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6100-6103: アートの国オランダからの便り 2020年8月11日(火)


No.1172 仮眠前の時の流れ_A Time Flow Before a Nap

本日の言葉

If people are satisfied on this earth, will all makes of distinction not be the same to them? Asvaghosa

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本日生まれた8曲

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タイトル一覧

6100. あの頃の思い出:フローニンゲンの街の根底に流れる平穏さ

6101. 自由と非二元

6102. 今朝方の夢

6103. かかりつけの美容師メルヴィンとのシンクロニシティ

6100. あの頃の思い出:フローニンゲンの街の根底に流れる平穏さ

時刻は午前6時半を迎えた。今、朝日がゆっくりと昇り始めていて、赤レンガの家々の屋根に輝きが灯り始めた。今日はそよ風があり、この時間帯はとても涼しい。

ここ最近は連日30度を超えるような日々が続いていたが、それもどうやら今日と明日までのようだ。明後日からは天気が崩れ、連日雷が伴うような雨が降るとのことである。おそらくそれを持って夏が終わり、秋がやってくるのだろう。

今年の夏は、夏らしさを感じられる期間がとても短かった。しかしそれでもここ数日、夏の太陽の光を浴び、身体にエネルギーが随分と蓄えられたように思う。

昨夜、Spotify経由で懐かしい曲を聴いた。それは菅井えりさんの曲である。

初めて菅井さんの曲に出会ったのは、スタニスラフ·グロフが考案したホロトロピック·ブレスワークのワークショップにバークレーで参加した時だ。ワークショップのBGMの1曲に菅井さんの曲が入っていて、ワークショップでの体験の深まりと相まって、その和的な曲を聴いた時、感極まってしまったことを覚えている。その時に流れていたのは「今昔物語」という曲だ。

あの時の私は、もう日本に戻ることはないと固く決めていたときであり、同時にジョン·エフ·ケネディ大学の卒業が決まっていながらも将来が完全に宙吊りになっているような状況であった。そのような状態でワークショップに参加し、そこでの体験がきっかけになってか、そこからすぐに人生の新たな扉が開いた。

そのような思い出が蘇ってきた。音楽の持つ不思議な力を改めて実感した次第である。

昨日、近所のコピー屋に散歩がてら歩いて行った時に改めて思ったが、アテネの街と比べて、フローニンゲンの街に醸し出されている雰囲気が随分と違うことに気づいた。もちろんどの街でも何が起こるかわからない物騒な世の中だが、確かにこの街には心安らげる平穏な雰囲気が流れている。

実際にこの街の人々の表情を見ていると、どこか根底でくつろいでいることが見て取れる。昨日も午後から思い思いに時間を過ごしている人たちの姿を多く見た。近所では、自宅の庭の木陰で読書をしている人たちの姿を随分と多く見た。

近所の公園では、芝生にマットを敷いて日光浴をしている人も随分いた。公園の近くのカフェでは、ゆっくりと飲み物を飲みながらくつろいでいる人たちの姿を多数見た。

彼らの生活のあり方を眺めていると、なお一層のこと、この街の根底に流れている平穏さを思った。それに加えてゆったりとした時の流れがあることが、私がこの街に長くとどまっている大きな理由だろう。

昨日の午前中に、無事に依頼されていた原稿の執筆を終えた。正味1時間ほど集中して文章を執筆したところ、規定の文字数を少し超えるぐらいの文章となり、無事に初稿を書き上げた。

先方からは少し字数をオーバーしても大丈夫とのことだったので、とりあえず速やかに原稿を書き上げることができてよかったと思う。今日は1日文章を寝かせ、明日に再度加筆修正を加えてから先方に提出しようと思う。フローニンゲン:2020/8/11(火)06:52

6101. 自由と非二元

時刻は午前7時を迎えようとしている。今日は午後から、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってもらう。予約の時間が午後3時からなので、自宅を2時40分頃に出発し、ゆっくりと歩いて店に向かおう。

今日のメルヴィンとの話はまず、先日のアテネ旅行の話になるだろうか。メルヴィンに髪を切ってもらった後に、街の中心部の銀行に立ち寄り、モバイルアプリの初期設定に関して問題が発生しているので、それについて問題解決を依頼しようと思う。

昨日もいくつか雑多なことを考えていた。1つには、ルソーの自由に関する指摘を受けて、多くの人は自由であることを根底では恐れているのではないかというものだった。

ルソーはかつて、人は本質的に自由だが、生まれてから成人に至る過程の中で、制約に満ち溢れた環境で過ごすことを通じて不自由になってしまっていると指摘している。そこから、多くの人たちはおそらく制約に慣れ切っており、仮に自由を与えられたとしても、どのように振る舞っていいのかわからないのではないかと思った。

