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6294-6297: アートの国オランダからの便り 2020年10月4日(日)


No.1468 ポスト真実時代_Post-Truth Era

本日の言葉

A great master must also be a great teacher. Eugen Herrigel

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6294. 今朝方の印象的な夢

6295. 超越世界に基づいて/沈みゆく船/必然性と学びと発達

6296.『アンネ·フランク:生存者が語る「日記」のその後』『さまよえるWHO:米中対立激化の裏側』『FAKE』を見て

6297. "Regular Heroes (2020)“の第1話を見て/落ちていくところまで落ちること


6294. 今朝方の印象的な夢

時刻は午前7時を迎えようとしている。昨夜は、一瞬一生の会の補助音声教材を作っていて、先週から突如として目覚めた映画評論の活動の一環として、直近で見たいくつかの印象に残る映画やドキュメンタリーについて紹介をしていた。


2つの音声ファイルしか作っていないのが、1つ1つが長くなり、合計で90分を超えるものになった。映画評論と言っても現在は単なる感想程度のものでしかないが、この取り組みは続けていこうと思う。


映画やドキュメンタリーを見る都度、メモ程度でいいので書き留めておき、印象に残る作品については音声ファイルとして言語化しておこうと思う。ひょっとしたら今日もまた何らかの作品の音声ファイルを作っていくかもしれない。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、気がつくと、スカイツリーよりも高い塔の天辺にいた。


どうやら私は、その塔をボルダリングのように登り切ったらしいのだ。自分の体を見ると、安全ロープは一切なく、よくそのような形で登れたなと自分で感心をした。


天辺からの眺めは良いというよりも、あまりの高さに恐ろしいぐらいであった。地上が全く見えないぐらいの高さであり、ここからどのように降りていけばいいのか途方に暮れた。


すると、次に登ってこようとしているのは高校時代のサッカー部の友人だった。地上にいる彼の姿は見えないので、彼とテレパシーをするような形でコミュニケーションをし始めた。


私の右手にはブドウジュースがあり、それを全部飲み切ることができそうにないと思ったので、その友人にあげようかと思った。彼に確認しようと思ったのは、ジュースを天辺のどこかに置いておけばいいのか、それとも下に持って降りた方がいいのかという点である。


すると、彼は同じジュースを持っているとのことであり、ジュースはいらないと述べた。それを聞いて少し残念に思い、もう喉は乾いていなかったが、ジュースを全て飲み干すことにした。


ジュースの入っていたプラスチックのカップをどうすればいいのかを考えたところ、それは天辺に置いておくことにした。命綱がなく、それでいてカップを持ちながら下に降りるのは賢明ではないと思ったのである。


さてこれからどうやって下に降りていくかを考え始めたところ、私の前に登った人はどのように降りたのだろうかと疑問に思った。飛び降りたら間違いなく死んでしまう高さであるから、なんとか工夫して降りなければならならないと思った。


降り方を考えていると、登る前に立ち寄ったトイレの場面が思い起こされた。トイレの壁にポスターのようなものが貼られていて、そこに図解入りで降り方が書いてあったように思い、それを必死に思い出すことにした。


しかし詳細を思い出すことができず、トイレで用を足しているところしか思い出すことができなかったので、腹を括って、ゆっくりと下に降りていくことを決心した。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は日本旅館にいた。そこには小中高時代の女性友達と100歳を超える女性の芸術家の方がいた。3人で和気藹々と話をしていると、突然その芸術家の方が畳の上に寝転がり、転がり始めた。


私はその方が頭を机の脚にぶつけないように近くで見守っていて、机の脚の部分を手で守っていた。すると突然、横にいた友人が私のことを「左翼!」と叫んで罵倒し始めた。一体自分のどんな行動が左翼に映ったのか分からず、キョトンとしてしまった。


彼女の罵倒は止まず、ちょうど彼女の知り合いの男性が部屋の外に現れたので、その方に部屋に上がってもらい、自分のどのような行動が左翼だったのかを確かめてもらうことにした。すると、その方もキョトンとしていて、結局自分のどのような行動が左翼的に映ったのか不明だったが、友人は相変わらず気が動転しているようだった。


最後の夢の場面では、私は列車の中にいた。雰囲気からすると、どうやら日本のようだった。私の出立ちは少し変わっていて、立派なオーダースーツを着ていながらも、中はワイシャツではなく半袖のTシャツを着ていた。


