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6108-6110: アートの国オランダからの便り 2020年8月13日(木)


No.1185 夏朝の謎_A Riddle on a Summer Morning

本日の言葉

Tastes are like sculptures on stone, because their smallest gesture is lasting. Nagarjuna

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タイトル一覧

6108. 学習や発達の要諦と不在の不在化

6109. 今朝方の夢

6110. 変容的な学習と実践の要諦:非二元と自発性の観点より

6108. 学習や発達の要諦と不在の不在化

時刻は午前6時半を迎えた。幸いにも昨夜から気温が下がり、夜は寝室の窓を開けていればずいぶん涼しさを感じて寝ることができた。

今、フローニンゲンの上空には少しばかり雲がある。昨日の天気予報では、今日は午前中から雨が降る予定だったのだが、どうやらそれがずれ込み、夕方から雨になるようだ。それに伴い、今日も夕方までは気温が上がり、最高気温は30度に達するそうだ。

この7日間の経験上、最高気温が30度であればそれほど暑くない。体感として、外気が32度を超えてくると、部屋の中の気温も随分上がり、暑さを感じる。30度を超える夏は今日で見納めのようであるから、夕方までの短い時間に感じられる夏を十分に満喫したい。

夕方からの雨をきっかけとして、ここから5日間は連続で雨マークが付されており、1日の中の多くの時間帯に雨が降るようだ。私としてはこの7日間十分に夏を感じることができたので、早く気温が下がって欲しいと思っており、ここから雨が降ることによって気温が下がることはとても喜ばしい。

雨のおかげで、最高気温は軒並み25前後、最低気温は15度ぐらいになっている。それであればとても過ごしやすいはずだ。

昨日の日記で書き留めていたように、夏の暑い時期は北欧で再び過ごすことにしたい。フローニンゲンで気温が上がるのは多くても7日間から10日間ほどだということが改めてわかったので、それくらいの期間北欧諸国で滞在することにしたい。

ただし、例年暑い日がやってくるのに若干のズレがあるので、どのタイミングで北欧にいくかを選択するのは難しいが、おおよそ8月の第2、3週に気温が上がる日が出てくると思われるので、それを目安にしたい。

昨日もまた雑多なことを考えていた。日本に住むヨガの実践者の知人のブログを読む中で、興味深いことが書かれていた。

「ヨーガは、かつて一度も知らなかった智慧を新たに獲得するのではない。人という存在にそもそも初めから備わっていたものを覆い隠している何かを取り除き、求めていたものが既にそこにあったことを思い出していくことを促すものである」という内容の言葉だった。

自分の内側の真実や潜在能力を含め、そうしたものが覆い隠されてしまい、それらのベールを取り除いていくこと。それはまさに、イギリスの哲学者ロイ·バスカーが述べた「不在の不在化」という考え方に他ならない。

学術的な知識も実践も、本来はそうしたベールを取り除き、私たちを解放に導くことに資する役割を果たすものである。今日の探究活動もまた、個人や社会を覆うベールの特定とそこからの解放に資するものにしていく。

学習や発達の要諦は、包み込まれたものを紐解くということ(unfolding the enfolded)。ここでもまた不在の不在化という考え方が大切になる。

学習においては無知のベールを脱いでいくこと、そして発達においては未熟さのベールを脱いでいくことが求められる。また両者に共通して、社会的に構築された虚偽に気づいていくことも大切だ。昨日はそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2020/8/13(木)06:58

6109. 今朝方の夢

時刻は午前7時を迎えた。今朝は少しばかり雲があるので、燦々と輝くような朝日を拝むことはできず、ほのかな朝日が遠くの方に見える程度だ。

しかしその分涼しさを感じられることは有り難い。そよ風も少しばかり吹いていて、それが地表の熱を洗い流してくれているかのようだ。

今日もまた創作活動に打ち込み、読書に励みたい。昨日は原稿の執筆や音声ファイルの作成などがあったため、創作活動と読書に充てる時間を随分と抑えた。

今日は一転して、創作活動と読書に多くの時間を充てていこうと考えている。14冊ほどのロイ·バスカーの書籍もあと1冊と少しとなった。今取り掛かっている書籍は今日の午前中に読み終えるだろうから、残りの1冊は今週中に読み終えることができそうだ。

近日中に日本からクレジットカードが届く予定なので、それが届き次第、9月に読み進めていくための書籍を大量注文しようと思う。主なものとしては美学に関する書籍、そしてシュタイナーの経済思想に関する書籍を購入する予定だ。

