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6244-6248: アートの国オランダからの便り 2020年9月22日(火)


No.1420 ズヴォレの輝き_Brightness in Zwolle

本日の言葉

When the mind is undisciplined, the body is also undisciplined, and so is speech and action. Anguttara Nikaya

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(5つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた8曲

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タイトル一覧

6244. ズヴォレの移民局に向けて

6245. 今朝方の夢

6246. 新たな滞在許可証を入手して/新たな専門領域・実践領域の確立に向けて

6247. かかりつけの美容師かつ友人のメルヴィンとの対話より

6248. 野菜の天日干しをしての驚き/映画・ドキュメンタリー評論の探究と実践


6244. ズヴォレの移民局に向けて

時刻は午前5時を迎えた。4時半に起床した時、とても良い目覚めであり、今日1日が充実したものになると予感できた。


昨日、移民局のウェブサイトを確認し、滞在許可証の受け取りの予約をしようと思った。本来は葉書が到着してから予約をするのだが、ウェブサイト上ですでに許可証の受け取り予約ができると記載されていたので、早速10月初旬の日程を調べてみた。すると、すでに初旬から中旬にかけて日程が埋まっていて、空いているのは10/22以降となっていた。その時はすでに日本に滞在中であり、困ったなと思った。


以前もそうしたことがあり、移民局に電話をしたところ、ウェブサイト上の受付枠と実際の枠は異なるらしく、その場で予約ができたことを思い出した。明日に移民局に電話をしようと思った時に、ふと9月の予定表を眺めた。


すると、明日だけが空いていて、時間帯を調べると、午前中の枠が全て空いていることに気づいたのである。ちょうど明日の午前中は何も予定がなかったので、ここに予約を入れるしかないと思って早速午前11時の枠を予約した。そのようなことが昨夜にあった。


ということで、今日は午前中からズヴォレの移民局に出かける。移民局の予約が11時からであり、調べると、フローニンゲン駅を9:48発、ズヴォレ駅10:45着の列車があったので、それに乗って移民局に向かうことにした。


移民局までの道のりはもう随分と知ったものであり、歩いて10分もかからない。昨日の日記に書き留めていたように、いつもは移民局に立ち寄った帰りに街の美術館に足を運ぶのだが、今日は午後から散髪の予定があるので、早々とフローニンゲンに戻ることにする。


かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行くのが午後2時ということもあり、移民局に行って帰ってくると自宅に戻る時間はなさそうなので、そのままメルヴィンの店に立ち寄ろう。自宅からはりんご一個と水を持っていき、フローニンゲン駅に向かう前に、朝9時からやっているオーガニックスーパーに立ち寄って、昼食用の軽食として、プロテインが豊富なクラッカーでも購入しようかと思う。


余裕を持ってフローニンゲン駅に到着したら、往復の切符を購入して、駅構内のカフェで温かいコーヒーで購入しようと思う。フローニンゲンからズヴォレまでは2駅、時間として1時間弱だ。前回列車に乗ったのはアテネ旅行の時なので、久しぶりにフローニンゲンの外に出ていくことは良い気分転換になるだろう。


昨日ふと、今後は土日のどちらかを週1回のファスティングの日にしてみるのもいいかもしれないと思った。毎日の食事が本当に軽くなり、それによって身体も心も随分と軽くなったのだが、週に1日は胃腸を完全に休めるとより良い状態になっていくのではないかと思った。


とりあえず、毎回の旅行と同じく、日本への一時帰国からオランダに戻ってきたらまた数日間のファスティングを行う。その後、週1日のファスティングを習慣にしてみようかと思う。今のところ、回復食の都合上、日曜日よりも土曜日が良さそうかと思う。フローニンゲン2020/9/22(火)05:27


6245. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯はまだ真っ暗であり、気温も低い。今の気温は8度とのことだ。


幸いにも今日は晴天であり、日中は22度まで気温が上がるので、日中は暖かくなる。ズヴォレに向かって自宅を出発する時は気温が今とほとんど変わらず10度以下のようなので、何か羽織るものを持っていこうと思う。


