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6081-6084: アートの国オランダからの便り 2020年8月6日(木)


No.1133 空とそよ風の交感_Communication between the Sky and a Breeze

本日の言葉

The most precious gift we can offer anyone is our attention. Thich Nhat Hanh

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6081. 満月を眺めながら:ヨルク·シュマイサーとの出会い

6082. 反復と治癒

6083. 今朝方の夢

6084. 夢のシンボルを振り返って

6081. 満月を眺めながら:ヨルク·シュマイサーとの出会い

時刻は午前6時半を迎えた。今、小鳥たちが元気な鳴き声を上げている。

昨日と同様に、今朝のこの時間帯は、遠くの空に白く輝く満月を拝むことができる。先ほどは、窓辺に立ってぼんやりと満月を眺めていた。

視力回復に向けて、遠くの空を時折眺めるようにしており、それと同じような感覚で満月を眺めてみようと思ったが、満月は特別なのか、それを眺めている時に喚起されるものは、単に空を眺めているものと少し違うものがあったように思う。

満月に付帯している諸々の意味や物語があるようなのだ。もちろん空にも何らかの意味や物語があるとは思うが、私が空を眺める際には、そうした意味や物語に囚われることなく、空全体と一体化するような感覚を持つことがある。

ちょうど昨日、哲学者のロイ·バスカーも似たような指摘をしていた。今日もまた、空をぼんやりと眺めることを通じて、非二元の意識状態に参入することがあるかもしれない。空を眺めることは、意識状態を変化させ、整えてくれることに力を貸してくれる。

今日のフローニンゲンは、昨日に引き続き天気が良い。来週の木曜日まで雨マークは一切ない。今日の最高気温は28度、最低気温は16度とのことであり、今日もまた過ごしやすい1日になりそうだ。

昨日ふと、カラフルな曼荼羅迷路を描いてみようと思い立った。幼少期の頃、よく迷路を描いており、その時の体験をふと思い出し、曼荼羅模様の迷路を描いてみようと思ったのである。実際に数枚ほど衝動的に描いた。

その前に曼荼羅について調べていると、ドイツ人のヨルク·シュマイサー(1942-2012)という画家に出会った。彼は世界中を旅し、京都の芸術大学にも留学し、オーストラリアを拠点に制作を行なった画家である。

「旅する版画家」と称されているシュマイサーは、彼自身のテーマとして「変化」を挙げていた。人間の成長や発達について探究と実践をしている自分にとって、「変化」というのは大切なキーワードであり、シュマイサーの絵に関心を持った。

実際に彼の絵を見てみたところ、大変面白いものが多かった。シュマイサーは、この世界と彼自身に起こる全ての変化を版画の画面にとらえようとする試みに従事し続け、その姿勢と取り組みにも大いに共感した。

調べてみたところ、彼の画集に『ヨルク·シュマイサー 終わりなき旅』というものがあることがわかり、この秋に日本に一時帰国した際にはそれを購入しようかと思う。また、シュマイサーの作品は、イギリスの大英博物館やドイツのドレスデン国立美術館などに所蔵されているとのことなので、とりわけ今度ドイツに行った際には、ドレスデン国立美術館に足を運ぶことを検討したい。フローニンゲン:2020/8/6(木)06:49

6082. 反復と治癒

時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。空は薄青く澄み渡っていて、遠くの空にはまだ満月が浮かんでいる姿が見える。耳を澄ませば、小鳥たちの鳴き声が時折聞こえてくる。今日はほとんど風がなく、無風状態の落ち着きがある。

昨日、ロイ·バスカーの書籍のみならず、“Desire in Chromatic Harmony: A Psychodynamic Exploration of Fin de Siècle Tonality”の続きを読み進めていた。その中で、フランスの哲学者ドゥルーズの興味深い指摘があった。それは、「全ての治癒は、反復的活動の背後にある」というものである。

この言葉を受けて、確かに、断食も反復的食習慣を見直すことにつながり、その背後にあるものを探っていくことに導く形で治癒をもたらすということについて考えていた。諸々の病理というのは、突如として0から100の形で生み出されるというよりも、何かしらの反復を通じて、それが累積する形で発生するものなのではないかと思う。

そうした観点から、心身上及び社会上の病理の治癒に向けては、反復的活動の所在と性質を突き止め、その反復を脱却させる形の新たな反復が必要なのだろう。私たちは知らず知らず諸々の反復的行為を通じて生きている。それは身体上の習慣であったり、精神上の習慣として形になって現れる。そのように考えてみると、私たちは反復的生き物なのだろう。

既存の反復構造から脱却し、新たな反復構造に向かうこともまた、成長·発達の特質であるということが見えてくる。今の自分がどのような反復構造の中にいて、いかような反復を行なっているのか。改善が必要な反復はないかどうか。

