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5949-5951: アートの国オランダからの便り 2020年7月2日(木)


No.858 雲の向こう側の世界_A World Beyond Clouds

本日の言葉

Each must seek personally, inquire personally, understand personally and awaken personally. Zen proverb

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本日生まれた11曲

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タイトル一覧

5949. 今朝方の夢

5950. 仮眠中のビジョンと現代人の一側面

5951. 発達科学の研究成果の価値判断について:インテグラル理論の果たす一つの役割

5949. 今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えた。今朝は、雨がしたたる音を聞いて目覚めた。家の前の木の葉っぱに雨がしたたる音が一定のリズムを持っており、それは耳に心地良かった。

今この瞬間は雨が止んでいるが、昼前から夕方にかけて小雨が降るそうだ。今日も最高気温は20度に満たず、最低気温は10度ほどだ。

アテネの天気予報を確認したら、軒並み晴天続きのようであり、最高気温は35度前後、最低気温は23度ほどと、フローニンゲンとの差は歴然としている。今月末にはいよいよアテネに行くことになったが、その時にはフローニンゲンとの気候の差を大いに感じることができるだろう。

今日もまた創作活動と読書に打ち込みたい。読書に関していえば、昨夜から読み進めた群衆心理学の書籍を本日も読み進めていく。それは、“The Age of the Crowd: A Historical Treatise on Mass Psychology(1985)”と呼ばれる書籍であり、群衆心理学の種々の論点をかなり網羅的に取り上げているだけではなく、著者のセルジュ·モスコヴィッシの洞察は非常に深くて参考になる。

本日はこちらの書籍を読み進めることに加えて、文献リストにある7月に購入予定の書籍を注文しようと思う。今回は合計で15冊ぐらいの注文になるだろうか。そのうちの半分ほどはイギリスの哲学者ロイ·バスカーの書籍になる。バスカーの「批判的実在論(critical realizm)」を深く理解したいと思っており、それを成人発達学と関連付けるだけではなく、霊性学や美学とも関連付けていきたいと思う。

今朝方は少しばかり印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、サッカースタジアムの中にいた。私は自分の意識を用いて、サッカーコートの上にも視点を移動させることもできたし、観客席にも視点を移動させることができた。つまり私の意識は、コート上にあることも可能であり、同時に観客席にあることも可能だった。

その時にはサッカー日本代表の大一番の試合が行われていた。おそらく、ワールドカップの出場が決まるか否かの重要な試合のようだった。

試合も終盤に差し掛かり、日本代表はPKのチャンスを得た。そこでキッカーとして登場したのは、往年の名選手であり、その選手はPKを止められたことがほとんどないと言えるぐらいにPKの成功確率が高かった。

いざその選手が助走に入り、キックをした時、相手のゴールキーパーが同じ方向に飛んだので、私は止められたかと思った。しかし、蹴られたボールは地を這うような軌道であったため、キーパーの手に触れられることなくゴール右隅に決まった。その時の私の意識はゴール裏の観客席にあり、キックの瞬間の映像がスローモーションで再生された。

その選手は、キーパーを反対に飛ばせるために体の向きを巧みに変えてフェイクを入れたのだが、相手のキーパーはそれに引っかからずにボールの方向に飛んだ。しかしそれでもコースが良かったので、キーパーはボールに触ることすらできずにゴールネットを揺らした。ゴールが決まった瞬間、その選手はホッと胸を撫で下ろしているようだった。

次の夢の場面では、私は小中学校時代の親友(HS)と、小中学校時代の女性友達2人と話をしていた。すると、2人の見知らぬ中国人が現れ、彼らは彼女たちを誘って釣りに行こうと申し出た。

親友と私は、彼女たちのことが心配だったので、私たちも半ば強引に釣りに同行することにした。片方の中国人が、「それじゃあ、午後2時半に迎えに来るね」と彼女たちに述べた時、私は彼女たちの返答よりも早く、「ありがとう、楽しみにしてるよ」と述べた。2人の中国人はもちろん親友と私を釣りに誘っていないため、一瞬戸惑った表情を浮かべていた。

