No.805 空の流体_A Fluid in the Sky
本日の言葉
Awareness practice helps us become more transparent to ourselves. Surya Das
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本日生まれた11曲
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タイトル一覧
5931. 光の中で光として生きること
5932. 今朝方のビジョンと夢
5933. 現代社会の宿痾に対して
5931. 光の中で光として生きること
時刻はゆっくりと午前6時を迎えようとしている。今、天空から朝日が地上に放射している。
放射。そういえば昨日は、磨かれた、そして高められた精神を持つ存在から放射される輝きとしての言葉·音·絵について考えていた。
涵養された精神が生み出す言葉·音·絵には光の輝きがあるのだ。それはこの世界に光を与える。
昨日に引き続き、今日もまた気温が上がるらしい。どうやら最高気温は30度近くになるようだ。ところが明日は雷を伴う雨が降り、最高気温は24度ほどであり、そこから1週間は20度を下回るような気温になるとのことである。もう7月を迎えようとしているが、そうした涼しさがある。猛暑よりも過ごしやすいことは間違い無いので、こうした涼しげな状態に感謝をしよう。
嬉しいことに、来月の今頃はアテネにいる。コロナの影響もあって、旅行に行くのは本当に久しぶりである。旅ができることの有り難さをしみじみと実感している。
前回の旅から今回の旅にかけて、およそ半年ほど期間が空いている。その間に、自分はおそらく様々なものを内側に堆積させてきたように思う。今回の旅は、そうした堆積物をより高めるためのものになるような気がしている。
アテネで見る諸々の光景は、文字通り、光としての写し絵であり、それは自分の内側に光を与えるだろう。そうなのだ、「観光」とは、「光を観ること」なのだ。
アテネの地でいかような光を観ることができるのだろうか。それは自分の中に新たな眼を見開き、そして自分の内側に新たな光をもたらすだろう。
そこから放射される自分の言葉·音·絵の誕生を静かに待ちたい。存在の核からの光の全面放射。遍在する光に溶け込み、光として生きること。
そうだ、偶然にも、自分が長く過ごしてきた故郷の町の名前は「光」ではないか。かつて詩人の大岡信は、「土地の名前はたぶん、光でできている」と述べていた。
まさに私の故郷は、光から生まれ出たのだと思う。自分は、光の世界の住人だったのだ。
故郷の瀬戸内海が光に照らされて輝いている情景が脳裏に浮かぶ。この時期の瀬戸内海はさぞ美しいに違いない。
この秋に一時帰国する際には、秋の瀬戸内海の良さを味わおう。そこにも固有の光があるはずだ。
昨晩、来月末のアテネ旅行の際に何の本を持って行こうかと考えていた。母国以外の国で外出している際に日本語空間に思考が持っていかれると何かと不便のため、日本以外の国への旅行中は和書を読まないようにしている。
今回は、美学に関する薄い書籍を持っていくか、音楽理論、特にハーモニーに関する薄い書籍を一冊持っていこうかと考えている。このあたりはまた日が近づいたら考えることにしたい。フローニンゲン:2020/6/26(金)06:06
5932. 今朝方のビジョンと夢
寝室側から差し込む光の美しさ。寝室の窓からは立派な教会の頭が見える。朝日が照らされるときには、いつもそこをぼんやりと眺めている。
今朝方は起床してからしばらくの間、ビジョンを知覚する意識状態にあった。ビジョンを知覚するというのは、明晰夢のような形で、自覚的な意識を持ちながらにして、夢のようなイメージを見ることを指す。
書斎にヨガマットを敷いて、その上で目を閉じてヨガをしている最中にビジョンが立ち現れたので、しばらくビジョンを眺めることにしていた。そこにはヨーロッパの街並みが現れたり、1冊の書物が現れた。
特に後者に関しては、随分とはっきりとその書物の文章を読むことができていた。ビジョンの中でそれを読んでいる最中には、大きな気づきを得ていたのだが、今となってはその内容がどのようなものだったのかを覚えていない。しかしそれは大して重要なことではない。
自分の無意識が大切な気づきを得たということが重要なのである。そこで得られた気づきは、内的促しを受けて、しかるべき時に顕在意識下での気づきとなって表出してくるだろう。私が行えばいいのは待つことだけである。
午前6時を迎えたフローニンゲンは、すっかり明るい。冬の時代においてはまだまだ真っ暗な時間であり、今このようにして瑞々しい光で満ちているこの世界を前にして、自ずから感動の心が生まれる。
