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6009-6013: アートの国オランダからの便り 2020年7月16日(木)


No.992 音感_A Sense of Sounds

本日の言葉

Think with your whole body. Taisen Deshimaru

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(10点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた11曲

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タイトル一覧

6009. 美しい朝焼けを眺めて:ジョン・ラスキンとの夢での出会いを思い出して

6010. 今朝方の夢

6011. 関係性と創造性及び対話の大切さ

6012. 活気が戻ってきたフローニンゲン:宇宙空間の果てに飛び立つ知覚体験

6013. ロイ·バスカーへの共感の念

6009. 美しい朝焼けを眺めて:ジョン・ラスキンとの夢での出会いを思い出して

時刻は午前6時半を迎えた。今朝目覚めた時に目に飛び込んできたのは、美しく輝く朝焼けの光だった。

寝室の窓からそれが差し込んできており、オレンジ色に輝く朝焼けをしばらくベットの上で眺めていた。目覚めて1日を始める瞬間に、あのような美しい光景を眺められることほど幸せなことはない。

早いもので、来週の今日、アテネに飛び立つ。実に半年ぶりの旅行である。

アテネの滞在中にどこに足を運ぶかの目星は立っているが、具体的にどの日にどこにいくかはまだ決めていない。それは来週のどこかで行っておこうと思う。

実際に現地に着いてから、その計画を柔軟に変更していこうと思うので、あまり細かく決める必要はないだろう。今回はゆったりと8泊9日の旅であるから、アテネを十分に満喫できるだろうと思われる。また1つ、自分にとって馴染み深い街ができるであろうことを嬉しく思う。

昨夜就寝前に、何気なく“The Foundations of Aesthetics”という書籍を手に取った。これは、フローニンゲンの街の中心部にある古書店ISISで今から2年前に購入したものだ。

中を開けた瞬間に、ある人物の名前が飛び込んできた。それは、美術評論家かつ社会思想家のジョン·ラスキンだった。

ラスキンに関しては、とても印象に残っているエピソードがある。この書籍を購入する遥か前に、私はある日、ラスキンに関する夢を見た。

その時は、ジョン·ラスキンという人物について全く知らなかったのだが、夢の中で「ラスキン」という名前が出てきて、「一体これは誰だろう?」と思ったことを覚えている。起床して調べてみるも、すぐにジョン·ラスキンには至らず、しばらくそれが誰なのかがわからない状態が続いていた。その後、ある時ふと、夢の中に出てきた人物がジョン·ラスキンであることを知ったのである。

美術評論家であったラスキンが夢の中に出てきたことと、今自分が美学の領域に関心を持ち、探究と実践をしていることは決して見逃せない繋がりがあるように思える。夢はやはり何かと深く繋がっているのだ。

それは自己の存在の最奥や、自己を超えた何かと奥深くと繋がっている。夢に導かれるようにして美の探究に乗り出していた自分が今ここにいることを不思議に思う。

ラスキンについて改めて調べてみると、ラスキンは芸術家のパトロンでもあり、自身も水彩画を嗜んでいた。実際に彼の絵を見たが、彼が好んでいたターナーのように、光の表現がとても上手く、美しさがあった。

色々と調べてみると、オックスフォード大学のラスキン·カレッジは彼の名にちなんでいるらしく、いつか足を運んでみたい。またラスキンは、なんと晩年に、霊性の研究にも乗り出していたそうであり、霊性学の探究に乗り出している自分との繋がりをこの点においても見る。

ラスキンへの関心が高まったこともあり、来月は、ラスキンが執筆した“Lectures on Art: Lectures on art”と“Great Ideas On Art and Life”を購入しようと思う。

何かラスキンから託されたものがあるように思えてならない。ラスキンとの夢での出会いを大切にしたいと思う。フローニンゲン:2020/7/16(木)06:46

6010. 今朝方の夢

時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今朝は起床した瞬間に朝焼けを拝むことができたのだが、本日は1日を通して曇りがちとのことである。幸いにも雨は降らないとのことなので、夕方に街の中心部に買い物に出かけたいと思う。

それでは今朝方の夢について振り返り、本日の創作活動に取り掛かっていこう。今日もまた、創作活動と並行させる形で読書を行っていく。

夢の中で私は、見慣れない学校の教室の中にいた。そこは私が通っていた学校ではなかったのだが、教室には小中高時代の友人たちが入り乱れてそこにいた。

外は幾分暗い印象を受けたが、教室の中は明るくかった。しかもその明るさは、蛍光灯によってもたらされたものではなく、外は暗いのだが、なぜだか自然光によって部屋が明るくなっていた。

教壇には小学校6年生の時にお世話になった先生がいた。先生は私に1つ仕事を任せ、私はその仕事を行おうとした。それは、生徒の名前を呼び、彼らが注文した本を彼らに手渡すというものだった。

