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6006-6008: アートの国オランダからの便り 2020年7月15日(水)


No.985 曇り空の中にあるもの_Something in a Cloudy Sky

本日の言葉

What creates happiness can also be the cause of sadness. Do not be subject to your passions, learn to overcome them. Then your joy will be greater. Dugpa Rimpoce

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6006. テクノロジーと現代の課題:霊性学と美学に関する規範的かつ実践的なメタ理論について

6007. 今朝方の夢

6008. 内在化されたイデオロギーを外在化すること:批判的実在論とインテグラル理論の補完関係

6006. テクノロジーと現代の課題:霊性学と美学に関する規範的かつ実践的な

メタ理論について

時刻は午前7時を迎えようとしている。今朝はゆったりと睡眠をしており、起床したのは午前6時だった。寝室と外の気温の差からか、目覚めた時には寝室の窓に水滴が付着していた。

今日は小雨が降ることはなく、天気が良いようなので、午後に街の中心部に出かけて買い物をしたい。

絶えず今を絶対的に肯定できる生き方。過去の自分よりも何かしらの点で深さを体現している現在の自分を通じた絶対的な肯定感。それを日々の生活の中で感じる。

今を絶対的に肯定できることは、充実かつ幸福に人生を生きる上でとても大切なことかと思う。昨日はふとそのようなことを考えていた。その他にも、昨日はいつもと同じように、雑多なことを考えていたように思う。

1つには、テクノロジーの発達と現代社会の課題の関係について考えていた。テクノロジーの発展が既存の種々の問題を解決してくれるのは確かだが、現代が直面している真に重要な問題の多くは、テクノロジーの発展では解決できないようなものではないだろうか。

戦争を失くすために、より性能の高い核兵器を求めるような状況が現代社会の様々な領域で行われているが、これは本当に本末転倒だと思う。現代が直面する真に重要な問題を解決するためには、人間の知性やあり方が深く問われる。

私たちは、本当に問われていることが何かを見失っているのかもしれない。成熟した知性とあり方。それらがあってこそテクノロジーの力が活きてくる。そのようなことを改めて考えていた。

2つ目として、ヨルゲン·ハーバマスもまたメタ理論の提唱者であったことについて考えていた。ハーバマスは主著“Knowledge and Human Interests”を通して、人間性に関するメタ理論を構築することを狙いとしていた。それは3つの領域から構成されており、それぞれ3人称的、2人称的、1人称的な領域である。

3人称的な領域として、チャールズ·サンダース·パースの理論体系を用いて、自然科学の方法による人間理解について深く考察を進めた。2人称的な領域として、ディルタイの理論体系を用いて、歴史的·解釈学的な方法による人間理解について深く考察を進めた。最後に1人称的な領域として、フロイトの理論体系を用いて、精神分析学的な人間理解について考察を深めていき、それら3つの領域を通じた人間理解に対する考察を統合しようと試みていた。

ハーバマスのこうした探究方法を見て、同種の試みを霊性学と美学に関してできないだろうかと考えた。つまり、強固な思想体系を持つ霊性学者と美学者の理論を架橋するような探究ができないだろうかと考えていたのである。

霊性学や美学と一口に言っても、そこには異なる人称アプローチがあるであろうから、それぞれの領域の中で重要な仕事をしている学者の思想体系を参考にしながら、霊性学と美学に対してメタ理論的なアプローチを採用する探究をしてみたい。それは博士論文のアイデアの有力な候補である。

鍵は、メタ理論的かつ規範的·実践的な試みということ。メタ理論には様々な種類とアプローチがあり、例えば、1人称的なアプローチだけに焦点を当てたとしても、その範囲でメタ理論を構築していくこともできる。

今の自分の関心からすると、霊性学と美学に対しては1人称的かつ2人称的にアプローチをしていくことだろう。このあたりのアイデアについてもゆっくりと洗練させていきたい。フローニンゲン:2020/7/15(水)07:11