それでは今朝方の夢について振り返り、自宅を出発するまでの時間はいつものように創作活動と読書に時間を充てたい。今日は列車移動もあるので、自宅にいる間は、読書よりも創作活動により時間を充てよう。


もちろん、列車の中でも少しばかり曲を作りたいと思う。往復のそれぞれで1曲ずつ作り、あとは読書の時間に充てるか、それとも列車に乗っている間の時間は全て作曲に充て、移民局で待っている時やフローニンゲンに帰ってきて、髪を切る時間までの間にどこかで読書でもしようかと思う。


夢の中で私は、数年前に大流行した日本のアニメ映画の主題歌を歌ったグループの人たちと行動を共にしていた。特に私は、ボーカルの男性と意気投合していた。


彼らと市民会館のような場所にいて、話しながら各フロアを回っていた。上の方の階で用事を済ませた後、1階にある有名な画家の方の作品が展示されているとのことだったので、その方の作品を見にいくことにした。1階に到着し、遠方にその方の作品たちが見えた。


私たちがそこに向かっていると、途中で一般人の人たちがそのボーカルの人の存在に気づき始めた。そのボーカルの方はもう慣れているのか、平然とした表情で引き続き歩いていた。


そういえば先ほどその方が、今回の新曲はもう随分と前に作られたものであり、どのようにすれば人気が出るのかのマーケティングを徹底的に考え抜いたと述べていたことを思い出した。そのようなことを思い出しながら、ふと近くのテーブルを見ると、そこに大学時代のゼミの友人たちがいた。


彼らは試験に向けて熱心に勉強をしているようであり、私の存在に気づくと、勉強しなくていいのかという眼差しをこちらに向けていた。しかし私は、自分は勉強しなくても大丈夫だと思っていた。


とはいえ、仮にその授業の単位を落としたら卒業できるのかについては考えていた。残り何単位取る必要があるのかを考えた時、保険として来学期はもう少し授業を取った方がいいように思えたし、その授業の試験に向けて勉強を少ししようかと思った。


今朝方はそのような夢を見ていた。実際のところは、もう少し場面があったように思う。特に、歌手の人とより密な言葉のやり取りがあったように思う。また、市民会館のような建物の上の階での出来事もいくつか場面があり、さらにはその前にも何か別の夢を見ていたように思う。フローニンゲン2020/9/22(火)05:49


6246. 新たな滞在許可証を入手して/新たな専門領域・実践領域の確立に向けて


時刻は午後4時を迎えた。つい先ほど、かかりつけの美容師のメルヴィンの店から帰ってきた。その前に、本日の午前の出来事から少し振り返りをしておきたい。


今日は朝の9時前に自宅を出発し、移民局のあるズヴォレに向かった。アテネ旅行に出掛けた7月末よりも列車には人がいたが、相変わらずまだマスクをしていた。


以前、もう公共交通機関でマスクを着用しなくなったかもしれないということを述べていたが、まだマスクを着用しなければいけないようだった。


ズヴォレの街に到着した時はまだ肌寒さがあった。移民局に到着すると、ほぼ待たずに自分の番となり、無事に新しい滞在許可証を得ることができた。


念のため、期限を確認すると、現在の滞在許可の期限は来年の8月14日とのことであり、来年の夏には再び滞在延長の申請をする必要がある。今度の申請は最初の申請よりも楽なようであり、今度の申請によって滞在許可は4年間か5年間ほど有効だったように思う。


いずれにせよ、次回の滞在許可が降りた後、2年ほど経ったらオランダ永住権と欧州永住権の申請資格が得られる。幸いにも、2つ目の修士課程はオランダ語で修了したことになっているため、オランダ永住権の取得の際に、オランダ語の試験が免除される。


これはすでに移民局の人に直接確認したことであり、オランダ語の試験が免除されることは本当に有り難い。もちろん、起業家ビザを更新し続けていくというのも1つの方法だが、それだと居住可能な場所が基本的にオランダに限られてしまう。