少し時計の針を巻き戻すと、私は小中高時代のある女性友達と列車に乗ろうとしていたのだが、切符をまだ買っていないことに気づき、彼女に先に列車に乗ってもらうことにした。最悪自分は次の列車で行くつもりでいた。


プラットフォーム上に切符販売機があり、そこで120円ほどを入れて切符を買おうとしたところ、彼女が乗った列車は出発しそうになっていた。彼女が乗った車両は満員状態であり、そうであれば次の列車に乗った方が賢明かと思われたが、隣の車両はがら空きであった。


切符を無事に購入した私は、急いで隣の車両に乗った。本当にその車両には人がほとんどおらず、不思議に思えた。すると、車両の棚に不気味なものが置かれていることに気づいた。そこには男性用のブーツが何足か、そして靴下などが置かれていたのである。


私は錯覚として、切断された足がそこに置かれているように思った。その棚の付近にはより一層人がいなかった。


私は棚の上に置かれているブーツを見て、それらの持ち主は大学生ぐらいの若者であり、新宿や渋谷でハメを外してマリファナでも吸っていたのではないかと推測した。そのような推測をしたところ、見知らぬ中年の男性が、「これを嗅いでみてください」と私に述べた。


その男性の手元を見ると、何かの吸い殻らしきものがあった。その匂いを嗅ぐと、マリファナのあの甘ったるい嫌な匂いがした。


すると辺りが突然真っ暗になり、列車が突然止まった。どうやら、この列車はテロリストに襲撃されたようだった。このテロは単独犯の行動らしく、相手は1人だった。


私はそのテロリストと戦うことを決め、彼がこの車両に移ってきたときに勝負を決めようと思った。車両にいる乗客の数は少なかったが、彼らの気は動転しているようであり、正常な判断ができるかどうか心配だった。


実際に10人ぐらいの彼らが一斉に車両から外に出てしまい、テロリストは彼らの存在に気づき、急いでこちらにやってきた。テロリストの手にはロケットランチャーがあり、その武器の攻撃力は凄まじいものがあるので、これは慎重に戦わないといけないと思った。


すると、気がつけば私たちはどこかの駅にいて、駅前に小中高時代の友人(YU)がそのテロリストに人質になっていることに気づいた。私は友人を救出しようと思い、テロリストのところに向かったところ、テロリストはもうロケットランチャーを手に持っておらず、その代わりに日本刀を持っていた。


ふと自分の手元を見ると、私も日本刀を持っていて、これであれば平等だと思った。そこから私は目にも止まらない速さでテロリストの首を斬りつけ、半分首を落とすことに成功し、友人を無事に救出した、今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン2020/10/4(日)07:23


6295. 超越世界に基づいて/沈みゆく船/必然性と学びと発達


時刻は午前7時半を迎えた。空は少しずつ明るくなってきているが、今日も曇りがちの1日のようだ。


気温はもうすこぶる寒く、昨日はヒーターのスイッチを入れるかどうかを迷ってしまったほどだった。今日もまた昨日と同じぐらい寒い。


まだ10月に入ったばかりであり、これからが冬本番であるから、できるだけヒーターをつけずに粘り、身体を寒さに慣らしていこうと思う。おそらく日本からオランダに戻ってきた頃はもうヒーターをつけずにはいられない頃かと思う。11月から5月末までの長い冬がこれから始まる。


超越的なものへの眼差しを絶えず持っておくこと。超越的な世界に自己の拠り所を持っておくこと。そして、そのような世界に立脚する形で創作活動を行なっていくこと。そのようなことを昨日考えていた。


変動の激しい現実世界に身を置きながらも、そうした現実世界に拠り所を置くのではなく、ある意味不動の超越世界に自己の拠り所を見出すことが、自己に平穏な心をもたらす。荒れ果てた波に自己を置くのではなく、仮にそこに自己が置かれているように見えたとしても、自己自身は絶えず波の立たぬ深海を見ておくこと。それが大事だ。


人は自分に降りかかる個人的体験や、現実世界(the actual)で起きている種々の出来事に翻弄されがちであるが、そうした体験や出来事を生み出している外側の実在世界(the real)に眼差しを置いておくことが重要になる。それができれば、自身に降りかかる種々の体験や、現実世界の種々の出来事に右往左往しなくなるだろう。