それはまるで、野生の鳥が檻に入れられて飼い慣らされ、ある日突然檻から出ることを許されても、檻の外に出ていかない姿を彷彿させる。この社会は檻だらけなのだが、その檻は絶えず開いていることもまた確かだ。

檻は社会的に構築された構成概念として目には見えない力として絶えず働いているが、その檻は実は開放されており、檻の外にいつでも出れることを忘れてはらない。

多くの人たちは、自由であることを許容されているのだが、あえて慣れ切った不自由さを選んでいるのではないだろうか。そしてその根底には、不自由さから脱却して自由であることへの根源的な恐れのようなものがあるように思えてくる。

そのようなことを考えながら、昨日のオンラインミーティングの時に言葉として出てきた「非二元」の話に思考が及ぶ。存在の基底としての非二元の状態、それは自由の状態と感覚的にとても近しい。

というよりも、非二元は絶えず自由であり、自由は非二元であるとすら思える。いや、自由というものを措定した瞬間に、その対極に不自由というものが想定されてしまうことになるので、非二元は自由の性質を持ちながらも、同時にそれを超えているものなのだろう。

非二元の体験は何も特別なことではない。哲学者のロイ·バスカーも指摘しているように、音楽に聴き入ったり、空をぼんやりと眺めることを通じてその状態を体験することができる。

多くの人が自由を与えられても右往左往してしまうのは、そもそも自由の体験を味わうことが過去において極端に少なかったからかもしれず、また現在においてもそうした体験を味わうことができていないからかもしれない。

非二元は絶えずこの瞬間にあって、私たちはいつでもその状態に至ることができる。存在の基底にいつでも触れることができるのだ。それはつまり、いつでも私たちは自由の状態に触れることができ、それが常態化されれば、絶えず自由でいることも可能なのだ。

少しずつ非二元的自由の体験を積むこと。解放の体験を徐々に味わっていくこと。そうしたことが大切なのかもしれないということを考えていた。フローニンゲン:2020/8/11(火)07:06

6102. 今朝方の夢

時刻は午後7時を迎えた。もう少し日記を書いてから、創作活動と読書に取り掛かり始めようと思う。

昨日考えていたその他のこととして、統計的なデータや統計的な解釈が成り立つ次元に関するものである。それはイギリスの哲学者ロイ·バスカーの3層構造のリアリティの捉え方で言えば、経験的な領域の1つ上の階層である“the actual”の階層に該当する事柄のように思えた。

つまり、科学的な研究が往々にして立脚している統計分析というのは、“the actual”のさらに上の階層にある“the real”、つまりは現象のメカニズムや背後の力については何も説明してくれないのではないかということである。統計分析というのは、一番下の階層である“the empirical”な階層のデータを集め、そのデータに対して数的処理を施すという“the actual”の階層構造での営みに留まることを改めて考えていた。

それでは今朝方の夢について振り返り、いつものようにライフワークに取り組んでいこう。夢の中で私は、卒業した中学校の同窓会に参加していた。その同窓会は一風変わっていて、2年おきに1回、同窓生と一緒に海外旅行することになっていた。もうすでに子供がいる友人たちも多いのだが、子供と一緒に海外旅行を兼ねた同窓会に参加する者もいた。

私の記憶はもう定かではなくなっていて、直近では、イギリスに訪れたらしく、ボートで川下りをした写真が残っていた。翌年は、オーストリアのウィーンを訪れ、そこで芸術に触れるという海外旅行が実施された。さらには北欧に行く旅行もあった。卒業してもう随分と経つのだが、毎回の海外旅行を兼ねたこの同窓会には多くの友人たちが参加していた。

気がつけば、私はその年の同窓会に参加していた。そこはヨーロッパのどこかの国だった。

ちょうど私は、豪華なホテルの入り口付近に立っていて、友人たちが到着するのをそこで待っていた。すると、遠くの方から数名の友人たちが歩いてくる姿が見えた。

本来はこの同窓会は同じ中学校を卒業した者だけが参加できるのだが、歩いてくる友人の中に違う中学校を卒業した高校時代の友人(TS)がいた。他の全ての人たちが同じ中学校を卒業しているためか、彼は少し照れ笑いを浮かべながら合流をした。

彼を含め、今到着した友人たちと一緒に早速ホテルに入り、チェックインをしようと思った。ところがチェックインをする前に、ホテルの地下の駐車場を見学しに行こうということになった。

そのホテルには、地下1階から地下3階にわたって駐車場がある。一番下の駐車場は変わった作りになっているとのことだったので、私たちはエレベーターを使ってそこに向かった。