私は生徒の名前を呼び、本を渡し始めたのだが、知っているはずの生徒の名前を呼び間違えてしまうことがあった。書籍には1人1人の生徒の名前が刻まれていたのだが、彼らの漢字をどういうわけか読み間違えてしまうことが多かった。

実際に1人、高校時代のクラスメートの女子生徒の名前を読み間違えてしまうと、彼女は大きな声を出してそれを訂正した。すると先生は笑いながら、私はクラスをまとめ、クラスを大きく動かしていくことは得意だが、目の前にある誰にでもできそうな仕事に関しては不得意だと指摘した。先生の指摘を私もその通りだと思った。

そこから引き続きその仕事を行っていくと、名前を呼んでも本を取りに来ない生徒がいて、どうやら彼らは欠席のようだった。全ての生徒の名前を呼んだ後、結局何人かが本を取りに来なかったので、彼らの書籍をスーツケースに詰めて、それを倉庫に保管しに行くことも私の仕事の一部だった。

スーツケースを引きながら教室を後にし、私は倉庫に向かった。倉庫もまた1つの教室のようであり、そこはとても広かった。

私たちのクラスの荷物を保管する場所までやってくると、すでに誰かが忘れ物やお菓子などをそこに保管していた。するとそこに、ヨガ仲間の女性の知人が現れた。知人の存在に気づいた時、周りにもクラスメートが多くいることに気づいた。

そしてその方が私に、「加藤さんは女性とお付き合いを始めたらどうなりますか?」と尋ねてきた。それに対して私は、「今よりもずっと優しくなると思います」と答えると、その方も含め、クラスメートたちも笑っていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面もまた学校の教室にいた。今度の教室は、実際に通っていた中学校のものだと思うが、教壇に立って授業をしていたのは高校時代の古文の女性の先生だった。

先生は熱心に板書をしており、何が書かれているのかを見たところ、すぐにはそれが理解できなかった。古文の原文がそこに書かれていて、読解のポイントを先生が説明し始めても、私はいまいちそれがよく理解できなかった。

そのため、黒板に書かれていることをとりあえずノートに書き取っておこうと思ったのだが、どういうわけか何人かの生徒たちがすぐにそれを消してしまった。そこで私は、もう高校には通っていられないと思い、高校を辞めようと考えた。高校に通って勉強するよりも、自分1人で自分のペースで勉強した方がよほど身になると思ったのである。

そのような決意が芽生えたところで夢の場面が変わった。今朝方はその他にも、サンフランシスコ国際空港の中にいる夢を見ていた。

そこで様々な国の航空会社の職員の外国人たちと話をしており、彼らは自国に戻るまで空港で勤務している期間、1日ほど観光できる日があるようだった。

それを聞いた時、私の体は空港の外にいて、空港が見えるカフェでくつろいでいた。その日は晴れであり、空は綺麗だった。時折上空には飛行機雲が見えた。

サンフランシスコの気候を味わいながら、パラソルの刺さったテーブル席で飲み物を飲もうとすると、近くに小中高時代の親友(HO)がいることに気づき、彼に話しかけた。そんな夢の場面もあった。フローニンゲン:2020/7/16(木)07:12

6011. 関係性と創造性及び対話の大切さ

時刻は午前11時を迎えた。先ほどまで読書をしており、これから正午までの時間は再び作曲実践をしようと思う。

ここ最近は、曲の原型モデルを作ることをしておらず、これまで作ったモデルをもとに作曲をすることが多かった。それに加えて、ハーモニーの理論書に掲載されている譜例をもとにして曲を作っている。

今日からはまた1日に2つずつぐらいは新しいモデルを作っていこうかと思う。1日に多く原型モデルを作るのではなく、毎日コツコツと新しい原型モデルを作ることによって、日々新たな学びを得たいと思う。

そうなってくると、日々の作曲実践は3つのパターンから曲を作っていくことができる。1つ目として、新しい原型モデルをもとにした作曲。2つ目として、既存の原型モデルをもとにした作曲。3つ目として、理論書の譜例をもとにした作曲がある。

こうした形で曲を作っていけば、それぞれのアプローチから新たな学びが得られるだろう。また曲作りが単調にならず、常に新しい刺激を得ながら曲を作ることができる。そのため今日からまた原型モデルを少なくとも1つは必ず作っていくようにしたい。

今朝方ハーグに住む友人のブログを読んでいたところ、興味深い記述があった。それは、創造性と人間関係は深く関係しているのではないかという問題意識であった。

この点については、私も思うところがあり、興味深く記事を読んでいた。おそらく創造性というのは人間関係にとどまらず、その人と他の全ての存在者との関係性によって発揮され、また育まれていくものだと思われる。

