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6312-6315: アートの国オランダからの便り 2020年10月10日(土)

更新日:2020年10月13日


No.1479 瀬戸内海に続く光の道_A Path of Light toward Seto Inland Sea

本日の言葉

Bad luck comes from the mouth and ruins us. Fortune comes from the heart and does us credit. Nichiren Daishonin

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本日生まれた2曲

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タイトル一覧

6312.【日本滞在記】実家で過ごす穏やかな時間

6313.【日本滞在記】美の危うさ

6314.【日本滞在記】印象的なビジョンを知覚する仮眠体験

6315.【日本滞在記】『クリーピー 偽りの隣人』を見て/犯罪心理学の学習に向けて


6312.【日本滞在記】実家で過ごす穏やかな時間

時刻は午前4時半を迎えた。開かれた自室の窓から、瀬戸内海の穏やかな波音が聞こえてくる。


この時間帯は辺りはまだ真っ暗であるが、落ち着いた雰囲気が辺りに漂っていることがわかる。自宅の目の前の瀬戸内海は、絶えず命を働かせている。その生命の脈動を感じる。


昨日は午後10時に就寝し、起床したのは午前4時だったので、ようやく本来の生活リズムに戻ってきた。昨日はまだ時差ぼけが厳しく、午前1時に起床し、昼前に睡魔に襲われることがあったが、今日からはもう普段のペースで生活をしていけそうである。


ここからはまた自分のペースで自分の取り組みに従事していこう。実家にいる間は創作活動はほどほどにしながらも、実家に置いている書籍を読める限り読んでおきたい。家族と会話を楽しむ時間や、愛犬と遊ぶ時間を最優先にする形で実家での残りの滞在期間を過ごしたい。


ここ数日間、父と母の生活の様子や2人との会話のやり取りを思い出すと、2人がとても充実した形で日々を過ごしていることがわかり、とても嬉しく思った。自分の内側が望むことに正直になってそれに従事していることが、2人の元気さと充実振りの源だろう。


父にも母にもやりたいことがたくさんあるようだ。この2日間の夕食では、そうした点が話題の1つに挙がっていた。父は再び絵画の創作を行うことを考えているようであり、昔のようにリアルな絵を描くことや、デジタルアートの創作にも関心があるようだ。すでにパソコンにはクリップスタジオPro(通称「クリスタプロ」)をインストールしているらしく、父が絵画の創作を再び始めるかもしれないことを嬉しく思う。


また、小説のような文章執筆にも乗り出していく気があるらしく、昨夜はその点も話題に挙がった。父がどのような思いでその文章を執筆しようとしているのかを聞いたところ、それは出版するに値するものかと思われたので、ぜひ応援したいと思う。


その他にも、新しいボートを購入して釣りも復活させようかと考えているとのことであり、今夜は先日に釣ったアオリイカが夕食のメニューの1つとのことであり、とても楽しみだ。料理に関してもより一層探求をしていくとのことである。


これまでレシピを残していたらしいのだが、アレンジのヴァリエーションが豊富らしく、レシピを残すのが大変になってきているとのことだが、ぜひ残しておいて欲しいと思う。いつか父が作った料理をレシピをもとに辿りながら自分でも料理の創作に乗り出す日が来るかもしれない。


母に関しても毎日ピアノの演奏を中心に、やりたいことに日々取り組んでいるようであり、とても充実していることが伝わってきた。ピアノの練習に関しては、以前よりも練習時間が増えており、それによって技術が向上し、それがピアノの演奏を通じて得られる充実感を増加させているようだった。


そのサイクルは、まさに能力や知性の発達のお手本のようである。昨年よりもさらに集中して練習する時間が増えており、一番感銘を受けたのは、細切れ時間を巧く使ってピアノ練習をしていることだった。それによって細切れの練習に対して高く集中力を発揮することができているように感じた。


2人の日々の過ごし方から自分も学ぶことが多く、それを参考にしながら今日からの日々を充実感と共に生きていきたいと思う。山口県光市2020/10/10(土)04:57


6313.【日本滞在記】美の危うさ


時刻は午前5時を迎えた。起床時に引き続き、瀬戸内海の穏やかな波音が聞こえてくる。実家に滞在中は天気が良い日が続き、とりわけ今日と明日は雲一つない晴れマークが付されている。


昨日と同様に、午前中や午後の読書はバルコニーで行ってもいいかもしれない。作曲や日記の執筆もバルコニーのテーブルで行うことを検討しよう。


父がテーブルの上にパソコンを置くデスクを設置してくれ、それによって立ってパソコンを使うことができるようになった。実家にはバランスボールがないので、できるだけ立って読書や創作活動に取り組んでいくことができればと思う。


