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6077-6080: アートの国オランダからの便り 2020年8月5日(水)


No.1120 朝の草花_Morning Grass Flowers

本日の言葉

The most precious gift we can offer anyone is our attention. Thich Nhat Hanh

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6077. 断食後の新たな1日を迎えて

6078. ピエト・モンドリアン美術館とヒエロニムス·ボス美術館:今後の欧州旅行の計画

6079. 今朝方の夢

6080. 制約と幻想からの解放

6077. 断食後の新たな1日を迎えて

時刻は午前6時半を迎えた。辺りはもう明るくなっていて、朝日が赤レンガの家々の屋根を照らしている。

遠くの空には月が浮かんでいるのが見える。真っ白い満月がそこにある。

そよ風が少しばかり吹いていて、書斎の窓を開けていると、とても心地良い。今日からは気温が上がるようであり、最高気温は26度、最低気温は14度とのことである。

先日、フローニンゲンの8月の気温について調べたことが間違っていたかのように、ここから気温が高い日が続く。ここから1週間は25度を超えて、30度に達する日もあるようだ。ちょうど来週の水曜を境目として気温が下がっていくと予想されているが、それもその時になってみないとわからないかもしれない。

昨日の夜、4日間の断食を終えた。今回はわずか4日だったので、何も問題なく断食を行うことができた。途中で確かに好転反応が少しばかり出た時間帯もあったが、空腹感に襲われて困ることなどはいつもの通り一切なく、静かに断食が進行していった。

今日もまた回復食を食べる期間であり、午前中のどこかのタイミングでリンゴを食べ、昼にはバナナと4種類の麦のフレークに豆乳をかけたものを少々食べようかと思う。旅から帰ってくる都度、4、5日間ぐらいの断食を行って、デトックスをするようにする。

そもそも、日々の食生活を含めた生活習慣によって、自分の中に毒素が溜まらないように気を付けているが、それでも知らず知らず自分の内側に入ってくる毒素が存在しているのがこの現代社会の特徴であろうから、定期的に断食を行うことはやはり自分にとって必須である。

旅の終わり以外にも、1週間に1度、夕食を食べない日を設けたりするのもいいかもしれない。それだけでも胃腸が休まるかと思う。

現代の教育は私たちを愚者にし、カネは私たちを諸々の意味で貧者にし、医薬品を含めた多くの化学物質は私たちを病気にするという皮肉について昨日考えていた。現代社会は、そうした皮肉と矛盾に満ちている。そして、それらの皮肉や矛盾は目には見えない形で構造的に隠されてしまっており、人々はそれらに気づくことがほとんどできない。

ロイ·バスカーが指摘するように、本当に実践的かつ人々に自由と解放をもたらす思想というのは、そうした目には見えないものを暴き出す役割を果たすものである。今日もまたバスカーの書籍を読み進めていこう。今日は、“From East to West: Odyssey of a Soul”という書籍を読む。分量としてそれほど多くないので、本日中に初読が終わるだろう。

無理をせず、1日1冊程度読書をしていく。ものによっては2日かかる書物もある。1冊1冊の書籍と自分なりに向き合い、それらを読み進めていくことで自分の思想体系を育んでいき、それを実践に活かしていく。

昨日から眼鏡をかけることなく生活をし始めた。それで全く問題がないことがわかった。

視力を回復させるトレーニングやマッサージに関する動画をいくつか見つけ、それらを見て、早速試してみた。それらは毎日継続して行うことが大切とのことなので、それらを続けていきたい。

寝る前はもちろんのこと、日中も定期的に目の周りのマッサージを軽く行おうと思う。それによって、とにかく眼精疲労を溜めないようにする。定期的に目を休めることは、おそらく脳を休めることにもつながってくるだろう。フローニンゲン:2020/8/5(水)06:50

6078. ピエト・モンドリアン美術館とヒエロニムス·ボス美術館:

今後の欧州旅行の計画

時刻は午前7時に近づきつつある。遠くの空に浮かぶ満月がまだかろうじて見える。

今日も晴天であり、朝のフローニンゲン上空の空は見事に晴れ渡っている。雲はほとんどなく、透き通った空がここにある。

ここから1週間は晴れの日が続くようであり、さぞかし快適であろう。8月の中旬からは気温が下がり始めるようであり、9月になると例年通り、朝夕はもうかなり肌寒くなる。

そんな9月に、いくつかオランダ国内の美術館を訪れたいと思う。今のところ、3つほど訪れてみたい美術館がある。2つはピエト·モンドリアンの作品が所蔵された美術館であり、もう1つはヒエロニムス·ボスの作品が所蔵された美術館である。

まずは優先的にモンドリアンの作品が所蔵されている美術館に訪れたい。1つはウィンタースウェイクという街にあるVilla Mondriaanという美術館だ。こちらの美術館へは、フローニンゲン駅から2時間半ほどで行けるらしい。日帰り旅行として遠くない距離である。