ここでも鍵は自ずから性なのだ。そして、自己と世界との照応もまた鍵となる。
今目の前に広がる世界に美を感じたのは、世界との照応があったからのだ。これは感じる美であると同時に、発見する美でもある。
感覚的に感じながら、同時に理性的にも把握していく美。感覚と理性の片方ではなく、どちらも総動員した美的感受の運動が自分の内側で起こっていることに気づく。
数羽の鳥たちは大空で、光の海を泳いでいる。近くの街路樹に止まる小鳥たちは、光の海で泳ぐ前に少しそこで休んでいる。
安息を醸し出す彼らの鳴き声が聞こえてくる。それは再び特殊な意識状態にいざなってくれるかのようだ。
そうした意識状態で今朝方の夢について振り返ろう。夢の中で私は、ドイツのどこかの街にいた。その街の日本風の居酒屋にいた。時間帯は夕方であり、辺りはゆっくりと薄暗くなってきていた。
店内には人がほとんどおらず、私は、一昔前に活躍していた芸能人の女性と知り合いのようであり、その方と他に何名かと一緒に食事をすることになっていた。私はその女性の友人と会話をしており、どうやら最近再婚したらしかった。
再婚のタイミングで前の旦那との間に子供ができたらしく、現在の旦那はその子が自分の子供ではないことを知らないとのことだった。何か複雑な話だなと思っていると、いつの間にやらその店がその女性の自宅になっていた。
どのような経緯かは不明だが、私はシャワーを借りることになり、2階のシャワーは旦那さんが使っていたので、私は1階のシャワーを借りることにした。シャワー室に入り、鍵を閉めたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面については断片的な記憶しかない。私はガラス張りのボックスのような空間にいた。時刻は夜に近づいており、辺りは闇に包まれ始めていた。
そのガラス張りのボックスから外を眺めたときに、外に何かあることに気づいた。見ると、テーブルの上に野菜が切って干されていたのである。
あれは何かを尋ねようとしたところ、隣に前職時代の会社のトップの方がいて、野菜を干している目的について教えてくれた。その後、仕事の話になったのを覚えている。フローニンゲン:2020/6/26(金)06:33
5933. 現代社会の宿痾に対して
時刻は午後7時を迎えた。今この瞬間の西の空には、穏やかな夕日が輝いている。今日もまた本当に良い天気だった。
午後に街の中心部に買い物に出かけた際には、初夏を思わせる暖かさを感じることができた。人々はみんな薄着であり、夏を満喫しているようだった。明日からは再び気温が下がるが、今日の日のように夏を感じられる日が7月からは増えてくるだろう。
昨日に考えていたことを今日もまた考えていた。現代は人間性開発運動に躍起になるよりも、真っ先に人間性回復運動に従事するべきなのではないかという考えが芽生える。成人発達理論やインテグラル理論のような理論もそれを人間性の開発に活用するよりも先に、失われた人間性の回復に向けて活用していくことが優先されるような現代社会の姿が見えてくる。
現代社会において、善や美の領域が集合規模での学習捨象及び実践捨象になってはいやしないだろうかという問いが再び浮かび上がる。それはまさに、ウィルバーが述べたフラットランド現象の象徴である。
ここのところの関心が倫理学や美学に向かっており、とりわけ美学に対する傾斜が強い自分がいる。そうした領域へ自分を向かわせているのは、集合規模での堕落的な流れに逆らおうとする衝動のようなものなのかもしれない。
善や美の欠落は、現代社会の宿痾のようにすら見えてくる。そうした持病を抱えた現代社会に対する関与を真剣に考え、それに真っ先に取り組んでいこうとする意識が芽生えている。そしてそれらはもうすでに自分の行動として現れている。
午前中にふと、創作においては、絶えず自己を映し出すものを生み出すという静的な側面がありながらも、同時に、絶えず自己とは異なる何かを映し出すものを生み出すという動的な側面があることに気づいた。
創作物は、そうした静と動の相互作用の末に生み出されるものである。であるがゆえに、創作物は生み出されることを通じて自己を育み、そしてまた自己とは違う異質な存在に自己の目を見開いていく。つまり、創作物は自己を育みながらにして、絶えず異質な存在に自己を出会わせる契機をもたらすものなのである。
今日は昼前に心身が仮眠を必要としていたので、短く仮眠を取った。その際にビジョンが立ち現れ、ロシアの女帝エカテリーナと出会った。
彼女と何を話していたのかは覚えていないが、話をしていたのは穏やかな海が見える砂浜の上だった。時刻は仮眠を取っている時と同じ昼の時間帯であり、太陽光が眩しいほどに輝いていた。仮眠中のビジョンは今夜の夢にどのような影響を与えるだろうか?フローニンゲン:2020/6/26(金)19:27