全ての体験や出来事を、実在世界からの投げかけであると捉えられるかどうか、そうした認識でこの現実世界を生きることができるかどうかが覚者の要件だろう。


幸福度の高い国では、人間がいて、人間条件を大切にする精神と実践がある。果たして日本はどうだろうか。人間のような人間ではない人間がたくさんいて、知性や感受性といった人間条件を欠くような人間で溢れてはしないだろうか。今回の一時帰国ではそうした点について確認をしてみようと思う。


この9年間、年単位でのデータポイントを取得して、年という大きな括りでの時系列データが自分の中にあり、そのデータが示す日本の状態はあまり良くない。人も社会も劣化の方向に向かっていることは確かであり、その速度は緩やかなのだが、緩やかであることが逆に仇となっている。


端的には茹でガエル的な形で、あるいはゆっくりと沈みゆく船のような形でそうした傾向が進行しているため、人々は自らの置かれている状況に気づくことができないのだと思われる。


切実な必然性に駆動されて日々の探究と実践が進んでいく。そうした切実な必然性が学びや自己を深めていくには不可欠だと改めて思う。


必然性があれば、人は不思議なほどに深く学び、大きく変わっていく。今様々な必然性に突き動かされる形で毎日を過ごしている自分がいる。フローニンゲン2020/10/4(日)07:42


6296.『アンネ·フランク:生存者が語る「日記」のその後』

『さまよえるWHO:米中対立激化の裏側』『FAKE』を見て


時刻は午後4時を迎えた。今日はこれまでのところ、合計で4つのドキュメンタリーを見た。まず最初に見たのは、『アンネ·フランク -生存者が語る「日記」のその後-(2019)』の全編と後編である。


このドキュメンタリーは、10代の若者カテリーナを主人公にし、アンネ·フランクが命を落としたドイツの強制収容所ベルゲン·ベルゼンから旅を開始し、旅の最中に感じたことをSNSのメッセージとして発信しながら、アムステルダムにある「アンネ·フランクの家」を目指すという作品だ。


作品の中では、ホロコーストから奇跡的に生還した生存者たちが登場し、彼らのインタビューも取り上げられている。観点が反戦に偏っており、真実の相対性や多様な真実にまで踏み込んでいない点は残念であったが、史実として抜け漏れている知識を与えてくれるような作品だった。


次に見たのは、『さまよえるWHO―米中対立激化の裏側―(2020)』という作品である。これは、アメリカが脱退を表明したWHO(世界保健機関)の新型コロナウイルスへの初動の遅さの背景を取り上げ、WHOの設立からこれまでの取り組みを概観し、WHOが米中対立の戦場になっている姿を映し出している作品である。


WHOの予算は大都市の医療を賄うほどの大きさしかなく、予算はビル&メリンダ·ゲイツ財団などからの巨額の寄付に依存している。そうした依存の問題を描き出したり、現在では様々な国際機関のトップを中国人が務めるようになってきており、国際政治の勢力図の変化を教えてくれるような作品だった。


そして先ほど見終えたのは、先日見た『A』や『A2』を手掛けた森達也監督の『FAKE』という作品である。これは、2014年に作曲のゴーストライター騒動で世間を賑わせた佐村河内守(さむらごうちまもる)氏を追ったドキュメンタリーである。


端的には、『A』や『A2』に引き続き、このドキュメンタリーもまた非常に貴重な作品だと思った。「ポスト真実(客観的な事実や真実が重視されない時代)」の時代において、大衆はマスメディアから流される断片的かつ偏った情報を真実として受け取ってしまい、より包括的な真実を求めることができなくなってしまっている中で、こうしたドキュメンタリーは本当に価値あるものかと思う。


ある一定のメディアリテラリーや知性があれば、絶対的な真実はないという前提を持って多様な観点と情報を参照しながら真実に迫っていく姿勢があるはずだが、大衆にはそうしたリテラシーも知性もないことを考えると、今後ますます感情的な、あるいは動物反射的な形でメディアの報道に反応してしまう傾向が強まってしまうのではないかと危惧する。