それでは今朝方の夢について振り返りたい。夢の中で私は、日本のどこかの街の空を飛んでいた。その街は少しばかり奇妙な建物が多かった。

一見するとゴミ屋敷のようなゴミゴミとしたマンション群が所狭しと建っていた。それらのマンション群のベランダには植物が生えていて、植物のツタが無数に絡み合っていた。

あるマンションの上層階近くを飛んで移動していると、ベランダからある中年男性に声を掛けられた。その男性の歳は65歳ぐらいであった。

その男性は、私が空を飛んでいることに対して突然非難を始めた。何やら、空を飛ぶことによってコロナウィルスが飛び散るというとのことだった。その批判は随分と的外れのものだと感じ、私は空を飛んでいる事情について説明した。

しかし、その男性の頭は相当に固く、こちらが何を言っても聞き耳を持っていなかった。そうしたこともあり、私はその男性が言うことを無視して、引き続き空を飛んだ。

すると、その男性が警察かどこかに通報したらしく、地上ではパトカーのサイレンの音が鳴り響いていた。私は少し面倒なことになったなと思ったのと同時に、あの中年男性のように、あのような馬鹿な批判をする人が日本にはたくさんいるのだろうと思って残念な気持ちになった。

今朝方はそのような夢を見ていた。実際にはその他にも夢を見ていたことを覚えている。しかし、それらの詳細についてはもう思い出せないでいる。

今朝は少しばかり無意識の世界が落ち着いていた印象だ。それが今からの覚醒状態の意識にどのような影響を及ぼすのかを含め、色々と観察をしてみたい。フローニンゲン:2020/8/13(木)07:16

6110. 変容的な学習と実践の要諦:非二元と自発性の観点より

時刻は午後7時半を迎えた。結局今日は、午後から雨が降ることはなく、晴天に恵まれた1日だった。どうやら雨が降り始める時間がずれ込み、雨は今日の深夜から降り始めるようだ。

今日もまた30度を越すほどに気温が上がったが、一昨日や昨日よりも涼しさがあった。今は夕日が輝いているが、空には雲があり、それと同時にそよ風も吹いているので、涼しさがある。

先ほど夕食後の夕涼みとして、寝室の窓を大きく開け、涼しい風を浴びていた。明日からは天気が崩れ、それに伴って気温も下がる。それは秋の入り口を意味している。

暑い夏を感じられるのは今日で最後だと思い、その感覚を存分に味わった。これで心置きなく秋を迎えることができる。

まるで儀式をするかのように、このようにして日記を執筆することによって、季節の終わりと新たな季節の始まりを感じることは大切だろう。明日からの秋の始まりが楽しみだ。

今日は午前中にロイ·バスカーの“From Science to Emancipation: Alienation and the Actuality of Enlightenment”を読み終え、午後にはニコラス·ルーマンの“Introduction to Systems Theory”の再読を終えた。今日はまだ時間があるので、手持ちのバスカーの書籍としては最後の書籍となる“Critical Realism: Essential Readings”を読み始める。こちらの書籍は750ページほどの分量があり、大著のため、初読を終えるのに数日ほどかかるだろうか。

午前中の読書の際に、バスカーの指摘で大変重要なものを見つけた。それは、変容的な学習と実践の要諦を指摘するものだ。

真に変容につながる学習や実践において重要なのは、新たな経験や知識を小さな自我に被せるのではなく、非二元の自己の基底に組み込んでいくことの大切さを暗に示す指摘だった。非二元の自己の基底に触れた形での学習や実践は、自己に解放をもたらし、継続的な自己変容をもたらす。

それでは、非二元の自己の基底に触れた形で学習や実践をするにはどうしたらいいのであろうか。重要なことは、自分の内側の声を聞くこと、いや内側の声を待たずして自発的に学習や実践が行われてしまうことが大事なのだ。もう自ずから開始されている自発的な学習や実践こそが、非二元の存在を豊かにする変容的な学習や実践と言えるだろう。

私たちは何か学習や実践をする際に、小さな自我から生まれる作為的な言葉に耳を傾けがちである。それは「~のため」という言葉を伴うことが多く、そうした言葉に耳を傾けた瞬間に、そうした学習や実践は二元的な自己に基づいて行われるものになってしまう。そのような学習や実践では自己は深まらないのだ。

小さな自我の言葉にかき乱されないこと。そして、小さな自我に知識や経験を取り入れないこと。兎にも角にも、無条件に学習や実践に従事している自発的な自分を大切にしよう。それはまさに非二元の状態で学習や実践に従事していることに他らないのだから。

自発性の背後に非二元があり、非二元の中には自発性が必ずある。それを絶えず念頭に置き、常に自発的な学習と実践、及びあり方をこれからも続けていこう。フローニンゲン:2020/8/13(木)19:52

 
 
 

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