今のところ私は、欧州永住権の取得後に、フィンランドで生活をしようと思っている。もちろん、ここから人生がどのように動いていくのかは未知であり、居住地については考えが変わることもある。


オランダとフィンランドの2国に生活拠点を設けることも考えられるし、両国以外の場所に住むことも考えられる。いずれにせよ、欧州永住権は居住の自由をもたらしてくれるだろう。


無事に滞在許可証を得ることができ、移民局を出た時の時刻を確認すると、移民局に滞在していたのはわずか10分かそこらだった。今日はズヴォレの街の美術館に行くことはせず、すぐにフローニンゲンに引き返すことにした。


行きの列車の中では2曲ほど曲を作り、論文を1本読んだ。帰りの列車の中でも1曲ほど作り、また別の論文を1本ほど読んだ。


持参したロイ·バスカーの哲学書ではなく、デスクトップ上に保存していた論文を読みたい気持ちが突如として現れたので、それに純粋に従うことにした。読み進めていた論文は、映画と社会学に関するものと、シュタイナーの経済思想に関するものである。


昨日の日記に引き続き、映画について考えていることを書き留めておきたい。映画との向き合い方に関して、幾分突飛な考えが降ってきた。端的には、映画·ドキュメンタリー評論を自分の新たな専門領域にし、映画·ドキュメンタリー評論を通じた実践に従事していこうという考えが芽生えたのである。


映画とドキュメンタリーは、人間性と社会の種々の側面を理解する上でまたとない題材である。日常生活を覆う精神的抑圧構造、政治経済の問題、環境問題等々を映画とドキュメンタリーを通じて紐解いていくことに強い関心がある。


発達学、教育学、インテグラル理論などのこれまでの自分の専門領域に加え、社会学、哲学、霊性学、美学などを通じて、多様な学術的観点から映画とドキュメンタリーを視聴していくことをこれから行っていく。それは1つの実践であり、それに並行して専門書を通じた学習を旺盛に行っていく。


数日前に、日本に一時帰国した際にオランダに持って帰る和書の中に、映画評論関係の書籍をいくつか購入していた。今新たに6冊ほど興味深い映画評論の専門書を見つけ、それらも購入して実家で受け取らせてもらおうかと思う。


英語空間上における映画評論の専門書は、取り急ぎ、21冊ほど興味深いものを見つけ、購入予定の文献リストに付け加えた。今のところ、上記の学術分野以外として、精神分析学、文化人類学などの学術領域の観点から映画を紐解いていくことにも関心があり、個別具体的な思想家としては、ヨルゲン·ハーバマスやロイ·バスカーに着目し、彼らの思想的枠組みを映画を鑑賞してみようかと思う。


単に娯楽として映画を楽しむだけではなく、社会変革を志向する社会実践的な映画·ドキュメンタリー評論を新たな専門·実践領域としてこれから確立していこう。ここからは映画やドキュメンタリーを可能な限り毎日見ていこうと思う。


その際には、見た映画やドキュメンタリーのタイトルと日付を記録し、短くてもいいので感想や考察を書き留めておこうと思う。こうした小さな実践が、映画から汲み取れるものをより豊かにし、社会変革につながる日々の実践をより深いものにしてくれるだろう。フローニンゲン2020/9/22(火)16:33


6247. かかりつけの美容師かつ友人のメルヴィンとの対話より


時刻は午後4時半を迎えた。今、フローニンゲンの気温は20度を超えており、西日が差している。


先ほど街の中心部から帰ってくる時に感じていたことなのだが、もう午後の日差しは秋のそれである。夏のように強い日差しはそこになく、その優しさは完全に秋のそれなのだ。


太陽の日差しからも秋を感じることができる。いよいよこの季節がやってきたかと思った。ここから自己を深めていく季節が始まるのだ。


北欧に近いオランダの秋と冬。それはとても長く、それは自己を根底から涵養する「優しい厳しさ」がある。そこには実存的な優しさと厳しさの双方があるのだ。


それを味わうのは今年で5度目である。この人生において、あと何回これを経験するのだろうか。願わくば、今後一生涯を通じてこの優しさと厳しさを通過していきたい。


それを通過するたびごとに、もう自分は違う自分になっている。言い換えれば、私は毎年死と再生を繰り返しているのである。


「死と再生」。それは本日のメルヴィンとの会話でも取り上げた話題である。かかりつけの美容師かつ友人でもある彼との対話はいつも刺激と洞察に満ちていて、とても貴重な機会である。