しかも、ポスト真実時代のメディアにおいては、平気で嘘の情報が流されることもざらにあり、そうした誤った情報に過剰反応する大衆によって、別種の歪な真実が構築されてしまう極めて厄介な時代の中を私たちは生きているのではないかと思わされる。


ポスト真実の現代社会の有り様についてさらに探究を深めていくために、取り急ぎルートリッジ出版の“Post-Truth, Fake News and Democracy: Mapping the Politics of Falsehood (2019)”、オックスフォード大学出版の“Network Propaganda: Manipulation, Disinformation, and Radicalization in American Politics (2018)”、MIT出版の“Post-Truth (2018)“を購入予定の文献リストに加えた。フローニンゲン2020/10/4(日)16:32


6297. "Regular Heroes (2020)“の第1話を見て/落ちていくところまで落ちること


時刻は午後7時を迎えた。今日は午前中に小雨が降る時間帯もあったが、今は嘘のように空が晴れ渡っており、夕日で輝く空を眺めることができている。ここのところは天気があまり良くなかったので、久しぶりにこうした澄み渡る夕暮れ空を見ることができているように思う。


いよいよ来週の水曜日に日本に一時帰国する。日本に滞在中に天気に恵まれることをそっと祈る。


今日は合計で4つほどドキュメンタリー作品を見た。先ほどは"Regular Heroes (2020)という8話シリーズの第1話を見た。この作品は、コロナ下において誰の目にもつかないところで様々な領域で活動している普通の人々にスポットライトを当てて取り上げている。


1話では、ニューヨークの医師、ロサンゼルスでホームレスの人々に食料を提供する女性の活動家、ニューオーリンズでコミュニティーに食事を提供する雑貨屋の店主などが取り上げられていた。こうした状況下において、利他的に活動する人々の姿には本当に心を打つものがある。


明日は第2話の続きから視聴したい。ここでは学校閉鎖の中で活動する男性高校教師や、動物園で動物の世話を懸命に続ける女性の飼育員、さらにはニューヨークのレストランを1人で切り盛りするシェフが取り上げられている。


明日はこのドキュメンタリーだけではなく、AI関係の映画を見ようと思う。いくつか興味深い作品を見つけたので、今後はAIというテーマ設定をして映画作品を見ていこうかと思う。


専門書を読む時も、ある分野に焦点を当てて一気に複数の専門書を読み進めていくことを行っていて、それがその分野に関する理解の幅と深さをもたらしてくれているように思う。それと同じことを映画やドキュメンタリーの鑑賞においても意識していこう。


そこでは明日からのAIのようなテーマ設定もあれば、政治というテーマ設定もあるだろう。さらに細分化すれば、時間というテーマであったり、命というようなテーマ設定もできるだろう。ここからはそうしたテーマ設定を意識していく。


今目の前に広がるエメラルド色に輝く夕焼け空があまりにも美しいので、もう1度顔を上げて見てしまった。人間界とは異なる時間感覚、そして人間界とは独立した形で進行してくものを自然界の中に感じる。


今日は夕方に、子々孫々の人類の繁栄を考えてみたときに、人間と社会は1度落ちるところまで落ちて膿みを出し切った方がいいのかもしれないということをふと思った。いかようにして人間は堕落していき、そこで人間はどのように振る舞い、社会はどのように運営されていたのかの失敗事例を後世に伝えていくことが必然的な流れになっているような状況に人類が置かれているように思えてくる。


人間と社会が堕落していく姿を克明に記録しておくことは、自分が果たす小さな役割の1つかもしれない。まずは日本に着目してみよう。


日本が健全性を取り戻し、様々な意味で豊かな国になっていくことを願って、現在進行中の、そしてこれから継続していくであろう衰退の様子を克明に記録していく。なんとなくでは変わらないのだ。我が国はこれまで311を含め、様々な危機的状況に置かれながらも結局変わらなかった。


まだ落ちるところまで落ちていないのだ。変革の必然性を感じるような、内的必然性を感じずにはいられない状況にまで1度堕していく必要がある。


そこでは残念ながら痛みや犠牲が伴ってしまうだろうが、そうした変革への必然性を全員が感じるぐらいの危機的状況まで堕していくしか方法がないところまで来ている。


発達の根幹原理である死と再生のプロセスを考えてみたときに、我が国は1度死を体験する必要があるのではないかと思ってしまう。フローニンゲン2020/10/4(日)19:31

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