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6094-6096: アートの国オランダからの便り 2020年8月9日(日)


No.1156 メタリアリティへ_Toward the MetaReality

本日の言葉

One must not think of the before and after, of forwards and backwards, but only of the freedom of the middle point. Taisen Deshimaru

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6094. メタクライシスの時代に:「献身」について

6095. 今朝方の夢

6096. 大いなる導きに感謝して

6094. メタクライシスの時代に:「献身」について

時刻は午前6時を迎えた。今朝は午前5時半頃に起床し、起床した瞬間にはまだ辺りは薄暗かった。そして何より、今朝は空に雲が覆われていたので、朝焼けを見ることができなかった。

朝焼けを見ることができなかったのは残念であるが、ここ数日間雲がほとんどない快晴の日が続き、気温もかなり上がっていたので、中休みにちょうど良いように思った。実際に今日は、部分的に雲がかかっているような天気のようであり、気温の上昇は29度で止まるとのことだ。30度に満たなければ、寝室と書斎の窓を開けていれば涼しさを感じられるだろう。

新たな週を迎える明日から来週の木曜日までは再び30度を越す日が続き、木曜日に雨が降ることをきっかけにして、再び25度前後の日が続くようだ。おそらくそれを持って秋の始まりだとみなしてもいいかもしれない。今年は冷夏であり、同時に秋の到来が例年以上に早い印象だ。

昨日、現代社会が直面するメタクライシスについて考えていた。現代は、教育の危機、経済·金融の危機、生態系(エコロジー)の危機、政治の危機、実存的危機、倫理·道徳的危機、といった諸々の危機が複合的に同時に押し寄せている時代である。私たちはそうした時代の中に生きながらにして、こうした複数かつ1つのメタクライシスと向き合うことを余儀なくされている。

その課題の難易度は極度に高いのだが、それと真摯に向き合っていかなければ、人類は危機に瀕してしまうのではないかと思う。イギリスの哲学者のロイ·バスカーが提唱した批判的実在論や、アメリカの思想家ケン·ウィルバーが提唱したインテグラル理論は、そうしたメタクライシスを乗り越えて行く上で不可欠なメタ理論になるだろう。

とりわけバスカーの批判的実在論は、社会変革を強く志向するメタ理論であるがゆえに、私としては、この理論を中核に据えて自分にできる実践を日々行っていく。

昨日はその他にも、「献身」という言葉について考えていた。身を献上し、身を捧げながらにして取り組みに従事していくこと。その姿勢はとても大切なものかと思う。

そしてこの時に、捧げるにふさわしい身があるのかどうかも大切になる。つまり、実践を行う者の身体の状態がいかほどかということである。

学習や実践の出発点かつ、それらを推進していくのは身体であり、身体意識である。それらが良好·良質のものであるかどうか、それについては絶えず意識を向けていき、それらの状態を整え、より健全なものにしていく。

自らの潜在能力というのは身体を通じて花開き、身体を通じて発揮される。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2020/8/9(日)06:27

6095. 今朝方の夢

時刻は午前6時半を迎えようとしている。今、空には雲がかかっていて、今朝は朝日を拝むことができない。

朝日が地上に降り注いでこない分、外には幾分涼しさがある。それに加え、今朝はそよ風が吹いている。ここ数日は暑い日が続いていたので、ここで一度涼しい日が間に挟まれるのは嬉しいことである。

アテネで紛失したクレジットカードについて、早速新しいカードを日本で発行してもらい、それらは来週の初旬頃に届くそうだ。今は財布がなく、不便であるので、クレジットカードが届き次第、新しい財布を求めたい。

今のところ、街の中心部にあるTalens Lederwarenという革製品専門店で財布を購入しようと考えている。この店のウェブサイトを確認すると、気品があって自分の美的感覚に合致しそうな財布が販売されていそうだ。今度はズボンのポケットにスッと入るようなコンパクトな財布を購入しようかと思う。

昨日、40年間にも渡って自身の夢について書き留めていた鎌倉時代の高僧明恵上人について書き留めていたように思う。彼がどのように、どのような角度から夢を書き留めていたのかは非常に気になる点なので、この秋に一時帰国した際には、明恵上人に関する書籍を購入しようかと考えている。

それでは今朝方の夢について振り返り、その後、創作活動と読書に励んでいきたい。夢の中で私は、高校時代に過ごしていた社宅にいた。どうやら私は受験を控えているようであり、季節は夏のようだった。

ちょうど今、夏休みに入っていて、勉強をする時間がたくさんあり、私の気分は高揚していた。朝起きてリビングの方に向かうと、母方の祖母が掃除をしていた。何か手伝うことはないかと祖母に尋ねたところ、リビングのカーペットを少し持ち上げて欲しいとのことだったので、私はそれを行い、私が持ち上げている間に祖母はカーペットの下に掃除機をかけた。

程なくして掃除は終わり、朝食の時間になった。しかし私は、朝食を摂ることによって時間が無駄になり、さらには飯を食べることで消化にエネルギーが削がれてしまうと思ったので、これからは朝食を食べない形で勉強することにした。また昼に関しても、食べたとしても非常に軽いものにしようと思った。時間が掛からず、そして消化に良いものを食べようと思ったのである。