そのあたりを検証し、必要であれば既存の反復的行為をやめ、反復的行為を生み出す既存の反復構造に変わる新たな反復構造を構築していく。悪き習慣から脱却し、良き習慣を始めるというのはそういう意味なのだろう。

食習慣においては、これまでも良好なものであったが、今回断食を行うことによって、細かな微調整をした。それは、断食後の回復食からニンジンを食べ始めたことである。

そういえばこれまでの夕食には赤い野菜が入っていないことに気づき、またニンジンの栄養価を改めて調べたところ、ニンジンを食べようと思ったのである。近所のスーパーには、オーガニックニンジンが袋に入って売られていて、これまで購入していた野菜類と合わせて購入した。

オランダは、オーガニックの食材の値段がお手頃であり、そのスーパーで購入できるオーガニックの野菜や果物はとても良心的な価格である。購入したニンジンはかなりの量があり、保存方法について調べてみたところ、ニンジンが土に埋まっていたままの形で、つまり立てて冷蔵庫に保存することが良いと書かれていた。

また、袋のまま保存すると、数日ほどで痛み始めるとのことだったので、一本一本まずはキッチンペーパーで水分を拭き取り、アルミホイルに包んでそれらをビニール袋に入れて、冷蔵庫に立てて保存するようにした。これで鮮度を保った形で毎日美味しくニンジンをいただくことができるだろう。

そうした食生活上の若干の変化があった。その他にもこれまで以上に、無駄なこと、とりわけ単なる情報をインターネットで検索することなどを行わなくなった。

もちろん、必要なことは調べるが、無駄なことはネットで調べないようにしている。ネットを見るような時間があれば、その分創作活動や読書に時間を充てたり、休息を取るようにしている。

今後も引き続き、自分が日々何気なく行なっている反復的行為に自覚的になろうと思う。さらには、社会が生み出している反復的行動とその構造にも注目をしていく。そこに解放と自由への道がある。フローニンゲン:2020/8/6(木)07:07

6083. 今朝方の夢

時刻は午前7時15分を迎え、つい先ほど洗濯機を回し始めた。今朝はまだ夢について振り返りをしておらず、今から夢の振り返りを行い、その後に創作活動と読書に取り掛かりたい。

夢の中で私は、実際に通っていた小学校の校庭にいた。校庭で友人たちと遊ぼうと思っていたのだが、前日に降っていた雨のせいで、グラウンドはぬかるんでいた。

わずかばかりグラウンドを走るだけでも泥が飛び跳ねてしまい、服が汚れてしまうようだった。このままグラウンドで遊ぶのかどうかを考えていたところで、放送が鳴った。

放送の声に耳を済ませると、放送をしているのは生徒ではなく、先生の誰かだった。その先生は、「グラウンドで遊ぶ場合は、上半身裸になりなさい」と述べていた。

確かに、それであれば服に泥が飛び散ることを防ぐことはできるが、上半身裸になるには少し寒いように思えた。そのため、私たちはグラウンドで遊ぶことをやめ、グラウンド近くの保健室の窓のそばに向かった。

そこでしばらく友人たちと立ち話をしていると、教室に戻って教室で遊ぼうということになった。そこから2人の友人と私は、6年生の時に使っていた校舎のある方に向かって行った。その際に、低学年が使っていた校舎から建物に入り、中庭の通り道を抜けて、目的の校舎に向かった。

高学年用の校舎に辿り着いたとき、私は廊下をスケートをするかのように滑りながら進んでいった。そして、3階の教室にたどり着くための階段の前にやってきた。

階段を見ると、どういうわけか、階段の途中途中に鉄棒が横に通されていた。私はその鉄棒の上に足をかけ、そこから「リボーン(reborn)」と心で唱えながらジャンプして上へ登っていった。

後から階段を登ろうとしている友人にも、必ず「リボーン」と唱えるように勧め、彼らもまたその言葉を心の中で唱えながら上の階にやってきた。するとそこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は見知らぬ大きな広場にいた。雰囲気としては、それはおそらく日本のどこかだと思う。

私は、小中学校時代の友人数名とその広場で遊んでいた。上空をふと見上げた時に、遠方の空にスペースシャトルの姿が見えた。どうやらこれから着陸するようなのだが、どうも様子がおかしい。

そこから様子を見守ろうとしていると、すぐさまスペースシャトルに異常が起き、空中分解し始め、コクピット部分が脱出モードになって、自分たちがいる広場の方に向かってきた。

すると、スペースシャトルの主な機体部分は広場の近くに墜落し、様々な破片がこちらに飛んできた。危うく私たちにぶつかるところだったが、誰にもぶつかることはなかった。そして、肝心のコクピット部分は広場に墜落した。

見ると、コクピットには3人ほどの乗組員が乗っていて、身動きを全くしておらず、全員死んでしまったのかと思った。乗組員が動かなくなっていたので、私は少々不安に思い、静かに後退りしていた。

