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6236-6238: アートの国オランダからの便り 2020年9月19日(土)


No.1408 黄昏のダンス_A Twilight Dance

本日の言葉

Truth has nothing to do with words. Hui-Neng

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6236. グローカル化

6237. 今朝方の夢

6238. リフレクションの対象/「心の窓」としての目


6236. グローカル化

時刻は午前6時半を迎えようとしている。まだ空は真っ暗であり、もう少ししたらダークブルーに変わり始めるだろう。以前であればこの時間帯はもう明るかったように思うのだが、日が昇るのが随分と遅くなったものである。

サマータイムの終了までまだあと1ヶ月あり、ここからさらに日の出が遅く感じられるだろう。今日の最高気温は20度、最低気温は7度とのことである。今日を含めて、今日からの4日間は雲がほとんどないような晴天に恵まれる。来週の水曜日からは少し小雨が降るような日が続くようだ。

これから秋がゆっくりと深まっていく姿を楽しみたいと思う。そうしているうちに日本への一時帰国の日がやってくるだろう。

昨日、KLMのウェブサイトを確認したところ、自分が搭乗する予定のフライトが無事に日本に飛ぶことがわかってホッとした。もちろん、ここからまた何かあるかもしれないが、今のところフライトが運行されるようだ。

過去に欠航になっていた便の曜日が全て木曜日だったので、木曜日を避けて正解だった。自分が搭乗するのは水曜日であり、実際にその翌日の便が欠航になっていたのである。

KLMは現在、関空に週5日飛んでいて、この時期の乗客の数などを考えると、確かに週5便は多いだろう。成田行きに関しては毎日運行されているようだが、こちらもやはり欠航になっている便がある。

今回、スキポール空港から関空、関空からスキポール空港の便にどれだけ乗客がいるのかを確認することは1つの楽しみだ。

昨日、社会学に関する専門書を読んでいたときに、社会学者のローランド·ロバートソンが提唱した「グローカル化」という言葉に出会った。それは、グローバルな事象をローカル化される形で適用することを指す。

企業や教育の現場において、世界の成功事例を取り入れようとしてもほとんどうまくいかないのは、それは組織や学校の既存の文化や制度を温存した状態でそれを行っているからかもしれない。端的に言えば、それはローカル化の失敗なのではないかと思う。

表面上、何らかの実践や制度が取り入れられるが、そうした実践や制度を駆動させる精神構造や行動論理には何1つ変わりないのだ。ケン·ウィルバーの言葉を借りれば、抜本的な変革を伴う「変容(transformation)」ではなく、水平方向の変化を指す「翻訳(translation)」を行うだけの風習が根強く我が国に残っているように思える。

諸々の領域において、もはや水平方向の変化だけを追い求めていてもにっちもさっちもいかない状況にあるように思えるが、いつになったら我が国は変容の道を歩き始めるのだろうか。変容の道を歩く代わりに退行の道を着実に歩んでいるという笑えない状況にあるのが今の日本だろうか。フローニンゲン2020/9/19(土)06:45


6237. 今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。空がダークブルーに変わり始めた。

今、書斎と寝室の窓を開けているのだが、少し足元が冷える。喚起をして新鮮な空気を取り入れることは大事なので、足元の寒さ対策として靴下を履いてもいいかもしれない。この時期はまだ幸にも、朝にしばらく窓を開けていても大丈夫なぐらいの寒さだ。

学習や実践を精神空間内の大地に浸透させ、伏流水を生み出していく。その伏流水が大地をゆっくりと肥沃なものにしていくイメージが昨日浮かんだ。今日の学習や実践もまた、そうしたイメージ通りのものになるだろう。

ここ最近は、創作活動と読書が調和を成して進んでおり、それはとても喜ばしい。読書を通じた探究に関しては、現在5つぐらいの修士課程に同時に通っているような感覚で、様々な領域の専門書を毎日読み進めている。

今日の読書の予定は、美学、哲学、経済学になるだろう。仮に時間があったら、生態学の専門書も読み進めていきたい。

今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。最初の夢の中では、中学校時代のバスケ部の先輩が現れ、先輩と話をしていた。

その先輩の性格はとてもおっとりしていて、お茶目であり、私はよくその先輩にちょっかいを出していた。夢の中でも同じようなことをしていたのを覚えている。

次の夢の場面では、私は学校のグラウンドの上にいた。その日は炎天下であり、そんな中、生徒たちはグラウンドに体育座りをしてじっとしていた。

私は暑さに我慢ができなくなり、帽子を深々と被って、座ったままその場で眠ることにした。すると、高校時代にお世話になっていた政治経済の先生が、私の名前を呼ぶことなく、何か問いかけてきた。