ここで述べている存在者というのは、先日の日記でも言及した通り、他者、モノ、自然、概念も含めた存在のことを指す。日々創作活動に従事していると、そうした存在者との交流がいかに自分の創造性の発揮と涵養にとって重要かがわかる。

友人はさらに、それぞれの人が、それぞれに対話のパートナーを持っている世界について思いを馳せており、私もその点に共感した。ここでも対話のパートナーは人間である必要はなく、全ての存在者を対話相手とみなし、彼らと実際にどのような対話ができるかが鍵を握るように思う。

これまで気づくことができなかった多様な存在者の存在に気づき、彼らと深く対話を行うことが当たり前になる世界の実現を望む。私たちにとって深い呼吸をすることが当たり前になり、絶えず自分とつながっていることが当たり前になることもまた望むことである。自己との深いつながりを取り戻し、そうした繋がりの中で、善や美が体現された行動が当たり前にになることもまた望むことである。

深い呼吸を絶えずするかのごとく善や美が体現された行動で溢れるような社会の実現。世界が少しでもより平穏になるために、善と美に溢れた行動と対話については、様々な角度から考えを深めていきたいと思う。フローニンゲン:2020/7/16(木)11:20

6012. 活気が戻ってきたフローニンゲン:宇宙空間の果てに飛び立つ知覚体験

時刻は午後7時を迎えた。気がつけば今週も終わりに近づいてきており、明日は金曜日となる。

今日は夕方にジョギングがてら街の中心部に買い物に出掛けた。すると驚いたことに、先週よりも人が増えていて、マルティニ教会前の広場に出店が戻ってきており、人々の姿を多く見かけた。

中心部の通りを歩いていても同じことを感じ、コロナ前と変わらないほどに人々が行き交っていた。もちろん、まだどの店に入る前にも手を消毒する必要があるのだが、街に人々が戻ってきて活気に溢れている様子を久しぶりに見ることができた。

今日は2つほどオーガニックストアに足を運び、最初の店でヘンププロテインと小麦若葉のパウダーを購入し、それらに合わせてクロレラとスピルリナが半分半分入ったパウダーを購入した。これまでは近所のスーパーで、瓶詰めのクロレラのパウダーを購入することができていたのだが、それがもう入荷しなくなってしまい、代わりにモリンガのパウダーを味噌汁に入れていた。

以前からクロレラとスピルリナが半分半分に入ったパウダーの存在を知っていたのだが、今日初めて試してみようと思った。宇宙食としての研究が進められているそれらの栄養価と味を考えたとき、このパウダーを味噌汁に入れたくなった。

過去にもスピルリナのパウダーも摂取していたことがあるのだが、個人的にはスピルリナよりもクロレラの方が味がよく、味噌汁にもよく合う。今回は半分半分それらが入っていることもあり、スピルリナ単体の時よりも味噌汁とのマッチングが良いことを願う。

今日は午後に仮眠を取っている最中に、とても印象深いビジョンを見た。仮眠をしてしばらく経ってから、意識がコーザル意識の状態になり、そこから再びサトル意識に戻ってくるときにそのビジョンを知覚した。これはビジョンかつ身体感覚の伴う体験であった。

突然、地球外に自分の意識が飛び出していき、地球からどんどんと遠ざかる方向に意識が飛び立っていくビジョンを見た。最初私は、もう地球に意識が戻ってこれない恐怖心が強くあったが、ある地点で、地球から離れていくことに対する好奇心が恐怖心に勝り、もう私は地球に戻ってこれない覚悟で、地球から一気に離れていった。

すると、意識が宇宙の果てに向かって尋常ではない速度で飛んでいった。宇宙空間に高低があるのかわからないが、地球の位置からすると、一気に宇宙空間を上昇していく感じだった。

するとそこで自分の身体に強い電流のようなエネルギーが流れ始めた。ベッドの上に横たわっている全身が金縛りに遭ったかのように、全身が電気のような強いエネルギーに包まれたのである。

身体に強い電気のようなものが流れる体験は比較的多くするため、それほど驚くことではなくなっているのだが、如何せんそのビジョンが強烈なものであったため、身体に流れるエネルギーも幾分強く感じられた。

「見たものは見たと言え」という精神で、「知覚したものは知覚した」という形で文章を今書き留めてみた。このところ、再び自分の中で情熱を傾けられる探究テーマが見つかり、そのテーマに関する書籍を毎日読み進めることによって、自分の内側に情報エネルギーが高まっていたことと、自己が再び既存の自己の殻を破って超越しようとする時期に差し掛かっていることが、そのような知覚体験をもたらしたのかもしれない。フローニンゲン:2020/7/16(木)19:21