美術館の名前にあるように、この美術館は、モンドリアンの作品を主として所蔵している。それと同様のコンセプトの美術館に、The Mondriaan Houseという美術館がアーメルスフォールトという街にある。

この街はユトレヒトから近い。こちらの美術館についても、フローニンゲン駅から2時間弱で到着できてしまうので、比較的近い印象だ。

最後に、ヒエロニムス·ボス美術館にも近々足を運んでみたいと思う。この美術館はデンボスという街にある。デンボスはアイントホーフェンの近くにある街だ。この街は北ブラバント州に属しており、この州で生誕した画家として有名なのは、ヒエロニムス·ボスだけではなく、ヴィンセント·ヴァン·ゴッホもいる。

ボスの作品の世界観は何か私を惹きつけるものがあり、サルバドール·ダリもボスから多大な影響を受けている。こちらの美術館には、フローニンゲン駅から3時間弱ほどで着けるが、他の2つの美術館に比べて少し距離がある。それを考えると、アイントホーフェンにある美術館を訪れることも含めて、1泊か2泊ほどの小旅行を行ってもいいかもしれない。

アイントホーフェンはベルギーのアントワープに近く、ベルギー旅行を兼ねて訪れることを検討してもいいかもしれないし、上述のように、デンボスとアイントホーフェンを訪れる国内小旅行と、ベルギーの3都市を訪れる旅行はまた別途計画をしてもいいかもしれない。

いずれにせよ、しばらくはオランダのように治安の良い国の国内旅行か、同じぐらいに治安が良いであろうベルギーなどの近隣諸国を巡ることが、日本への一時帰国を除いた次回の旅の計画として浮上してきている。

近隣諸国で言えば、ドイツのベルリンやミュンヘンには足を運びたい美術館がある。この辺りも次回の旅の候補地だ。

また、かつて夢の中で出てきたラトヴィアの首都リガにも足を運んでみようと思う。それに付随して、昨日調べてものをしていたときに偶然知ったIT先進国のエストニアにも訪れてみたいと思う。フローニンゲン:2020/8/5(水)07:13

6079. 今朝方の夢

時刻は午前7時半に近づきつつある。今、小麦若葉と大麦若葉をブレンドしたチアシード入りの飲み物を飲んでいる。朝に水を2杯ほど飲んだ後に、いつもこの飲み物を飲んでいる。これは栄養補給とデトックスにうってつけの優れた飲み物だと毎朝実感する。

この時間になると、もう辺りはすっかり明るくなっていて、先ほどまで見えていた満月の姿が見えなくなった。満月を拝むことができたのは、早起きのご褒美なのだろう。

夏の朝のこの明るさがなんとも言えない喜びをもたらす。それは生命力に溢れた光である。その光の恩恵を受けて、自分も少しずつ前に進めているような気がする。

小鳥たちが時折上げる鳴き声もとても落ち着いていて、それが聞こえてくるたびごとに平穏な気持ちになる。

断食を終えた昨夜は夢を見ていた。それについて振り返りをし、今日もまた創作活動と読書に打ち込んでいこう。夢の中で私は、屋外のバスケットコートに立っていた。隣には、小中高時代の親友(HO)と、NBAで活躍したアフリカ系アメリカ人の元スター選手がいた。

私たちは、シュート対決をして遊んでいた。元NBAの選手は当然ながらシュートが上手いのだが、引退後随分とブランクがあるのか、意外と苦戦をしていた。

私は真正面の遠い位置からのシュートに手こずっていて、親友はゴールに向かって左斜めの近い距離からのシュートに手こずっているようだった。全員が苦戦しながらシュートを順番に打っていくと、気がつけば、ゴールが一軒家の屋根の上に置かれていた。

ゴールのポールの横には、その一軒家の玄関の扉があった。私は特に気にすることなく、真正面の遠い位置からシュートを放った。それはゴールに入らなかったが、ボールが屋根から下に落ちてきたところで、玄関からその家の友人の弟が姿を現した。

見ると、その弟はまだ幼児であり、体長がわずか3cmほどだった。その小さな弟は軒先でハイハイを始めたのだが、すぐにこけてしまった。心配そうに彼を眺めたら、数秒経ってから突然泣き始めたので、すぐに駆け寄って大丈夫かとあやし始めた。

見たところ怪我もなく、すぐに泣き止んだので、大丈夫かと思ってそのままバスケを続けた。すると、その直後にその弟の姉がやってきて、彼女は普通の人間の大きさだった。

彼女がその弟を救い上げ、病院へ連れて行こうとした。すると、その家に住む友人の母が外に出てきて、小さな赤ん坊がこけたことをなぜすぐに自分に教えてくれなかったのかと問いただされた。

別に怪我をしている様子もなかったし、すぐに泣き止んだこともあって大丈夫だと思ったという旨を友人の母に伝えたのだが、あまり納得していないようだった。そこからは、その母親と私はどこかに向かって移動し始めた。どうやらその辺りはニューヨークの治安の良くない場所だった。

