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6298-6301: アートの国オランダからの便り 2020年10月5日(月)


No.1470 時の衣_A Robe of Time

本日の言葉

Face any difficulty of life, accept it, deal with it, and then let it go. Sheng-Yen

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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

6298. 今朝方の夢

6299. 多様な危機とメタ的な危機/「反成長」/「実際的なイデオロジー」

6300.『her 世界でひとつの彼女(2013)』と『オートマタ(2013)』を見て

6301. AI倫理/不可能性を前提にした問いを立てること


6298. 今朝方の夢

時刻は午前7時を迎えようとしている。昨日は、就寝前に少しばかり映画に関する調べ物をしてしまったからなのか、すぐに寝付くことができず、今朝はゆったりとした起床だった。就寝前にどのように過ごすかが寝付きに影響を与えることを改めて実感する。

幸いにも、睡眠の質には影響をそれほど与えず、快眠だったように思う。快眠中に見た夢を、今少しばかり思い出している。

夢の中で私は、高校1年生の時に同じクラスだった2人の友人と話をしていた。実は2人はそれほど仲が良くなく、私が間に入る形で話をしており、私としては彼らの関係性が良くなることを願っていた。

友人のうちの1人が、先ほど朝9時にスーパーに行ったところ、客が誰もおらず、無音だったことに驚いたと述べた。いくら開店直後の時間とはいえ、その他にも客はいるだろうと思ったが、時には全く客がいないこともあるのかもしれないと思った。

もう1人の友人は、無音のスーパーに関心を持ったらしく、では自分も今度その時間にスーパーに行ってみようと述べた。そのような話をした後に解散することになった。

解散後、片方の友人と自転車に乗って自宅に戻ろうとしていると、私の横にもう1人自転車を漕いでいる人がいた。見ると、現在協働中の方だった。その方は私よりも若く、まだ30歳になるかならないかぐらいの年齢である。

その方の存在に気づくと、高校時代の友人はもうどこかに消えていた。そこからはその方と一緒に自転車を漕いで自宅に向かって行った。そこでその方がふと、「この辺りに日銀があるはずなのですが···」と述べた。それに対して私は、「日銀ですか?確かに日銀ならあの辺りにありますよ」と述べた。

するとその方は、「日銀のある通りで曲がりましょう」と述べた。確かにその通りで曲がっても自宅に着けるが、さらにもう一本先の道で曲がった方が早く自宅に着けることを知っていたため、それを明示しない形で、一本先の道にその方を誘導して行った。

そのような形で自転車を漕いでいると自宅に到着した。自宅は4階建てのアパートであり、玄関のドアを開けると、ちょうど1階のオランダ人の住人が洗濯をしようとしているところだった。

各階に洗濯機があり、彼は1階の洗濯機を使い、洗濯が終わったら、2階の共有の乾燥機を使う予定のようだった。彼は私に顔を見せることなく、洗濯機の方に向かってそそくさと歩いていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は日本旅館にいた。厳密には、旅館の大きな座敷部屋にいた。

その座敷部屋には畳の上に、木製の背の低いテーブルが所狭しと置かれていて、どうやらそこで勉強会が行われているようだった。私の横には大学時代のゼミの友人が何人かいた。

そのうちの1人(YN)が長期の休みの期間はずっと金融を勉強していたらしく、相当に専門書を読み込んでいたようだった。その専門書には計算問題のエクササイズも充実しており、いくつかよく分からない問題について、彼は私や別の友人(TA)に質問をしてきた。

それらの質問のうち、数式を扱うものは会計士の友人に任せ、自分は理論的な部分の説明をすることにした。しばらく金融に関する勉強を全員でしていると、質問をしてきた友人のテーブルの小さな本棚にはその他にもたくさんの本があった。

それらの本のタイトルを見ると、選定がなかなか良いと思った。彼もまた読書に目覚めたのかと思って私は嬉しくなり、何冊か彼の本を手に取ってパラパラと中身を眺めた。

すると1冊ほど、変わった本があることに気づいた。それは和書であり、本全体に典雅な和紙のブックカバーがなされていて、なんと1ページ1ページに防水用のカバーがかけられていたのである。