今日はズヴォレの移民局からフローニンゲンにすぐに戻ってきて、街の中心部のオーガニックスーパーで買い物をした後に、雑貨屋に立ち寄った。そこでラベンダーの香りのするアロマキャンドルを書斎用と寝室用に2本購入し、チャッカマンを購入した。


これまでは芳香剤を部屋に置いていたのだが、揺らめく炎の光を夜に見て落ち着きたかったこともあり、これからは芳香剤ではなく、アロマキャンドルを使うことにした。アロマキャンドルも奥深い領域であり、これもまた1つの趣味の世界として探究を深めていってもいいかもしれないと思う。


雑貨屋を後にしたときの時刻はメルヴィンの店に行くには随分と早かったが、店のソファで待たせてもらおうかと思い、1時間弱早い時間帯にメルヴィンの店に足を運んだ。店の扉を開けると、店には客はおらず、メルヴィンはパソコンを通じて何かを見ながら昼食を食べているところだった。


メルヴィンはいつものように私を歓待してくれ、挨拶を済ませてから、私は彼に何を見ていたのかを尋ねた。どうやらメルヴィンは、クロアチアの量子物理学者が霊性の世界を量子物理学の観点から解説している動画を見ていたそうだ。それは興味深かったので、少し話を聞き、そこからはいつものように多岐に渡る話をした。


前回、メルヴィンがボルダリングで足を痛めた時に、私が霊気を彼の足に施し、その後の状態に関する話や、最近メルヴィンの周りに起こっている種々のシンクロニシティの話、彼の霊力の向上に関する話、メルヴィンと彼の彼女であるスシが先日スロヴェニアに旅行に行った話などをしていた。そうした話の中で、「死と再生」という話題が挙がっていたのである。


ここ最近は私にも諸々のシンクロニシティが起きていて、今回も偶然ながら、メルヴィンがフローニンゲンの郊外に引っ越しを考えているということを述べた時に、私も引っ越しを考えているということを話した。それもまた偶然であり、お互いにより静かな環境を求めているようだった。


本日のメルヴィンとの対話を通じて、改めてメルヴィンがヘレナ·ブラヴァツキーのように思えてきた。先日、ブラヴァツキーに関するドキュメンタリーを見た際に、彼女の叡智が瞑想実践を通じた直感的知覚からもたらされたものであることを改めて知った。


メルヴィンは確かに書物からも叡智を得ているようだが、彼はブラヴァツキー的な形で叡智を超越的世界から汲み取っている。今日改めてメルヴィンの眼を見た時に、第三の眼が先月よりも開発されていて、それについてフィードバックすると、本人もそれを強く自覚しているようだった。


先月から今月にかけて、メルヴィンは6日間のファスティングをしていて、それもまた第三の眼の開発につながっているようだった。今日のメルヴィンは明らかに先月とは異なっていて、先月は霊力が迸るような状態だったが、今日のメルヴィンはそこから一山超えて、霊力の迸りを経た後の平穏さを携えていた。


動から静に向かったというよりも、動と静を超越した状態にいるのではないかということについてもこちらから言及し、メルヴィンもそうした非二元的状態を経験しているということを述べていた。先客がいなかったこともあり、今日は1時間ほどコーヒーを飲みながらソファに腰掛けてメルヴィンと対話をし、そこからさらに1時間を髪を切ってもらいながら対話をした。


メルヴィンとの対話には治癒的·変容的な力があり、メルヴィンがソクラテスに言及してある話題について話した後に、こちらから、ソクラテスはかつて対話を魂の世話としての実践であると述べていたことを共有した。メルヴィンとの2時間の対話はあっという間に過ぎ去り、気がつけばさっぱりとした髪になっていた。


