対して怖くなったのか?いやそれは実存的な不安のようなものだと言ってもいいかもしれない。
昨日の対談講演会の中で、小松さんが破壊と再生の話をしていた。人間の発達が死と再生のプロセスだということはよく知られているが、小松さんの再生の捉え方がとても興味深く、その話が印象に残っている。
また全てを一からやり直さないといけないと思った。最初私は、自分の不勉強を呪おうとし、もっと勉強しないといけないと思った。
全く勉強が足りないというある種の強迫観念の波が自己を襲った。だが、もはや勉強の問題ではないと思った。何かが根本的に足りず、何かが根本的に間違っているのだと思った。
充足と不足。正解と不正解。そうした二元論。そうした二元論で自己を捉えることは愚かなことは承知であるが、そう捉えなければならない。それは慣習的段階の「ねばならない」ではなく、ニーチェが指摘した、「聖なるすべし」ものである。
一体自分はここからどう始めたらいいのだろうか。それはよく分からない。よく分からない状態で、今日からは大阪に移動する。
大阪で数泊し、そこからは高野山に行く。その後、石川県に数日宿泊し、東京でまた1泊、最後に福井で数泊宿泊する。
そうした旅の中で何か光が見えるだろうか。もう自分は根本的に間違っているのだから、まだ何も見えないかもしれない。
時刻は午前7時を迎えようとしている。皇居上空の朝日の輝き!
今日は平日の水曜日なのだが、東京の街がどこか優しく見える。私は随分と昔の今日この日に生まれた。
ザ·プリンスギャラリー東京紀尾井町の3334号室で誕生日を過ごしているということ。そこに至るまでの無限の縁。
ここから自分は一体どうやって生きていけばいいのだろうか。今の自分は根本から間違っているのだから、その自分にそれを考えさせてはならない。
考えてはならないということを持ってして、縁や流れに身を任せることに向かおうとするその自分が根本的に間違っていると言いたいのである。この根本に間違った自己が矯正され、新たな存在に至るまでに、ここから多くの時間が必要そうだ。東京:2020/10/21(水)07:01
6345.【東京滞在記】過ぎ去りし祝祭
祝祭のような時間が過ぎ去り、また独りとなった。今、新大阪行きの新幹線が東京駅を出発した。
一昨日、昨日、今日と珍しく日本の新聞に目を通した。リニアモーターカーの試験試乗が始まり、2027年以降に運行が始まる予定だという記事を見た。それは時速500kmも出るそうだ。
2027年。それは今から7年後の話。7年前、私はまだサンフランシスコにいた。いや、西海岸の大学院を卒業し、ちょうど7年前の今頃はニューヨークで働いる頃だ。
あれから7年の歩みが1つの巨大な流れのように自分の中に流れ込んでくる。あの時から今にかけての歩み。それはとても遠い道のりであり、しかし振り返ってみると、短い道のりであったようにも思う。
今から2027年に向けての歩みはどのようなものになるだろうか?全く検討がつかない。
昨日の小松美羽さんとの対談講演会の最後に、小松さんのこれからについて尋ねてみた。小松さんも、これからの歩みは未知であることを述べていた。それが発達の本質である。
今この瞬間に想定できることなど発達ではないのだ。発達とは徹頭徹尾、未知なるものに向かい、未知なるものになることなのだ。
早朝の日記を思い出す。何かを書いていた。そう、何か言葉になろうとするものを書いていた。
時にそれを隠し、時にそれを明るみにしながら、ゆっくりと何かを言葉として形にしていた。誕生日を迎えた今日は、晴天に恵まれた。
今、本当に素晴らしい秋晴れの空が見える。今日は半袖でもいいぐらいの暖かさだ。
ここ最近のオランダの気温はどうなのだろうか。日本に帰ってきてからは、オランダの気温を一切確認していない。
この2日間お世話になったザ·プリンスギャラリー東京紀尾井町の方々に大変感謝している。昨日の朝食と同じく、今朝もレストランではSさんに料理を運んでいただいた。
昨日の和食とは異なる料理をいただいた。カレイの煮付けは美味であった。
昨日の対談講演会の楽屋で小松さんに、「アベノマスクを着けている人を初めて見た!(笑)」と言われた。最初私は一体それが何のことかわからなかった。
実家の自分のデスクの上に未開封のビニール袋に包まれた新品のマスクが置いてあり、それが市かどこかから配られたものだという認識があったが、それが国から支給されたものとは知らず、はたまた大きさやデザインの観点から、それを着けている国民などほとんどいないということを私は知らなかった。その話は対談講演会の冒頭のまくら話となった。
小松さんにいじられたこともあって、今日から別のマスクを着けた。対談講演会の中で、小松さんがキャリア初期の代表作である『四十九日』と決別した話になった。私もアベノマスクと決別した。
今日はこれから梅田のホテルに向かう。明日から、アントレプレナーファクトリーの嶋内さんとインテグラル理論に関する動画撮影を3日間にわたって行わせていただく。
昨夜は本当に珍しく夜更かしをして、関係者の方々数名とホテルの部屋で午前2時半まで話をしていた。そこから自室に戻って睡眠を取り、今朝方目覚めたのは午前5時半だった。ホテルのベッドの質が良いからなのか、3時間ほどの睡眠でも十分だった。
今日は大阪のホテルに到着したら荷物を置き、仮眠を取ったら梅田駅に向かう。今回ワイシャツを3着持って来ていて、そのうちの1着を昨日着ようと思ったら、カフスボタンでワイシャツの手首を留めるものであり、カフスボタンを持って来ることをうっかり忘れていた。
これも何かの運命かと思い、今日は梅田駅内のUNIVERSAL LANGUAGE MEASURE’Sルクアイーレ店でカフスボタンを1つ購入したい。その後、時間に余裕があれば、ホテルと目と鼻の先にあるジュンク堂に立ち寄る。
もう2つのスーツケースに随分と荷物が詰め込まれているのだが、あと数冊ぐらいであれば書籍を購入できそうだ。今夜もゆっくりとお風呂に浸かり、明日の撮影に備えて早めに就寝しよう。新大阪に向かう新幹線の中で:2020/10/21(水)11:49
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