不思議な本だなと思って中身を眺めていたところ、私の右横にいた別の友人(TM)も同じ作りの和書を持っていた。それに気づいた時、私の目の前に突然、イギリス人の女性教師が現れ、誰か英語が話せる人はいないかと言われたので、自分が話せる旨を伝えた。

するとそこからは、その女性教師と一緒に部屋を回っていき、様々な学生に英語で話しかけて行った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン2020/10/5(月)07:13


6299. 多様な危機とメタ的な危機/「反成長」/「実際的なイデオロジー」


時刻は午前7時半を迎えようとしている。この時間帯になってようやく辺りが明るくなり始めた。完全に辺りが明るくなるまであと30分か1時間は必要だろうか。

ちょうど今月末にサマータイムが終わり、オランダに戻ってきてからはサマータイム終了後の時間で動いていく必要がある。サマータイムの終わりをもって、本格的な冬がやって来るだろう。

今日もまた創作活動と映画の鑑賞に十分な時間を充てたいと思う。今日の映画鑑賞においては、AIを取り上げた作品を2つほど見てみようかと思う。

グローバル規模で起こる多様な危機(polycrisis)とメタ的な危機(meta-crisis)の時代を生きている私たちにとって、それらの危機がどのような性質を持ったものなのかを把握することが第一歩になるだろう。映画やドキュメンタリーなどの映像作品は、そうした危機の性質を教えてくれる上で、そしてそれらの危機に対してどのように行動していけばいいのかを考えさせてくれる上でとても良い題材になる。

量的な成長と質的な発達の区別をつけることにより、反消費主義に基づく反成長(degrowth)を推し進めていくことによっても発達は実現可能だということが見えてくる。同様の指摘は、ロイ·バスカーもしていたことを思い出す。

消費主義に立脚する形で成長をいつまでも追い求めることは、多様な危機やメタ的な危機の根幹にあるように思われ、それをさらに推し進めていくことは、大きなメタ的な危機の引き金になってしまう可能性が見えてきている。

そのようなことを考えながら、マルクスの指摘を思い出す。マルクスが述べるように、種々の社会実践や社会的な各種の機関というのは、私たちが生活している社会そのものを映し出している。

それらは人間の産物なのであるという認識を改めて持ち、この社会で何が行われていて、どのような機関が活動をしているのかを冷静かつ批判的に見つめ直す必要があるように思える。社会の中での人間の振る舞いや、いかなる機関が社会の中でどのように振る舞っているのかについては、やはり映画やドキュメンタリーが多くのことを教えてくれる。

ロイ·バスカーが指摘するように、建設的な批判そのものも1つの活動であり、実践なのだから、映像作品を通じて得られた観点をもとに、人間存在や社会の有り様に思慮深く建設的な批判を加える実践の必要性を強く感じる。

バスカーは、生きた幻想の網の目のことを、「実際的なイデオロジー(practical ideology)」と呼んでいる。それを「実際的」と呼んでいるのは、そうした諸々の幻想の網の目が実社会で何かしらの機能を果たしているからだと思われる。

私たちは誰しもそうした実際的なイデオロギーに取り囲まれる形で生きている。地政学的、歴史学的、政治経済学的な考察をしなければ、そうした幻想の網の目の所在を突き止めることも、それらの構造的特性を突き止めることもできないだろう。

一方で、バスカーの興味深い指摘は、幻想のあるところに光ありと見ている点だ。もっと言えば、不在の不在化という発想を用いれば、幻想のないところに光なしという考え方になるだろう。

解放が実現されるためには抑圧が存在していることが前提にあり、そもそも抑圧がなければ解放はないのである。そこから現代社会において種々の抑圧があるということは、種々の解放の可能性の目が僅かばかりでも存在しているという見方もできるだろうが、その見方の程度を誤れば、それは単なる楽観主義的な発想に留まるだろう。