メルヴィン:「これでに日本にいく準備が整ったね」


:「これでもう完璧だよ。今日もありがとう」


次回の散髪は日本から戻ってきた翌週であり、次回に話をする時までに、お互いの人生においてまた変化が見られるであろうという点、そしてお互いの実存的·霊的な力がより一層高まっているであろうという点について述べてから握手を交わし、店を後にした。フローニンゲン2020/9/22(火)17:00


6248. 野菜の天日干しをしての驚き/映画・ドキュメンタリー評論の探究と実践


時刻は午後7時半を迎えた。今、薄紫色の夕焼け空を拝むことができている。


先ほど夕食を食べた時に、とても驚いたことがあった。昨日父より、キノコの天日干しだけではなく、白菜以外の葉物野菜を除いた野菜を天日干しすると、水分が抜けて旨味が凝縮し、栄養素が桁違いに上がると聞いたので早速試してみたところ、本当に驚くほど旨味が出た。


毎日食べている椎茸に加えて、トマト、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンニクを天日干しして今朝方出かけ、十分に日光を浴びたそれらの野菜は本当に美味であった。特にトマトは、甘味が見違えるほどに増し、果物であるかのように感じたほどだった。


父のメールを読んだ後に、自分でもインターネットを通じて色々と調べたところ、基本的にほとんどの野菜は天日干しすることによって旨味が増し、栄養価が高まるとのことだった。ブロッコリーも天日干しできるようだが、天日干ししすぎると苦味が強くなってしまうようなので、明日からはブロッコリーを除いた野菜を天日干ししたいと思う。


偶然ながら、昨日、シベリウスのように自分の畑を持って、そこで野菜や果物を育てたいと思っていた。そのような思いが湧いてきたのは、食に関する図鑑を読んでいた時のことだった。


その後、生態系や環境に関する図鑑を読んでいた時に、畑を持って野菜や果物を栽培すれば、より一層環境に対する意識が高まりそうだと思った。酸性雨や土壌汚染の問題などは、自分が育てる畑にとって死活問題であり、そこで取れる野菜や果物にとっても密接に関わる問題だ。そこから環境と政治経済の関係性を含め、関心の輪がさらに広がっていくことが想像できた。


父は実家のバルコニーで野菜や果物、ハーブ類などを育てており、その写真が昨日のメールに添付されていた。昨年も野菜や果物の栽培について少しばかり父から聞いており、依然として関心は強い。今すぐにではないが、いつか自分で野菜や果物などを育てたいと思う。


今夜はこれからメールの返信をし、映画やドキュメンタリーを社会学、政治学、哲学から解説している日本語の専門書をいくつか購入し、実家宛に送ってもらおうと思う。専門書のみならず、論文もインターネット上で探してみよう。


現在の関心は社会学、政治学、哲学から映画を鑑賞していくことだが、とりあえず様々な観点から映画を捉えていくという意味で、実家にある辻邦生先生の映画評論はオランダに持ち帰ってきてもいいかもしれない。実家に到着し、中身をパラパラとめくってみて、オランダに持ち帰るべきかを判断したい。


映画·ドキュメンタリー評論を自分の新たな専門分野にするという考えが突如として芽生えたことに驚く。しかしながら、今日のメルヴィンとの会話の中でも出てきたように、自分が真に変化を遂げていけば、関心や探究の幅が広がり、新たな挑戦をしていくのが自然だろう。それは学習や実践における有機的なプロセスにおいて起こる自然なことなのだ。


これからは、創作活動と映画·ドキュメンタリー鑑賞を中核に据えた生活をしていこう。近い将来、数年間はそれだけに特化した生活を送ってみるのもいいだろう。


創作活動と映画·ドキュメンタリー評論を通じて社会と関わっていく生き方。どちらも現代人や現代社会への建設的な批判的眼差しを持って行い、それが社会変革に結びつくような実践として行う。フローニンゲン2020/9/22(火)19:57

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