本日が実家での滞在3日目となるが、まだ印象に残る夢を見ていない。昨夜から今朝にかけて熟睡しており、それは低反発のベッドや枕のおかげかと思う。フローニンゲンの自宅の枕も低反発であるが、ベッドでは普通のものであるから、今度の引越し先かそれ以降においては、睡眠の質を高めるために、ベッドのマットを低反発のこだわったものにしたいと思う。


昨日ふと、作曲家の武満徹が夢を題材に作曲をしていたことを思い出した。武満は、さらに数字も意識しながら作曲に取り組んでいた。


夢と数字というのは私も大切にしているものであり、今後はそれらを題材にした曲を作ってみたいと思う。これまでもそうした試みはあったが、今後はそれをより意識し、夢と数字を形にしていく自分なりのアイデアや技術を高めていきたいと思う。


昨日、『危険な「美学」』と『作曲の思想 音楽·知のメモリア』いう書籍を読み終えた。前者は、一般的な美学書とは異なり、美の負の側面、そして危険な側面を取り上げている興味深い書籍である。


本書を読みながら、真と善が欠落した状態で美を追求していくことの危険さを思った。本書でも言及があるように、美が戦争を駆り立てるものであったという歴史的事象を思い出す。


著者が指摘するように、アニメ映画『風立ちぬ』において、飛行機設計者の主人公は、美しい飛行機を作ることに没頭していたが、その飛行機がそもそも戦争のために使われるという発想がひどく欠落していた。


本来、自己を省察していく際には、美を司る感性よりも、真と善を司る知性と理性を働かせることになる。美への没頭は、私たちに生の歓喜や崇高な恍惚感を感じさせたりするが、知性と理性の欠落した美的探求は、自己省察の不足さゆえに、危険な道に入り込んでしまうことがある点に注意をしなければならないだろう。


そうした美の罠に入り込んでしまうことを防ぐ上で、知性と理性を用いた自己内省を行っていくことが大切になるだろう。美的体験への没入と自己省察の双方を行ったり来たりするような形で、今日からの日々を過ごしていこう。山口県光市2020/10/10(土)05:22


6314.【日本滞在記】印象的なビジョンを知覚する仮眠体験


時刻は午後2時を迎えた。ベッドから何冊かの書籍が転がり落ちる音が聞こえて仮眠から目覚めた。仮眠中、印象に残るビジョンを見ていた。それはもう夢さながらの知覚体験だった。


ちょうど今月の半ばに行われる対談講演会の会場に早めに到着した私は、会場の下見をしに、講演が行われる部屋を覗いた。ドアを少しばかり開いて中を覗いたところ、開演1時間以上前にもかかわらず、もうそこには何人かの参加者の方々がいて、少しばかり驚いた。


参加者の方々は私が扉を開けたことに気づかなかったので、私は扉をそっと閉めて別室に移った。すると私の体は、東京のどこかの駅のプラットホームの上にいた。


ちょうど良いタイミングで、目的駅に向かう特急列車がやってきた。いや厳密には、その列車は目的駅を通過してしまう特急だったかもしれないが、急いでいたので私はその列車に飛び乗った。


列車の中のモニター画面を見ると、ちゃんとその列車は目的駅に止まることを知ってホッとした。そのような場面があった後に、私の体は美術館のような建物の中にあった。


私の横には両親がいて、私たちは美術館を楽しみにやって来たようだった。館内は空間も芸術的に作られていた。


作品鑑賞をいざ始めようとしたときに、父が「あっ、ここにいる!」と述べた。父が指差したのは部屋の隅の角なのだが、そこには何もいないように思えた。だが父は、そこに何かがいると述べる。


何やら、ヴァーチャルテクノロジーの技術を使い、特殊なメガネをかけながら行うゲームが流行っているらしく、本来はその特殊なメガネをかけないと見えないモンスターのキャラクターが父には裸眼で見えるらしかった。


母は、「怖いから、見えるとか言うのはやめてよ」と述べており、母は私と同じく何も見えないようだった。父は笑みを浮かべながら、部屋の隅の角に腰をかがめて、手を差し出した。