上述の人間存在や社会の有り様に対して建設的な批判を加えていくことは、不在の不在化の実践に他ならず、それが幻想の網の目に何かしらの光を照らし、解放の実現に向けた活動になるだろう。フローニンゲン2020/10/5(月)07:37


6300.『her 世界でひとつの彼女(2013)』と『オートマタ(2013)』を見て


時刻は午後4時に近づいている。つい先ほど、本日2つ目の映画作品を見終えた。

今日は、AIを主題にした映画を見ることにし、『her 世界でひとつの彼女(2013)』(原題:Her)と『オートマタ(2013)』(原題:Automata)を見た。もちろん、AIを含め、その他の来たる社会現象については、様々な学術書を読むことによって色々なことを想像することができるが、近未来の人間社会について映像を通して体感的にそれを見通させてくれる力が映画作品にはある。

最近では、AIの研究者たちがSF映画の監督と交流し、研究上の意見を求めることも多いということを聞くが、それもうなづけるぐらいにSF映画は科学研究や社会の方向性を示すものになっているものが多い。引き続き、映画を題材にして、心理学、社会学、政治学、宗教学、哲学などの様々な学問分野を横断する形で、人間と人間社会について考察を深めていこう。

2つの映画について簡単に言及しておきたい。前者の映画は、アメリカ人の才スパイク·ジョーンズ監督が制作したものであり、近未来のロサンゼルスを舞台にした、携帯電話の音声アシスタントAIのサマンサと中年男性の主人公であるセオドアの間に芽生えた愛をテーマにした物語である。

作品の冒頭を見たときに、そういえばこの作品は、私がまだアメリカ西海岸に留学していた時に訪れた映画館で予告編だけ見たものだということを思い出した。いや、もう記憶がかなり曖昧になっていて、7年前のその時にこの作品を一度見たかもしれないと思った。いずれにせよ、この作品を見ながら、人間がAIを活用するのではなく、AIが人間を活用する日も近いということを予感させた。

人間の知能を超えて、AIが人間を活用することを予感させるという点においては、次に見た『オートマタ(2013)』(原題:Automata)も共通であった。こちらの作品は、スペイン人のガイ·イバニェス監督が制作した、人工知能と人類の未来や共存をテーマに描いた近未来SFスリラー作品である。

物語は、太陽風の増加により地球の砂漠化が進み、人類が存亡の危機に瀕している2044年を取り上げている。2044年というのは、2045年には人類の未来は人工知能によって予測不可能なものになるというシンギュラリティ(技術的特異点)を迎える年の前年である。

物語の中で、自己改造をしてはならないというルールがAIに設けられていたが、それが破られることによってますます制御不能なほど賢くなっていくAIの姿が印象的である。AIが自ら自発的に学習していく機械学習というのも、それが際限なく行われると、異常なほどに知性が高度化し、人類にとっての危険になるのか、はたまたそうした危機というのは人間の単なる概念の産物であり、そうした危機を回避する形でAIは人間を従えるようになっていくのだろうか。

印象に残っているシーンとして、高度に知性が発達したAIが、「人類が滅亡しても、AIである私たちを通して人類を引き継いでいく」というようなことを述べていたことである。ある生命が死に絶え、それによってまた新たな生命が誕生することが進化の原理であり、仮に今後生命とは何かという定義が変わってくれば、人類を引き継いでいくのAIなのかもしれないということを考えさせられる。

物語の最後に、AIが主人公の生まれたばかりの赤ん坊の指を触れて泣き止ませるシーンがとても印象的だ。人間とは違う形で、そして人間以上に人間の心を深く理解するAIもいずれ誕生するのではないかと考えさせられる。フローニンゲン2020/10/5(月)16:14


6301. AI倫理/不可能性を前提にした問いを立てること


——絶望する者の数が増えることだけが希望である——ホセ·オルテガ

時刻は午後7時半を迎えようとしている。外はもう随分と暗くなっていて、冷たい風が街路樹を揺らしている。街路樹にはまだ葉が付いているが、それらが枯れ落ちるのはもう間も無くだろうか。