6007. 今朝方の夢

ここのところ自分の身に起こっている様々なシンクロ現象は、自分の無意識と他者の無意識のつながりを示唆しているように思う。そうしたつながりが肯定的な形で現れてきている現象をここ最近はよく実感する。

一方で、どれだけシャドーワークをしたとしても、個人のシャドーがなくならないのは、シャドーの世界が深いというだけではなく、他者のシャドーの世界の影響を受けているからではないかと思った。つまり、他者さらには社会を含めて、自分以外のシャドーの世界におけるシャドーが治癒をされなければ、それは自分の無意識の世界に入り込み、形を変えて自分のシャドーとして現れてくるのではないかということである。

そうしたことを考えてみると、シャドーワークというのは個人で行うだけのものではなく、集合規模でも進められていく必要のある実践だと思われる。そのようなことを考えながら、今朝方の夢について思い出していた。

夢の中で私は、欧州のどこかの国のある街にいた。その街は、風光明媚の場所であり、海に面していた。雰囲気からすると、マルタ共和国やモナコ公国のどこかの街のようだった。

そこで私は、昼の穏やかな太陽の光を浴びながら、小中高時代の友人と歩いてどこかに向かっていた。すると途中で、2人の親友(SH & SI)と偶然出会った。彼らもまたどこかに向かっているようであり、その方向が同じだったので、一緒に歩くことにした。

しばらく歩いていると、私たちはいつの間にか教会の中にいた。教会の中は厳かな雰囲気を発していて、少しばかり薄暗かった。

教会の中には小さな部屋がいくつかあり、地下には比較的広い祈りのスペースがあった。地下に降りて行ったところ、祈りのための部屋の物陰に誰かがいるような気配を察知した。その人物が発している気はあまり良いものではなかった。

何か不審な人物がそこにいるという感じがあったのだが、結局その人物の姿を確認することはできなかった。するとその部屋に、高校時代のサッカー部で副キャプテンを務めていた友人が入ってきた。彼はゆっくりと部屋を歩きながら、部屋の点検をしているようだった。

ちょうど彼と視線が合い、そこからお互いに歩み寄って少しばかり言葉を交わした。教会の中から外に出ようと思ったところ、先ほどまで一緒にいた友人たちの姿が見当たらなかった。そこで偶然ながら、別の友人(HY)と出会い、彼と一緒に教会の外に出ることにした。

外に出てみると、街を上げてスポーツフェスティバルが開催されていることに気づいた。海に面した道路の上でサイクリングレースが行われていたり、マラソンなどが行われていた。

街全体がとても盛り上がっている中で、私はその友人とどこかに向かおうとしていた。道ゆく人たちと逆の方向に進んでいると、そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は綺麗で大きな体育館の中にいた。そこには、実際に通っていた中学校の先輩、後輩、そして同学年の生徒全員がいた。

どうやら私は成人の体と頭脳を持ったまま、中学2年生としてそこにいるようだった。その場には全校生徒が各学年ごとに整列をしていた。なぜか私は全校生徒の前で話をすることになり、全員の前に立った。

列の後ろの人たちには見えにくいと思ったので、全員に一度座ってもらうことにして、そこから話を始めた。話のテーマは、人間の成長についてだった。その中で、まずは「水平的成長」という言葉を私は述べた。

その言葉の意味をどれだけの人が知っているのか確かめたかったので、意味を知っている人に挙手をお願いした。すると、1年生は元気良くほとんど全員が手を上げた。また3年生も多く手を上げていたのだが、彼らはなぜかヨガの寝転んだポーズをしながら手を上げており、その姿は奇妙かつ滑稽に思えた。一方で、2年生はほとんど手を上げていなかった。

まず私は3年生の誰かに意味を答えてもらおうとしたのだが、1年生の男子生徒の誰かが冗談めかして、「3年生が意味を知ってるなんて嘘だ。それは偽りだ」と述べた。それに対して体育館全体に笑いが起きたが、彼が述べたことはあながち間違いではないと私も思った。そのため、私は1年生の誰かに意味を聞くことにした。