いざ自室で勉強に取り掛かろうとすると、どういうわけかもう午前10時半になっていて、起床からずいぶん経っていたことに気づいた。部屋の掃除があったり、その他にも祖母や母と話をしていたことから、そのような時間になってしまっていた。

私は少し焦った気持ちになったが、そうした気持ちで勉強しても身にならないだろうと思ったので、一度呼吸を整え、ゆったりとした気持ちで勉強に取り掛かることにした。いざ勉強を始めてみると、数学の勉強をする必要があったが、他の科目にどうしても時間を割いてしまう自分がいた。

私が志望している大学は、とにかく数学が難しく、数学が鍵を握る。それにもかかわらず、随分と数学から離れていたことに気づき、そうであれば、そもそも日本の大学に行く必要などないのではと思い始めた。

そこから私は、アメリカのアイビーリーグかリベラルアーツカレッジに行こうかと考え始めた。そこで夢の場面が変わった。

その他に覚えている夢としては、少し前に知り合った知人が公園のような場所にいて、そこのベンチ付近で作家の三島由紀夫と肩がぶつかり、彼女の眼が飛び出すかのように大きく見開いたのを覚えている。

ちょうど昨日、ユングがかつて、「眼は母の子宮であり、瞳孔はその中から生まれる子供である」と述べていたことを知ったので、夢の中の彼女の眼が飛び出すかのように大きく見開いたのは、何か示唆深いものがある。フローニンゲン:2020/8/9(日)06:42

6096. 大いなる導きに感謝して

時刻は午後7時半を迎えた。今日の朝方は、空が雲に覆われていたが、午後からはすっかり晴れ間が広がった。今この時間帯も空は晴れ渡っていて、夕日が燦々と輝いている。

日曜日がゆっくりと終わりに近づいていき、明日からはまた新たな週を迎える。今週も非常に充実しており、明日からの新たな週の充実に期待が持てる。

日々、少しずつ深まっていく充実感。それと足並みを合わせる形で、自己が深まり、人生が深まっていく。

季節の進行のようにそこにはサイクルがあるが、そこには単純な状態変化ではなく、質的な深まりがある。それが人生における季節の進行の特性である。

今日の午後に近所のスーパーに買い物に出かけた時、大きな発見をした。ここ最近始めた視力回復トレーニングの一環として、眼鏡をかけずに買い物に行き、遠くを見るようにしていた。

ちょうどスーパーの帰りに通る住宅街でも同じことをしていた時に、遠くに見えた標識に視点を合わせようとした。すると、その標識に、左がモンドリアン通り、右がルーベンス通りと書かれていることに気づいた。

私はそれを見て心底驚いた。というのも、その道は過去4年間の間、近所のスーパーにいく時にはいつも通っていて、もう合計数百回以上通ったことがあったのにそれに初めて気づいたからである。

しかもその標識は目立つところに掲げられているにもかかわらず、私はその標識をこれまで認識することがなかったことにも驚かされた。標識があることは視界の盲点に映っていたのかもしれないが、そこに記載されている通りの名前が、まさかオランダを代表する2人の偉大な画家だったとは、今日のその瞬間まで全く知らなかったのだ。

今私が住んでいるアパートの通りはブライトナーという画家の名前が付されていて、隣の通りはヴァン·ゴッホの名前が付されている。自分がこの4年間、芸術家の名前に彩られた場所で生活をしていたことを改めて知る。

「モンドリアン通り」という記載を見た時、ちょうど数日前に、モンドリアン美術館に9月にでも足を運ぶつもりであるということを日記で書き留めていたところだった。その偶然にも驚かずにはいられない。

今、不思議な運命の導きが私を取り巻いている。それがいつも私の向かう方向を指し示してくれている。

私にできることは、その導きに気づき、感謝の念を持ってその導きに従うことだけである。その他には何もいらない。作為なく、大いなる存在からの導きに従っていけばいいのである。

モンドリアン通りという名前を見て、9月にはなんとしても時間を作ってモンドリアン美術館に行こう。それは良い日帰り旅行になるだろう。

ひょっとしたらルーベンスの美術館もどこかにあるかもしれない。早速調べてみたところ、今は改修中だが、ベルギーのアントワープにあるアントワープ王立美術館にルーベンスのコレクションが充実しているらしい。ちょうどベルギーのアントワープも今後の旅行計画の候補地に入ってるので、当地を訪れた際にはぜひアントワープ王立美術館に足を運ぼう。

フローニンゲンでの生活はちょうど今月で5年目を迎えた。ひょんなことから認識上不在だったものが不在化され、モンドリアン通りに気づくことができたことは、きっと何かの導きであり、その導きの先にまた新たな導きがあるだろう。

導きそのものと導きと導きの間にあるもの。それが自分の人生を絶えず豊かなものにしてくれている。そのことへ大きな感謝の念を捧げたい。フローニンゲン:2020/8/9(日)19:44

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