地下3階に到着すると、どういうわけか私はまだエレベーターに残っていて、私以外の友人たちはエレベーターから降りて、その場をうろつき始めた。すると突然、駐車場のどこかから、私たちに対する警告の連絡があった。

おそらく監視カメラがそこにあったのだろうと思われ、友人たちは不審者のように思われたようだった。一刻も早くその場を立ち去らないと罰金が課され、同時に自国に強制送還されるとのことだった。それはとても理不尽な仕打ちのように思えたが、私たちはその警告に従うしかなかった。

ところが、友人たちはその警告を気にせずに駐車場の奥へ奥へと進んでいった。彼らはもう私の声の届く範囲外にいたので、しょうがなく私はエレベーターを使ってグランドフロアに向かった。

するとそこで私の体は瞬間移動し、その街を走るバスの中にいた。バスには乗客は私以外誰もいなかった。

バスはすぐにあるバス停で止まった。そこには2人の友人がいて、彼らもこのバスを利用するつもりでいるようだった。

ところが、2人のうち1人は私の手違いでバスに乗ることができなかった。バスを停車させておく時間をコントロールできるのは私の心のようであり、そのコントロールを少し誤り、前で待っていた友人をバスに乗せることができたのだが、後ろで待っている友人を乗せることができなかったのである。

バス停で取り残されたのは高校時代の友人であり、彼は少しばかり苛立ちと寂しげな表情を浮かべてその場に立ちすくんでいた。今朝方はそのような夢を見ていた。

そう言えばその他にも、この夢のどこかのタイミングで、空港にいる場面もあったことを思い出した。その空港はとても広く大きかった。

理由は不明だが、私は見知らぬ外国人女性から、ラウンジが利用できるカードが付いた腕時計を受け取り、フライトの時間までラウンジにいることにした。ラウンジに到着すると、その受付の外国人女性が突然日本語を話し始めた。

彼女の日本語はとても流暢だったのだが、その時の私の思考は英語空間にあり、彼女の日本語が全く理解できなかった。というよりも、それが日本語であるということを認識することもできず、彼女は自分の知らない外国語を話しているとすら思っていた。

私は、ラウンジの利用のルールについては知っていたので、彼女の日本語を理解しているフリをして、すぐにラウンジの利用を始めようとした。すると、私の持っているカードでは反対側のラウンジしか利用することができないらしく、そちらのラウンジはあまりサービスが良さそうではないと雰囲気からわかったので少し残念だった。

とは言え、ラウンジを利用できるだけでも有り難いと思い、ラウンジのバーカウンターで飲み物を注文しようとした。すると、注文から受け取りまで時間がかかりそうだったので、注文するのをやめ、ふと左を見ると、そこに街中にあるキオスクの売店があることに気づいた。

その売店には飲食物だけではなく、雑誌や雑貨を含めていろいろなものが売られていて、それらが積み重ね上げられていた。店主は高い位置から顔だけこちらに覗かせていた。

私の前の数名の客が注文を終えるのを見計らって、私はブラックコーヒーを注文した。見知らぬ外国人女性からもらったラウンジ利用のカードのサービス対象として、その売店では飲み物と1つ食べ物ももらえるらしかったが、あまり良さそうな食べ物がなかった。

果物に関しても、それらはオーガニックなものではないことが外見上明らかだったので、とりあえず私はコーヒーだけを注文した。コーヒーを受け取り、時刻を確認すると、もうフライトの搭乗時間15分前になっていることに気づいた。

コーヒーを飲み終えてから搭乗口に向かうと間に合いそうになかったので、私はコーヒーを持ったまま搭乗口に向かうことにした。ラウンジの外は、どこか銀河空間の中のような雰囲気だった。フローニンゲン:2020/8/11(火)07:45

6103. かかりつけの美容師メルヴィンとのシンクロニシティ

時刻は午後7時半を迎えようとしている。先ほど夕食を摂り終え、少しばかり夕涼みをしていた。

書斎の窓に比べて、寝室の窓からの方が風が入ってくるため、そこで夕方の涼しい風を浴びていた。今、ゆっくりと夕日が西の空に沈んでいる。

今日は午後に、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行った。店に入ると、メルヴィンが足を引きずりながらトイレから顔を出した。どうしたのかと尋ねてみると、数日前にボルダリングをしているときに足を捻ってしまったらしい。

医者からは2週間ほど歩けなくなるだろうと言われていたそうだが、メルヴィンはそれを鵜呑みにしてしまうと本当に2週間歩けなくなると判断したらしく、医者の意見に従わず、自らの意思の力を用いてより早期に回復させるつもりだと笑顔で述べていた。