6013. ロイ·バスカーへの共感の念

時刻はゆっくりと午後7時半に近づいている。振り返ってみれば、今日もまた非常に充実した1日だった。十分に創作活動に打ち込むことができ、読書も存分にできた。明日は「一瞬一生の会」の補助教材として、いくつか音声ファイルを作ろうと思う。

今日は午前中に“Metatheory for the Twenty-First Century: Critical Realism and Integral Theory in Dialogue”を読み終え、その次に“The formation of critical realism: A personal perspective”に取りかかり始めた。こちらの書籍は、バスカーの幼少期のエピソードから始まり、生涯にわたってどのようなプロセスでバスカーが思想体系を構築していったのかの変遷がわかる優れた書籍である。

文章の形式も、バスカー本人に対するインタビュー形式のため、バスカーの肉声を聞いているかのような形で食い入るように読み進めることができた。気がつけば、細かい字で200ページほど書かれたこの書籍も、あと2章ほどで初読が終わる。

本書を読みながら、いくつも興味深い記述に出くわしたのだが、中でも印象に残っていることを書き留めておきたい。1つには、バスカーはイギリス人なのだが、家系にインド人の血が入っていることもあり、幼少時代はそれが理由でいじめに遭っていたそうである。

この幼少期の頃の体験が元になって、バスカーは人間の解放と自己実現に関心を持ち、それを当初は経済学を通じて実現する道を探っていった。ところがオックスフォード大学時代にそのアプローチが変わり、人間の解放と1人1人の人間が自己実現する道を探究するアプローチとして哲学を選んだ。

以前の日記でも書いたことだが、バスカーが経験したような自分のシャドーを形成する疎外体験というのは、1人の学者や芸術家の活動の根源に関わるものであることが往々にしてある。バスカー自身も幼少期の体験が自分のシャドーを形成していることを自覚しており、同時にそれが負の側面として現れてくるのではなく、社会正義を希求する思索活動の支えになっていることにも自覚的である。

バスカーと同様に敬意を評している哲学者の中で、ザカリー·スタインもまた同種の体験を幼少期の頃にしている。彼の場合は、失読症による不公平さを既存の学校システムに対して感じたことと、彼の妻を襲った医療事故が現在の彼の活動の根源にある。

バスカーはそれ以外にも疎外体験をしている。バスカーはオックスフォード大学で博士号を取得して以降、哲学者としてのキャリアを順調に重ねていった。

しかし、哲学者として脂が乗ってきた頃に執筆した主著“Dialectic: The Pulse of Freedom”を執筆している最中にも知的疎外体験をすることになった。その仕事は革新的なものであり、同時に彼の研究分野において物議を醸すものでもあった。

バスカーの言葉で感銘を受けたのは、本当に創造的な仕事を実現するときには必ずこの種の疎外体験が付き纏うと述べていたことである。その仕事が革新的なものであればあるほどに、理解者は極々限られており、それゆえに往々にして疎外体験が付き纏うのだ。

そこからもまたバスカーの生涯を辿っていったとき、さらに興味深いのは、バスカーが霊性探究に関心を大きくシフトしたことである。どのようなきっかけでそれが起こったのか、本日この書籍を読むまで私は知らなかった。

バスカーが霊性の探究に乗り出したきっかけは、1994年にバカンスでキプロスを訪れた際に、ひどい風邪を引き、そこで偶然にレイキを勧められ、その治癒体験がきっかけとのことだった。私自身がレイキの実践者でもあるため、まさかバスカーとレイキという観点で繋がっているとは思っても見なかったのである。

またその女性のレイキの施術者の旦那さんは超越瞑想の実践者でもあり、バスカー自身も超越瞑想のコースに参加していたことが書かれていて、大変興味深くなった。バカンスを終えたバスカーはイギリスに戻り、哲学者らしく、緻密なアプローチを持って、諸々の神秘主義的な実践技法を探究していった。

その探究の成果としては、まだ読んでいないがすでに手元にある“From East to West: Odyssey of a Soul”の中でバスカーの霊性に関する思想がまとめられており、そこから思想体系をより洗練した末に執筆されたのが、先日読み終えた“The Philosophy of Meta-Reality: Creativity, Love and Freedom”である。 

改めて、キプロスでの体験が、バスカーにとって内面への目覚めの転換となったことは興味深い。その体験をする前のバスカーは哲学の領域で仕事をしていたが、自身が述懐するように、物質的な面ばかりに意識が向かっていたと述べている。

それはまさに自分が内面探求への目覚めの際に体験したことと似ており、そうした観点においてバスカーがとても近しい存在に思えてきた。ここからも引き続き、バスカーの思想体系を探究していく。フローニンゲン:2020/7/16(木)19:48

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