そこで夢から覚めた。そう言えば、その他にも、大学時代のサークルの合宿として、日本のどこかの温泉街を訪れ、旅館に宿泊していた場面があった。

夕食後、先輩後輩を含めたメンバーが畳部屋に集まり、色々と語らっていた。私は、仲良くさせてもらっていた2人の先輩と現在の関心事項や将来について色々と話をしていて、その時の自分は今の自分として話をしていたのを覚えている。フローニンゲン:2020/7/15(水)07:37

6008. 内在化されたイデオロギーを外在化すること:

批判的実在論とインテグラル理論の補完関係

時刻は午後7時を迎えた。今日は1日中晴れの予報だったが、午後に雨雲が突然現れ、にわか雨を降らした。ちょうど街の中心部に買い物に出かけようとして自宅を出た直後に雨が降ってきたので、すぐに自宅に引き返すことができた。買い物は明日に持ち越すことにした。

自宅に引き返した後に、“Metatheory for the Twenty-First Century: Critical Realism and Integral Theory in Dialogue”の続きを読んでいると、フランスの哲学者ルイ·ピエール·アルチュセールの興味深い指摘に遭遇した。アルチュセールがイデオロギーの性質について書いた記述から色々と考えることがあった。

イデオロギーというのは私たちの主観的なアイデンティに大きな影響を与え、私たちは特定の、あるいは種々のイデオロギーを内在化している。私たちはそうした内在化されたイデオロギーの存在に往々にして気づくことができず、それらは私たちの認識やアイデンティティを大きく規定している。

自我の発達において、こうした内在化されたイデオロギーの存在に気づき、それを客体化させていき、それらによって被っていた諸々の制限や束縛から解放されることは重要なことである。内在化されたイデオロギーを「外在化」するプロセスを通じて、私たちは徐々に内面の解放を実現していく。

一方で、イデオロギーというのは、社会の運営上に必要な面もあり、それが文化やシステムを駆動させているという側面がある。大切なことは、ここでも規範的な観点を持つことであり、既存のイデオロギーに取って代わるより包括的なイデオロギーを醸成することが現代に求められている課題の1つだと言えるかもしれない。

午前中にはまた別の論点について考えていた。それは実在論的なトピックである。

目には見えないものの存在を直ちに認めないというのは、存在論の観点から言えば、認識的な誤謬である。バスカーの批判的実在論は、この誤謬について詳しく説明している。

現在読み進めている書籍の執筆者は、各々がインテグラル理論に造詣が深く、私がかつて在籍していたジョン·エフ·ケネディ大学の関係者もいる。彼らも一様に指摘していることではあるが、ウィルバーが提唱したインテグラル理論において、全ての存在に居場所を与えるというテーゼが掲げられている一方で、やはりウィルバーの関心の焦点が認識論に寄っており、存在論についてはそれほど緻密な議論がされていない。

逆に、ロイ·バスカーの批判的実在論は、存在論に関して緻密な理論が提唱されているが、認識論の包括性に関して言えばウィルバーのインテグラル理論の方が優れている。端的に言えば、それら2つのメタ理論は補完関係になりうる可能性を有しており、それら2つのメタ理論が相補的な関係を結べば、より包括的なメタ理論を構築することが可能になる。

批判的実在論はインテグラル理論が持つ豊かな認識論的な語彙を活用することができるし、インテグラル理論は批判的実在論が持つ深い存在論的な理解を活用することができる。そうした補完関係によって、さらに包括的なメタ理論の構築が実現され、実践的にも規範的にもより有益なメタ理論となる。

今月は折り返しを迎え、来週末からはアテネに行くために読書をする時間がそれほど取れないかもしれないが、今月、そして来月にかけてもロイ·バスカーの書籍を読み通していき、彼が提唱した批判的実在論についてより深い理解を得たいと思う。フローニンゲン:2020/7/15(水)19:22

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