すると、バーチャル空間でそのキャラクターに噛みつかれたらしく、痛そうにして手を引っ込めた。その瞬間に私はハッとして、仮眠から目覚めた。


すると、午前中から部屋中にある段ボールを開けて取り出した本で埋もれたベッドから、書籍が転がり落ちる音が聞こえた。そのような形で仮眠から目覚めたのである。


ここ数日は夢を見ていなかったので、その代わりとなるようなビジョンだった。両親が登場したこと、そして今月の半ばの講演会がモチーフになっていることなどを見ると、もう日本にやって来たことが無意識の世界に影響を与えていることがわかる。


正直なところ、今とても不思議な感覚が自分の内側にあり、その感覚は内側を外側から包んでもいる。端的には、夢見心地の感覚である。より厳密には、夢を見ている自己が夢見心地を感じるという二重の感覚がある。


それは静かな幸福感を伴っている。オランダで感じるくつろぎとはまた違うくつろぎが実家にあり、そこに魂が安住していて、それによって内から外に自ずから開いていく不思議な感覚がある。


その感覚は、間違いなく魂を別の場所に連れて行ってくれている。それは魂を育みながらにして、より高き場所に導くことにつながる感覚であると確信している。山口県光市2020/10/10(土)14:17


6315.【日本滞在記】『クリーピー 偽りの隣人』を見て/犯罪心理学の学習に向けて


仮眠から目覚めると、母が演奏するジュリオ·カッチーニの『アヴェ·マリア』がピアノ曲が聴こえて来た。ちょうど昨夜、母から楽譜を借りて、この曲を今朝方写譜し、楽譜を再びピアノの前に戻しておいたのは午前中のことだった。


母は最近毎日この曲を練習曲の1つに加えているらしい。もう1つは、バッハの『主よ人の望みの喜びよ』のピアノ曲である。


今は午後2時半を迎えようとしていて、ここから夕食までの間、母は午前中と同様に、ピアノの練習に取り組むだろう。午後の練習は洗濯物の取り入れなどの中断を挟みながら進められることになる。


仮眠から目覚め、父の部屋を覗くと、父も仮眠を取っていたようだったが、つい今し方目覚めた。ここから父は夕食の準備に取り掛かる。


下準備に時間がかかる際には、午後2時から台所に立つとのことであり、今日と明日は下準備に時間がかかるものを作ってくれるらしく、ここから夕食まで父は台所に立つようだ。


昨日父が述べていたのだが、父にとっては、料理もまた創作であり、料理を作っている最中には幸福感があるとのことだった。幸福感を感じられること。それこそがまさにその活動がその人にとっての創作活動であることを示している。


仮眠前に、黒沢清が制作した『クリーピー 偽りの隣人』というサスペンス映画を見ていた。この作品は、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した前川裕氏の小説作品がもとになっている。


ストーリーは、元刑事の犯罪心理学者である高倉が、刑事時代の同僚である野上から、6年前に起きた一家失踪事件の分析を依頼されるところから始まる。その事件の唯一の生き残りである長女の記憶を探るが真相にたどり着けずにいたところ、新居に引っ越した高倉と妻の康子は、隣人の西野一家にどこか違和感を感じ始める。


ある日、高倉夫妻の家に西野の娘が駆け込んできて、実は西野が父親ではなく全くの他人であるという驚くべき事実を打ち明ける。そこからストーリーが佳境に入っていく。


ちょうど偶然ながら、数日前に新大阪駅の書店をぶらぶらしていた時に、犯罪心理学の書籍に目が止まり、その書籍をパラパラと眺めていた。結局、その書籍を購入することはせず、本棚にその書籍を戻し、映画評論関係の書籍を2冊ほど購入したのだが、今回の映画作品を見て、改めて犯罪心理学の学習もしていこうと思った。


以前からサイコパスやソシオパスの心理特性には関心があって、それに関する書籍を読んでいたのだが、犯罪心理学についてはまだ何も専門書を読んだことがなかった。今回は、日本語で犯罪心理学の書籍を1冊ぐらい購入しても良いかもしれない。


本腰を入れてこの領域について理解を深めようと思ったら、いつものように英語空間にアクセスして、必要な専門書を購入していけば良い。ざっと調べてみると、犯罪心理学はやはり欧米に歴史があるので、日本語で読める犯罪心理学の書籍はとても少ない。


前々から気づいていたが、犯罪心理学の基礎をわかっていないと汲み取れない映画作品がかなりあることに気づく。そうした作品からより多くのことを汲み取るために、犯罪心理の基礎を学ぶ必然性が自分にやって来たことは嬉しい。ここからまた書籍を吟味したいと思う。山口県光市2020/10/10(土)14:36

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