私は半覚醒状態だったので、先生が自分に声を掛けてきたことがわかっていた。私は暑さに耐えられず、ちょうどどこかに行ってしまいたいと思っていたので、先生に「もう列にいなくていい」と言われたのは有り難く、近くに落ちていた空き缶やペットボトルの蓋などのゴミを拾い、先生のところに近づいて行った。

そして、先生の近くにあったゴミをもらってから教室に戻って勉強でもしようと思った。先生は私が眠っていたことに対して怒っていて、その対応が面倒だと思った。

基本、多くの教師は生徒の話を聞かないので——聞けないので(聞く能力の欠落)——、手っ取り早く、口が聞けないように殴り飛ばしてやろうと思って、私は冷静な顔のまま何度か先生を殴打し、最後に頭にかかと落としを食わらした。

先生は息の根がないぐらいにぐったりしていて、私はその姿を見て爽快な気分になって教室に戻っていった。その場にいた生徒も先生たちも私を止めることなく、その場に凍りついていた。

最後の夢の場面では、私は小さなセミナールームにいた。私はそこでセミナーを行っていたわけではなく、2人の日本人の男女のセミナーを聞く立場にあった。

とは言え、私もほぼ主催者のような立ち位置にあり、2人の講師はセミナー中にちょくちょく私に話しかけてきた。2人の講師は覆面を被っていて、最初それが滑稽に思えたが、徐々に彼らの姿に慣れた。

セミナーの後半に、2人がライデンに引っ越しをするかもしれないと聞き、私もライデンに引っ越しを考えていたのだが、2人が来るのであれば自分はライデンに引っ越すことをやめると述べたら会場から笑いが起きた。

今後、知り合いの日本人が同じ街に引っ越してきたら、自分はどこか違う街に引っ越そうという考えを自分は常に持っていた。フローニンゲン2020/9/19(土)07:02


6238. リフレクションの対象/「心の窓」としての目


時刻は午後7時半に近づいている。今日もまた充実した1日が終わろうとしている。

とても穏やかで、とても幸福感を感じさせてくれるような土曜日だった。優しげな夕日が今日1日の物語をそっと伝えてくれている。

既知のものからの推論ではなく、未知のものへの予知的直観を働かせながらにしてそれを開発していく。思考を働かせることだけを行うのではなく、思考を超えた直感を研ぎ澄ませていくこと。

それに加えて、自分が何を考えているかのリフレクションだけではなく、自分がなぜそれを考えてしまうのかという一段深いリフレクションをしていくことの必要性について考えていた。往々にして、リフレクションをしようとする人たちは、自分が何を考えているのか、または何を考えたのかについて内省の対象に挙げるが、それを考えさせてしまう自分の認識の枠組みと社会的·文化的な力の所在にまで内省の対象に挙げる人はほとんどいない。

しかしながら、それこそが本当のリフレクションなのだと思う。少なくとも、自らの思考や人格的器の次元を上げるようなリフレクションとはそうしたものだろう。

目は心の窓であるから、その人の目を見れば、その人の心が見えてくる。今日は夕方に、近所のスーパーに買い物に出かけたが、そこで見た人々の目は確かに人間のそれだった。果たして日本に一時帰国した際には、人々のどのような目を見るだろうか。

本日初めて知ったのだが、日本人は1990年の半ばまでは、都心部においても人々と目を合わせるような行動を取っていたらしいのだが、そこから人々の行動特性が変わってしまい、人々は目を合わせない形で行動をするようになったらしい。

目は心の窓であるということを考えると、日本人はお互いの目を見ないことによって、相手の心を見なくなってしまったのかもしれない。視線を逸らすことは、心を逸らすことなのだ。それが心の通わない空虚なコミュニケーションを生んでいるように思う。

また何よりも、人々は目を逸らすだけではなく、自己の存在や自らの人生からも目を背けてしまっているのではないかと思えて仕方ない。他者から目を逸らし、社会から目を逸らし、そして自分からも目を逸らす。それではいったい人々は何を見ているのだろうか。

何も見ていないか、はたまた自分ではない何者かによって作られた虚構の夢の世界を見ているのかもしれない。

来月日本に戻った時、人々はどのような目をして、どのような行動を取っているのか。それから目を背けないようにしたい。仮に惨状が広がっていたとしても、見たものは見たと言う精神で、自分が見たものを言葉を含めて形にしていく。

薄紫色の夕焼け空が今日も美しい。昨日は、この時間帯に飛行機雲が見えていたように思うが、今日はない。

成層圏が覗けてしまいそうな空が広がっている。存在の恵みとしての美を賛美すること。それを明日からもまた忘れないようにする。フローニンゲン2020/9/19(土)19:39

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