私たちは、空に浮かぶ不思議な乗り物に乗って移動していた。その高度は高くなく、地面から少しばかり浮かんだ程度の高度だった。

フェンスで囲まれた場所にやってきて、そこでその乗り物から降りようとしたら、フェンス付近に野良犬がいて、私たちの方に向かってきた。その野良犬はジャンプし、私たちに噛みつこうとした。

すると、その乗り物も犬の形になり、ジャンプするかのようにして高度が上がった。そのおかげで犬に噛まれないほどの高さになった。私たちは吠えながら怒っている野良犬を眼下に眺めながら、引き続き移動を続けた。

そこからも続々とフェンスが続いていて、犬の形をした乗り物は、フェンスがやってくるごとにジャンプをしてそれを乗り越えていった。最後に、沼地のような場所にやってきて、そこに生えている植物の背が高く、それを飛び越えていくことがどうやら難しいようだった。

そこでふと、その乗り物が水の上に浮かび、そこに私たちが乗る形で移動するのはどうかと考えたところで夢から覚めた。そう言えば、その夢のシーンの前に、その夢と連続する形で別のシーンがあった。

そこでは、ニューヨークの少しばかり荒れ果てた地区のある施設の前にいて、そこに入るためのチケットを購入しようとしていた。すると、見慣れない白人の男性がやってきて、タブレットを通じてチケットを購入したいと私に述べた。

タブレットでもチケットをおそらく購入することが可能だと思った私は、チケット購入口でタブレットをかざしてみると良さそうな箇所を教えた。早速その男性はそれを試してみたところ、無事にチケットを購入できたようだった。

私の隣にいた友人の母親は、携帯からZoomを立ち上げようとしており、音声認識を通じてアプリの立ち上げからログインまでを行っていた。それを見て、そのような使い方があるのかと驚いたことを覚えている。フローニンゲン:2020/8/5(水)07:50

6080. 制約と幻想からの解放

時刻は午後7時半を迎えた。つい今し方夕食を摂り終えた。今日はまだ断食が明けてから1日目の夕食であったから、いつも以上にゆっくりと咀嚼をし、ひと口ひと口を味わって夕食を食べた。

よく噛むことによって素材の旨味がいつも以上に伝わってきて、充実した夕食だった。明日からもまたよく噛みながら食事を味わいたい。

今日は、ロイ·バスカーの“From East to West: Odyssey of a Soul”を読み終えた。本書は、バスカーが霊性探究に舵を切った後に書かれたものであり、実践霊性学の書物として1つ推薦できるものだ。今後もまた本書にはお世話になるだろう。

明日からは、バスカーの“Reflections on metareality: Transcendence, emancipation and everyday life”を読み進める。本書を含めてあと4冊ほどバスカーの書籍で未読のものがあり、それらは来週の初旬ごろに全て初読が終わるだろう。そこからはハーバート·マルクーゼやマックス·ホルクハイマーなどのフランクフルト学派の書籍を読み進めていく。

今月中にクレジットカードが届いたら、いくつか美学に関する専門書を購入し、それらに合わせて、シュタイナーの経済思想に関する書籍を購入する。日本に一時帰国するまでは、毎日着実に読書を進めていく。

本書の読書を通じて、人は本質的に自由な存在だが、実質的には奴隷であるというルソーの指摘に共感するものがあった。私たち人間は確かに本来的には自由なのだが、この社会には至る所に私たちを縛る制約がある。それは社会の中にあるだけではなく、社会的な制約が私たちの個人の心にも種々の制約を生む。

それらは本来幻想なのだが、私たちはそれに強く縛られてしまうのだ。そう考えてみると、私たち人間というのは、制約と幻想の織物の中に生きていると言えるかもしれない。

私たちがそうした制約や幻想を乗り越えていき、真の自由を享受するためには、それらの制約や幻想を生み出している構造に光を当て、それらを変容させていく必要がある。兎にも角にも、それらの構造の所在に気づかなければならない。こうした気づきの意識が第一歩であり、そこから初めて構造の変容に向けた実践が始まる。

構造への気づき、および構造の変容に向けて、バスカーの思想体系やフランクフルト学派の思想体系は参考になるだろう。まさにそれらの思想体系が目指していることそのものが、人間の解放なのだから。

今日はこれから、スクリャービンの曲を参考にして曲の原型モデルを作っていく。ここ最近は、理論書を片手に曲を作ることと、原型モデルから自由に曲を作っていくことのバランスが良い。

前者は型を学習する上で有益であり、後者は自由に自分の音楽的感覚を表現する上で有益である。今後もそれらの2つを半分半分で作曲実践を続けていこう。それに加えて、毎日2曲ほど新しい原型モデルを作ることも忘れずに行っていく。

仮に理論書を参考にして曲を作る場合であっても、絶えず自分固有の美的感覚に意識を向け、その感覚から生まれてくる音を何よりも大切にする。フローニンゲン:2020/8/5(水)19:38

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