すると、1人の友人が「逃げてはならない」と述べた。私は逃げようとしていたわけではなく、別の角度からコクピットを見ようと思っていたのである。

そのようなやり取りを友人とした後に、乗組員の全員がなんとか無事に生きていることが確認された。コクピットからよろめきながら出てきた乗組員の中に小中高時代の後輩がいた。その他の乗組員は、私が通っていた高校の体育の先生と無線で連絡を取り、先生から事情聴取を受けていた。

私はこの機会に、後輩にスペースシャトルについて色々と話を聞こうと思った。まずは、スペースシャトルが落ちる確率と今回の墜落事故の原因などについて尋ねてみた。

するとその後輩は、墜落した主な原因は、無駄に食事を搭載していたことだと述べた。そこで無線で連絡を取っていた先生が、別の乗組員に対して何か注意をしているようだった。

どうやらその乗組員は、シンガポールのインターネット番組を通じて、宗教的儀式で用いられる向精神性の飲み物を一般に使用することを推奨する発言を行っていたらしく、そうした発言は程々にするようにと先生に注意を受けていた。フローニンゲン:2020/8/6(木)07:38

【追記】

前半の夢の場面の最後で心の中で唱えていたマントラが興味深い。「リボーン(reborn)というのは生まれ変わり、ないしは再誕を意味する。そして、階段と鉄棒のシンボルは、発達の階梯を表しているのではないかと思った。

それらを合わせて考えてみると、私は発達の階梯を飛躍するかのようにして上に上がっていき、その際にマントラを何度も叫ぶことによって、再誕を何度も経験していたようだ。今の自分はやはり、発達プロセスにおいて上昇期にあるのかもしれない。

さらには、スペースシャトルが墜落した原因について後輩が述べたことについても改めて考えていた。スペースシャトルを、本来無限の可能性を持ち、例えず未知なるものに向かっていく私たち人間として捉えてみると、それが墜落してしまった原因が食べ物の積み過ぎというのは、現代人の姿を表しているように思える。

つまり、無駄に食べ物を食べる現代人は、本来の可能性を発揮することができず、未知なる世界の探求がままならぬ形で堕落してしまうということを示唆しているものだったのではないかと思う。ちょうど断食を終えていたこともあり、今回の断食経験からもそれはとても共感できる。フローニンゲン:2020/8/7(金)13:20

6084. 夢のシンボルを振り返って

時刻は午後7時半を迎え、今夕涼みをしている小鳥たちが鳴き声を上げている。今日もまた天気が良く、それでいて涼しげな1日であった。

この時間帯になって、今朝方の夢に現れたスペースシャトルのシンボルが何を意味しているのかについて考えていた。その意味を考えるきっかけとして、ドリームディクショナリーを調べてみたところ、スペースシャトルは未知なるものを探索することを示唆しているようだ。

ここ最近、新たな知識領域や実践領域の探究を進めている自分の姿を冷静に眺めてみると、その説明には納得いくものがある。スペースシャトルの打ち上げのシーンが描かれていたのであれば、それは何か新しいプロジェクトや関係性の始まりを示唆するとのことであったが、私はむしろ逆に、スペースシャトルが着陸する夢を見ていた。

実際のところは、それが墜落しようとしている姿が描かれており、コクピットの部分はかろうじて無事に地上に到着し、乗組員3人が生きていたという内容だった。ここ最近始まった新たな探究と実践は、茨の道であるが、それはどこかで無事に地に足をつけるということだろうか。

そして、「3」が意味することについて考えてみたところ、それはひょっとして「真·善·美」の3つを表しているのかも知れないと思った。そのように考えてみると、今朝方の夢は実に示唆深いことがわかる。ここからもまた、夢を頼りに自分の人生の意味を探求していこう。

今日から読み始めた“Reflections on metareality: Transcendence, emancipation and everyday life”はとても知的刺激に満ちている。得るものや考えさせられることが非常に多く、思わず唸ってしまう箇所が数多くあり、必然的に書き込みも増えていく。本書はこれから何度も繰り返し読み込んでいこうと思う。

残念ながらバスカーの翻訳書はほとんど出ておらず、バスカーはウィルバーと並ぶメタ理論の創出者であり、同時にウィルバーと同じぐらいに多くの書籍を出しているのだが、彼の仕事が日本に全くと言っていいほど紹介されていないというのは非常に残念なことである。

ここからは、バスカーの思想を自分の実践領域を通じて紹介していきたいと思う。バスカーの仕事に加え、自分の実践領域を通じて、ハーバーマスやシュタイナーの思想についても広く紹介していきたい。

本日、無事に銀行から2枚のカードが届いた。これにて明日からは、ひとまずオランダの銀行に紐づいたデビットカードで買い物ができるようになった。

早速、カードを有効化して、モバイルアプリを使えるように設定しよう。それが済めば、先日アテネでの窮地を救ってくれたハーグに住む友人に、借りたお金を返そうと思う。フローニンゲン:2020/8/6(木)19:33

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