その時の状況を詳しく聞くと、どうやらメルヴィンはその日はもうボルダリングを切り上げて自宅に帰ろうと思っていたらしいのだが、ジムの知り合いから声を掛けられ、より難易度の高い壁を最後にもう1回登ることを促されたそうだ。

その時にメルヴィンの内側の声は、「もう帰った方が良い」と述べていたらしいのだが、その声を無視して難易度の高い壁に挑んだところ、壁から引き剥がされ、着地時に足を強く捻ってしまったそうだった。そこから私たちは、他者の声に惑わされず、自分の内側の声に従うことの大切さを再度確認し合った。

そこからはいつものように話が弾んだ。もちろんアテネでの例の一件も話題に挙がったが、それよりも盛り上がったのは、ここ最近お互いに起こったシンクロニシティについてである。

まず話題を切り出したのはメルヴィンだった——いつも私たちは髪を切る前に随分と話し込むため、メルヴィンはいつも私のために通常客の2倍の時間を取ってくれている——。

メルヴィン:「ヨウヘイ、実はここ最近やたらと数字の「3」に出会うんだ。前々から数秘学に関心があり、3の意味を調べていると、色々と発見があってね」

:「えっ、メルヴィンも数字の「3」に意味があると感じてるの?」

メルヴィン:「えっ、ヨウヘイもそうなのか?」

:「うん、そうなんだ」

その偶然に嬉しくなり、私は思わずメルヴィンに右手を差し出し、握手を求めた。

メルヴィン:「うわっ、なんだ!」

:「どうしたの?」

メルヴィン:「ヨウヘイの手からとんでもない気が出てるぞ!ほらっ、ここを見て」

メルヴィンは自分の右腕を指差してそのように述べた。

:「あっ、鳥肌になってるね!そんなに気が出てた?」

メルヴィン:「いや、驚くほどに出てたよ」

実はメルヴィンはエネルギーを感じることに敏感であり、私たちはいつも気の話や霊性の話をする。以前メルヴィンは、「これは誤解されると嫌だから誰にも見せてないんだけど、ヨウヘイに見せたいものがあるんだ」と私に述べ、ある動画を見せてくれた。

動画に映っていたのは今から10年以上も前の青年姿のメルヴィンだった。メルヴィンがある気功の師匠に師事していた時に、遠くから気を送ってへちまのような瓜科の太い野菜を見事に切り落とす姿が映し出されていた。

私はそれを見て驚いたが、そうした現象が起こることは何も不思議ではないと思っていたので、メルヴィンもそれを知ってその動画を私に見せてくれたのだった。そのようなことを思い出しながら、メルヴィンは私と握手した時にとんでもないエネルギーを感じたとのことだった。おそらくそれは、ファスティングによって身体エネルギーが高まったからなのだと思った。

メルヴィンもここ最近身体エネルギーの上昇と霊力の向上を感じていたらしく、私も霊力の高まりを感じているところだったので、その話でも後ほど盛り上がった。

数字の「3」については、ちょうどつい最近の夢の中に出てきたシンボルであり、私はそれを「真善美」の3領域として解釈し、それが今の自分にとって大切な探究·実践領域であることをメルヴィンに告げた。メルヴィンは「なるほど」という表情を浮かべて頷き、メルヴィンは今、自分にとって「3」という数字が何を意味するのか探している最中だという。

不思議なことに、スーパーで偶然すれ違った女性が「33」と呟いていたり、その他にも街中でやたらと3の数字が自分の目に飛び込んできているとのことだった。確かに、ひとたび自分の意識が3という数字に向かえば、日常世界の中に3という数字は溢れているだろうから自分の目にその数字が飛び込んでくるのはわかる。

しかしながら、メルヴィン曰く、そうした意識をしていない時にもふとした時に偶然にも3という数字と出会すということを述べていたのでとても興味深い。3という数字が人生の中で何か重要な役割を果たしていることと、身体エネルギーや霊力の最近の高まりなど、メルヴィンと私の人生にはシンクロニシティが起きていると語り合った。

その他にも今日は、集合意識や最近のコロナを含めた世界の異常な情勢について意見交換をし、あっという間に1時間が経った。ちょうど1時間が経つころに次のオランダ人の若い男性客が店にやってきたが、最後に私は、メルヴィンが捻った左足の足首に霊気を施術した。

メルヴィンに髪を洗う椅子に腰掛けてもらい、そこでお互いに呼吸を整え、気を送ると、メルヴィンの左足がピクンと反応し、そこでも自分の気力の高まりを感じた。店を出る前にメルヴィンともう一度握手をし、メルヴィンの足が早く治ることを祈りながら、夕方の晴れ渡るフローニンゲンの空を仰ぎ見た。フローニンゲン:2020/8/11(火)19:58

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