新たな生命の誕生まで緩やかに歩みを進めていく街路樹たち。それは自分も同じである。

新たな自己の誕生に向けてゆっくりと歩みを進めていくこと。それらは全生命が日々行なっている尊い営みなのだ。

今日は2つほどAIに関する映画を見ていた。改めて、生命倫理(bio-ethics)と同様に、AI倫理(AI-ethics)なるものを考えていく必要性があるように思えた。

現代の倫理学において、AIの取り扱いについてはどのような議論がなされているのだろうか。そのあたりがとても気になる。これもまた1つのテーマとして設定しよう。

AI倫理について、成人発達理論を含めた発達学、社会学、政治学などの多岐に渡る分野を通じて考察をしていこう。早速調べてみたところ、MIT出版から“AI Ethics (2020)”、オックスフォード大学出版からは“The Oxford Handbook of Ethics of AI (2020)” “Ethics of Artificial Intelligence (2020)”などが出版されている。それらの出版年がいずれも2020年であることは興味深い。

その他にも、“Human Compatible: Artificial Intelligence and the Problem of Control (2019)”、“Race After Technology: Abolitionist Tools for the New Jim Code (2019)”、“Automating Inequality: How High-Tech Tools Profile, Police, and Punish the Poor (2019)”、"Deep Medicine: How Artificial Intelligence Can Make Healthcare Human Again (2019)”、“Artificial Intelligence: A Guide for Thinking Humans (2019)”のような書籍も非常に参考になりそうだ。これらもまた昨年に出版されたばかりであり、AIが提起する問題への高まりを実感する。

映画を単に見ているだけでは知識や思考が深まっていかないため、映画で主題として取り上げられているもの、さらには副主題として触れられているようなものについて、積極的に専門書を通じて学んでいく姿勢が大切かと思う。

また逆に、専門書を通じて得られた知識や思考をもとに、映画を通じて描かれている具体的な現実問題を見て、それに対してまた考察を深めていくようなことが大切になるだろう。映画と専門書とのそうした往復運動をこれからより意識的に行なっていく。

夕食前に入浴をしているときに、何が可能であるかを前提にするのではなく、何が不可能であるのかという前提で議論や実践を進めていくことの必要性をふと思った。現代の諸々の議論や実践は、前者の前提のみに立脚しているものばかりではないだろうか。

例えば、仮に人類が集合的にこれまで以上に発達をしたらだとか、仮に格差を無くしたならばといったように、全てが何らかの可能性から出発しているように思えてくる。もちろん、人間には進歩を希求するような衝動が内在的にあるのだろうが、可能性を出発点にした議論や実践は軒並み頭打ちになっているように見える。

そうではなくて、例えば、仮に人類が集合的にほとんど内的成熟を遂げることができないのであれば、私たちはいかなる社会を作り、いかに生きていくのか?経済格差を解消することが不可能であれば、私たちはいかなる経済社会システムを構築し、どのようにそれを運営するべきなのかというような不可能を前提にした問いを投げかけていく必要があるように思えるのだ。

問いは解決策を導き出す方法、そして解決策そのものを規定する。問いにはそのような性質があるのだから、これまで可能性を前提にして立ててきた問いによって導き出されるアプローチや解決策がことごとくうまくいっていないのでれば、これまでにない形で、すなわち不可能性を前提にして問いを立てていくことが重要に思えるのだ。

端的には、前提をこれまでとは180度変えたような形で問いを立てていくのである。そうすれば、少なくともこれまでにないようなアプローチが解決策が見えてくるのではないかと思う。

空想的な希望から出発するのではなく、現実的な絶望から出発すること。前者よりも、後者の方がより地に足のついた議論や実践ができるのではないだろうか。

スペイン人の哲学者のホセ·オルテガが「絶望する者の数が増えることだけが希望である」と述べたように、現代社会に疑うことなき形で内在している不可能性を直視し、絶望する人々が増えることが、社会に希望をもたらす道を開いていくのではないだろうか。

現代人はまだ絶望の中で絶望を直視しておらず、単に絶望の上に浮いているような状態なのだろう。フローニンゲン2020/10/5(月)19:47

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