すると、彼らが今日本語の訓練を受けている場所に意識が移動した。彼らは午前中は日本語のレッスンを受けているらしく、iPadを用いて日本語の書き取りをしていた。その際に、教師の女性が、言葉を書くだけではなく、書いた言葉のイントネーションや言葉から喚起されるものを絵として表現することを要求しており、それは面白いと思った。

片方の中国人は、黄緑色を選択し、それを筆を用いて線画のようなものを描いていた。そのクラスが終わり、2人の中国人は宿泊している場所に戻った。どうやら彼らは大きな公衆トイレの中に寝泊りしているらしかった。

私がそのトイレに行くと、彼らは小さないびきを立てて寝ていた。そこは比較的綺麗なトイレだったが、それでもそこに布団を敷いて寝ることに対してはとても違和感があった。私は一応彼らに気を遣って、音を立てないように用を足そうと思った。フローニンゲン:2020/7/2(木)06:38

5950. 仮眠中のビジョンと現代人の一側面

時刻は午後7時を迎えた。今、自宅上空の空は灰色の雲に覆われているが、遠くの空には夕日が沈んでいくのが見える。

今日は午前中に激しい雨が降り、夕方から晴れ間が見えた。1日を通して気温は低く、日中を除いて長袖長ズボンで過ごしていた。

午後に仮眠を取っているときに、印象的なビジョンを知覚した。知覚空間に楽譜が立ち現れ、午前中に作っていた曲の一音一音が鮮明にビジョンとして現れたのである。

それは本当に正確なものであり、五線譜上のどこにどの音を配置しているのか等を含め、和音の構造も捉えることができていた。ときには仮眠のみならず、頻度は低いが夜の夢にも楽譜が現れることがあるため、作曲実践が無意識の次元まで浸透し始めていることがわかる。

午後に改めて、一昨日の友人メルヴィンとの対話を思い出した。彼の話を回想していると、カナダの哲学者チャールズ·テイラーがかつて述べたことを連想した。

テイラーは、「現代社会は、私的生活においてはロマン主義的傾向(自我尊重、感情·欲求の解放を最優先にする傾向)があり、公的生活においては功利的·道具主義的傾向がある」という趣旨のことを述べていた。それは至言だと思う。

おそらく、より正確には、公私共にロマン主義的かつ功利的·道具主義的な傾向にあるのが現代人なのではないかと思う。自我が肥大化し、それをさらに肥大化させる形で様々なものを道具化し、消費し、そして再び自我を肥大化させる。そのような人間像が浮かび上がってくる。

今日は午後に時間を取って、ロイ·バスカーの書籍を14冊ほど購入し、そのほかに1冊ほど、霊性の物質化の問題についてチョギャム·トゥルンパが指摘した書籍を購入した。前者の大抵の書籍はロイ·バスカー本人が執筆したものか、他の学者との共著であり、数冊ほどバスカーの書籍の解説書がある。

本日購入した書籍は全てアテネ旅行の前に到着する。中には薄い書籍もあるので、アテネ旅行に1冊ほど厳選して持って行ってもいいかもしれない。

結局音楽理論に関する書籍は購入せず、それらは秋以降に購入したいと思う。来月の購入予定の書籍としては、オットー·ランク、ハーバート·マルクーゼ、アーネスト·ベッカー、経済·社会に関するシュタイナーの書籍、ジョン·サールの書籍を購入しようと思う。

バスカーの書籍が到着するまでは、手持ちの書籍の中でバスカーの批判的実在論について言及している書籍を読み進めたり、本日ダウンロードした論文などを読み進めていこうと思う。ここからの新たな探究がまた楽しみになってきた。フローニンゲン:2020/7/2(木)19:26

5951. 発達科学の研究成果の価値判断について:インテグラル理論の果たす一つの役割

時刻は午後7時半を迎えた。今週も早いもので、明日を終えれば週末を迎える。

気がつけば7月を迎えていて、おそらく気がついたときには今月末のアテネ旅行の日がやって来ているだろう。そして、そこから秋の日本への一時帰国もあっという間にやって来るような気がしている。

昨夜就寝前に、何気なく本棚を眺めていたところ、“Systems Thinking, Critical Realism and Philosophy(2014)”という書籍があることに気づき、パラパラと中身を眺めてみたところ、いくつか下線や書き込みがなされていて、随分と前に一読していたようだった。

内容についてすっかり忘れていたのだが、タイトルにあるように、ロイ·バスカーの批判的実在論についての言及がなされているため、改めてその箇所を読んでみると、得るものが多くあり、今日は群衆心理学の書籍を脇に置いて、こちらの書籍を読み返していた。

いくつもハッとさせられるようなことが書かれていたのだが、その中でも発達科学の研究成果の価値判断の問題に関連する記述をもとに考え事をしていた。

科学的研究は記述的であり、そこに価値判断は含まれるべきではないという考え方がある。確かに、真善美の括りで言えば、科学研究は真に該当するものであるため、科学的研究の成果をもとに「べき論」のような価値判断を行うことは慎むべきという態度がある。そして、こうした態度は発達科学の研究成果の取り扱いに関する議論においても見られる。

数年前までは私もこのような態度で発達科学の研究成果を捉えていた。しかし、教育哲学者のザカリー·スタインの書籍を読み、そうした態度や発想よりも一歩先に進んだ考え方があることに気付かされたのである。その点については以前の日記の中に書き留めていたのだが、今日もそのテーマについて考え、少しばかり補足的な考えが浮かんだ。

自分自身が科学研究のコミュニティーの中で研究をしていたこともあり、身を持って薄々感じていたことが本日明確なものになった。端的には、科学研究というのは、価値や評価を無菌化する形で進めることはできないという点である。

研究テーマの設定、研究仮説の創出、研究手法の選択、そこには諸々の価値判断がすでに混入している。そもそも、絶えず価値判断をしながら生きている人間が研究をしているのだから、それはそうだろう。

科学研究のプロセスの至るところに価値判断が混入し、そもそも科学研究とは先人の研究の上に積み重ねる形で行うものであり、そうした先人たちもことごとく固有の価値判断をもとに研究をしているのだから、彼らの研究成果や概念に立脚すれば、何重の意味においても価値判断が積み重ねられることになる。だから科学的研究成果というのは、どうしても価値負荷的(value laden)にならざるを得ない。

そうであるにもかかわらず、例えば発達研究の成果を取り上げる際に、「その発見事項について良し悪しの判断をするべきではない」というべき論は非常におかしいものであり——「発達研究に伴うべき論の矛盾性」とでも名付けることができるだろうか——、「その発見事項には何らかの価値判断も含まれておらず、純粋に記述的なものとして扱うべきである」というべき論もまた非常におかしなものであることがわかる。

そうした価値判断を避けようとする姿勢が、逆に発達研究をもとにした議論や実践を歪めてしまうのではないかと思う。重要なことは、そもそも純粋に記述的な科学研究など存在し得ないのであるから、得られた研究成果に対する価値評価に関する議論をより緻密なもの、より豊かなものにしていくことなのではないかと思う。真善美のどの領域も蔑ろにしないインテグラル理論の果たす役割の1つには、そうしたものがあるかと思う。

自然科学の研究ならまだしも、人間や社会を対象にした社会科学の研究成果が純粋に記述的であることは不可能であるという前提に立ち、そうであればいかような価値判断が求められるのかを慎重に議論していくことによって対話や実践を育んでいくことが大切になるだろう。

「発達研究で得られた成果は記述的なものであり、価値判断の伴うものではない」という主張は、善や美に関する思考停止状態の現れであり、そうした主張をしている限りにおいて、人間や社会をさらに育んでいくより豊かな対話や実践など実現しないだろう。

このテーマについては、ロイ・バスカーの「批判的実在論」をもとにすれば、もっと別の観点から考えを深めることができそうである。これまでの自分は認識論をベースに無意識的に考えを展開していることに気付かされ、バスカーが「存在論が認識論を決定づける(Ontology determines epistemology)——言い換えれば、beingがknowingを決定づける」と述べているように、あえて存在論に強く立脚する形で種々のテーマに対する自分の考えを深めていこうと思う。本日購入した14冊のバスカーの書籍はその基盤を形成してくれるだろう。フローニンゲン:2020/7/2(木)20:02

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